第5章 胡散臭い人々
早朝のゴタゴタで出遅れたせいか、冒険者ギルドの中は閑散としていた。
掲示板を見上げながら、レイは小さな声で毒づく。
「ここの冒険者は、どいつもこいつも手堅いな………」
その掲示板に掲げられている依頼は、目ぼしいものは殆ど引き受けられていて、割の悪い仕事か、割が良すぎて、ヤバそうな雰囲気の仕事しか残っていなかった。
「それは、この街で登録している冒険者の殆どが、副業として登録しているんです。だから、出来るだけ片手間で出来る物を選んで、時間を支配される物は敬遠する傾向にあるんですよ」
後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
振り向くと、昨日、レイの対応をしてくれた受付の女性が近づいて来る。
「おはようございます。ヴェクター様」
彼女はレイの前に立つと、頭を下げて挨拶をしてきた。
そして、何事も無かったかの様に話を続ける。
「例えば、隣村への手紙の配達などの様な時間の掛かる物は、ついででも無い限りは引き受けてくれないし、ここにある店番だって、一日中で銀貨五枚だから、誰も引き受けてはくれないです。それはそうですよね、一日中拘束されて銀貨五枚なら、本業に身を入れた方がマシですよ」
店番の依頼を指しながら説明し、次に、ナイトクラブへの荷運びの依頼を指しながら、説明を続ける。
「あと、この荷運びの依頼をしているナイトクラブは、裏でモラン一家が取り仕切っています。だから、ここの仕事をウッカリ引き受けて、犯罪に巻き込まれたりしたら、堅気の本業を持つ人は、雇い主から
「裏世界の人間と関わりを持てば、否応無しに厄介事に巻き込まれる。そんな爆弾みたいな従業員なら、俺だって雇うのは躊躇するだろうな」
そう言いながら、レイはミオをチラリと見た。レイも爆弾従業員の威力は、嫌という程思い知らされている。
「そう言えば………」
レイに話し掛けて来た受付の女性に、そう話し掛けて更に続けた。
「あんた……、良く俺の事を覚えているな?」
突然、話を振られた受付の女性は、少し不思議そうな顔でレイに答える。
「おかしな事を訊かれますね。これでも立派なギルド従業員の端くれです。昨日会ったばかりの人を忘れるなんてあり得ませんよ」
そう彼女は言い切る。
「ふ~ん、そうかい。見上げたプロ根性だな」
覚えた違和感を飲み込む様に、彼女へ当たり障りのない言葉を返して置く。
「変わった方ですね」
そう一言レイに言うと、彼女は自分の持ち場へ戻る。
その彼女を目で追いながら、レイは「ふ~ん、成程ねぇ………」と呟いて、受付カウンターへと向かう。
横から先程からのやり取りを静観していたミオが、レイに小声で話し掛ける。
「あの女、隙が余り無い。何処か油断できない雰囲気だ」
こう言う事に鋭いミオが、レイに助言をしてくる。
しかしレイは、逆にミオに対して小声で釘を刺す。
「不必要な警戒はしないでくれよ。こちらが感づいた事を気取られるから」
「分かった」
こうして、気付いた上で気付かない振りをしているレイは、相手に対してカウンターを仕掛けて、情報を取ろうとしている事は、ミオにも分かる様になって来た。
相手の言動で様々な情報を抜き取るレイは、必要なら話し掛けたり行動を促したりと様々な方法で、相手に気取られる事無く情報を引き出す。
先程の女性が受付へ戻ると、レイはその受付に立って質問する。
「そう言えば、昨日から名前を聞いていなかったが、教えてくれるかい?」
「あっ、誠に申し訳ございません! リゼットと申します。以後お見知り置きを」
一応、受付の担当者は、受付の際に必ず担当名を名乗る規則になっている。そうする事によって、受付時や精算時の内容に、行き違いなどがあった時に、速やかに調査が出来るからだ。ベテランならこう言ったミスはしないが、新人だとよくあるミスなので、リゼットは、ここに入って日が浅いという事が容易に想像出来る。
彼女の規則違反には言及せずに、レイは彼女に尋ねる。
「それじゃあ、リゼット。いい仕事は無いか?」
「今の所、あそこに張り出されているのが全てですね。
やはり彼女は、この仕事を勧めてくる。
尤も、仕事の内容自体は冒険者向けなので、稀少な冒険者であるレイに執拗なのかも知れない。だが、稀少とは言えど、他に冒険者が居ない訳では無い。その辺りの疑問はまだ残るが、まだ他にも理由があるのかも知れない。
「う~ん。そう言った割の良い仕事は、前回の帝都の一件で懲りたからなぁ」
取り敢えず渋ってみると、彼女はその訳を聞いて来る。
「何があったんですか?」
「帝都で起こった『ノワールパージ』と言うのを知っているかい?」
あの騒動は帝国中に知れ渡っている為、詳しい内容以外なら誰でも知っている。
彼女は、視線を上に向けて考える仕草をしていたが、直ぐにレイへと視線を戻し、『ノワールパージ』の概要を語り出す。
「確か、帝都の番外地区の裏組織同士の抗争事件でしたね。帝都の有力者も、その件に絡んでいたと聞きます」
レイは乗り出して彼女の『有力者』の言葉に反応する。勿論これは彼の演技。
「そう! その……有力者の……何て言ったかな? そうだ! 確か商部省辺りだったかの下部組織に当たる帝都基盤整備部の……」
「商部省、都市基盤整備部のニヴェール卿ですよ」
ワザとうろ覚えに見える様に、言葉を詰まらせながら話すと、堪りかねた彼女は、自身に取っては当たり前の情報である、正式名称と人物名を口にした。そしてレイは、適当に相槌を打って、自分の知る情報を元に話をでっち上げる。
「あっ、そうそう、そのニヴェール卿の依頼を受けたお陰で、あの騒動に巻き込まれてね、危うく衛士に捕まる所だったよ」
その時に巻き添えを食った冒険者は、仔細を知らされずに依頼を請け負っただけなので、殆どの者はお咎め無しだったが、ニヴェール卿から暗殺を請け負った冒険者は、口封じを兼ねて首謀者一味として処刑されている。
「それは大変でしたね」
「結局あの騒動は、ニヴェール卿が元凶だったんだよな」
巷に流れている噂を口にすると、リゼットは血相を変えてそれを否定する。
「それは嘘ですよ! フェリクス・セザールという男の暗躍で、裏組織同士の仲が険悪なものになったのを、引退前のニヴェール卿が利用して、帝都の大掃除を行ったんです。決して、あの騒動を主導した訳じゃ無いんですよ。暗殺の噂だって、セザールがニヴェール卿を陥れようと画策したんです」
それを聞いて、随分とあざとく話を捻じ曲げたもんだと感心する。
フェリックス・セザールとは他でも無い、レイが帝都で使用していた偽名だったからだ。
いつの間にか、暗殺まで
そもそも、あの騒動の発端は、ニヴェール卿と『テラー』と言う裏組織との黒い癒着が原因だ。
ただ、フェリクス・セザールこと、レイドリック・ヴェクターは、その情報を多くの対抗組織や民衆へ、ばら撒いただけで、断じて暗殺等には関わっていない。
彼のばら撒いた情報は、黒い噂となって巷に広がり、ニヴェール卿を窮地に立たせた。この噂は下手をすれば、身分も領地も失いかねない、大スキャンダルだからだ。
瀬戸際に立たされたニヴェール卿は、最早彼にとってアキレス腱となる『テラー』を葬る為に、多くの冒険者や傭兵を雇い、頭目を含めた幹部達を抹殺した。
しかし、帝都最大の裏組織と言われる『テラー』の弱体化は、思わぬ火種となる。
今まで辛酸を舐めて来た他の裏組織が、挙って『テラー』の縄張りを求めて争いを始め、番外地区内の金網デスマッチが始まった。
その凄惨を極めた抗争は、僅か
この事件の事を『ノワールパージ』と呼ばれる様になったのも、この凄惨な出来事が起こった後辺りからだ。
そして、そのデスマッチに生き残ったのが、最初から争奪戦に参加せず、或いは出来ずに静観を決め込んでいた、弱小や零細の組織と言うのは、皮肉以外の何物でも無かった。
彼等が勝者たりえたのは、その抗争が余りにも熾烈で、多くの死人を出した為、民衆からの突き上げを食らっていた衛士隊と、点数稼ぎをして、今迄の失点を取り戻したいニヴェール卿が、積極的に介入して、抗争に参加した組織を
こうして発端となったニヴェール卿の黒い噂は、点数稼ぎの成果と、事件後に引退した事で有耶無耶になり、有力貴族達はニヴェール卿の不都合な事実を隠す為に、帝都を騒がせたこの騒動の全ての責任を、『テラー』に被せて幕引きを図った。
しかし、帝国の正式発表を鵜呑みにはしない民衆にとって、ニヴェール卿主犯説こそが彼等の間では定説となっているのだ。
彼女が答えた『ノワールパージ』に対する見解は、彼女の立場を雄弁に物語っているわけだが、レイはそのような事をおくびにも出さずに応じた。
「そいつは知らなかったな。そう言う真相だったのか………流石は、冒険者ギルドの情報網と言う事か………」
「え、あっ! まあそう言う事です」
少し話し過ぎたと思ったリゼットは、慌てて話を合わせる様に相槌を打つ。
内心では、レイが冒険者ギルドの情報と勝手に納得したのに、ホッとしていた。
そして落ち着きを取り戻すと、再びレイへ仕事を勧める。
「それで、『ギベール商会』の仕事、受けて貰えませんか?」
「やけにその仕事を推して来るじゃ無いか、金でも掴まされたのか?」
「ち、違いますよぅ。依頼人が急かすんです。『早く新しい人を紹介しろ』って」
その言い分を聞きながら、半分は本当だろうと思う。ただ、残り半分は、依頼人じゃない人からも、急かされているんだろうとレイは思った。
レイは一度溜息を吐いて、リゼットに尋ねる。
「どのみち向こうさんと交渉して条件が合わなければ、拒否する事も出来るし、されたりもするんだろ?」
「ええ、勿論審査はあるみたいですよ。タイラーさんとマーラさんより以前にも、二、三名紹介したんですけど、向こうさんの審査を落とされたみたいで、後で受付に文句を言いに来られて困りました」
文句を言いに来た時点で、大した事の無い奴らだろうと想像は付くが、審査の内容がどんな物かは多少気になった。
「一体どんな審査なんだ?」
「さあ、追い返された人から聞いたんですけど、人によって違うみたいですよ。腕試しで用心棒にねじ伏せられた者も居たし、簡単な質問で落とされた者も居れば、一目見ただけで追い返された者も居るみたいです」
腕試しや質問は分かるとして、一目見ただけと言うのはどういう事だろうか。容姿も選考基準に入るなら、レイは余り自信が無い。飛び切り醜い容姿と言う訳では無いが、特徴が無いのが特徴と言えるほど、平凡な容姿と言う事を自覚しているからだ。
「採用基準に容姿が含まれるなら、俺は自信が無いな。何せこの通り何の特徴もない平凡な男なものでね」
「いえ、一目で落とされた人は、凄い美男子でした。それに、こう言っては何ですが、タイラーさんもマーラさんも、格別の美男美女では無かったですよ」
言われてみるとそうだった。彼等の遺体や写真を見ただけの印象ではあるが、特別美男美女でも無かったし、特別醜いと言う訳でも無かった。強いて言うなら、レイに負けず劣らずの、平凡な容姿と言って良い位だった。
そこで初めて、彼女の勧誘が執拗だった事に合点が行く。
「成程ねえ、まあ取り敢えずそう言う事なら、一応話だけでも聞いてみるかな」
レイに言葉に、リゼットの表情がパアッと明るくなる。
「そうですか! 有難う御座います!」
余りにも分かり易い反応で嬉しそうにするが、ミオを見て顔を曇らせる。
「あっ、でも、彼女は落とされるかも知れませんね。腹立たしいくらいに容姿が良いですから」
確かにミオは、黙って大人しくさえしていれば、美少女である事は間違い無い。
一緒に行動すれば、レイの特徴を相殺して余りあるほど目立つ。
「そう言う事なら仕方ないな。まあダメ元で、話しだけでもしてみるか」
「そう言わずに。あなただけなら、ずば抜けて地味ですから大丈夫ですよ」
随分な言われようであるが、ミオの頭に手をのせて、首を振りながらリゼットに別行動できない理由を話す。
「こいつを野放しにする訳には行かないんだよ。それとも、お前さんらが預かってくれるかい? 恐らく、手に負えなくなって音を上げるだろうけど」
すると心外そうな顔で、ミオがレイに抗議する。
「私を猛獣扱いするのは、止めて欲しい!」
「何を言ってるんだ! 三日連続で乱闘騒ぎを起こす少女なんて聞いた事無いぞ! 出来る事なら、猛獣注意と取扱注意の札を、ぶら下げたいぐらいだよ!」
「レイだって、よく相手を挑発してるじゃないか………」
口を尖らせながら、レイも同じだと不満を漏らすが、それをレイは軽く聞き流して返す。
「ハイハイ、じゃあ俺もお揃いで、同じ物下げてやるから」
荒事が不可避となれば、レイは挑発もするし先に手を出す事もある。
しかしミオは、相手の挑発にアッサリと乗るわ、『素行が悪い!』『食事を邪魔された!』と言っては、相手を問答無用で叩きのめそうとするわで、喧嘩っ早過ぎた。
少なくとも、一昨日と一昨々日の二つの騒動は、それが原因だ。
一昨々日に起こった『闇夜の鮫亭』の件でも、一応はゴロツキの狼藉を窘めようとした事になっているが、事の始まりは、彼女が食べるのを楽しみにしていたステーキを、ゴロツキの一人が床にぶちまけたからだった。
今しがた、二人の間で交わされた会話の内容に、リゼットは少し引きながら納得して応じる。
「はあ。そう言う事なら、お二人で行ってみて下さい」
彼女は、溜息を吐きながら手続きを始める。
やがて、手続きを終えると、リゼットが再びレイに話し掛ける。
「それじゃこの書類を持って、早速『ギベール商会』をお訪ね下さい。住所はこの書類に書かれている通りです。何でしたら、場所を地図で確認されてから行きますか?」
「そうだな、教えて貰おうか」
その後地図で場所を確認したレイは、彼女に礼を言ってギルドを出て行った。
*****
目的の『ギベール商会』を前にして、レイは少しだけ困惑していた。
彼が想像していた以上に、こぢんまりとした店構えだったからだ。
店の入り口は、一般の民家同様の片開の質素なドアで、掛かっている看板も良く見ていないと気付かないぐらい小さくて、本気で商売をする気があるのかと、思わず疑いたくなってくる。
実の所、この看板に気付かなかったせいで、小一時間程この辺りを彷徨っていた。
ミオが気付かなかったら、まだ彷徨っていたかもしれない。
「レイ! 入らないのか?」
入り口の前で立ち止まっていると、ミオは不思議そうに尋ねる。
「おっ! そうだったな」
そう言ってドアを開けて中に入る。
店の中は思ったよりも広かったのだが、どこか寂しさを感じる。
それもその筈で、壁沿いの商品棚に展示されている商品は、標準的な薬屋としては、極端に品ぞろえが少ないと言えた。大概の店は、怪しげな原料から製品まで、隙間なく並べられている為に、五人も店に入れば満員になる。
正面には立派なカウンターが設えてあり、一応店舗の体裁を整えていた。
レイは正面のカウンターに座っている、店番の女性に近づいて声を掛ける。
「冒険者ギルドの依頼を受けて来たんだが………これを見てくれるかい?」
懐から書類を取り出して、店番の女性に見せる。
女性はその書類を手に取ると、内容を確認して顔を上げ、レイへ話し掛ける。
「ギルドに依頼していた求人の件ですね。私は『ギベール商会』の従業員フィオナ・ハイランドと申します。それでは御案内致しますので、どうぞこちらへお入り下さい」
女性はカウンターの奥へレイを案内し、二階の応接間に通された。
「しばらくお待ちください。只今店主を呼んで参りますので」
そう言って、フィオナが部屋から出て行くと、ミオが話し掛ける。
「この店は、薬局を標榜している割には、随分と品ぞろえが貧弱過ぎる。本当に薬を売る気があるのかどうか怪しいもんだ。それに見た所、倉庫はなさそうだし、地下室も無いみたいだから、他に在庫があるとは思えないのだが?」
最近のミオは、良く物を観察している。ともすればレイ以上に注意を払っているかも知れない。何しろ彼女は、彼に先んじてこの店に気付いたぐらいだから。
少しだけ成長したミオを見ながら、感慨に耽っていると、廊下の奥から重い足音が聞こえてくる。
足音が、ドスドスと音をまき散らしながら部屋の前まで近づき、そして立ち止まる。
そしてドアが開かれてフィオナが入室すると、そのままドアの側へ控える。
ドアの奥にもう一人男が立っていたが、その男は肉だるまと言う表現がぴったりの巨体で、ドアの側に立つフィオナが、その男の異様さを一層際立たせていた。
縦横比が圧倒的に食い違っていて、互いが同じ種族とは到底思えない。
戸口を思い切り塞いでいるその男は、一度レイに視線を送り、再びドスドスと足音を立てて、応接セットのソファーに腰かけると、レイ達に席を勧める。
「待たせたな。まあ座ってくれたまえ」
レイ達は、彼の進めるままに、向かいのソファーに腰を掛ける。そして、その男を正面から見据えたレイは、この男の見た目に騙されてはいけない事を悟る。
見た目は笑みを絶やさずにしているが、目は笑うどころか、レイ達を値踏みするような視線を送っている。
(思った以上に油断ならない男の様だな。さて、どう出て来る?)
男はレイから視線を外さずに、挨拶をしてくる。
「儂はレイモン・ギベールと申す。以後お見知り置きを」
ギベールは、ギルドからの書類に目を落としながら、更に話を進める。
「ヴェクター殿。ギルドで依頼を受けて頂いたようだが、儂の仕事を受ける前に、簡単なテストを受けて頂く事になるが、よろしいかな?」
「ああ、その事は予めギルドで聞いているので、別に問題は無い」
そうレイが答えるや否や、入り口から二人の男が部屋へ押し入って、レイとミオにそれぞれが切り掛かって来る。
レイとミオは、息を合わせてバランスを取る様に、三人掛けソファーの左右それぞれの肘掛けを軸にして、飛ぶように体を円運動させながら、斬撃を躱しつつ男達の脇に回り込む。
そしてレイは、男の腰にぶら下がっているナイフを鞘から引き抜いて、そのまま男の後ろに回り込み、男の口元を押さえて、首筋にナイフの刃を当てると、「チェックメイト……」と言って、自らの勝利を宣言する。
ミオの方は円運動の勢いを利用して、男の脇腹目掛けて蹴りを入れる。
ところがこちらの男は、ミオを見くびって避けずに受けた事が災いした。
彼は寸前に腕で脇腹をガードしたのだが、その直後に自分の甘い認識を後悔する。
ミオは「あっ!」と声を上げるが、結果は直ぐに音となって現れる。
バキン!
「ギィャーーッ‼」
橈骨と尺骨が纏めて折れる音に続き、男の悲痛な悲鳴が部屋中に響き渡る。
「あ~あ、やっちまったな………」
ため息交じりにレイが呟くと、ミオも相手の男とギベールに頭を下げて詫びる。
「すまない。やり過ぎた………」
「……………」
ギベールは言葉を完全に失う。
彼はミオの事を、レイのオマケ位に思って侮っていた。だから、彼女の蹴りが炸裂するまでは、自慢の護衛が彼女のことを、適当にあしらってくれると高を括っていた。しかしその屈強な男が、ガードする為に差し出した腕を、容易く折られるのを目の当たりにして戦慄する。
しかもその後の彼女の様子から、手加減していた事まで感じられたのだ。強さだけなら合格の彼女だが、今彼が探している人材の条件は満たしていなかった。
しばしの間自失していたギベールは我に返り、彼女を舐める様に観察する。
ミオは条件にこそ適わないが、強いだけでなく容姿もずば抜けてよかった。その為に手元に置いておけば、強力な護衛だけで無く、魅力的なアクセサリーにもなる。
そのまま野に放つのが惜しいと思ったギベールは、どうしてもミオが欲しくなり、策を弄して彼女を手に入れようと画策する。
確かにレイも手練れと思ったが、結局食い詰めた挙句に、この仕事に飛びついたのだろう。そう考えたギベールは、断られたら必ず食い下がって来ると踏んで、その時に別の仕事と言う事で紹介すれば必ず飛びついて来ると考えた。
少し残念そうな表情を浮かべて、ギベールはレイに告げる。
「ヴェクター殿。おぬしは合格なのだが、残念ながらヴァレリー殿は不合格ですな」
予想通りの答えだったが、ギベールが残念そうな表情の割に、目が笑っている事に気づく。ミオもそれを不審に思いレイの方に視線を投げかけて、どう対応するか無言で問い掛けて来るが、それに応えるよりも先に、その男に確認をする。
「一応参考までに聞かせて貰うが、どうして駄目なんだ?」
「そいつは言えん。依頼するお仕事の内容に差し障りますからな」
その答えが返って来るのを、レイは予想をしていた。そして、ギベールが駆け引きを仕掛けているのを見透かした彼は、それならばと、取り押さえていた男を手放し、ミオへ声を掛ける。
「ふむ、それじゃ仕方ないな。――――ミオ、帰るぞ。ここに長居していても仕方が無いからな」
レイの言葉にミオも反応して、彼と共に応接室の出口へ歩き出す。
「えっ! 何故だ? おぬし一人でも十分な礼は払うぞ。何だったら、彼女には別の仕事を用意する」
まさかいきなり断られると思っていなかったのか、ギベールは慌てて引き留めようとすると、二人とも足を止めて振り向き、レイの方がその理由を口にする。
「まあ、色々と隠し事の多い依頼は受けない様にしている。大方、目立つ人間を雇いたがらないのも、影仕事をさせるのに都合が悪いからだよな。それにミオについても、俺が食い下がって来たら、別の仕事を紹介して俺から引き離し、自分の手元に置こうって腹積もりなんだろ? こちらとしても、そんな事をされると都合が悪いんでね」
全てを見透かされたギベールは顔を青くして、レイの事も侮っていた事を思い知る。
そこへレイは、ミオに色目を使っていた事についても忠告する。
「一つ忠告して置こう。ミオに対して、変な気を起こしているのなら止めた方が良い。彼女を手込めにしようとした男は、半殺しに遭って今もトラウマで苦しんでいる」
そして更に、補足をするように続ける。
「それに、俺がミオと組む事に拘っているのは、目を離すと何をするか分からない爆弾娘だからだ。目の届かない所に彼女を置くのは、俺の心臓に悪過ぎるからな」
「爆弾娘ってなんだ! 私はそんなに破天荒か?」
ミオは自身に対する、レイのあんまりな評価に食って掛かると、レイはその評価に値するエピソードを暴露した。
「そうだなぁ、帝都に滞在していた時、『テラー』の拠点への言伝を頼んだだけなのに、その拠点叩き潰して来たよな」
「あ、あれは、妙にしつこく絡んで来たのが居たから、軽くあしらっただけだ」
「うんうん。あの時に、死人を出さなかった事だけは、誉めてやろう。だが、全員瀕死にするのは軽くも無いし、あしらうとは言わないぞ」
「うっ! そ、それは………」
ミオが言葉に詰まっている所を、レイは透かさず畳み掛ける。
「それにゴルドバじゃ、俺の制止も聞かずに、マフィアのアジトに乗り込んだよな」
「あ、あの時は奴の子分が因縁付けるから、奴にも教育的指導を施しただけだ」
抗弁するミオであったが、自身にとっても黒歴史なのか、その口調は弱々しかった。
「あのなぁ、マフィアを丸ごと壊滅させておいて、教育的指導も何も無いだろう。ああ、そう言えば、連中のボスの股間を蹴り上げて、二つとも潰したっけ。あれは教育的指導と言えるか、お陰で去勢馬の様に大人しくなったらしいからな」
そして更に、レイの思い出話は続く。
「それに、教会の司祭が寄進を横領したのが発覚した時は、件の司祭だけじゃ無く、関係した僧侶や聖騎士も、纏めて教会の屋根から逆さ吊りにしていたな」
次々とレイの口から飛び出す黒歴史に、一応今では、やり過ぎた自覚のあるミオは、これ以上は勘弁とばかりに懇願する。
「わ、悪かった! 確かにレイの言う通りだ。だからもう勘弁してくれないか?」
「分かってくれて何よりだ」
聞き分けたミオに向かってそう言って頷くと、レイは視線をギベールに戻す。
すると、ミオ以上にさっきの昔話が効いたのか、青い顔で震えながらドン引きしている。そして、彼女の数々の武勇(蛮勇?)は、ギベールだけじゃ無く、咬ませ犬に使われた護衛をもドン引きさせたのか、護衛達は応接室から転がり出す様に逃げ出した。
「オイオイ、護衛が主人を放り出して逃げて良いのか? 手下はきっちりして教育して置かないと、商売は上手く行かないぞ」
呆れながら皮肉を口にするレイを見ながら、自分の手には負えない事を悟ったギベールだったが、このままこの二人を放置するのは危険な上に、自分達の今後の計画にも差し障るのは明らかだ。そこで、何とか懐柔して、二人を抱き込んでしまおうと考えて、様々な条件を度外視した好条件を提示する。
「わ、分かった! 二人纏めて雇おう。日当もギルドに提示していた三倍は払う! これなら文句はあるまい」
だがまだ不十分なのか、レイは首を横に振る。
「駄目だな。この際だから、仕事の内容をはっきりさせてくれないと、引き受け兼ねる」
彼の主張にギベールは暫らくの間考え込むが、意を決したように、なるべく差しさわりの無い表現で、仕事の内容を伝えて来る。
「儂の店は、御覧の通り薬を取り扱っておる。だがな、それを間違いなく扱える錬金術の知識を持った者が不足しておる」
確かに言われる通り、この港町は帝都と違って、主に肉体労働が幅を利かせている街だ。魔法や錬金術を扱える者は、貴族や上流階級の者ばかりで、一般の平民の中では希少と言って良い。
「だから、錬金術に詳しい者を独自に養成するしか無い。しかし養成するにも、それを出来る錬金術師に当てが無い。そこで、帝都から招待した錬金術師やその卵である学生に、初歩的な錬金術の教育を施して貰っておったんだが、先日、招待した学生が失踪して困っておった」
「なるほど・・・・・・で、俺達に補充要員を探してこい・・・・・・と」
「そうだ! そこでお主に、新たな錬金術師か錬金術に造詣の深い学生を、勧誘して来て欲しい。手段については、お主等が得意な手段を使って貰って構わないぞ」
暗に、手段を択ばなくても良いという口ぶりだ。前任の冒険者はそれを拉致と言う方法で達成したのだろう。しかし、毎日金貨を貰える仕事だ、それだけでは無いだろうと考えてレイは先を促す。
「それだけじゃ無いんだろう? 他に何をさせるんだ? それに、錬金術師への日当てはどうするんだ? まさか俺達が日当てを払うんじゃ無いよな?」
そう問われたギベールは、頷いて話を続けた。
「勿論おぬし達の日当の中には、講師役の錬金術師の分も含まれておるが、配分はおぬしの腹一つと言った所か。あと、お主らが招待した、講師役のお世話をして貰う、もし辞めたがるなら、説得までがおぬしらの仕事の範囲だ」
聞けば聞くほど、中身はブラックだった。
基本的に錬金術師は超高給取りだから、日当は最低でも金貨二枚は必要だ。まだレイ達は金貨三枚なので、自分達の取り分を金貨一枚にすれば、並の錬金術師程度なら雇えるが、これが金貨一枚だけだと、どうしようも無くなる。
雇われた冒険者もボランティアでは無い以上、その一枚から人数分の日当を捻出しなければならないが、そんな安い日当で靡く錬金術師など居ない。
結局これでは、攫ってきてタダ同然で働かせろと言っている様なものだ。
(物は言い様だな。拉致って来て、逃げ出さない様に監視しろってか?)
心中で毒づきながら、クロエとリオンの話を思い出す。
今まで聞いた仕事の内容と彼女達の証言が、ピタリと一致する。
港に浮いていた冒険者は、任務失敗の見せしめで殺された可能性も高くなって来た。
だが、まだ腑に落ちない点はある。冒険者の殺害に使った〈氷槍〉という高度な魔法が使える者なら、学生などよりも錬金術の基礎はしっかりしている筈だ。ワザワザ拉致と言ったリスクを冒さずとも、その人物を教師役にすれば済む話である。
しかしレイは、その件を一旦置いて、ギベールに仕事を引き受ける旨を伝える。
「分かった、良いだろう。勧誘の方法は自由でいいんだな?」
「勿論だとも。良い伝手がある事を祈っているぞ」
ギベールは意味ありげな笑みを浮かべると、握手を求めて手を出して来た。
暫らくはその手をしげしげと眺めていたレイだったが、やがてはその手を取ると、ギベールと握手した。
「例の二人は帰ったか?」
応接室のソファーに腰を掛けていたギベールは、玄関まで見送りに出たフィオナが応接室に戻って来たので声を掛けると、彼女はそれに応えて報告をする。
「はい、今しがた店を出ました」
その返答を聞いたギベールは、額から噴き出していた汗を拭いながら呟く。
「なんて
「無理に囲い込まなくても、『レギオン』に任せたら良かったのでは?」
その名を聞いたギベールは渋い表情をして、フィオナにそれが出来ない理由を語る。
「連中は取引相手以上でも以下でも無い。変な所で借りを作れば足元を見られる」
「そんなもんですか?」
「ああ、連中だけには、弱みを見せる訳には行かんのだ。そうで無いと、逆に儂らが取り込まれる。そうなればあのお方にも、迷惑が掛かるからな。それに、あの二人をうまく使いこなせたら、この上ない戦力になる」
「使いこなせますかねぇ?」
フィオナは疑問を口にするが、ギベールは自信ありげに言い切る。
「フン、金になびかない奴はこの世におらんよ。あの二人は金で縛れば良い!」
金の力を信じて止まないギベールに、フィオナはそっと溜息を吐く。
(金で縛れるなら、手玉に取られるなんて事は無かったんじゃないかなぁ……? はぁぁ………。この職場もそろそろ潮時かぁ。お給料は良かったんだけどなぁ)
口にこそ出さないが、フィオナは心の中でそう呟くと、応接室を出て店番へと戻った。
*****
港湾地区の倉庫街に佇む『剛力の源亭』は、港湾作業員や船乗りたちが愛して止まない酒場である。この店は夜も人気だが、昼間は特に客入りが多い。
その理由は、スタミナの付く料理を、惜しげも無く大盛にするからだ。
更にお値段もお手軽で、常日頃から肉体労働に従事する、港湾作業員や船乗りにとっては、重要なエネルギーの補給源の為、飯時にはいつも込み合っている。
現在も飯時から少し外れているが、何れの席も満席だった。
その店へ、一人の青年がやって来た。その青年の風体は、おおよそこの店には似つかわしく無いほど、容姿が整っていた為、店の中では浮いた存在だった。
青年は店中を見渡して、人を探している様だったが、奥の方の席に、これまたこの店にそぐわない、黒髪の男と蒼銀髪の少女を見つけ、彼等が占めるテーブルを目指す。
そしてその男は二人に、相席を申し出た。
「ここ、座っても良いか?」
「どうぞご自由に」
「勝手にすれば良かろう」
黒髪の男レイと蒼銀髪の少女ミオが、素っ気なく答えると、男は「それではお言葉に甘えて……」と呟きながら、向かい合うレイとミオを、横から見据える席に腰を掛け、給仕の女性を呼んでエールを注文した。
暫くして、レイ達が注文していた『海の男、筋肉モリモリ定食』と、同席した青年が頼んでいたエールが運ばれて来た。
差し出されたエールは、平凡な大きさのジョッキだったが、二回に分けて持ってきた定食は何れも大盛で、特にメインであるワイルドボアの肉は、皿からはみ出そうな物を分厚く切って、何枚も重ねてあった。
その容赦の無いほど、盛り付けられた定食を前に、ミオが早速がっつき始めると、レイは自分の分を半分彼女の皿に移す。枯れた中年にこの量は、流石に多過ぎたからだ。
青年は、注文したエールをチビチビとやりながら、目の前の二人の様子を窺う。
その様子を横目で見ていたレイは、青年の意図をハッキリさせる為に声を掛けた。
「お前さん。俺達に用があって近づいたんじゃないのか?」
「どうしてそんな事が分かる?」
出方を窺う様な質問返しに、ウンザリしながらレイは答える。
「そりゃ、飲みなれないエールを飲みながら、こっちをジロジロ見てりゃな。こっちとしても、何が言いたいのかハッキリして貰わにゃ、落ち着いて飯も食えん」
そのレイの一言で、男は肩を竦めて溜息を吐くと、感心したようにレイを評した。
「大した洞察力だ、中々やるじゃ無いか」
「大した事無いって………」
レイは謙遜では無く、掛け値無しにそう思っていた。
正直、今程度の事はミオでも気付いていた。
ただ、彼女の場合は、青年の視線のような些末な事よりも、目の前の『海の男、筋肉モリモリ定食』の重要だったから、あえて無視していただけだった。
「あんた、レイドリック・ヴェクターって言うんだろ? 俺はあんたに頼みたい事があるんだ」
「断る!」
「まだ何も言って無いのになぜ断る」
「そりゃぁ、俺がお前さんの事を知らないからだ。名も知らない男のお願い事を聞けるほど、俺もお人好しじゃ無いんでな」
自分の名を名乗らずにお願い事など、無礼にも程があると、レイは暗に伝える。
「これは悪かった。俺の名はジャンだ。覚えて置いてくれ」
覚えて置いてくれも何も、余りにもありふれた名前のお陰で、覚えた所で余り意味は無さそうだ。尤もレイは、十中八九偽名だろうと踏んでいるが。
「で、そのジャンさんは、一体俺にどんなお願い事があるんだ?」
「あんたらギベール商会に、錬金術師を連れて来いと言われただろう。実は、その錬金術師を紹介させて欲しいんだ」
「その錬金術師はお前さんの部下か?」
いきなり核心を突くレイの質問に、ジャンは冷や汗を流す。
「ど、どうしてそんな事が言える!」
「見え透いているんだよ。どこの回し者で、何を調べたいのかは知らないが、あの
ここに至ってジャンは、レイが自分よりも格上だと悟る。
この調子だと、ギベールですら手玉に取ったのでは無いかとジャンは思った。
しかし、何としても密偵を放って、情報を得たい彼としては食い下がる外無い。
少なくともレイは、ギベールの事を肉だるま呼ばわりしていたので、決して臣従している訳で無いのは一目瞭然だ。それなら金さえ積めば、簡単に靡いてくれるものと思って、ジャンはレイに話を持ち掛ける。
「こちらの密偵を受け入れて支援してくれるなら、我々からも相応の謝礼を渡そう。それなら引き受けてくれるか?」
「断る」
取り付く島もないレイの態度に苛立ちを隠せず、思わずジャンは叫ぶ。
「何故だ! これだけ良い条件を………」
慌てて人差し指を口に当てるレイの仕草を見て、ジャンは慌てて辺りを見回す。
しかし、誰も気に留めていないのを確認すると、胸を撫で下ろして再び話し始めた。
「これだけ良い条件を提示しているのに、なぜ乗らない? あんたは、ギベールに義理立てしている訳じゃ無いんだろ?」
ここに至っても気付いていない彼に、レイは言って聞かせる。
「それはお前さんらが、いかにも素人臭いからだ」
「俺達は素人じゃない!」
ジャンがそう強弁するのを、レイは静かにするように、人差し指を口に当てる。
「そう言った所が素人臭いんだよ。それに尾行だって壊滅的に下手過ぎるしな」
そのレイのダメ出しに、今度は声を落として抗弁する。
「あんたは下手だって言うが、実際あんたも気付かなかったじゃ無いか」
それを聞いて心底呆れかえったレイは、更にダメ出しを連発する。
「あのなあ。ギルドを出た所から、ずっと後を付けていたのも気付いていたぞ。気付いた事を気付かせないのも、初歩的なテクニックだというのも知らんのか? それにギベールの店の前じゃ俺の醜態に付き合って、同じ所を一緒にぐるぐる回ってたろ。あんな事されりゃ、どんな間抜けだって気付くぞ」
そこまでまくし立てたレイは、一息吐いて更に続ける。
「あとそれに、ギルドの受付をしているリゼットも、お前さんの仲間だろ? お前さん等、帝国騎士独特の所作が鼻に付くからな。お陰でお前さん等の本業が、帝国騎士という事が丸判りだよ」
そこまでダメ出しをされた上に、本業が帝国騎士だと言う事まで当てられて、ぐうの音も出ないジャンに対してレイは結論を言う。
「俺がお前さん等の提案を受けないのは、お前さん等の様なド素人を受け入れて、間近でスパイの真似事なんかされると、俺達が抱える心配の種が増えるだけで、メリットは全く無いし、リスクが大き過ぎて話にならんからだよ」
だがジャンは、更に食い下がる。
「しかしこのままじゃ、あんた等は帝都で錬金術師か学生を誘拐するだろ。俺もそれは見過ごせないんだ。だから聞き入れてくれ」
「心配は要らん、こっちにも当てがある。お前さん等は、帝都に帰って自分達が出来る事をやれ。こんな所で慣れない危険へと身を晒すのは、ハッキリ言って無駄だ。何なら俺がお前らのボスに、話を付けてやる。慣れない大衆料理や、粗野な言葉からもオサラバ出来るぞ」
そこまで言われたジャンは、テーブルを叩いて立ち上がる。すると、周りに居た港湾作業員や船乗り達は、一斉にレイ達のテーブルに注目する。
衆目を集めた事に気づかないジャンは、レイに向かって吠える。
「私は諦め無い! どうにかして潜り込むからな!」
そう言い捨てて、大股で店の出口に向かい、店の外に出る。
「やれやれ、止めとけと言われて、止められる物でも無いか………。すさまじきものは宮仕えだな」
ジャン青年が出て行った店の出入り口を眺めながら、溜息を吐いてレイは呟く。
周りに居た者達は、騒ぎの原因が立ち去ったので、再び自分達のエネルギー補給に専念すべく食事を再開する。
そんな周りの様子を見て、レイはふとミオの様子を見てみるが、ミオは一連の騒動などどこ吹く風の様子で、大盛の一.五倍にされた皿と格闘していた。
「ホントに大物だよな………」
レイは彼女を見ながら、呆れた顔で再び溜息を吐いた。そして、そのままの姿勢で、空いた筈の空席に向かって話しかける。
「で、お前さんは何の用だ?」
その席には、先程の良く目立つ青年と違い、年の頃はレイと然程変わり無さそうな小男が、いつの間にか座っていた。
「私もあなたに興味があるんですよ。私はハンス、以後お見知り置きを」
「ジャンと言いハンスと言い、どいつもこいつも捻りの無い偽名を使いやがって。もうチョットこう、洒落の効かせた名前を思いつかんのか?」
さらに深い溜息を吐きながら、レイはワザとらしく嘆くと、男は澄ました顔で答える。
「私共の商売は、目立つことが許されないものでね。あなたのご要望にお応えしたい所でしたが、ご容赦願いたい」
先程の若者と違い、場慣れした雰囲気を放つその男は、恐らくは筋金入りの工作員なのだろう。偽名をアッサリ見破られるも、眉一つ動かさずにレイの揶揄を躱した。
「で、そのハンスさんも、さっきのジャンさんと同じ要件なのかな?」
「話の早い人は助かりますよ。それじゃ、私共の提案を聞いてくれますかね?」
「さっきの素人よりはマシそうだが………」
少し考える素振りを見せながら、小男を値踏みする。
工作員独特の雰囲気が鼻につくが、それ以上に気になるのが、滲み出る暗殺者の雰囲気だった。レイは、この男の本質が暗殺者では無いかと疑う。
「…………止めて置こう。さっきの坊やと違ってお前さんは、裏切りの匂いが強すぎる。俺としても、寝首を掻かれるのは嫌だからな」
「ハァ……。あなたとは上手くやっていけると思っていたのですが、……残念です」
小男はレイの反応に溜息を吐いて呟くと、席を立ってレイへ一礼する。
「それでは、失礼します。次の対策を考えねばなりませんのでね」
その小男は、そう意味ありげに言葉を残すと、レイ達の前から立ち去った。
「ふう、今日は厄日か? 会う奴はどいつもこいつも、胡散臭い奴らばかりでウンザリするな」
一つため息を吐いたレイは、自分の事を棚に上げて愚痴を零す。
「何者だ? あの男は」
流石のミオも、あの男の薄気味悪い雰囲気が、気になった様だ。
「さあな。大方、どこぞの貴族が放った、工作員か何かだろう。相手にするのは面倒臭そうだけど、どうせ絡んで来るんだろうなぁ」
心の底から面倒臭そうな顔をして呟いたレイは、とっくに冷めている筈の定食に手を付けようと、自分の皿に目を移して更に脱力した。
いつの間にか、自分の皿の上が綺麗に片付いているの目にして、またまた溜息を吐くと、ミオに向かって尋ねる。
「腹は一杯になったか?」
「うむ、今お代わりを頼もうかと思っている。レイの分も頼もうか?」
「………ああ、頼む」
全く悪びれた様子を見せないミオは、給仕を呼び止めて、レイの分も含めて追加注文をする。
その後、ミオの食べっぷりを目の当たりにしたレイは食欲を失くし、追加注文をした自分の分も彼女に譲る事となる。そして、力自慢の大男も食べ切れない大盛定食四人前を完食した彼女が、満足な表情を浮かべたので、レイは店を出る事にした。
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