第3章 赤い目玉に気を付けろ

 すっかり取調室と顔馴染みになったレイは、そこでサイラスから注意を受けていた。


「まあ、今回は被害届が出そうに無いし、話を聞けば正当防衛も成立しそうだから不問にするが、出来るだけ騒ぎは控えてくれ。そうで無いと、厄介な連中に目を付けられ兼ねないからな」


「厄介な連中?」


「『プリズンリーバ』に巣食う『レギオン』の連中の事さ」


 今の話に出てきた『プリズンリーバ』は、サイラス達が詰める『南街衛士隊詰所』が受け持っている、旧市街地区の一角にある歓楽街を指している。そこは娼館などの風俗の店が軒を連ねていて、そこを牛耳る裏組織同士の抗争が絶えなかった。そして最近、その裏組織の中でも勢力を伸ばしつつあるのが『レギオン』だ。


 レイは『レギオン』の名を聞いて、その事を思い出しながら呟く。


「ああ。あの連中か」


「『レギオン』の名を出されて『ああ、あの連中か』って、路傍ろぼうの石ころでも見た様な反応をする奴は初めてだ。貴族ですら避けて通る様な、厄介な連中なんだがな」


 サイラスが言う様に、確かに『レギオン』の連中はかなり厄介だ。それと言うのも、自分達がのし上がる為なら手段を択ばず、今まで裏組織の間で成立していた不文律ですら、平気で踏みにじるような連中だからだ。


 例えば、その不文律でも最たる物の『守秘義務』を平気で犯し、上顧客の貴族の性癖や醜聞をネタに脅迫をして、自分達に便宜を図らせている。


 そのせいで、あの辺りで金をばら撒いていた貴族の殆どが、『レギオン』傘下の店に縛られて、旧勢力は店からのあがりが激減してしまった。


 そしてその事もあって、『レギオン』と旧勢力との全面抗争は、時間の問題と言われている。


 レイは他にも色々なネタを知っていたが、現在調査中で分からない所も多い。ただ、この調査が完了したら、その情報はここの連中にリークするつもりでいた。それと言うのもレギオンは、かなりヤバい事に手を出していると予想されるからだ。


「そうか? 確かにヤバい連中だが、帝都みたいな大規模な都市なら、掃いて捨てるほど居たぞ」


 尤も、レイはここに来る前に、幾つかの組織を掃いて捨ててきた。


 ある組織のスパイと情報網を、対抗組織に暴露して瓦解させたり、欺瞞情報をばら撒き、互いを疑心暗鬼に陥れて潰し合いをさせたり、後ろ盾になっている大貴族との噂を拡散して、その大貴族にしっぽ切りさせたりと、持てる情報と集めた情報を駆使して帝都の大掃除をした。


 一応、悪質な組織のみを狙い撃ちにしたが、その組織に関与した組織も連鎖的に食い合いを始め、結果的に帝都の半数以上の裏組織が消える事になる大騒動となった。そして人々はその帝都を揺るがせた大騒動を、『ノワールパージ』と呼ぶようになった。


 因みに、『レギオン』のヤバいネタは、その時生き残った組織から、報酬代わりに貰った物だった。


「ふう。お前さんが帝都で何をしていたかは、聞かない方が心臓に良さそうだな」


 サイラスは何かを察したが、深く追求するのを止めると、レイは達観したような目をして宙を眺めながらうそぶく。


「そうした方が良い、知らない方が良い事も、世の中にはあるからな」


 口にする言葉よりもそれを語る態度を見て、サイラスはレイが踏んだ場数の多さを知る。そんな彼に今更不要とは思ったが、一応は身の回りに気を配る様に忠告する。


「怖い事言うなよ。――――それより、昨日酒場で会った、愚連隊の連中には気を付けろよ。連中も『レギオン』の息が掛かっているんでな、酒場の失態で面子を潰されたレギオンが、連中に発破を掛けてけしかけて来るかも知れん」


「昨日の連中が切った啖呵たんかは、そういう意味だったのか。正に『虎の威を借る狐』と言う訳か………いや、『レギオン』を虎に喩えるなら、連中を狐に喩えるのは狐に失礼かもな。――――まあ兎に角、あんたの言う通り気を付けて置こう」


「そうしてくれ。――――それじゃ以上だ。もう帰ってくれて構わないぞ」


 これ以上言う事も聞く事も無かったので、サイラスはそう言ってレイを解放する。


「そうか。それじゃあな」


 レイは席を立ちサイラスに声を掛けて取調室を出ると、外で待っていたミオと合流して衛士隊詰所を後にした。


 街を歩きながらミオが問いかける。


「これから、どこへ行くつもりだ?」


「取り敢えずマーロウと連絡を取りたい、『闇夜の鮫亭』へ行くぞ」


 マーロウとは、ドノヴァに駐在している『ミカゲ』の現地調査員だ。ここでの情報を日々集め続けているので、新鮮な情報は彼に聞くのが一番早い。それに優秀な彼なら、無茶なお願いもある程度は聞いてくれる。しかしミオは店に行くのに難色を示した。


「あの店は余り好きじゃない、メニューが少ない上に、これと言った名物も無いし」


 ミオの店の良し悪しの基準は、店の雰囲気では無く美味い食べ物の有無なので、『闇夜の鮫亭』の様な酒と雰囲気を楽しむのがメインの酒場は苦手の様だ。しかし、マーロウと連絡を取るのが主な目的なので、彼女には我慢して貰うしかない。


「悪いが我慢してくれ。急ぎの用なんでな」


 そう言いながら、旧市街地区への道を急ぐ。


 やがて大きな倉庫群が見えてくる。


 赤いレンガで建てられているそれらの建物は、何れも入港した船から荷下ろしされた荷物が収められていた。織物やガラス製品に珍しい食料や酒など、外国から輸入した物から、国内から集められた食料などだ。その倉庫群で、一段と警備の厳重な倉庫があるが、恐らくは宝飾品や、高価な金製品や銀製品などが収められているのだろう。


 倉庫街を抜けてカルム川の橋を渡ると、その先は旧市街地区となる。


 旧市街のこの辺りは酒場や宿屋が多く、仕事が終わった船乗りや港湾作業員達の、憩いの場となっている。


 その海の男達の憩いの場の中に、昨日寄った『怪魚亭』がある。しかし今日はその店を素通りし、更に先へと進むと、大通りが交差する十字路に差し掛かる。


 その十字路は、このまま真っ直ぐ抜けると一般居住区があり、その先にはこの街の南門がある。


 左へ折れると漁港や魚市場へと至り、早朝などは魚の仲買人や、食材を仕入れに着た酒場の店主などで賑わっている。


 右へ折れると『プリズンリーバ』呼ばれる風俗店や娼館が軒を連ねる歓楽街へ続く。


 そしてその歓楽街より奥はスラム街が続いていた。


 レイはその十字路を右に折れて、『プリズンリーバ』へと足を向ける。そしてミオもまた、何も言わずに彼に付いて行った。


 その通りは、欲求を満たしたい者達と、お客を求める者たちがひしめき、娼館の前では店の者達が通り掛かりの者を客引きし、通り掛かる者達はその店を値踏みしていた。


 二人が通りを歩いていると、レイは娼婦から声を掛けられ、ミオは男娼から声を掛けられる。しかしお互いが連れ同士だと分かると、娼婦も男娼も悪態をついて、他のターゲットを探しに行く。


 勿論、通りにあるのは娼館だけでは無く酒場もある。ただし、その酒場の殆どがナイトクラブやホストクラブの様な店ばかりで、パブ形式やスナック形式の店は少ない。


 暫らく二人は、店の客引きを躱しながら歩き、やがて目的の店へと辿り着く。


 その店は、ゴージャスなクラブとホストクラブに挟まれているせいか、シックで落ち着いた店にも関わらず周囲から浮いていた。しかしこの店こそが目的の『闇夜の鮫亭』だ。


 一昨日の晩この場所で、ミオは賞金首と大立ち回りをしたのである。その時は賞金首とは知らずに、店の中で狼藉を繰り返していた男達を、彼女は表へと叩き出した。


 しかしその後は、目を逸らせたくなる様な過剰防衛で、男達を叩きのめしたので、レイは店の勘定とドアの修理代をマスターに押し付けると、彼女を小脇に抱えて、この店から逃げる様に立ち去ったのだ。


 一昨日の事を思い出しながら、レイは店のドアの前に立つ。


 几帳面なマスターらしく早速修理して、少しだけ立派になっていた。


 しばらくの間ドアを眺めていたが、いつまでもそうしている訳には行かないので、そのドアを押し開けて店へ入る。


 店の中は他の酒場とは違い、随分と落ち着いた雰囲気で、お客も大声で騒がずに静かに飲んでいる者が多かった。


 レイはカウンターの席を選び、ミオはその隣に座る。


 するとマスターから声が掛かる。


「一昨日は有難う御座いました。――――それで、ご注文は如何致しましょう?」


 そう言いながら、二人に向けて優雅に一礼すると、注文を尋ねる。


「今日のお勧めは?」


「良いカモが手に入りましたので、カモのローストなど如何でしょうか?」


「そうだな、そいつと葡萄酒を彼女に、俺はエールと二枚貝のバター焼きを頼む」


「畏まりました。暫くお待ちください」


 そう言ってマスターが厨房へ消えると、近くのテーブル席で座っていた男が、レイの隣に席を移すと、レイに話し掛ける。


「よう! 一昨日ぶりだな。日を空けずに来ると言う事は、急ぎの用か?」


 この男が『ミカゲ』から派遣された現地調査員のマーロウだ。


 一応レイは彼等の頭領だが、会話の端で上下関係を滲ませないためにも、現地の調査員との連絡では、お互いが気さくに話しかけるようにしている。


「そんな所だ」


「で、どうしたんだ?」


「『レギオン』の子飼いに喧嘩を売っちまって、連中に目を付けられそうなんだ。それでな、面倒を避ける為にも連中の事を教えて欲しいんだ」


 レイも出来る限り旧知の友人に、相談事でも持ち掛けるような感じで、知りたい情報を尋ねる。


「またえらいのと、関わりを持っちまったんだな」


「好きで持った訳じゃ無いさ。まあ、成り行きと言う奴だ」


 レイはそう言いながら、自嘲的な笑みを浮かべて肩を竦める。


「まあいい。ぶっちゃけて言うと、連中と関わりを持つのは得策とは言えないな。組むにしても敵に回るにしてもな。兎に角、連中は手段を選ばないんだよ。一年前、勢力下に収めた娼館の女主人と、あがりの取り分で揉めた時は、翌日にはドノヴァ港にその女主人の死体が浮いてた」


 最初に語られた逸話を聞いただけで、『レギオン』の本質を察したレイは、肩をすくめて彼らを揶揄する。


「勢いだけで成り上がった連中と言う訳か・・・・・・」


 支配下にある者の言う事を聞かせるなら、もっとスマートな方法がある筈だ。最もレイにとっては、こういった短絡的な連中の方が、扱い易いと思っていた。


「まあな、やってる事はその辺に居る、三流のゴロツキとそれほど変わらんな。何しろ連中は、みかじめ料を払わない店に、毎日のようにお行儀の悪い連中を派遣して、嫌がらせを繰り返すわ。敵対勢力の店の前では、大喧嘩したり客に絡んだりして、客足を遠のかせているわで、まるで山賊が街の中に現れた様なもんだからな」


 そこまで言ったマーロウは、声を落として更に続ける。


「ただ、上客の弱みを握って、旧勢力下の店から横取りするなど、連中らしくない方法は、どうやら誰かが入れ知恵している様だがな」


「ほう、なるほどね」


 声を落として話した内容は、黒幕の存在をレイに示唆していた。


 彼らの中で頭の切れる者が居る言う事も考えられたが、それ以外のやりようがあまりにも短絡に過ぎ、到底仲間内に居るとは思えなかった。


 恐らく黒幕の指示で、弱味を握っているのだろうとレイは考える。それも店への誘導等というチンケな目的じゃ無く、もっとよこしまな目的にだ。


 そうして二人で『レギオン』の話をしていると、出来上がった料理をマスターが持ってきて、彼等の前に並べながら、マーロウの話を裏付ける。


「この間、ミオ様が叩き出した者達も、『レギオン』の息が掛かっていましたな。彼等は私共の様に、みかじめ料を払わない店に、あの様な者達を派遣して、嫌がらせをしておりましたから」


 マスターは大きな傷で片目こそ失っているが、清潔な身なりと上品に整えられた髪と口髭の佇まいは、正に絵に描いたような紳士だった。しかし、何処か隙が無く、無言で辺りを制する凄みを滲ませている。彼の素性はレイにも分からないが、少なくとも数多の修羅場を潜り抜けてきた猛者には違いなかった。


「マスターならそんな連中、その片方の目だけで、充分押さえる事が出来るだろうに」


 この初老の男から滲み出る凄みなら、一睨みで大抵の者は震え上がる筈である。実際彼なら、一昨日のゴロツキ程度なら片手で制する事が出来るだろう。しかし彼は、店の雰囲気を大事にしていたので、極力手荒な事は控えていた。


「いや、それが中々でして……一昨日の者も全く通用しませんでしたよ。後から気付いたのですが、如何やらあの者達は『ベルセルク』という薬を使っていたようですな」


「ベルセルク?」


 言葉の意味が分からないレイは、思わずオウム返しをする。すると、今度はマーロウがそれを補足する。


「俺も詳しくは知らないが、最近この界隈で二種類の薬物が出回っている。一つは今しがた出たベルセルクで、もう一つは『エロース』と呼ばれている薬物だ。残念ながら今の所は、ベルセルクが破壊衝動を伴う興奮を引き起こし、エロースが強い催淫効果を引き起こす事しか分からない」


「そう言えば、ベルセルクを使った者は、一様に異様なくらい目が血走り、白目が赤く染まると言う噂を耳にしましたが、一昨日の三人はミオ様と対峙する直前に薬を飲んでおり、何れもその様になっておりました」


 一昨日の様子を思い出したマスターが、マーロウの情報に更なる補足を入れた。

 レイもその話を聞いて一昨日の事を思い出した。


 ミオは最初こそ手加減をしていた。しかし、店の外に叩き出し、男達の意識を刈り取るのを狙って拳打を出していたが、倒しても倒しても起き上がって来る。それに、ダメージが蓄積して動きが鈍くなっている筈なのに、その男達の攻撃の鋭さが少しも衰えていなかった。


 その時ばかりは、流石のレイも不味いと思い加勢して、三人のうちの一人をミオから引き離して対峙し、その男の足を二本とも蹴り折って物理的に動けなくした。そして、それを見ていたミオも彼に倣い、残り二人の両足を折った。


 しかし、その後もその男達は這ながら、手当たり次第に近くにいた野次馬に、しがみ付いて襲い掛かろうとしたので、ミオは仕方なくゴロツキ達の腕を折って回った。これが、賞金首のゴロツキに過剰な暴力を振るった経緯いきさつだった。


 レイはその時、確かに違和感を覚えたが、ベルセルクの存在を未だ知らなかったので、薬をやり過ぎてこうなったのだろうと思っていた。しかし、改めてベルセルクの事を聞かされて、あれがその効果だと知らされた時、帝都で聞いた話を思い出した。


 実は、レイが帝都で入手したヤバいネタと言うのは、薬の事だった。


 これまでは、身体に深刻なダメージを伴う、新種の麻薬でも開発されたのかと思っていたが、そんな生易しいものでは無かった様だ。正直な所、ベルセルクの効能の一部を体験しただけで、動乱の予感さえした。


 強い催淫効果を持つエロースも確かに問題なのだが、悪用した所で性犯罪までが精々だろう。尤も、その性犯罪もそれはそれで大問題だが、それ以上に危険なのはベルセルクの効果だった。


 実際、自分達に向けられた破壊衝動は、兵器そのものだった。


 効果を調整して、破壊衝動に指向性を持たせる事が出来れば、人がより完全な兵器に転じる事を示唆している。当然量産出来れば、兵士を時間と金を掛けて養成する必要が無くなり、時間を掛けずに精鋭部隊を作る事も可能となる。


 一粒で『早い! 安い! 強い!』の兵士が出来上がるお手軽な薬は、戦争や紛争を一段と凄惨な物にするだろう。


 そして何よりも、そう言う類の薬と言う物は、使用者の体に大きな負担を掛ける。多用すれば死に至るし、そうで無くても深刻な後遺症を残す筈だ。


 取り敢えず、その薬について言える事は、為政者の財布には優しい薬ではあるが、兵士にとっては最悪の薬になるだろうという事だった。


「その薬の情報が欲しいな、出来れば現物を………」


「エロースの方か?」


 マーロウがニヤリとしながらレイに向かって惚ける。


「あのなあ! 俺の事をどんな奴だと思ってるんだ?」


「お姫様を落とす程のスケコマシ」


 レイの隣に座っているミオに視線を送りながら、マーロウは断言する。


「そもそもスケコマシは、そんな薬など必要無い。兎に角両方頼む」


 矛盾をアッサリとレイに突かれて、マーロウは両手を上げて降参の意志を見せて、笑いながらその指摘を受け入れる。


「ハハハ、違いないな。――――まあ、それについては何とかしよう。で、手に入れてどうするんだ?」


「取り敢えず、アヤメさんに送り付けてやれ。最近、仕事に飢えているらしいからな」


 アヤメさんとは、年齢不詳の『魔科学研究所』の所長だ。


 世界中飛び回っては、新しい物を見つけると、研究所に持ち帰って解析している。


 最近では、新しい発見が無くなって来たので、暇を持て余しているそうだ。


 この間帝都で出会った時は、新しい魔導術式を求めて遥々帝都までやって来たのに、期待外れだったと愚痴を零していた。


 因みに『魔科学研究所』とは、魔導と科学を融合させた技術を生み出す為に設立した機関で、『ミカゲ』の表の顔の一つである。


 よく外部の魔導学者や錬金術師からは、錬金術の研究所では無いのかと指摘を受けるが、『ミカゲ』での錬金術の扱いは、化学に準ずるものと見做されているので、科学の一分野として扱われている。


 魔導発電機や魔導電池などは、この機関を代表する発明品で、少ないマナで電気を生み出したり溜めたりする装置だ。今では世界中に普及していて、これが無いと人々の生活が成り立たなくなっている。


 最近ではこの技術を利用した魔導車を、帝国の『帝立軍事技術工廠』が開発したが、使われている部品の殆どが、『魔科学研究所』の発明品なので、恐らくほかの国でも似た様な物が開発されているだろう。


 こうして次々と出て来る発明品のお陰で、扱いの難しい魔法や魔導技術が一部の人々の物になってしまい、専業冒険者や騎士以外で、魔法を覚えようとする者が、少なくなったと言うのも皮肉な話だった。


「ホントに良いのか? あの人に渡したらお前さんに使い兼ねないぞ。飢えてるのは仕事だけじゃ無いみたいだしな」


「大丈夫、大丈夫。あの人は、人の作った物はやたらと使わない。自分できっちりと解析して、不完全な部分を取り除かないと気の済まない人だからな」


「で、どこに送り付けたらいいんだ? 魔科学研究所か?」


 魔科学研究所は、学術都市エアハルトに学び舎を構える、『グラニート学院』に併設されていた。ドノヴァからは遠く離れているので、馬車で移動しても十日は掛かる。


「いや、今ならまだ帝都に居ると思うぞ」


「それじゃ、ジェーンに送って置けば良さそうだな」


 ジェーンは帝都に駐在している『ミカゲ』の現地調査員だ。


「そうしておいてくれ」


 そう言いながら、貝のバター焼きを摘まもうとすると、いつの間にか皿の上には貝殻だけしか残っていなかった。ミオの方を見ると、口元にバターが付いているのか、少しだけテカって見えた。


 少しだけ溜息を吐いたレイは、ハンカチを取り出してミオに渡しながら注意する。


「口を拭け。バターが付いてて見苦しいぞ」


 ミオは差し出されたハンカチをひったくると、慌てて口元を拭う。しかし、レイは貝のバター焼きを横取りされた事は全く気に掛けず、ミオに尋ねる。


「まだ食べ足りないのか?」


「うむ。カモのローストも貝のバター焼きも美味であったが、少し足りなかった」


 悪びれずに答えるミオの様子に呆れたレイだが、カウンターに三人分の代金を置いてマスターに声を掛ける。


「マスター、ごちそうさん。お勘定、ここに置いておくぞ」


「有難う御座いました」


 そう言いながらマスターが三人に対して、優雅に一礼する。


「ミオ、マーロウ、出るぞ」


 レイは二人に声を掛けて出口に向かい店を出ると、二人もそれに続いた。


 外に出ると、少しだけ客足が落ち着いて来たのか、通りは幾分混雑が和らいでいた。


 三人で港湾地区を目指しながら通りを歩いていると、マーロウが声を掛けて来る。


「奢って貰って悪いな」


「ん? 気にするな。もう一つお願い事があるからな」


 レイは手をヒラヒラさせながら言うと、肩を竦めながらマーロウが応じた。


「だと思ったよ。で、何だい?」


「『ギベール商会』って知っているか?」


「最近地方から出てきた無名の商会だな、主に薬を扱っている様だが、新参者過ぎて情報が殆ど無い」


「そうか……。悪いけど、大至急『ギベール商会』の情報を集めて欲しい」


「分かった、調べて置こう。しかし何で『ギベール商会』が気になるんだ?」


『ギベール商会』は、このドノヴァでは新参者で、あまり大きな力を持っている様には思えない。有体に言って、急いでまで調べる価値を、マーロウは見いだせなかった。


「昨日の夜中に港で浮いていた男女の事は知っているか?」


「ああ、何でも二人共冒険者だったらしいな」


 昼過ぎに判明した情報を、この男は早くも手にしていた。


「おおっ、耳が早いな。それで、その冒険者が受けた最後の仕事が、『ギベール商会』からの依頼でな。その二人の死に、件の商会が絡んでる可能性があるんだよ」


「そうか? 偶然かも知れないぞ?」


「マーロウ。一日金貨一枚くれる仕事があるとしてだ。お前さんならどうする?」


 この世界に於いて、平民の一日の労働対価は、安くて銀貨五枚、高めだとおよそ銀貨十枚だ。銅貨一枚でパンが二個買え、銅貨十枚で銀貨一枚に替える事が出来、銀貨一枚あれば、一世帯四人が一日に必要な肉と野菜を調達出来た。それ故普段の生活で金貨は殆ど流通しない。精々給料の支給日に、お目に掛かる程度である。


 それなら、金貨の価値はどの位かと言うと、一枚で銀貨百枚分に相当し、現在の日本の通貨に換算すれば、およそ十万円程度に相当するようである。


「旨い話にゃ裏がある。そんなヤバそうな仕事は関わらないに限るさ。――――まさか、その依頼は一日金貨一枚なのか?」


 その問い掛けに対し、レイが静かに頷くと、マーロウは得心した様な顔になる。


「成程、そう言う事なら、調べる価値はありそう………」


 マーロウは、そう言い掛けて口を噤み足も止める。レイとミオが足を止めたと言う事もあるが、それ以上に辺りの空気が変わったのを敏感に感じたからだ。


 三人の前には、九人もの男達が立ち塞がっていた。


 マーロウには見覚えの無い男達だが、レイとミオはとても見覚えがあった。


 レイがマーロウに目配せすると、突然マーロウは脱兎のごとく駆け出し、男達の間をすり抜けて港湾地区へと走り去る。


「てめえのお仲間は、随分と薄情だな。とっとと逃げちまったじゃねえか」


 嘲笑を浮かべながら、レイに向かって話しかけた男は、『陸亀亭』でボロボロにされながら、ミオに命乞いをした男だった。


 それにしても、昨日の今日でリベンジとは、相当黒幕に脅されたのだろう。


 レイは肩を竦めながら、男のあざけりを軽くいなして逆にからかう。


「まあ奴は、逃げ足だけが取り柄なんでな。それより兄さん方、随分とお早いリベンジだな。俺らを倒すまでは飯抜き、とでも母ちゃんに言われたか?」


 すると男は、レイの挑発をグッと堪えて、自分達の優位をひけらかす。


「ふん! 言ってろ! こっちは人数を揃えたし、奥の手もあるんだよ」


「人数ったって二人増えただけじゃないか、九人揃えて野球の勝負でもするつもりか?」


 野球とは約五百年前に、サッカーと共に伝わった異世界人の球技で、一部の国ではプロチームまで作られているとの事だ。人気的にはサッカーに押され気味だが、殆どが異世界人の末裔と言われるミカゲ島でも根強い人気がある。


「レイ……レイ………あれ!」


 ミオが肘で、わき腹を突きながら声を掛けてくるので、彼女の方を見ると、後ろの方の男を指出す。


 怪訝に思いながらミオの指差す方を見ると、見覚えのあるトサカ頭が居た。顔半分をデカい絆創膏で覆っているが、あの特徴的な髪型はドノヴァに二人と居ないだろう。


 そしてそのトサカ頭は先程から、レイを視線で射殺さんとばかりに睨みつけている。


 しかし、レイはその視線を、柳に風の調子で受け流すと、悪びれもせずにトサカ頭に声を掛ける。


「よう! 昼間は悪かったな。鼻は大丈夫か?」


「て、てっ、てめえのせい……でな……。こおなっちまったんだよ!」


 怒りの余りに言葉を詰まらせ、ようやくの思いで叫んだトサカ頭は、勢い良く顔の絆創膏を引き剥がす。するとその下から現れたのは、元の大きさの四倍近くまで腫れ上がった真っ赤な鼻だった。


 その様子は男の髪型と相まって、完璧なシュールレアリスムを完成させた。


「プッ! クククッ」


 それを見た瞬間、ミオは必死に吹き出す笑いを堪える。レイもまた声には出さなかったものの、顔面の筋肉をコントロールするのに苦心した。


 笑ってはいけないと思えば思う程、笑いの呪いは強力なものとなる。


 お陰でやじ馬も含め周囲の者達は、笑いを堪えるのに必死だった。


 トサカ頭は、その周囲の反応と、必死に笑いを堪えているレイとミオに、赤く腫れ上がった部分が曖昧になるまで顔を真っ赤にして、二人を指差しながら怒鳴る。


「そこ! 笑うな!」


 笑いの呪縛から逃れる為に、レイはトサカ男から視線を逸らせて、リーダー格の方に向き直って尋ねる。


「一応確認するが、お前さん等は、俺達を笑わせる為に来たんじゃないよな?」


 本人は至って真面目に問いかけたつもりだが、その問いを受け取ったリーダー格の男はにあらず、完全に揶揄われた思い、闘志むき出しでわめく。


「クッソォー! トコトンまでコケにしやがってぇー!」


 そして男は、懐から紙に包んだ黒い丸薬を取り出して、それを一気に呷る。すると、周りに居た子分達やトサカ頭もそれに倣って薬を呷っていった。


(ん? 何だ? まさかあれが、ベルセルク………か?)


 レイは、彼等が飲んだ物がくだんの薬と踏んで注視していたが、恐るべき速さで全員に症状が現れてくる。どうやらこの薬は即効性の様だ。


 薬を口にした者達は、目が血走って真っ赤になり、その瞳孔は開き切って焦点が定まっている様子は見られ無い。そして、全身から力が抜けた様に腕をだらんと下げて、ふらふらと酔ったような歩調で徘徊する様は、まるでゾンビ映画さながらだった。


 ただ、ゾンビ映画と違う点は、呻き声では無くその本人の願望が、呪文の様に繰り返されている点だ。


「殺してやる、殺してやる、殺してやる――――――――」


 先程までレイと言葉を交わしていたリーダーの男は、目の前で物騒な言葉を繰り返し呟くだけで、最早会話の成立する余地は全く無さそうだった。


 そして、その男が首を巡らせてレイと目が合うと、それまでとは打って変わり、素早い動きで殴り掛かって来る。


 だが男が無意識に、力を籠めようと腕を大きくテイクバックしたお陰で、返って動きが読みやすくなり、その攻撃をレイは難なく躱す。


 紙一重で躱したお陰で、その拳が巻き起こす風圧が顔を撫でる。


 これに当たると痛そうだ。と、レイは思う。


 だがそれと同時に、この薬の欠点も見えてきた。


 素人だと、最大のポテンシャルを引き出すのに、どうしても動きが大きくなる傾向にあるようだ。


 男はレイに攻撃を躱されたが、即座に振り向いて、もう一度殴り掛かってくる。


 今度は、攻撃をかわす瞬間にレイは、男の腕を掴んで、そのまま一本背負いの様に投げ飛ばす。だがレイは男を背負った一瞬、自分の腰の部分に何か物を挟んでるような違和感に気付く。


(何で、あれが腰に差してあるんだ? 確か今日は宿に置いてきたはずだが?)


 宿に置いたままで、今は持っていない筈のそれが、自分の元に戻って来た事が示す事実は、一つの可能性をレイに示していた。


(直ぐにでもこいつらを何とかして、宿に戻らないと………)


 レイは、道路の石畳に半ば叩き付ける様にして、投げ飛ばした男を見てみる。


 すると投げ飛ばされた男は、身じろぎしながらゆっくりと起き上がる。


 あれくらいの衝撃を背中に受ければ、暫らくは呼吸困難と一時的な麻痺が起こって、動けなくなる筈なのに、その男は何事も無かったかの様に動き出す。


(クソ! これじゃまるでゾンビじゃないか!)


 いや、いっそ彼等が全員ゾンビなら、どんなに楽だろうか。


 ゾンビは元から死体である。だから攻撃も、手加減無しで遠慮なくやれる。しかしこれは、生きている人間が、一時的な症状でこうなっているに過ぎない。頭を切り飛ばせば、その男はその瞬間に死ぬ事になるのだ。


 レイは頭を上げて、ミオの方を見てみる。すると、子分共が束になって彼女に襲い掛かっている。今の所は、何とか躱したり拳打を繰り出したりして凌いでいるが、彼女にしては珍しく劣勢に立たされている。


(殺さずには限界があるか………)


 レイの心中では葛藤が起き始めている。二人がこの場で生き残る為に、彼等を殺すか否かの判断を迫られていた。


 物を奪う為なら人を殺す事を厭わない、盗賊相手ならいざ知らず、単に意地を掛けて、喧嘩を吹っ掛けているだけの者を殺すのは、流石のレイも抵抗がある。


 度が過ぎているのは明らかだったが、今一歩が踏み出せなかった。


 だが、レイの懊悩など知る由も無いトサカ男は、遠慮なく仕掛けてくる。


 彼の鼻は未だに腫れ上がったままで、コミカルな雰囲気を出しているが、彼が持つ赤く異様な目がそれを完全に相殺していた。


 その男はリーダーの男と違い、殴り掛からずに飛び掛かって来た。


 レイはそれを紙一重で躱して、すれ違いざまに足を引っかけるとアッサリ転倒する。


(学習しない奴……いや、思考など入る余地かないのか?)


 恐らくこれこそが、この薬の欠点なのだろう。


 感情などの思考を排して、この男が持つ動作パターンを再現するだけに止まっているから、動作のバリエーションが少ないと、攻撃がワンパターンに陥りやすいし、その動作も大きくなる。


 この薬の本領は熟練した武芸の使い手の様に、引き出しの多い者で無いと発揮出来ないのかも知れない。


 だが、どちらにしても喧嘩の範疇で収まるのなら、相手がチンピラでも充分脅威と言える。いくら殴り倒しても次の瞬間には、起きあがり小法師こぼしの様に、起き上がって来るのだから、最後にはスタミナが尽きて逆転されるのがオチだ。


 この一点だけでも、ベルセルクの恐ろしさを思い知るのには充分だった。


 そして子飼いのチンピラに、この厄介な薬をばら撒いている『レギオン』は、最早ベルセルクと無関係とは言い難いだろう。


 思考の淵に沈むレイだったが、再びリーダーの男の攻撃で現実に戻される。


 相も変わらぬ単調な攻撃に、レイは男の繰り出す余分な力を利用して、合気道の要領で投げ飛ばす。


 ところが今回は偶然にも、倒れているトサカ頭の上に覆い被さる事になった。


 そして次の瞬間、思わぬことが起こる。


 トサカ男が、自分の上にし掛かったリーダーの男を、自分に危害を加える脅威と判断して掴み掛かる。対するリーダーの男も、掴み掛かって来たトサカ男を新たな脅威と判断して殴り返した。


 期せずして同士討ちが始まり、思考を排した事による欠点を浮かび上がらせた。


 同士討ちのお陰で余裕の出来たレイは、ミオが心配になって振り返ると、誰かから顔に攻撃を貰ったのか、内頬を切って口から血を流していた。


「ミオ! 大丈夫か!」


「少し不覚を取って、一発貰っただけだ。心配無い」


 心配そうにしているレイに、これ以上の心配を掛けない様、健気に答えるミオは、男の攻撃を難なく躱して透かさずカウンターを入れる。


 レイは早速、一人を彼女から引き剥がして、別の男に投げつけると、先程と同じ様に同士討ちが始まった。


 そこへ、押っ取り刀で駆けつけてきた衛士三人が加わる。先程逃がしたマーロウが、通報してくれたのだ。


「貴様ら! 何をしている! 今直ぐに喧嘩を止めろ!」


 最早マニュアルの存在でも疑いたくなる様な、お決まりのセリフを吐いた衛士が、同士討ちしている男達を止めようと、二人の間に割って入る。


 しかし衛士たちは知らない。この男達が薬によって、既に見境が無くなっている事に。


 案の定、間に入った衛士は、二人の男から袋叩きに遭う。


 もう一人は、ミオに殴り掛かっている男達を制止する為に、間に割って入ったが、今度は三人の男にターゲット変更をされて、これまた袋叩きに遭った。


 勿論、最後の一人の衛士は、三人に袋叩きに遭っている衛士に加勢して二対三にしたが、訓練を受けているとはいえ、下級の衛士なのでそれ程強くは無いし、相手は薬で強化された狂戦士だ。取り押さえるどころか乱闘にまで発展して、収拾が付かなくなってきた。


 乱闘が始まった事でミオの負担が減り、一安心出来たレイは改めて辺りを見回す。すると、少し離れた所でうずくまっている男に気付いて、その男に近づいて行った。


 男は、薬を飲もうとしたが、吐き出してしまった様だ。無理もない、確かこの男は昼過ぎに河原で、ミオに鳩尾を強打されていた筈だった。


「おい、走れそうか?」


「そ、それがどうした? てめえらにやり返さねえと、元締めにシメられるんだ」


「虚勢張るのも結構だが、このままだと死人が出るぞ!」


「それがどうした! 俺達は命張ってここに居るんだ」


 男が強がりを言うが、レイはこれ以上問答している暇は無いので、含みを持たせた言い回しで男を脅しに掛かる。


「よく聞け! 俺もお前らが何匹死のうが知った事じゃ無い。だが衛士が犠牲になればもっと騒動が広がる。当然元締めにも捜査の手が伸びるだろう。そうなった時、下手を打ったお前さんやその家族が、元締めにどう遇されるかは、お前さんの胡桃程しか無い脳みそでも理解出来るだろ? 今ならまだ喧嘩程度でケリが付くんだよ!」


 恐らく騒ぎが広がれば、『レギオン』の元締めとしても、ベルセルクが絡んだこの騒ぎの証人を、生かしては置けないだろう。


「ど、どうすればいい?」


 男はレイが言った『家族』と言う言葉に反応して、レイの言い分を聞き入れる。どうやら男には大切な家族が居る様だった。


「じゃあ、今から大急ぎで『南街衛士隊詰所』へ行って、サイラス・スタンレイと言う衛士を呼び出せ。そしてこう言うんだ『黒髪の中年と蒼銀の小娘が、旧市街の大通りで暴漢相手に暴れている』とな。分かったか? 分かったら急いでくれ!」


 男はコクコクと頷いて立ち上がると、痛みで顔を顰めながらも立ち上がって、衛士隊詰所へと向かった。


 暫らく男を見送ったレイは、振り返って辺りを見回すと、一対一になっているミオが、二人掛で袋叩きに遭っている衛士に加勢して、二対三の構図を作り出していた。


 取り敢えずミオがいる方は問題が無さそうだし、同士討ちしている方は片方が動かなくなるか、誰かがちょっかい掛けなければ大丈夫だろう。


 そう判断して、レイはもう片方の二対三に加勢して一対一の構図に持ち込み、漸く一人を完全に取り押さえる事に成功した。そして、衛士の一人に取り押さえた男の拘束を頼み、代わりにその衛士が相手にしていた男の相手をする。


 その男も攻撃そのものは単調だったので、勢いの余る動作を誘いつつ足を払って転倒させると、素早く地面に組み伏せた。


 ズドーン


 そこへ突然銃声が鳴り響く。


 レイは男を抑えながら銃声の聞こえた方へ振り向く。


 そこには、先程レイに、男の拘束を頼まれた衛士が、膝射の姿勢で拳銃のリロードをしていた。彼の持っている拳銃は先込め式で、リロードする際は紙製薬莢、弾丸の順番で銃身から込める。どうやら彼は、男を街路灯の柱に括り付けて、ミオと共にいる衛士を援護する為に発砲した様だ。


 この世界の銃は、およそ二百年前に発明された。だが、実用化できたのは百年前で現在はその過渡期にあたる。しかし依然として先込め式が主流の為に、戦闘時に於ける臨機応変の対応が難しく、未だに剣や魔法に取って代わる事が出来無いでいる。


 だが、最近では魔法を使える者が少なくなり、魔法を使える者も衛士隊を職業に選ぶ事は殆ど無かった。その為に、ロングレンジに対応する装備に、弓等と違い携行する時に嵩張らない拳銃が、衛士隊の標準装備となったのである。


 どうやら、第一射目は外したようだが、衛士はリロードを終えると再び構えた。

 あの混戦の中に弾丸をぶち込むのは、余程の腕利きか、然もなくば考え無しの阿呆かのどちらかだ。しかし、一射目を外している時点で、絶対に前者ではあり得ない。


「馬鹿! 止せ、味方に当たるぞ!」


 レイは制止するように叫んだが、遅かった。


 ズドーン


 再び銃声が鳴り響く中、レイはその弾丸の行き先と思われる方向に目を向けた。

 しかし、運よく弾丸はミオや衛士では無く、衛士が対峙している男の背中に命中する。だが、弾が当たったのは急所では無かった。


 良かったのか悪かったのか、レイは複雑な面持ちで撃たれた男を注視した。


 案の定その狂戦士は、後ろから闇討ちして来た衛士をひと睨みし、その衛士に向かってダッシュする。


 迫り来る狂戦士に、パニックを起こした衛士は、リロードをしくじって弾丸を取り落とす。そこへ狂戦士がタックルして来たので、無防備の彼は街路灯の柱まで弾き飛ばされ、そこへ体を打ち付けると、そのまま気を失ってしまった。


 弾き飛ばした狂戦士は、止めのつもりか、腰につけていたナイフを抜く。


 昨日その男が、ミオに対しても、ナイフを振り回していた事を思い出したレイは、止むを得ずベルトに挟まっている物を抜く。


 腰からレイが抜いた物は拳銃だった。それも、衛士が持っている、先込め式などでは無く、異世界から持ち込まれていた自動式拳銃だ。


 銃の横面には『XDM-40』という刻印が刻んである。


 この拳銃は、アヤメさんとヴェクター村で会った時に『これは元々あなたの物だから返します』と言って、もう一丁の拳銃と共に渡された物だ。


 レイにとって、初めて見る武器の筈なのに、妙に手に馴染み、使い勝手も良かったので、今では愛用の武器の一つとしていた。


 レイはそれを素早く構えて、気絶した衛士へナイフをかざしながら迫る男の、足を目掛けて二発発射する。


 ズドン ズドン


 二発分の銃声が響き、二発とも男の右足に吸い込まれる様に着弾する。


 40口径弾を二発も受けた右足は、派手な肉離れを起こして男を転倒させた。


 レイは、再び銃をベルトに挟み、取り押さえた男を一旦放置して、気絶した衛士に駆け寄り、頬を打って気を付かせると、脚を撃った男の拘束を任せる。


「あの男の拘束を頼む!」


 片足だけで立とうと試みている男を指しながら、レイがそう言うと、衛士は慌てて駆け寄って男を取り押さえた。


 そして、いつの間にか放置していた男が、レイの背後に迫る。しかしそれは、大きな隙を作らせる為に、敢えて気付かない振りをしているだけだった。


 そんな事とは露知らず、大きく振りかぶって、拳を振り下ろした男は、次の瞬間アッサリ躱されて腕を掴まれる。そしてそのまま腕を引かれてバランスを崩した所で、足を払われて転倒し、そのまま組み伏せられた。


 そこへ大勢が駆け寄って来る足音が聞こえた。


 そして聞き覚えのある男の声が響く。


「貴様ら! 何をしている! 今直ぐに喧嘩を止めろ!」


 何処かの衛士と、一字一句違わぬセリフを吐いたサイラスに、思わずレイは、「サイラスよ、お前もか……」と呟き、『衛士決め台詞マニュアル』の存在を確信した。


 サイラスはレイに気付くと、直ぐ傍まで近づいて来たので、レイは一つ忠告して置く事にした。


「サイラス。俺らは兎も角、連中は薬がバッチリ決まっているから、人の言葉は通じないぞ。話したいなら肉体言語でよろしく」


「ああ、知ってるよ。途中で出会ったボルトから聞いた」


 知ってるなら、あのテンプレートなセリフは一体何だったんだと、レイは心の中でツッコミを入れつつ、知らない名前が出て来たのでサイラスに尋ねてみた。


「ボルトって誰だ?」


「お前さんが、自分を呼ぶように言付けたろ?」


「ああ、あの男か………。サイラスはあの男の事を知っていたのか?」


 そう言われて思い出したレイは、サイラスが名前まで知っていた事を、意外に思って尋ねてみた。すると、サイラスは苦笑いしながら答える。


「まあな。妹はしっかりした良い子なんだがな。兄貴の方は、悪い仲間が出来ちまったんだ。ただ、両親に早くに死なれて、お互いが唯一の肉親同士だから、兄妹仲は良好だぞ」


 ダメ兄貴に、しっかり者の妹という構図はよく聞く話だが、ダメ兄貴はダメ兄貴なりに妹思いなのだろう。レイが家族を持ち出して脅した時に、青くした顔が、その事を雄弁に物語っていたわけだ。


「で、奴はどうしたんだ?」


 そう言いつつ、傍に来た衛士に、取り押さえていた男を引き渡す。


「自分の元に辿り着いて、言伝を伝えた途端倒れてしまってな。病院へ運ばせた」


「そうか、奴には悪い事をしたな」


 あの男が倒れる原因を作ったのは、ミオでありレイ自身だから、レイは少し罪悪感を覚えていた。


「お前さんが気に病む必要は無いだろ。あの男は、今までに自分が重ねた悪行のツケを、払わされたに過ぎないのだから」


 どこか悟った様な目をして、レイを弁護していたが、一転して意地悪な表情を浮かべるとレイを揶揄う。


「それよりお前さん、三日間で四回も騒動を起こすなんて、余程の騒動好きなんだな」


 サイラスの揶揄に対して、肩を竦めて首を振りながらその見解に修正を求める。


「いや、そいつはちょっと違うな。騒動が好きじゃ無くて、騒動に好かれてるのさ」


 そう言ってミオを流し見るレイに、少なからず同情を覚えたサイラスだったが、もう一つ思い出した要件を付け足した。


「まあ、確かにそうかもな………。――――あ、後、取調室で、色々話を聞かせて貰うからな。そう言えば、取調室も今日だけで三度目か、すっかり常連じゃ無いか」


 再び揶揄われたレイは、サイラスに遣り返す。


「かつ丼も出ないような所の常連は、遠慮したいんだがな」


「カツドン? なんだそりゃ?」


 かつ丼の意味が分からないサイラスは首をひねる。


「あ、えーと、何だっけ?」


 対するレイも、自然と口から出てきた言葉なのに、何の事だか思い出せない。


「………変な奴だ」


 サイラスはそんなレイの様子に、少しだけ違和感を覚えたが、取り敢えず変わり者と言う事で片づけて、納得する事にした。

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