第6章 奇麗なキノコは毒キノコ

 仕事を引き受けてから数日が経過して、レイは帝都からドノヴァへと向かう直通便の乗合馬車の中で、揺れに身を任せていた。


 その乗合馬車の最後部にある、広い座席の真ん中にレイは座り、その右隣にはミオが座っているが、その左隣にはもう一人別の女性が座っていた。


 年の頃は二十台後半辺りで、一目で人を引き付ける美しい容貌に、ミオと同じような蒼銀の髪を持つエルト族の美女だった。


 そして何よりも、レイの腕に自分の腕を絡めて放そうとはしない。


 ミオなどは、そんな彼女に対抗心を燃やし、レイの反対側の腕に腕を絡めて、その美女に対して、火花が出そうなほどの視線をぶつけていた。だがその美女は、彼女の凶悪なまでの視線を受け流して、彼女に対して笑みさえ浮かべる。


 そして、この馬車に乗り合わせた男達は、レイに対して殺意のこもった視線を浴びせ、女達は、こんな男の何処が良いのだろうと、困惑の表情を浮かべていた。


 取り敢えず車内の様子はさておき、馬車は順調に旅程をこなしていた。


 ポートリエで馬車の馬を交換して昼過ぎに出発し、今や日が落ちて薄暗くなっているが、この旅程の中最も難所言って良い、ロンサール峠を越えていた。


 この峠は強盗多発地帯で、多くの商人の馬車が襲われている。だが、乗合馬車の様に高速で通過する馬車が襲われる事はあまり無い。


 何しろ、襲うリスクが大きい割には実入りが少なく、命懸けで止めるには値しないからだ。だが、それでも命懸けで止める者も居るらしく、年に一・二回は襲われるそうだ。


 しかも乗合馬車の方も強盗対策の為に、余程の事が無い限り、道中での停車を禁じられていたので止まる事は無い。それでも無理矢理止めようとする者がいれば、例え撥ねられたとしても、逆に往来危険罪に問われる。


 尤も、この大型の馬車に轢かれる事があれば、罪云々の前にタダでは済まない。全身打撲と言う必殺技で即死するか、良くても一生不自由な生活を余儀なくされる。


 まあそれでも、頭を使えばいくらでも、馬車を止める事ができる。


 尤も、馬車を止める方法なら、幾らでもあるにはある。


 例えば、切り立った崖なら岩を崩して落としたり、近の木を切り倒して街道を塞いだりすれば良いのだが、この辺りはなだらかな斜面で、辺りに生えてるのは巨木ばかりのため、手軽に道を塞げる物は無かった。


 尤も他にも動物やその死骸を使った方法もあるが、それを試した者は、『間抜け者』の烙印を押されて、歴史に名を刻んだ。


 この周辺は野生動物や魔物が少ない為、それを探し出すのに丸一日掛けても見つからない事が多い。


 多分に漏れず『間抜け者』の強盗達も、丸一日を費やして鹿一頭見つける事が出来無かった。仕方が無いのでその強盗達は、自分達の乗馬で道を塞いだが、馬が怖がって勝手に避けて馬車を逃がしてしまった。


 それに腹を立てた強盗達は、乗っていた馬を殺し、その死体で道を塞いで、ようやく馬車を止める事に成功する。しかし、喜び勇んで襲撃した馬車は、回送馬車で乗客は乗っていなかった。


 馬車の馬を戦利品にしようにも、所属の識別の為に、たてがみを特殊な染料で染めてあるので売る事すら出来無い。それどころか、持っているだけでお縄になる厄介なお荷物と化すのだ。


 結局、高価の馬を失ってまで強盗が得られたた物は、御者が持っていた僅かばかりの小銭だけだったので、折角手に入れた馬車馬を手放せずにいた。


 しかし、それが仇になる。


 強盗達は現場から少し離れた森で野営して、捜索に来た衛士達をやり過ごそうとした。しかし戦利品の馬をいななかせてしまった為に、捜索に来た衛士に居場所を掴まれて、結局そのまま御用となった。


 その昔話を思い出したレイは、車内を見回して思う。


(まあ実際、乗り合わせてる面子見ても、リスク冒して襲う価値は無いよな)


 そう思っていた次の瞬間、新たなチャレンジャーが居た事を思い知る。


 急に馬車が減速し、やがては停車すると入り口から、人相の悪い男が乗ってきて車内を見渡し、レイ達を見つけてズカズカと寄って来る。


「おい! てめえらは降りろ! 他の連中は動くなよ、何もしなければ、お前らに何もしない」


 どうやら、ピンポイントでレイ達を誘拐しに来た様だ。


 ここで騒ぎを起こせば他の乗客に害が及ぶので、ここは大人しく従う事にして、男が言う通りに馬車を降りる。


 外に出ると、これまた人相の悪い男達に取り囲まれる。だがこの男達は、盗賊などでは無く、どちらかと言うと、よく訓練された傭兵集団の様だった。


 そして更に、どんな方法で馬車を止めたのかも判明した。


 昔話の通りに馬の死骸では止めず、魔法か何かで土を隆起させていた。


 確かにこの方法なら安上がりだ。


 と言う事は、この傭兵集団には高いレベルの魔法術士が居ると言う事にもなる。

「面倒な事だ・・・・・・・・・」


 レイが呟くと、エルト族の美女が返す。


「大した事無い」


 そう言って土が隆起しているところを指さすと、その先にはその隆起を回復する為に、地面に手を当てて呪文を唱える魔法術士が居た。


「ああして手順を踏む術士は、大した事が無い。離れた所で無詠唱起動できる者なら手強いけど、帝国内でそれが出来る者など、指で数えるほどしか居ない。それに、感知できる限りでは、大した魔力の持ち主はこの中に存在しない」


 その魔法術士が、呪文を完成させて術を起動させると、隆起していた地面が元に戻る。


 道が開け、解放された馬車はレイ達を置いて、何事も無かった様に出発する。


 一見薄情にも見えるが、他の乗客を巻き込む訳にも行かないので仕方が無い。


 レイは、自分を馬車から連れ出した男に向かって尋ねる。


「さて・・・・・・。俺達に何の様だ?」


「いえね・・・・・・。あなたにこの間の提案を聞いて貰おうと思いましてね」


 すると聞き覚えのある声が聞こえ、レイと対峙している男の後ろから、この間酒場で出会った、薄気味悪い男ハンスが姿を見せる。


「なるほど、お前さんの言う、次の対策とやらはこれの事かい? 随分と強引な荒技で来たもんだな。俺はてっきり、もっと陰険な手を使って来るのかと思ったが?」


 レイの皮肉を気にした様子も無く、すました顔でハンスは返す。


「あまり回りくどい事をしても、効率が悪そうなのでね。で、どうですかね? 私の提案は聞いて頂けますかね」


「嫌だと言ったら?」


 返ってくる答えは分かっていたが、一応形式美としてハンスに返す。


「あなた達に死んで頂いて、そこに居る錬金術師の方だけに協力を願いますよ」


 やはり想像通りの答えが返って来ると、この男の認識の浅さに、レイは溜息を吐いて一応忠告する。


「この女がどういう女か知っているのか?」


「いいえ、あなたがご招待した、錬金術師でしょう?」


 彼女の事を錬金術師と断じて居る時点で、この男が何も知らないのが丸分かりだった。レイはもう一度ため息を吐いて呟く。


「もっと調べていると思ったんだがな。俺の買い被りだったか・・・・・・」


「何が言いたいんです?」


「いや、知らないのならどうでも良い。一つだけ言えるのは、お前さん如きじゃ手に負えない女だという事だよ」


 レイが投げやりに答えると、ハンスは本当に状況が理解できないのか、レイ達の余裕の態度を振り払う様に、余裕の表情を浮かべて交渉決裂を宣言する。


「下らない脅しで、手を引かせようなどとは、随分と稚拙な手を使いますね。まあ良いでしょう、私の提案を聞いて頂けないのなら、死んで頂くしか無いですね」


 そのハンスの言葉が合図かの様に、一斉に手下が剣を抜き、魔法術士は詠唱を始める。


 相手がこちらを殺す気で来るのなら、レイも遠慮などしないし、彼の同行者とて同じ考えだ。この世界の真理は、今でもられる前にるだから。


 突然、魔法術士が詠唱して完成間近だった〈火球ファイヤーボール〉が彼の目の前で爆発する。


 それほど高威力では無かった様だが、それでもその術士の頭を吹き飛ばすには、十分な威力だったのか、頭と腕を失い上半身の焦げたその体は、少し後ろに飛ばされて倒れる。


「おいおい、暴発には注意しろよ」


 レイがそうおどけながら言うと、ハンスがレイに食って掛かる。


「一体、彼に何をしました!」


 少しだけハンスは状況を理解できたのか、少し口調が荒くなっている。しかしレイは、荒くなった口調など一切気にせずに、澄ました顔で言い返す。


「俺は何もしていないぞ。不幸な事故なんじゃ無いか?」


 勿論そんな訳は無い、錬金術師として連れて来たエルト族の女性が、相手の呪文を横取りして、放つ前に起爆させたのだ。


 相手が理解できない攻撃というのは、ブラフとしては効果的である。相手を怯ませたり、攻撃を躊躇わせたりするからだ。


 案の定、他にも居た魔法術士は、詠唱を中断してしまった。


 その隙を逃さず、ミオは鮮やかなステップを駆使して、群がる傭兵の攻撃を掻い潜りながら、詠唱をしていた術士に迫り、次々と彼らの鳩尾に一撃を入れて無力化する。


 彼女の一撃を受けた術士達は、地面に転がって痙攣しているが、もしそのまま死んだとしても、レイは同情しない。殺すも殺されるも、それは傭兵の業であり運命さだめなのだから。


 そしてレイも、手近に居る傭兵を相手に戦闘へと参加する。


「気に入りませんね・・・・・・・・・」


 剣を振り回す傭兵相手に、無手で挑んでいるレイを睨みながらハンスは呟く。


 ハンスはレイの何もかもが気に入らなかった。


 彼を知る者が今の呟きを聞くと、誰もが驚くはずである。


 感情など表に出す様な男では無かった。故に工作員としては優秀だった。


 しかしそれ故に、レイからは同じ匂いを感じ取っていた。


 だがレイは、何もかもがハンスの上を行っていた。正直な所ハンス自身も、敵わないと心の底で認めかけていた。


 しかしその思考を、彼は認める訳には行かなかった。俺はこんな奴に後れを取る訳が無いと、そう彼は自分に思い込ませていたからだ。


 それ故に客観的な戦力差を彼は見誤り、今背中を見せているレイに不意打ちを掛けようと、ナイフを握りながら近付く。そして完全に後ろを取って、この忌々しい男の喉を掻き切る為に、首に手を掛けようとした。


 だが勝利を目前に、ハンス目の前からレイが突然消え、いつの間にか背後を取られた上に、首にナイフを突きつけられて立場が逆転した。


「なっ!」


 そしてレイは呟く。


「殺し屋としても二流だな。せめて殺気ぐらいは消したらどうだ?」


 その一言で、完全に敗北を悟ったハンスは、手からナイフを落としてレイに言う。


「完敗・・・ですね。・・・・・・あなたの好きにして下さい」


 それを聞いたレイは、周囲に通る声で叫ぶ。


「戦闘を中止しろ! お前らの金蔓はこの手にある!」


 その声を聞いて全員がレイに視線を向ける。


 そして全員が武器を下ろすが、いしゆみを携行していた傭兵が木に登って隠れていた。


 彼は、レイに弩で狙いを付けて、今まさに放とうとしていた。


 バアーーン。


 突然銃声が轟き、弩を構えていた男の額に穴が穿たれて、木の上から落下する。

 その場に居た者が一斉に、銃声が聞こえた方へ視線を向ける。


 その先には、エルト族の女性が、銃口から煙を燻らせている拳銃を構えて立っていた。


 彼女の手に握られていた銃は、レイとミオを除く、この場の全員が見た事も無い銃だった。先込式の銃が常識の彼らは、第二射が直ぐには来ないと高を括り、攻撃を再開しようとする。


 バアーーン。


 再び銃声が轟く。


 今度は警告の意味を含めて、弓を引き絞ろうとした者の肩を打ち抜く。そして彼女は、次にその銃口を、傭兵の頭目と思しき男に向けて、静かな口調で言い放つ。

「戦闘をやめろと、レイが言ったのを聞かなかったの?」


 彼女の冷たく響く声に、えも知れない迫力を感じた頭目は、改めて全員に宣言する。


「武器を捨てろ! これ以上何かしようとする奴は、俺が許さん!」


 その声に従って、傭兵達は次々とその場で武器を捨てる。


「アヤメさんありがとう。助かったよ」


 そうレイは声を掛けるが、少し不満そうに、アヤメと呼ばれたエルト族の女性は言葉を返す。


「さん付けはやめて」


「ああ、すまなかった、アヤメ」


 レイがそう言うと、アヤメは満足した様に大きく頷く。


 しかし、その様子を見たミオは、強い嫉妬を感じていた。


 確かにレイと共に旅をしているミオだが、実の所、彼との付き合いの長さは、アヤメの方が長い。それに、そう言う長短では測れない程、アヤメとレイの繋がりが深い事も、ミオは直感していた。


 まあ、だからといって、ミオもレイの事を諦めるつもりなど毛頭無いのだが、少なくとも彼女の隣にぐらいは立ちたいと思っていた。


 しかしレイは、そのミオの煩悶とした思いに気付く事無く、自分達を襲ってきた者達と交渉する。


「ここから、何も言わずに立ち去るのなら、お前らの金蔓への危害は加えないと約束するがどうだ?」


 レイの提案に、傭兵の頭目が口を開く。


「仮にそうだとしても、ここを勝手に放棄すれば、その男から残りの支払いは貰えない。俺たちにとっては、どっちでも結果は変わらんが?」


 どうやら前金で半額貰い、残りは成功報酬の様だ。確かにこの男の言う通り、ハンスが無事でも、レイ達を見逃せば成功報酬など望むべくも無い。


 だが当のハンスが、この事態を収めるべく切り出す。


「いや、残りを支払いますから、もう止めましょう」


「どうした? 急に命が惜しくなったのか?」


 傭兵の頭目は、蔑む様にハンスを見る。しかしハンスは、その視線など気にも掛けずに傭兵達の勘違いをただす。


「周りをよく見て下さい、あなた方の敵う相手じゃ無いですよ。これ以上続けても、無駄に命を散らせるだけです」


 周囲を見ていると、全体の四割もの傭兵が地ベタの土を舐めていた。


 手足を折られたり脱臼させられたりしてうずくまる者。無防備な所を殴打されて白目をむいている者。投げ飛ばされて地面に叩き付けられ、動けなくなっている者などが、多数横たわっている。そしてこの状態を彼らは、ほんの短時間で実現した。


 その様子を改めて見て傭兵の頭目は、自分達の置かれている状況を再認識する。

 目の前にいる三人は、デタラメなほど強い。


「わかった・・・・・・・・・。あんたがそれで良いならな」


 彼も流石にここで突っ張る事に、意味を見いだせなかったのか、ハンスの提案に乗った。


 話が決まった事を確認したレイは、ハンスを解放する。


 その瞬間をミオとアヤメは警戒したが、ハンス達にこれ以上行動する意思の無い事が分かると、二人は警戒を解いた。


 ハンスは怪訝な顔でレイに尋ねる。


「私を解放して良いのですか? 色々と聞き出したい事もあるでしょうに」


「その点は心配要らない、こちらの方でパトリック・ニヴェールが関わっている事は、ある程度掴んでいる。周辺調査と裏取りも間もなく終わるだろう」


 その答えを聞いたハンスは、レイ達の底の無さに戦慄した。まさか、この男の口から、その名前が出てくるとは思わなかったからだ。


 今の話を聞いて自失しているハンスに、レイは確認するように話しかける。


「ハンスって名前は偽名だろ? 本当はなんて名前なんだ?」


「ああ、あなた方に隠し事は・・・・・・、無駄みたいですね。私の名はモルガン・ロワイエです。気が向いたら覚えておいてください」


 ハンス改めモルガンがそう言うと、彼の後ろで傭兵の頭目が、自分の部下に指示を飛ばす。


「よおーし、それじゃあ野郎ども! 引き上げだ! 負傷している者には肩を貸せ。動けない者は誰でも良いから担げ」


 そして彼らは、動けない者を担いだり肩を貸したりして、この場を後にする。


 そして、傭兵の頭目はモルガンに尋ねる。


「あんたは本当にこれで良かったのか?」


 その問いに空を仰ぎながら、モルガンは答える。


「まあ、間違いなく馘首クビでしょうね」


「そうか・・・・・・じゃあ、うちで働かないか? 丁度、交渉役を探していた所だ」


「再就職先ですか・・・・・・、良いでしょう。これからも宜しく頼みますよ、ローガン」


 傭兵の頭目の名前を呼び、右手を差し出して握手を求める。


「ああ、こちらもな。ハ、いや、モルガン」


 その差し出された手を取ったローガンは、モルガンと堅く握手を交わす。そして二人は足を止めて、今は何の痕跡も残っていない、襲撃現場を一瞥するとローガンが呟く。


「これで、あの三人が無事にドノヴァに辿り着けば、新しい『間の抜けた強盗計画』の最終章を飾るのは俺達になるな」


「光栄でしょう? 名は残らなくとも、後世に語り継がれるのですから」


 ローガンの呟きを、モルガンが肩をすくめながら切り返すと、二人は再び帝都方面へ向けて歩き出した。




 レイは、彼らの姿が小さくなるまで見送りながら、ミオとアヤメに声を掛ける。

「それじゃ、俺たちもドノヴァへ急ごう。帰ったら早速仕事が待っている事だしな」


「そうだな。宿で待たしている二人の事も心配だ」


 レイとミオがそれぞれ口にすると、三人はお互い頷き合って、モルガンやローガンとは逆方向に歩き出した。


 この峠は特に切り立った断崖などは無いが、その代わりに森が深く、多くの獰猛な生物が生息していると同時に、多くの種類の植物も見受けられる。


 中には食べられる物もあるが、逆に猛毒や特殊な効果を持った植物も、多数植生している為、毒性植物の知識のある者が同行でもしていない限り、辺りの植物を勝手に採集して食べると大変な事になる。


 後ろに続いているミオが、腹を押さえながらレイに話しかける。


「それよりレイ。少し空腹になったのだが?」


「悪いが、こんな事になるなんて、想定して居なかったんだ。しばらく我慢してくれ。あと、この辺りに生えてる物を勝手に食うなよ。食ったら物もあるからな」


「・・・・・・分かった・・・・・・」


 ミオが、不服そうな声で答えるのを聞いたレイは、どこかで狩りをして野営する必要があると考えるが、出来る事ならここでの野営も避けたいと考えていた。


 取り敢えず、ミオの忍耐が尽きる前に、ドノヴァへ到達する事を祈りながら先へ進む。


 しばらく歩いていると、横に並んで歩いていたアヤメが、話し掛けてくる。


「先程ミオが言った、宿で待たせている二人の事を教えて」


 レイはその質問を聞いて、重要な事を忘れていた事を思い出して彼女に詫びる。


「すまない! 重要な事を忘れてた。アヤメに相談事があったんだ」


 そう言ってレイは、クロエとリオンを匿った経緯を説明した。


「なるほど、ギベールと言う男は、講師役とその見張りに逃げられたから、レイ達を新たに雇って、講師役を攫わせようとした。と」


「そうだな、ついでに皮肉を言うと、あの肉だるまギベールは、折角用意していた講師を攫った男を雇う・・・・・・・・・間抜けと言う事だな」


 その毒気タップリの皮肉を言うレイに、微笑みを浮かべてアヤメは続ける。


「じゃあ私は、その間抜けな男に捧げられる、哀れな生け贄・・・・・・と」


「毒入りだけどな」


 レイが付け足した言葉の意味を知る彼女は、とうとう堪えきれずに笑いながら感想を口にする。


「フフフッ。あなたに掛かったら悪党も形無し。どっちが悪党だか分からない」


「褒め言葉として取っておこう」


 澄ました顔でアヤメの揶揄を躱すと、先程から沈黙しているミオが気になって後ろを振り向いてギョッとした。


 後ろから黙々と付いてきていたミオの腕には、沢山のキノコが抱えられていた。


 しかもそのキノコ、食卓で見かける様な地味なキノコでは無く、鮮やかな色彩で彩られた綺麗なキノコだった。


 そして彼女が、一言も発しなかった理由も判明した。


 何かをモグモグと食べていれば、言葉など発する事など出来る訳も無いからだ。


 レイは慌てて彼女に問い質す。


「ミオ! 何を食ってる!」


「そこら辺に生えていたキノコだが?」


 慌てるレイを余所に、急いで口を動かして、口の中にある物を飲み込むと、キョトンとした顔で、『それが何か?』という風に答える。


「言ったろ。物があるから、この辺りに生えてる物を勝手に食うなと」


 レイは呆れた顔でミオに言うと、彼女は何の問題もなさそうな顔で答える。


「だがこのキノコは美味いぞ。何の問題も無いだろう」


 それを聞いてレイは脱力する。問題があるという意味で言ったという言葉を、彼女はそのまんまの意味で取ったのだ。


 アヤメはミオが抱えているキノコを、一つ摘まみ上げて、しげしげとそれを観察する。


「これはタラシ茸に似ている」


「タラシ茸?」


「うん。少し違う所はあるけれど、これを食べると、異性を求めようとする効果があって、媚薬や惚れ薬などの原料によく使用される」


「媚薬!」


 不穏な言葉を聞いて声を荒げ、慌ててミオを確認する。


 しかし、そこにはいつも通りのミオが立っていた。


 大量のキノコを抱えている以外は、どこも変わった様子は無い。


(いつも以上に間の抜けた顔だな。媚薬特有の上気した表情は見られないが、眼が赤いな・・・・・・眼が赤い!)


「ベ、ベルセルクか!」


 レイはその赤い目を見て慌てる。レイ達を散々苦しめた、狂戦士と同じ眼だからだ。


「ベルセルク?」


 アヤメは初めて聞くその単語に首をかしげる。サンプルがまだ未入手だった事もあり、その件についてはまだ彼女に話していなかったからだ。


「ああ、ドノヴァで密かに流通している、狂戦士化のクスリだ。サンプルを入手次第アヤメに送るつもりだったが、あいにくと品切れの様で、今手元には無い」


「そのクスリを飲むと、あんな感じになるの?」


 そう言いながら、アヤメはミオを見る。


 その視線の先にいるミオはどこか虚ろで、眼は白目の部分が充血して赤く、いつの間にか両手は、力が抜けた様にだらりと下げて、抱えていたキノコは全て地面に落ちていた。


 食べ物には人一倍うるさい彼女が、地面に落ちたキノコを一切構わなくなったと言う事は、既に彼女の人格はクスリによって、支配されていると言う事だ。


「レイ・・・・・・レイ・・・・・・・・・」


 彼女の声が、心なしかおかしく聞こえる。気のせいだと思うが、まるでそれは地獄から抜け出した亡者が、レイを呼んでいる様な声だった。


 いや違う、これはそんな可愛らしい物では無い、この間相手にした狂戦士のベースは、タダのチンピラだだった。だがしかし、これのベースはモノホンの格闘家、レイが最も恐れていたバージョンの狂戦士だった。


 その地獄の使者は、ユラリと歩きながらレイに近付く。


「ハグして・・・・・・ハグ・・・・・・」


「ハグ? 何でまた・・・・・・」


 意味が分からず、理由を尋ねる。


「ハグだ・・・・・・この身をギュッ・・・・・・と・・・・・・して」


 会話が成立しているのかどうか、今ひとつ分からない。


「温もり・・・を・・・・・・ギュッとして・・・心が寒い・・・寒い・・・から・・・分け・・・て」


 止めども無い思考が言葉となって現れているのか、何を言っているのか分かりにくい。


 断片的な言葉を解析しようと気を取られていると、突然彼女から抱き付いてきた。


「早く・・・・・・早く・・・・・・!」


 そう叫ぶと、ミオはレイ目掛けて抱きついて来たが、レイは慌てて躱す。


 その瞬間『ドスン!』という低く響く音を辺りに響かせ、次にメキメキと音が聞こえて、最後に大きな地響きを立ててその木が倒れた。


 それはもう、抱きつく為に飛びついたと言うよりは、突進、いや、盾こそ持っていないが、騎士の技であるチャージそのものだった。


「なぜ・・・・・・? どうして・・・・・・? 分けて、分けて・・・・・・避けないで」


「出来るか! そんなもん食らったら、全身の骨がバラバラになる!」


 木はこの辺りでは珍しく、若くて細かったが、それでも人の胴ぐらいの太さはあった。


 それを折って倒す様なチャージを食らえば、間違いなく何カ所もまとめて骨折してしまうだろう。


「私を・・・・・・温めて!」


 再びミオはレイに抱きついて来るが、またレイはそれを避ける。


 今度は木の幹に、抱きつく様にしがみ付く。


 気のせいか、木の幹からミシミシと音が聞こえる。


「どう・・・して・・・、ハグ・・・して・・・・・・くれ・・・ない!」


 木にしがみ付いたまま、ミオはレイに恨みがましそうな視線を向けて、悔しげに言うと、木から奏でられるミシミシと言った音は、一層強まった様に感じた。


「無茶を言うな! そんな馬鹿力で抱き付かれたら、色んなモノが、口とケツから飛び出してしまう。ハグして欲しけりゃ手加減しろよ」


 木をよく見てみると、抱き付かれている幹の部分が、万力で締め付けられた様に細くなっているのが分かる。まともに受けたら骨だけじゃ無く、本当に内臓が破裂するか、飛び出しそうだった。


 今の所、唯一の救いは、ミオの行動原理が殺意では無く好意の為、自身のスキルを殆ど動員していない事だった。もし彼女が本気でスキルを総動員したらと思うと、背筋に冷たい汗が流れる。そうなったら、彼女は間違いなく誰の手にも負えない、最終兵器になってしまう事は、想像に難く無いからだ。


 レイが心の底から戦慄していると、アヤメが耳元に口を寄せて囁く。


「今度は、きちんとハグしてあげて」


「え? 無茶言わないでくれよ。あれに耐える自信なんて無いぞ」


 アヤメの無茶振りに戸惑うレイだが、彼女は自信たっぷりに請け合う。


「大丈夫、任せて。あなたが潰される前になんとかするから」


 そこまで言うのならと、アヤメの言う事を信じてみる事にした。


 しがみ付いていた木から離れたミオは、再びレイをロックオンする。


 木には痛々しくも、ミオがしがみ付いていた痕がクッキリと残っている。


 それを改めて目にしたレイは、尻込みする。


「本当に大丈夫なんだろうな」


「大丈夫大丈夫、ほら!」


 そう言ってアヤメは、レイをミオに差し出す様に背中を押す。


 ここまで来たら流石にレイも観念して、ミオを受け止めて抱きしめようとする。


 だが、早速レイを締め付けるその強力な力は、彼のそれ以上の動きを止めた。


「レイ! あなたもハグするの!」


 後ろから背骨の軋む音に混じって、アヤメの声が聞こえる。なんとか力を振り絞って、ミオの背中に手を回すと、同時に何かが弾ける音と、強烈な電気が背筋や脳に走り、レイの意識を刈り取った。




 真っ暗な暗闇の中でレイの意識が戻る。


 しかし様子が変だ。何が変かというと、最初から地を踏みしめて立っているからだ。


 弁慶の立ち往生じゃあるまいし、大抵の人間は、立ったまま気絶出来るほど器用じゃ無い。だがそんな些末な事など、次の瞬間から気にならなくなった。


 カツーン、カツーン、カツーン――――――――


 乾いた足音を立てて、正面から人影が近付いて来るのが見えたからだ。


 よく見ると細身で背はあまり高く無い。


 更にその人影が近付くと、その特徴の一部が更に確認出来る。蒼銀の短髪を持つ十代半ばの少女だったので、ミオかと思ったが、耳の上の部分が少しだけ尖っているので、恐らくはエルト族だ。そう、アヤメの髪を切り、十代半ばまで若返らせると、こんな感じになるだろう。


 更に近付く彼女を見て、レイはギョッとした。その小さな手に握られているのは、スタンガンだった。


 足を一歩踏み出す毎に、そのスタンガンが眩く火花を散らす。


 彼女は、レイに手の届く所まで近付き、そして彼を見上げて手を伸ばし、スタンガンを彼に当てようとする。


 その瞳には悪意の欠片も感じられないが、間違いなく過剰な威力に見えるそれを、自分に使うだろうとレイは直感して彼女を制止する。


「止せ! ****。それは流石に勘弁してくれ!」


 レイは『あれ?』っと思った。確かに名前を言おうとしたのだが、上手く声が出ない。自分は彼女の事を知っていて、無意識に名前を叫んだ筈なのに、まるでプロテクトでもされているかの様に、その部分の声だけが出なかった。


「本当に止めてくれ****。それは下手すると死ぬやつだ」


 やはり名前だけはどうしても出ない。


「ダメ。浮気のお仕置き」


 短く答えた彼女は、威力過剰のスタンガンをレイの体に押し当てて、とても体に悪そうな高電圧を放つ。


 だが、その悪夢は突如終わり、目が覚める。


 眼前に広がるのは、木々の間から広がる夜空だった。


 その海よりも深い色をした夜空に浮かぶ、黄金色をした月が、レイの開かれた視界の下に掛かり、視界の上の方には、彼の顔を覗き込むアヤメの顔が、逆さまに写っている。


 そして何より、その柔らかい月明かりに照らされた彼女の顔は、一層美しく映えた。


「月と美女か・・・・・・良い・・・眺めだ」


 レイの口から出た言葉に気を良くしたのか、アヤメは微笑みを浮かべながら、彼の額を撫でる。そしてレイは気付く、アヤメに膝枕をして貰っている事に。


「す、すまない!」


 慌てて頭を起こそうとしたレイだが、アヤメがそっと額を押さえて彼に囁く。


「もう少しこのままで居させて」


「ああ、分かった」


 彼女の願いを聞き入れたレイは、再び彼女の膝に頭を預けて話し掛ける。


「しかし、いきなり〈スタンボルト〉は結構効いたぞ」


「中々彼女は、直接手を触れさせてくれない。だからレイに抱き付かせて、レイの体を通して電撃を浴びせるしか無かった。ごめんなさい、レイ」


 それは無理も無い、アヤメもある程度は格闘技を使えるが、基本的に魔導師なので、インファイトでは、どうしてもミオに後れを取るからだ。


「良いさ、気にするな。俺もそれしか思い付かん」


 無茶を詫びるアヤメに気にしていないと告げ、一応ミオの状態を彼女に確認する。


「ミオはどうしてる?」


「〈スリープ〉を使って眠らせてある」


「大丈夫か?」


 心配そうに尋ねるレイに、アヤメは力強く頷いて、その根拠を語る。


「心配は要らない、〈スタンボルト〉のお陰で、体には自由に触れる事が出来たので、直接頭に触れて〈スリープ〉を掛ける事が出来たから」


 精神系の魔法は、空中にある様々なノイズの影響を受けやすい。それ故この系統の魔法は、射程距離が極端に短く使いにくい。使う相手にもよるが、熟練者でも数メートル離れると、術の効きが極端に悪くなる。


 ましてや、ミオの様に体にマナを纏って戦う者だと、極端にノイズが酷くなり、アヤメほどの使い手でも、体に直接触れないと術が効かないのだ。


「あの状態で、ガチの戦闘モードになった彼女の、止め方が思い付かない・・・・・・」


「そこに転がっているキノコや、レイの言うクスリに触れない様にするしか無い」


 確かにアヤメの言う予防策が一番確実なのだが、事故は必ず起こるもの。そして、一番起こって欲しくない事ほど、サイコロの目は甘くなるものだ。


「確かにそれが一番確実なんだが、早急に対策を考えて置かないと、取り返しの付かない事態が起こる。俺が傍に居れば、体張って止めるんだがな。居ない時は・・・・・・」


 彼の心配は尤もである。もしミオが、一般市民を巻き込んだ殺戮劇を起こせば、仮にクスリのせいだと分かっても、彼女は自分自身を許せないだろう。その時に彼女が、自分自身をどう遇するかは、レイもあまり考えたくは無かった。


 愁いを含んだ瞳で夜空を眺めるレイを見て、彼の心の中にある葛藤を敏感に感じ取ったアヤメは、彼を安心させる様に囁く。


「レイに嫌な思いはさせない。私の方でも対策は考えて置くから安心して」


「じゃあ、取り敢えず、スタンガンの代わりになる物を頼む」


「えっ! どうして、スタンガンという物を知っているの?」


 そのお願いを聞いたアヤメは、凄く驚いた顔をしてレイに尋ねた。今の彼は、そう言った物の存在を知らない筈だったからだ。


「あ、え? そう言えばどうしてだろ? さっき夢の中で出てきたからかなぁ?」


「どんな夢を見たの?」


「髪を切った少女姿のアヤメが出てきて、『浮気のお仕置き』とか言って、俺にスタンガンを押し付けてくる夢だったな」


 気を失っている間に、レイが見たと言う夢の話を聞いたアヤメは、少し微笑みを浮かべながら呟いて、レイの要望に応える。


「そう・・・・・・、分かった。取り敢えず、〈スタンボルト〉を仕込んだ警棒がいいかも」


「そうか、頼りにしているよ」


「ええ、任せて」


 そのレイの言葉に、アヤメは短く答えると、しばらく彼の頭を優しく撫で続けた。

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