第8章 火災の消火はマスクが必須

 森の奥に進んだレイ達は、開けた場所に出た。


 雲一つ無い夜空に輝く月が、この場所に不釣り合いな屋敷と、その屋敷の庭には不釣り合いな数棟の小屋を、暗闇から浮かび上がらせていた。


「それにしても、何でこんな町外れの森の中に、立派な屋敷を建てる気になったんだろうな。全く・・・・・・お金持ちの考える事は・・・・・・良く分からん」


 その屋敷の作りを眺めながら、少し呆れたような表情で呟く。


「このくらい奥深くだと、魔導や錬金術に魅入られた貴族が、安心して実験が行える。それに高位の貴族は、自分の住環境に非常にこだわるから」


 アヤメがその呟きに答えると、納得したように大きく頷きながら独りごちる。


「成る程ね・・・・・・。自分の道楽に、大金を掛けられる程の貴族の持ち物という訳か」


 そして、その立派な屋敷に並んでいる、粗末な小屋を見渡して毒づく。


「ただ、建物は立派だが、庭のあちこちにある小汚い小屋が、全てをぶち壊しているけどな」


 不思議な事に、門が開きっぱなしになっていて、門衛が一人も居ない。だが、屋敷の玄関には守衛らしき男が立っている所を見ると、警備の手を抜いている訳では無さそうだ。


 恐らくは、ここへ通じる小道の入り口と、見張り小屋が事実上の門になっているのだろう。周囲の森も非常に植生が濃く、外からここへ到達は非常に困難と思える。つまりこの屋敷は、天然の城壁に囲まれている様なものだった。


「さて、どこから手を付けようか・・・・・・・・・」


 レイが腕を組んで考えていると、ミオが勝手に動き出し、直ぐ近くの小屋の扉を開けて中に入っていった。


「チョ、ま、待て! ――――チッ! 仕方ないな」


 小声でミオを制しようとするが、聞いて無さそうなので、仕方なくレイも後に続く。 


 小屋の中に入ると、中は棚が整然と並んでいて、その棚の上には苗床が並べてあった。


 レイは並んでいる苗床に近付いてハッとする。そこには無数のキノコが生えていた。しかもそのキノコの模様に、ものすごく覚えがあった。


「これはロンサール峠で見掛けた、タラシ茸の亜種。少し小ぶりだからまだ成長の途中だけど、もう少ししたら収穫出来る」


 後ろから入って来たアヤメの説明を聞いたレイは、そのキノコが生えている苗床を、涎を垂らして覗き込んでいるミオへ、注意を飛ばす。


「ミオ! 間違っても食うなよ!」


 思わず手を伸ばしかけたミオが、慌てて手を引っ込めていた。


「わ、分かってる!」


 あれは絶対食べる気だったな、とレイは思った。彼女曰く、あのキノコは見た目の毒々しさだけで無く、実際に毒という要素がありながら、非常に美味らしい。


 あの亜種キノコは、アヤメも初めて見る品種だそうだ。


 確かにあの後、峠のから抜けるまで、注意深く道端を観察していたが、そのキノコとは一度も遭遇しなかった。恐らく自生していた訳では無いのだろう。


 恐らく、ここに運び込む時の運搬中のトラブルで、ミオがそのキノコを見つけた辺りに、そのキノコの苗床かキノコ自体がバラ撒かれ、その時に落ちた菌糸か胞子が、辺りの土や木などに付着して自生したのだと考えられた。


 苗床を凝視しながら固まっているミオを、レイは小屋の外に押し出す。


「栽培小屋だったか、やはりベルセルクの原料は、これなのかもな」


 そう言いながら、同じサイズの小屋を見渡して更に呟く。


「大量生産の準備も万端という訳か・・・・・・・・・」


 今すぐにでも焼却処分をしたい所だが、それでリオンとクロエが巻き添えを食ったら洒落しゃれにならないので、今の所は自重じちょうする他無かった。


 建ち並ぶ小屋を眺め回していたレイだったが、その中でも一棟だけ大きな小屋を見つけ、そこへと近付くと、周囲に人が居ないのを確認して、小屋の入り口に立つ。そして、鍵穴を覗き込んで中の様子を伺う。


 部屋の中は、フラスコやビーカーなど、様々なものが所狭しと置いてあり、奥に見える机には書類らしき物が散乱していた。


 ドアノブを回してみると、鍵など掛かっておらず、そのまま開いた。


 その時、遠くから足音と話し声が聞こえて来る。


「ほんとに見たのか?」


「ああ、確かにこの小屋の辺りで何か動いているのが見えた」


 どうやら、ここに近付く時に、誰か見られたようだ。


 レイ達は、小屋の壁沿いを歩いてくる見張りから隠れる為に、反対側の壁に隠れようとしたが、そこは母屋の入り口に立っている見張りから丸見えだった。


 心の中で舌打ちをしたレイは、仕方なくその小屋のドアをそっと開け、ミオとアヤメを先に入らせると、自身も身を滑らせるように小屋へ入り、開けた時と同様に音が出ない様そっとドアを閉じた。


「居ないじゃ無いか! 本当に見たのか?」


「そんな事は無い! きっと小屋の中にでも隠れたんだ!」


 その言葉に慌てた三人は、示し合わせたように屈んで、ドア側の壁に張り付く。

 ドアノブを回す音が聞こえ、少しだけドアが開く。


「クソ! あの大先生、また鍵を閉め忘れていやがる!」


 そう吐き捨てる様な言葉が聞こえて、ドアが乱暴に開かれた。


 見張りの一人がカンテラで部屋の中を照らすと、横にいた相棒がその男に話し掛ける。


「やはり居ないぞ。薬のやり過ぎで幻覚でも見たんじゃ無いのか?」


「そんな事は無い! どこかに隠れているはずだ!」


 そう言ってカンテラを持った男が、中に踏み込もうとした瞬間、少し離れた所から別の男が二人に呼びかけてきた。


「御館様から緊急の呼集だ! 直ぐに食堂へ集まれ!」


 その声でカンテラの男は足を止め、その相棒はその呼びかけに答える。


「分かった! 直ぐに行く! ――――だ、そうだ。御館様から雷を落とされる前に、食堂へ急ぐぞ!」


「そうだな、手当を削られるのは堪らんからな」


 諦めたような溜息を付いて、相棒の呼びかけに応じたカンテラの男は、ドアを閉じて鍵を掛ける。そして二人は急ぐように小屋から離れて行った。


 今まで息でも止めていたかの様に、三人が一斉に溜息を吐く。


「やれやれ、御館サマサマだな」


 レイがそう言って胸を撫下ろしていると、アヤメが小屋の中にある設備を見回している。レイが鍵穴から覗いた時は、ビーカーやフラスコしか見えなかったが、様々な形のガラス管や容器がお互い繋がり会っていて、一つの複雑な装置を形作っていた。そしてアヤメが、その装置の使用目的を口にする。


「これは、何かを精製する為の物」


 そう言いながら彼女は、装置の末端に置かれているビーカーに付着している、粉末状の精製物を指に付けて舐める。


「この粉は小屋で栽培されている、キノコから抽出された物」


「おいおい、何て事するんだ・・・・・・。そんな物口にして、体は大丈夫か?」


 驚くべき行動を取ったアヤメを気遣ったレイは、心配そうに声を掛ける。


 すると彼女は、静かに首を横に振りながら、その気遣いは無用だと言う。


「私に薬の類いは効かない、例えそれが毒薬でも。それはレイだって同じだと、前にも説明した」


「確かにそうだが・・・・・・・・・」


 そう言いつつレイも、傍に置いてあったキノコを囓り、ビーカーに残っていた粉を味見して、両方の味を比べてみる。


「確かに同じように感じるな、粉の方は抽出した物だけあって味はキツいが」


 彼女の言う通り、レイも薬の類いは効かない。体力を回復するというヒールポーションを飲んでも効果は無いし、毒を飲まされても死ぬ事は無かった。勿論、惚れ薬の様な媚薬なども全く効果は無い。


 ただ、その理由をアヤメに聞いても、答えてはくれない。彼女は、ただ一言『今のレイには受け入れられない』と言うのみだった。


 ミオがそのビーカーを、物欲しそうに見ているのに気付いたレイは、彼女に釘を刺す。


「ミオはダメだぞ! 俺達と違って、効果てきめんだからな!」


「いちいち言わなくても分かってる!」


 少し不機嫌になったミオが、怒ったように答える。今のアヤメとレイの会話の中身と相まって、二人と違う自分に少し疎外感を抱いていたが、それ以上に二人に対して、ズルいとも思っていた。なぜなら、レイとアヤメの二人は、あの美味な毒キノコを、何の問題も無く口にする事が出来るのだ。


 あのキノコの味に取り付かれたミオが、二人を羨ましがるのは無理も無い。


 そんな彼女が、ビーカーの中身を口にして、彼らと同じであると証明したいと思うのは無理も無い事だ。勿論、無謀なチャレンジだという事も理解はしているのだが。


 ミオからアヤメに視線を移すと、いつの間にか奥の机まで移動していた彼女は、乱雑に置かれた書類の山から、一つの書類の束を見つけていた。


 その書類を手に取り、手早く斜め読みしたアヤメは、この書類の束が、小屋で栽培されているキノコに関するレポートだという。


 一応『ミダレ茸』と命名されたそのキノコは、『タラシ茸』を栽培している過程で発生した突然変異種との事だ。そしてこのキノコに含まれている毒は、『タラシ茸』を上回る強力な媚薬効果のある成分と、人の体を強化して強い闘争本能と破壊衝動を引き起こす成分が含まれているらしい。


 実際実験で試すと、人によって出る効果が違うらしいが、通常は媚薬効果の方が強いらしく、八対二の割合で媚薬効果が現れたとの事だ。


 その説明を聞いたレイは、ミオの方を見ながら呟く。


「八じゃ無くて二の方か・・・・・・・・・」


 その呟きの続きを深読みしたミオは、レイの事を思いっ切り睨むが、彼は素知らぬ顔で二人を見回して話し掛ける。


「まあ、内容は大体分かった。続きは帰ってからゆっくりと読んでくれ。今は、リオンとクロエの方が心配だ。だから、サッサとここを出て二人を助けに行こう」


 そう言ってレイは、この部屋の出口へ向かうと、アヤメは勿論の事、色々レイに言いたい事のあるミオも、リオンとクロエの事は流石に心配とあって、彼の後に続いた。


 精製施設の小屋から出た三人は、玄関を避けて屋敷の裏側に回り込む。


 屋敷の裏庭に出ると、見回りをしている見張りの数がグンと減る。


 そもそも、関係者以外が訪れる事など殆ど無い屋敷なのだろう。その少ない見回りも、随分適当にしているようで、随分と隙だらけだった。


 だが手薄で隙だらけとは言え、玄関同様に屋敷の入り口には、おっかなそうな警備が立てられていて、捕らえられでもしない限り、中には入らせてくれそうも無かった。


 仕方が無いので、他に侵入出来そうな所を探してみる。


 すると、一カ所だけ鎧戸が壊れている箇所を見つけたので、音が立たないよう慎重に開けてみると、内窓は貴族の屋敷らしくガラスが使われた窓だった。


 窓越しに部屋を確認してみると、現在は使用されていないのか、物が乱雑に置かれていて、人の気配はまるで感じられなかった。


 そこでレイはポケットから、吸盤とダイヤモンドで加工された小刀を取り出して、錠前付近のガラスをカットすると、中に手を伸ばして錠前を外す。


 窓を開き、音を立てずによじ登って部屋の中に侵入し、その窓からミオとアヤメ引き入れて、鎧戸と窓を閉める。


 そして部屋のドアに近付き、少しドアを開いて覗き込むように廊下の様子を伺うが、廊下の先まで人の気配が無い。


「人っ子一人居ない。主要な警備以外は、御館様とやらの所に集合中と言う事か」


 好都合とばかりに二人に合図すると、部屋から廊下に出て、屋敷の中心部に向けて慎重に進んで行った。そして、大きめの二枚扉のドア付近を通りかかると、中から話し声が聞こえてくる。


「明日、ヴェクターという男の元に使いを出す。多分連中の自由は、人質で抑える事が出来るから心配要らないが、念のためここの警備を半分を動員する」


 レイが鍵穴から中を覗き込んでみると、ギベールが熱弁を振るっていた。


「ところで人質はどうしてる?」


「娘の方は、この屋敷の地下に、獣人のガキは、男娼の店に閉じ込めてますよ」


(リオンの奴、このままだとゲイ連中の餌食だな。昼間は薬作り、夜は客を取らせて無駄なく使うつもりってか? えげつない連中だよ、全く)


 男のリオンでもそんな扱いだと、クロエの方は尚更心配だ。早速地下に急がないといけない。そう思いつつも、更に視点をずらせて、その隣に立つ男を見て一瞬固まる。


 大抵の事には驚かないレイだったが、流石にそれには驚いた。


(冗談だろ? ドノヴァ司法長官なんて、とんでもない大物じゃないか!)


 ドノヴァ司法長官と言えば、帝都から独立した権限を持たされて、ドノヴァの司法全てを任された法の番人だ。現在は十傑にこそ入らないが、有力な門地パラディール家の当主テランス・パラディールがその座に就いていた。


 そして更にその隣には、ギベールに及ばないまでも恰幅のいい男が、派手な衣装を身に纏って立っている。


(隣に居る派手なオヤジは誰だ? どこかで見た覚えが・・・・・・あっ! 魔封石の専売を持ちかけてきた奴か! 確か・・・シュヴィアールだったな)


 魔封石とは、魔科学研究所が開発した魔力を溜める性質を持った石で、魔導電池の原料や魔道具の部品などに使われる。


 精製方法は至ってシンプルだが、純度の高い物となると高度な技術が要求される。


 魔科学研究所傘下の『玄武マテリアル』に、シュヴィアール商会が魔封石の専売を持ち掛けて事があった。


 玄武マテリアル側がそれを断ると、帝国内での魔封石の流通を妨害された上、自社で製造した魔封石を、帝国内に流通させるという嫌がらせをしてきたのだ。


 勿論、そこが作る魔封石は純度の低い粗悪品で、それを使った製品から不良が頻発した為に、各所からクレームが殺到した。


 結局シュヴィアール商会は、それが元で商いの信用を一気に失い、数年も持たずして玄武マテリアルに泣きつく羽目になった。


 カネに目が眩み、不得手な分野に無理矢理首を突っ込んで、勝手に自滅した訳だ。


(間の抜けた話だが、奴が手段を選ばない事には変わり無い)


 玄武マテリアルの代表が、何度もシュヴィアールからの刺客に襲われている。


 尤も代表は、アヤメが兼ねていたので、その都度返り討ちにした訳だが・・・・・・。


 取り敢えず、急がなければならない事だけは確かだ。


 シュヴィアール達が、手段を選ばないのはハッキリしている。


 交渉を有利に運ぶ為にも、ワイルドカードクロエとリオンがどこにあるのか、分からなくする必要がある。もしそのワイルドカードを握っている事を知られたら、誘拐や拉致の罪を着せて、レイ達を断罪するだろう。


 彼等には、それを行うだけの権力が備わっているのだ。


 その為にも、クロエの救出を誰にも見られずに行わなければならない。


 そして今こそ、千載一遇のチャンスなのだ。


 この屋敷の構造に付いては、全くと言って良いほど情報は無いが、このタイプの屋敷は似たような構造だろうと踏んで、レイは再び捜索を再開する。


 幸いここが食堂だと言う事は判明している。そうなると、この付近に厨房がある筈なので探してみると、案の定直ぐ見つけ出して、地下へ続く階段も見つけた。


 用心深く地下へ降り、突き当たりで壁に背を付けながら通路を覗き込むと、やはり見張りが立っていた。


 レイはアヤメにアイコンタクトを送ると、彼女は全てを理解したように頷いたので、彼は懐から金貨一枚を取り出して目の前に転がし、素早くアヤメと入れ替わる。


 金貨の音を耳ざとく聞いた見張りの男は、階段の踊り場に転がっている金貨を見つけて、訝しく思いながらも近付く。


 そしてそれが本物だと分かると慌てて飛びついた。


 だがその瞬間、脳を突き抜ける様な電撃が走り、その場で気を失って倒れた。


「一丁上がり・・・・・・・・・」


 アヤメがそう呟くと、レイが彼女の肩を叩く。


「ご苦労さん」


 そう労いの言葉を掛けたレイは、倒れている男から鍵を奪ってドアを開いた。そして中を覗くと、部屋の隅で人影が動いた様に見えたので、ミオが声を掛ける。


「クロエか?」


「ひょっとしてミオさん?」


 人影はそう応えて、恐る恐る入り口に立っている三人へ近付く。


 廊下の明かりがその人影を照らすと、クロエの姿が露わになってきた。


 その姿を目にしたミオは歩み寄り、クロエの体を手で触れて無事を確認すると、そのまま彼女を抱きしめて呟く。


「良かった・・・・・・・・・。無事だった」


 会ってから日も浅く、過ごした時間はそれほど長くは無かった筈なのに、数日で本当の姉妹のように仲良くなっていた。それと言うのも、クロエも貴族の妾の娘で、ミオの境遇とも重なっていた為に、二人は短期間で意気投合することになったのだ。


「さて、あまり時間が無い。悪いが感動の再会は後回しにして、月夜のピクニックと洒落込もうか。無粋な連中の悪巧みが長引く事をお祈りしながらな」


 そう言ってレイは、階段の上を覗き込んで上の様子を確認するが、肩を竦めて振り返り、困った様に溜息を吐いて口を開く。


「どうやら、神という代物は、お祈りを聞く気が無いみたいだし、期待という代物は、裏切られる為にあるらしい」


 地上の階からの喧噪が他の者の耳にも届く。どうやら先程の集会が散会した様だ。


 アヤメが小さい溜息を吐いて、レイに尋ねる。


「で、この先の作戦は?」


 その質問に、レイは涼しい顔で尋ねる。


「一、大人しく降伏。二、ここで隠れてチャンスを待つ。三、プランB(強行突破)。この三つのどれが良い?」


「二です!」


「三に決ってる!」


 大人しく我慢強そうなクロエと、ガサツで短気なミオが、それぞれの性格に応じた作戦を支持する一方、三人目のアヤメは新たな提案を提示する。


「四、と言うのはどう?」


「ほう。そいつは手回しが良いな。流石はミカゲの大幹部だ」


 その四番目の中身を察したレイは、別段驚いた様子を見せずに感心する。


 しかし残りの二人には何の事だか分からない。


「一体どうやって、脱出するんだ?」


 訝しげな表情でミオがアヤメに尋ねると、彼女は懐からオイルライター状の小さな箱を取り出して、ミオに告げる。


「こうするの!」


 そして、そう言いながら箱の上の部分を捻ると、箱の上の部分だけが回転してカチリと音を立てる。


 ズッドーーン・・・・・・・・・。


 すると大きな爆音が響き、同時に空気の振動と地響きが伝わってくる。


 そして上の階が再び賑やかになるが、喧噪が遠ざかっていくのを、しばらくの間待った後、レイは三人に声を掛ける。


「それじゃあ、行こうか」


「いえ、少しだけ待って」


 アヤメがそう言いながら、ポケットからマスクを二枚取り出して、クロエとミオに渡すして、彼女達に言い聞かせる。


「これを付けて。そしてこの屋敷から離れるまで、絶対に取らないで」


 それだけで、レイは彼女が爆発物をどこに仕掛けたのか、見当が付いた。


 二人がマスクを付け終わるのを待って、一行は地下から地上の階へ上がった。


 地上階に上がると、既に辺りに人気は無くなっていた。そして廊下の窓からは煌々とした明りが入り、昼間よりも辺りを明るく照らしている。


 それは外で小屋が二つも燃えていたからだ。


 その小屋は、盛大なキャンプファイヤーの様に、炎を天上高く舞上げていた。


 言うまでも無く大火災だが、その消火の為にここの警備の殆どが出払い、屋敷の中には人っ子一人居ない。


 四人は堂々と玄関を出るが、誰一人として彼等を呼び止める者が居なかった。


 そして辺りには、例のキノコが焼ける香ばしい匂いが漂っている。


 屋敷の井戸がある方を見ると、そこからキャンプファイヤーまで人が並び、バケツリレーをしている。どうやらこの屋敷、見かけは立派だが消火設備は貧弱らしい。


 お陰で、誰もが火事に気を取られて、堂々と正門から怪しい一団が抜け出しても気付く事が出来無かった。


 キノコが焼ける香ばしい匂いが途切れると、二人にマスクを取るよう合図を送る。


 二人はマスクを取って深呼吸した。


 そしてレイ達が、監視小屋の付近まで戻ると、屋敷の方から上がっている火の手を、サイラス達は小屋の外で、雁首揃えて野次馬の様に眺めていた。


 このタイミングで飛び出すのは、色々と問題があるのを、サイラス自身が良く理解していたからだ。


「待たせたな。サイラス」


「レイ! 一体何をした?」


「さあ、蒸留設備も有ったからな。火元の不始末じゃ無いのか?」


 とぼけた顔でその詰問を躱し、呆気に取られるサイラスを尻目に更に続ける。


「それよりも、堂々とあの屋敷に踏み込める、絶好のチャンスだぞ」


 そう言いながら、空を明るく照らしている方角に目をやる。


「ハァ・・・・・・。お前なぁ・・・・・・・・・」


 呆れた顔でレイの顔を凝視したサイラスが、溜息を吐いて呟くと、レイは思い出した様に衝撃の事実を付け加える。


「ああそれと、本格的に性根入れないと、黒幕には対抗出来ないぞ。何せ相手は、お前らの大ボスだ」


 火事の事など頭から吹き飛ぶ様な事実を、レイから告げられたサイラスは呻く様に、彼に確認する。


「ディブリー所長か? まさかそれとも、コラス衛士総監なのか?」


 レイは静かに横へ首を振り、人差し指を立てて上を指す。


「まさか、ドノヴァ司法長官のパラディールとか?」


 しかし、サイラスの願いとは裏腹に、レイの首が縦に振られると、サイラスは目に手を当てて空を仰いで呻く。


「やはりそうだったか・・・・・・・・・」


「何だ、一応は予想していたんだ・・・・・・。なら話は早い、踏み込んで調べるにしろ、知らん振りを決め込むにしろ、覚悟だけは決めておいた方が良いぞ」


「あぁ、分かってる」


 サイラスはその忠告に頷いて応じると、更に続ける。


「それにしても、こんな所で馬脚を現すとは予想外だったな」


 するとレイは肩を竦めて応じる。


「余程、俺の事が目障りだったんだろうな。連中、あの屋敷で雁首揃えて、俺への嫌がらせの相談をしていやがったからな」


 するとサイラスは、不敵な笑みを浮かべて、レイに揶揄の言葉を投げ掛ける。


「お前さんらみたいなトラブルメーカーも、たまには役に立つんだな。お陰で、中々出してくれない連中の尻尾が、あっさりと出てきたものな」


「言ってろ! それよりも、そろそろ連中の息が掛かった衛士が、泡食って飛んで来る頃だ。こんな所で連中と鉢合わせするのは御免被るから、俺はサッサと消えるが、もし途中で奴らに出会ったら、適当に言いくるめておく。サイラスは火事を発見して現場に急行したとな。あとはお前さんらがどう動こうと自由だ」


 レイはアヤメに手招きして呼び寄せると、彼女に耳打ちし、そして再びサイラスに話し掛ける。


「それと、これを受け取ってくれ」


 レイがそう言うと、アヤメがサイドポーチから、人数分のマスクを取り出して彼に渡す。


「なんだこれは?」


「見ての通りマスクだが、性能は折り紙付きだぞ。これを市販するなら、一枚につき金貨五十枚は払わないと手に入らないぞ」


「何だよ! その剣や鎧よりも高価なマスク」


 サイラスのツッコミをスルーして、レイは話を続ける。


「まあ兎に角、あの火事の現場に飛び込むなら、絶対そいつを装着しろ。そして装着する時は、必ず肌に密着させるんだぞ。そうで無いと効果が無いからな」


 そう忠告したレイは一歩下がって、くだけた挙手礼をする。


「それじゃ、健闘を祈る」


 そしてレイはそう言い残すと、二人の少女を伴ってこの場を去った。


 残されたサイラスは、一度深く深呼吸する。


 願っても無い、千載一遇のチャンス。


 だが彼自身はそうであっても、部下達がどう思うかは分からない。


 彼は後ろに集まっている部下に対して、振り向く事無く告げる。


「ここから先は自由参加だ。関わりたくないなら、今からレイ達を追いかけてドノヴァまで護衛してくれ」


 サイラスはそう宣言したが、誰一人その場から動く気配が無い。


「やれやれ・・・・・・・・・。うちの班に、賢い奴は一人も居ないのか?」


「そいつぁ違いますぜ、班長。うちの班は雁首揃えてギャンブラーなのさ。班長へオール・インってな」


 ぼやくサイラスへ、命令違反の常習犯ケヴィンが冗談を言うと、彼は全員見回して困った様に肩を竦める。


「オイオイ、負けてオケラになっても知らないぞ」


「ご心配なさらずとも、負けない努力はさせて貰いますよ。班長」


 サイラスの脅しを、ダイアンが軽く受け流すと、彼は溜息を吐き一同を見渡して声を掛ける。


「それじゃ、手札を開きに行くとするか」


 その言葉に全員が頷き、先に足を踏み出したサイラスの後へと続いた。




 *****




 レイ達はドノヴァ目指して、川沿いの街道をひたすら歩き続けていた。


 まだ、秘密の屋敷に通じる橋の所からは、それほど離れていない所で、前方から泡を食って馬を走らせている一団が近付いて来る。どうやら、秘密の屋敷の異変に気付き、慌ててドノヴァを出て、駆けつけようとしている衛士隊の一団だった。


 確かに、異変に気付くなと言う方に無理がある。ようやく宵の口も終わりだというのに、秘密の屋敷のある方角が、夜明けの様に明るくなっていたからだ。


 その衛士隊の一団がレイ達に気付くと、走らせていた馬の足を止めて、衛士隊の代表と思しき男がレイ達に声を掛ける。


「お前達はロンサールで山賊に誘拐された者達か?」


 高圧的に尋ねるその男の態度に、ミオがムッとするが、レイは彼女を手で制して、その衛士の質問に答える。


「ああ、そうだ」


「サイラス・スタンレイ衛士長はどうした! お前達と一緒じゃ無いのか? よもや出会わなかったとは言うまいな?」


 あくまでも偉そうに、レイ達を尋問する衛士に、レイ達は辟易する。


 衛士と言えば、サイラス達とばかりに関わっていた為に忘れていたが、基本的にはこんなのばかりである。


 彼等は総じて、弱く力の無い者には高圧的に振る舞い、上流貴族や豪商などには媚びへつらう。今や衛士は権力者のためのしもべと成り下がり、設立当初の理念を知る者など殆どいない。


 そしてスタンレイ班の様な、変人の巣窟などの部署を除いて、一般市民には受けが非常に悪く、衛士に就職希望する者も少ない。


 しかし逆に、貴族や商家の部屋住みなどには人気が高く、親が厄介払い同様に押し込める事もあり、口さがない者達からは、廃品置き場などと揶揄されていた。


 勿論、育ちが良いから品行方正という訳でも無く、常に跡取りとの格差を見せられた彼等は、やさぐれて心が屈折して育ち、そのくせ貴族や豪商などの悪い価値観だけは身に付けていた。


 そんな血統だけが拠り所の彼等が、一般市民に威張り散らす事で、憂さを晴らす様になるのは、当然の成り行きとも言えた。


 彼等が常に口にする、『一般市民に舐められたら終わりだ』と言う言葉は、弱い立場の人達に対して、威張り散らすのを正当化するための言い訳であり、あまりにも馬鹿げているとレイは考えていた。


 いや、それどころか、幸せを手にしている者に対する、負け犬の遠吠えだとすら思っている。


 そんな事を考えていると、目の前で虚勢を張っている男が、急に哀れに思えた。

「何だ! その目は!」


 無意識に出た憐れみの目が癇に障ったのだろうか、その男は声を荒げて凄む。

「いえ、何でもありません。それよりスタンレイ殿は、あの大きな火の手が気になって、部隊を連れて様子を見に行きましたよ」


 しかしレイは、凄む衛士の事など全く気に掛けずに、サイラスの動向を伝えると、その衛士は顔色を変える。


「何だと? あの男は何勝手な事をしてるんだ!」


 声量とは裏腹に、顔を青くしている衛士の理不尽な叫びを聞いたレイは、呆れながら正論を口する。


「はて? 衛士が緊急事態に遭遇すれば、対処するのは当たり前では?」


「やかましい! 部外者が勝手な事をほざくな!」


 その正論が更に癪に障ったのか、その衛士はレイに怒鳴り返すが、隣の衛士が怒鳴った衛士に囁きかける。


「隊長、それどころでは無いです。急がないと・・・・・・」


 その囁きのお陰で、隊長と呼ばれた男は我に返り、再び先程の様な高圧的な態度に戻る。


「お前達はサッサとドノヴァへ帰るんだぞ! 分かったか!」


 そう言い捨てて、衛士の隊長は、現在も燃え盛っている屋敷に続く橋へ向けて馬を走らせると、その後ろに他の衛士も続いた。


「あの男がジェレミー・ベアトリクス」


 ミオがそう呟くと、レイは何かに思い当たった様に、ぽんと手を叩く。


「ああ! 奴がミオ専用の、人間サンドバッグの君か~。それにしても、よく殴りかからずに我慢したな。もう過去の事は、水に流せるようになったのか?」


 レイのからかいには乗らずに、澄ました顔で答える。


「私が殴りかかって足止めするより、このまま行かせた方が断然面白くなる」


「あれ? ミオさん。最近、意地悪の成分が増してない?」


「全てはレイのお陰、いや、せいだな」


 見事な切り返しに、降参の意を含めて、レイは肩を竦める。


 そしてジェレミーの一団が、小さくなるまで見送ったレイは、二人に話し掛ける。


「なあ・・・・・・、あの連中。一体どうなるんだろうな?」


「考える必要も無い」


「どうでも良い」


 その彼の問いに、ミオは少しも表情を変えずに答え、アヤメは心の底から興味が無さそうに答える。


 そういう訳で、彼等の行く末など気に掛けない二人に成り代わり、レイが彼等の冥福・・・もとい、幸運をお祈りする事にした。




 *****




 先程まで小屋二つだけが燃えていたが、飛んでいた火の粉が掛かったせいで、三つ目の小屋まで延焼していた。


 燃え盛る炎を眺めながら、サイラスは溜息を吐く。


 レイ達に貰ったマスクを付けて、この場に駆けつけた時は、小屋はまだ二つしか燃えていなかった。そしてこの屋敷の者や警備の傭兵が、バケツリレーをして何とか消火に務めていた事もあり、延焼は食い止められていた。


 しかし突然、状況が一変する。


 一人の男が狂いだし、そして二人三人とその数が増えていった。そしてやがてはそれが全体に波及して、狂乱の世界が出来上がってしまった。


 その中の二割は、凶暴化を果たし、手当たり次第に襲いかかっては、相手を殴り飛ばしている。


 だがそっち方は、単純な暴力の分だけまだマシだが、残りの八割が問題だった。

 ゴツい男同士が組んず解れつする姿は、ノーマルのサイラスから見たら拷問に等しい。


 そして何よりも問題は、メイドが居そうに無いこの屋敷において、女性と言えばサイラスが抱える部下二人だけだった。


 小屋が燃えている現場で消火活動をしていたのだが、彼女達が周囲の男に狙われるようになったので、サイラスとエミールがそれぞれを抱えてその場から逃亡する。


 そして男達は、ホラーゲームのゾンビさながらに、彼等を追いかけてくるので、他の部下と共に、庭にある一番大きな小屋に逃げ込んだ。


 その時に、小屋と一緒に燃えてしまった、キノコについて纏められたレポートと、レイ達が言っていた、蒸留装置らしき物を発見する。


 そして、そのレポートに目を通したサイラスは、そのキノコの効果を見て更に青ざめると同時に、ドノヴァを騒がせている薬の正体も、朧気ながら見えてきた。


 その小屋の外では、依然騒ぎが続いていて、この小屋の入り口も、そろそろ突破されそうだった。幸い彼等の存在に、気付いているゾンビ共は数が少ないので、この小屋の窓から脱出して、屋敷の裏口に回り込んだ。


 屋敷に全員が避難するのを確認すると、入り口のドアを閉めてかんぬきを掛け、家具を移動させてバリケードを築く。そして玄関の方はケヴィンとロジェに指示をして、裏口と同様の処置をさせ、外からの侵入に備えた。


 そして、庭を見渡せる二階へ上がり、一息吐いて窓の外を見ると、初めて三つ目の小屋が延焼している事に気付き、冒頭の溜息のシーンに戻る。


 頭を掻きながら、次の手を考えていたサイラスの後ろから声が掛かる。


「はんちょ! こんな物見つけました!」


 箱を抱えたセリーヌが、サイラスに寄ってきた。


 箱を開けてみると、中には大量の瓶が詰められていた。


 そして中に入っていた瓶を、セリーヌは一つ掴み出してサイラスに尋ねる。


「この薬瓶~、あの現場に置いてあった薬瓶に似ていませんか~? 中の錠剤も凄く似ている様な気がするんですが~」


「班長! こちらも発見しました。もしやこれが噂のベルセルクかも知れません」


 ダイアンも同じく箱を抱えていたが、箱に入っている薬瓶の中身は黒い丸薬だった。


「多分そうだろうな。それにしても・・・・・・やはりここが薬の密造工場だったか」


 これで二つの怪しげな薬の、製造元が同じだと言う事が、これでハッキリした訳だ。


「班長!」


「今度は何だ!」


 そう言って声の方を振り向くと、そこにはロジェが立っていた。


「この屋敷の持ち主は、どうやらフィリップ・シュヴィアールのようです!」


「何だと! あの豪商シュヴィアール商会の代表か!」


「はい! 間違いありません!」


 その名前を聞いたサイラスは、表情を歪める。


 シュヴィアール商会と言えば、ドノヴァに本拠地を置いて、輸出入を取り仕切る豪商の一つだ。海外の拠点では、様々な特権を獲得しているために輸入品には特に強く、この商会でしか輸入出来ない品物も多数存在する。


 確かに、ドノヴァの司法を取り仕切るパラディールも厄介だが、それ以上にシュヴィアールは厄介だ。


 帝国屈指の豪商は、財力だけで無く、帝国に対する影響力も非常に大きい。


 パラディールの影響力も合わさって、下手すれば本国も当てには出来なくなる可能性もあるのだ。


 そうなってくると、現状頼れるのは、外部組織のミカゲ関係者であるレイとミオに、魔科学研究所の所長のアヤメぐらいしか居ない。


 特にアヤメなら、薬の分析などお手の物だろう。


 ここで栽培されているキノコと、精製されている薬の危険性を纏めたレポートを、彼女に作成して貰う事が出来れば、後のやりようは幾らでもある。魔科学研究所の所長の署名が入ったレポートは、世界中のどの国も無視する事が出来ない。


 特に警告に関する物は、裏でミカゲが動き出すからだ。


 問題は、レポートを作成するための実験施設をどうするかだ。


 しばらくの間サイラスは考え込むが、やがて意を決した様に呟く。


「不本意だが・・・・・・・・・、あの男を頼るしか無いな・・・・・・・・・」


 彼がそう決意すると同時に、ケヴィンから報告が入る。


「班長! ベアトリクスの野郎が来ましたぜ!」


「あのなあ、ケヴィン。あれでも一応は俺達の上司だぞ、少しは口を慎んでくれよ」


 そう言いながら、ケヴィンが覗いている窓まで歩み寄り、彼が覗いている窓の外を見ると、確かにベアトリクスが課員を引き連れて、この敷地に乗り入れようとしてい所が見えた。しかし、彼が従えている課員の顔ぶれは多彩だった。


 勿論、ベアトリクスが引き連れているので、捜査課の人間が多数いるが、非番では無い筈なのに班長だけが居ない班や、逆に班長だけが出ている班がある。そして保安課や管理課の様に他課の人間も、そこそこ混じっていた。


「ほう! こいつは参考になりそうだな。あそこに雁首揃えている連中が、パラディールの子飼いと思えばいいのか・・・・・・・・・結構居るじゃ無いか」


「で、どうするんですかい、班長」


 窓越し見えるベアトリクス達を眺めながらケヴィンが尋ねるので、同じように窓の外を眺めながら答える。


「どれ、一応、警告だけはしておくか・・・・・・・・・」


 そう言いながら窓を開けて、外のベアトリクスに声を掛ける。


「ベアトリクス課長!」


 しかし、声が届かないのか、サイラスが呼んでいるのに気付いた様子が無い。

 仕方が無いので、マスクの固定ひもを片方だけ外して、再び声を掛ける。


「ベアトリクス課長!」


 声を掛けて、再びマスクを掛ける。すると今度は聞こえたみたいなのか、サイラスに気付いて、彼に向けて声を張り上げている。


「スタンレイ衛士長! そんな所で何をしている! 降りてきて消火を手伝え!」


 再びマスクから口を露出して、下に居るベアトリクスに警告する。


「ベアトリクス課長! ただちにそこから離れて下さい、有毒ガスが発生していて危険です!」


 そう言い終わると、サイラスはマスクを直ぐに掛け直す。しかし声は届けど、警告は届かなかったらしい。


「何をバカな事を言っている! サッサと下りてこん・・・・・・おわ! 何をする!」


 彼の辺りを徘徊していた男に、ベアトリクスが馬から引きずり下ろされて、そのまま覆い被さられるのが見える。


「た、助けて下さい課長!」


「や、止めろ! そんな所を触るな!」


「だ、誰か~! 助けてくれ~~!」


 あちこちから、悲痛な叫びが聞こえる。その声が聞こえてこない様に、開け放った窓をパタンと閉めて、サイラスとケヴィンが声をハモらせる。


「「ダメだったか!」」


 肩を落としながら溜息を吐いて横を向くと、隣の窓から下で起きている惨劇を、ガン見しているダイアンとセリーヌに気付く。


「ほらほら、副はんちょ! あそこにいる人達・・・・・・、凄い事になってますよ~」


「お、おおっ! ゴクリ! ス、スゴい・・・・・・・・・」


 セリーヌが言う方を見て、喉を鳴らして歓喜の声を上げるダイアンがそこに居た。


「副はんちょが、同好の士とは思いませんでしたよ~。今度、秘蔵の本を貸しますね」


「おお! 頼む」


 どうやら、この状況を楽しめる者も居たらしい。


 その二人を見た後で、眼下で展開されている薔薇の世界に目を向けて、サイラスとケヴィンが大きな溜息を吐いて、再び声をハモらせて呟く。


「「ハァ~・・・・・・。ダメだこりゃ・・・・・・」」


 そして、彼女達と一部の男にとっては天国の様な、その他の男共にとっては地獄の様な、夜が更けようとしていた。

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