#6 強き者 汝の名は女



 アーデルクラム王国北東部、フェルド公爵領、地方都市レゼントーグ。

 王都クランリッドの外周防壁を出て徒歩三日ほどの距離にあるこの街は、東部農耕地帯や、魔国ベネギアに面する北部要塞群を結ぶ人流・物流の小さな要として機能しており、辺境と言えど稼ぎを求める旅人や行商人が絶えず訪れ、日々賑わいを見せていた。

 さすがに王都の目抜き通りや、グィアラ卿の治める西部の商業都市ほどの規模はないが、よく整備された石造りの市場と、街中で見かける手入れされた花壇や、芸術的な夜光石の街灯は、ほどよい田舎の風景と相俟って風光明媚と名高い。

 この景観の維持のためにもフェルド卿は公共事業に力を入れており、最近では雇用の口を求めて寄り付く者も多いらしい。


 とは言え、人の集まるところでは治安が悪化するのもまた必然。商人はともかく、その用心棒を請け負う旅人のような流れ者は一癖も二癖もある者ばかりだ。

 僅かずつ上昇傾向にある犯罪率を抑えるためにも、駐屯兵による見回りや呼びかけを強化しているのだが、そうそう劇的に効果が出るわけでもなく、この辺りは領主の頭痛の種となっている。


 ここ――市場に面した酒場『とろける水晶亭』にとっても、そんな話はやはり他人事ではないのだが――


「ヘイお待ちィ! エール二杯とテリタマチキン一丁ォ! お連れさまはもうちょい待ってねーっ」


 威勢のいい声が店内に飛ぶ。黒髪の女性給仕が忙しなく駆け回り、昼食時のテーブルに酒や料理を運んで回っていた。


「テリ……タマ? って何?」

「いや俺もよくわかんねーんだけど、食ってみたら割とうめえんだよな。成分は謎」

「へー」


 板切れのような皿から、見慣れぬ調味料を絡められた鶏肉を小さく切り分けて口に運びつつ、二人組の若者は雑談に花を咲かせる。

 それを見届けてか、バーカウンターの隅に切られたチーズを乗せた新たな皿が置かれ、店内に満ちる雑談の声に負けないように髭面の店主が声を張り上げた。


「マキナちゃん、こいつもお願いだ! 三番のクリム酒の方!」

「あいよーテンチョー!」


 女性給仕――真輝那は、ぴっと伸ばした掌を額にかざし、ここでは誰にも伝わらない『敬礼』の仕草を取った。


 真輝那がこの街に流れ着いてから、実に五年もの歳月が経つ。遭難当時は十六歳の小娘だったものが、いつの間にやら二十一の大娘である。昔はハタチにもなれば自分も立派な大人の女性(イメージ的には峰不二子)になっていようと思っていたのだが、当初の想定を一年過ぎても、中身は当時からあんまり変わった気がしない。

 とは言え、言葉と社会文化の勉強のために口利きしてもらって始めたこの仕事も、そこそこ板についてきたように思う。いつまでもキララに一から十まで世話を焼いてもらうわけにもいかないし――っと言っても、この程度では負担が一から九までになったくらいだが。まあ、気持ちの問題だ。


 ちなみに、テリヤキをこの地に伝来させたのも真輝那である。とは言え醤油なんてここには存在しないし、砂糖が貴重だったので糖蜜で代用したり、日本酒やみりんは製法もよく知らなかった(ワインで代用するのはさすがに無謀なことくらいはわかった)ので、なんとか近付けようとアレコレと試行錯誤しているうちにすっかり別物になってしまった気はするが――まあ、近いものはできた気がする。プロトタイプ・テリヤキソースに香辛料を追加して料理として仕上げたのは店長なんだけど。

 うろ覚えでビーフシチューを作ろうとしたら肉じゃがが発明されたとか、小麦粉が無かったから片栗粉で唐揚げを作ろうとしたら竜田揚げができたというエピソードなんかを思い出す。あれはデマなんだっけ? まあいいや。


「ヘイお待ちィ! チーズ盛り合わせお待たせしましたァ!」

「いやー、元気いいなァ、お嬢ちゃーん」

「へへへ、そりゃどうも~……っと、と」


 そうして次のテーブルに皿を運んだところで、座っていた赤ら顔の中年に振り返りざまに腕を掴まれ、バランスを崩した真輝那は長椅子にぽすんと腰を落とした。

 アルコールの匂いがむっと強くなる。ああ、こりゃ酔ってますね、いやクリム酒でこんな酔うってマジか、なんて思ってる間に、中年男は後ろから真輝那の黒髪を乱暴に撫でた。


「あー、いいよねェこの濡烏ぬれがらすの髪、俺ァ嬢ちゃんみたいなのが嫁さんに欲しいよ」

「ははは、よせよせ」

「嬢ちゃんみたいな子ならなァ……ホント……もう二度とあんなことには……」

「何があったん……いやごめん言わないでいいよ、胸のうちにそっとしまっといて?」


 まあ、この手合いにはわりと慣れたものである。心配そうに作業の手を止める店長に真輝那は肩をすくめて返し、ひとまず、丁寧にその手を振り払おうと試みる。


「そんじゃあね、私は、お仕事があるのでっ」

「いやーそう言わずにちょっと話付き合ってよォ、ほんのちょっとだけ!」

「具体性のない時間表現は信用するなってうちの猫が言ってたんスよ」

「そう言わずにさァー……」


 結構力を込めているのに、そう言ってもなお離れない。しつこいなコイツ、と真輝那の営業スマイル(なお、別に普段から笑顔を作っているつもりはない。常に素の表情である)にも翳が差しかけた瞬間、気付く。さっき真輝那の髪を撫でていたはずの右手、その中に握られた――刃物に。


「俺、お嬢ちゃんみたいな子をやるのが好きなんだよォ――」

「い゛ッ、やべっ……!?」


 当初の想定を大きく上回る危険性に、真輝那の表情が引きつり、大きく身を反らした。しかし片腕はがっちりと掴まれており逃げられない。中年の目は酔いどころではなく、完全に狂気に染まっている。真輝那は慌てて叫び声をあげた。


「ま、待って、バカっ! 死にたくな――」


 瞬間、店の入口付近から、何か漆黒の塊が飛来し、男の顔面に真横から突き刺さって身体ごとテーブルの向こうに撥ね飛ばした。


「――いならやめたほうがいいんだよぉ……」


 間に合わなかった台詞の続きを脱力しつつ言いながら、真輝那はその、黒鉄の大盾が墓標のように突き立てられた中年男性の姿を見遣り、続いてその反対側を見た。すなわち、大盾が飛んできた方向を。

 隅のテーブルに座って、クリームたっぷりのフルーツサンドを食べながら黙々と本を読んでいたはずの、フェルド家直属親衛隊『黒鎧隊』の象徴、『黒狼』のシパード・エストハウゼンが、いかにも今何かを投げつけたような体勢で、真輝那に鋭い視線を向けていた。


「無事か」

「無事無事、めっちゃ無事」

「そうか。ならいい」


 彼は無愛想にそう言うと、また席に座ってフルーツサンドを一口齧った。いや盾取りに来ねえのかよ! と一瞬思ったが、多分手が汚れるから先に全部食べてから行こうと思っているのだろう。長く一緒に暮らしているので、結構彼の行動パターンもわかってきた。

 にしても……と、真輝那は再び、すっかりのびている男に目をやった。……よりにもよって、本日の真輝那の護衛&見張り担当(別名・準休憩日)がシパードの時にこんな堂々たる犯行に出るなんて、この殺人犯も運がない。余罪あったらたぶん死刑だけど、せめて牢で悔い改めるがよい……。

 真輝那は掴まれていた腕を軽く手で払うと、宛先を失ったチーズの皿を再び持って、ゆっくりと立ち上がった。


「ごめん店長、騒がしちゃって」

「お前が謝ることじゃねえだろ。ったく、無事でよかったよ」

「このチーズあとで食っていい?」

「おう」


 その呑気なやり取りを見て、しばし呆然としていた客から、ぽつぽつと拍手が巻き起こった。主にシパードに向けた賞賛の文句が幾つか飛び、それもまたやがて静まっては、皆が普段通りの雑談に戻っていく。なんとも逞しいというか、おおらかな皆さんである。日本で同じことがあったら、この店、その日じゅう営業できまい。

 と、そんな中に、伝令と思しき黒鎧隊の一員が新たに足を踏み入れた。


「シパード様、マキナ様、こちらに……どんな状況ッスかこれ」

「気にすんな。何だ」


 クリームを口の端につけたまま、やっとフルーツサンドを食べ終えたらしきシパードは立ち上がって応じた。



*



「所属不明の兵団か。規模は?」


 屋敷に向かう道すがら、魔法兵団員の報告を聞きながらシパードは無表情で問いかけた。


「小隊規模です。現在、魔法兵団の北方駐留部隊と睨み合いが続いています」

「攻撃したのか」

「は。威嚇射撃ですが」

「当ててねーならいい」


 その淡々としたやり取りの中を、ひょこりと背の小さいマキナが覗き込む。


「魔人軍じゃないんだよね?」

「人間に見えました」

「わかんねェな……北には魔国ベネギアしか無ェんだぞ?」

「ええ。故に我々も警戒を解けずにいるのです。向こうにも攻撃意思は無さそうなのですが、念のため」


 ややあって、彼らはフェルド家屋敷の一階奥――円卓室の扉を開ける。会議や食事などに使うための広間だ。

 そのテーブルに羊皮紙を広げながら、既に軽装甲冑姿のキララクラムはいつもの不遜な笑みで出迎えた。隣にはシェマの姿もある。……ここに来てから結構経つが、相変わらず、子供にしか見えない。


「来おったか」

「よう」


 シパードが簡単に手で礼をすると、キララは早速と言わんばかりに卓上の紙を叩き、本題に入る。


「報告は聞いたな? 此度の件、最も興味深いのは馬車とメタルゴーレムを合わせたような武装だ」

「馬で動くゴーレム……的ななんかか? 何だそりゃ」

「いや、馬なしで動く金属の馬車というのが剴切がいせつだな。余も言葉では説明しづらい、報告書を見よ」


 そう言って指された先、広げられた羊皮紙に黒鉛筆で描かれた簡易なクロッキー画を、シパードの肩越しに――は背伸びをしても無理だったので、おとなしく横から覗き込んだ真輝那は、数秒間の沈黙ののちに、息を呑んで身を乗り出した。古びた赤ぶち眼鏡が、慣性を受けて僅かにずれる。


 ほろも窓もなく、金属の板を幾枚も斜めに貼り合わせたような車体。

 よく地面を噛むよう溝が彫られた、五対の大きな車輪。

 車体前面の突撃と防御に適した形状。あちこちから突き出た細長い筒や棒。

 略画とはいえ、これだけの特徴を描写されれば思い当たる像がある。もはや遠い追憶のようにすら思える、あの日々の記憶の中に、符合するひとつのシルエットが。


「これっ……アレだ! あの、えーっと……確かゲームで見た! 米軍が乗ってたやつ!」


 装輪装甲車――という名を、彼女が以前は知っていたのかどうかは定かではない。もしかしたら、それとは微妙に違うものかもしれない。

 しかし、いずれにせよ、その線のかたまりが意味するものがいかなるであるのかは、確信にも似た予測となって真輝那の脳裏をかすめていった。

 シパードとキララもまた、彼女の反応を受けて一斉に視線を向ける。


「オイ、マキナの故郷関連か!?」

「うむ、概ね予想通りだ。フフッ……此奴を飼っていた甲斐があったというものよ」

「表現ーッッ!!」


 毎回恒例、虚空への裏手ツッコミをかましつつ。

 キララのこの手の物言いには慣れているが、一応ちゃんとツッコんでおかないと反応見たさに何かが無限にエスカレートしかねないので、自己防衛もかねてツッコむことにしているのである。この地で身につけた生きる知恵のひとつだ。


「いやまぁ、九割くらい事実だけどさぁ……とか言ってる暇も惜しいっちゅうか!」


 ばん、と焦る勢いのままに机を叩き、その反動で真輝那はキララに向き直る。


「キララ、私も前線に連れてって! 多分……多分話せる!」

「良かろう。シェマ、馬を用意せよ! 出征の準備をする!」


 恐らく真輝那の申し出をとうに予測していたのだろう。キララはにっと笑って即時に承諾を下し、外套を翻して部屋の扉へと向かった。

 その出入口の横に控えるシェマは、何ら動じる様子もなく、小さな身体をぺこりと曲げて主へと恭しく一礼する。


「僭越ながら、既に独断で準備させて頂きました。荷物、護衛、共に即時出発できるよう整っております」

「素晴らしい。望みを一つ考えておけ」

「恐悦に存じます。どうかご無事で」


 開け放った扉から、三人は皆一様に同じ方向を見据え、足早に外へと向かう。

 ――という絵面が、心なしかカッコよくキマったところで、シパードがちょいちょいと真輝那の脇腹を肘で突っつき、前を向いたまま小声で問いただした。


「お前、馬乗れたっけ」

「……乗れませんねっていうか乗ったことないんですけどでも乗ろうと思えば意外と乗れるのではないかと思ったり思わなかったり」


 同じく小声で、息継ぎもせず答える真輝那に、キララはやれやれと言わんばかりの小さな溜息を背中越しに浴びせて告げる。


「火急だ。速度は落ちるが余の前に乗れ、後は身体で覚えろ」

「えっ前? 前なの?」

「当然だ。誰が手綱を取ると思っておる。余が抱えんと落ちるぞ」

「そ、そっか……チャリと違えんだ……」


 どういう体勢を取っていればいいのか全く想像がつかず、真輝那は歩きながら両手で頭を抱え、頭上に疑問符を大量召喚していた。

 キララはそれを横目に見て、ふ、と小さく笑みを零し、歩くペースを少しだけ落として真輝那の肩を軽く叩いた。


「馬の首にしがみつくなよ、あれは走るときに首を振る。顔を打つぞ」

「言ってくれなきゃ超やりそうでした危ねェ!」

「シパードも一度やった、馬に一人で乗れなかった頃にな」

「マジで?」

「泣いておった」

「マジか」

「キル! お前ェ子供の頃のコト言いふらしてんじゃねえよッ!」


 一瞬で騒がしくなった三人の後ろ姿を眺め、シェマは苦笑しつつも溜息をつく。

 ――マキナさんが来てからというもの、二人とも立場を忘れて子供の頃に戻ったかのように笑い合うようになったのはいいんですが……全く、カッコよくキメたと思ったら、なんでこうすぐさまダメになるんでしょう……。


 そのままの調子で見えなくなる三人を、シェマは笑いながら見送った。


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