【承】第二章 彼の地にて君を待つ

#5 子 その名のさだめは、追憶





 ――――そして、八年。

 星霜は降り積もる時の砂。打ち寄せる昼と夜の波間に、わずかずつ重なり、均されて、その嵩を増す。

 やがて立つ子を、子のさらに子を、届かぬ星に届かせるように――。




 ――――


『俺達の異世界転生物語がどうにも思ってたのと違う件について』

  (原題 『盈虚の円環、あるいは朔望の終焉』)


 二


 ――――




 粒子加速器を始めとした地下実験施設へと繋がる階段の小さな踊り場にて、襤褸ぼろ布のような品質の悪い紙切れが発見された時は、誰かが気付かずに落としていったゴミか何かだと思った、と、施設の新米職員は後に供述した。

 学者というやつは、まあ何というか、何かに熱中すると周りが見えなくなるタイプの変わり者か、異様に神経質で物事を気にしすぎるタイプの変わり者かのどちらかが多い。多分前者の側の誰かが、他のことで頭が一杯になって気付かず落としていったのだろう。同じような落とし物を見つけるのは、別に今回が初めてではなかった。

 ただ、このぼろぼろの紙切れを勝手に捨てて、もしも何か重要な研究メモの一部だったりしたらコトだ。

 仕方ないなあ、と独りちながら、その新米職員は紙切れを拾い上げ、広げて中を検めた。


 その短い文章を、上から下まで読み終えるまでに要した時間は、およそ三十秒。

 もう一度、さらにもう一度、念入りに内容を確かめたので、一分半。


 紙切れが『異世界』から送られた手紙であると気付き、彼が大声で歓喜の叫びをあげ、周囲にいた研究員を片っ端から呼びつけるに至るまでには、さほど時間はかからなかった。

 ただし、狭苦しい階段の踊り場で雄叫びを上げながら、ラインダンスかスクワットのようなよくわからない動きで喜びを表現している科学者の群れから、遅れてきた者が詳細を聞き出すには当初の数倍の時を要したという。


 手紙は、まず初めに誰かの悪戯説が疑われ、転移現象に付随する亜空間素粒子放射の残渣を確認するために幾度も機械にかけられた。結果は肯定。構成原子にはエネルギー放射を受けた形跡が見受けられた。

 筆跡は間違いなく、長らく行方不明であった冴羽義隆のものだと、故グライフェルト教授の弟子時代から親交のあった一宮嗣巳博士は断定する。

 そして手紙本体からも冴羽博士の指紋が検出されたことで、情報はいよいよ真実味を帯びた。

 ついでに研究所は一時的に封鎖され、厳重かつ念入りに、未知の病原体やバクテリアなどが手紙に付着していないか、職員は全員健康かどうかが長い時間をかけて検査された。さすがに科学者ばかりの職場なれば、その危険性を重々承知しているのか、誰も一言も文句を言わなかった。


 博士からの手紙には、墨汁のようなインクで、こう書かれていた。



『この手紙が皆の元に届くことを願っている。到着地点をもうよく覚えていないが……。


 待たせてすまなかった。破損した転送機を修理するのに四年もの年月を要してしまった。

 出力が少ないため転送可能な質量はこの程度が精一杯だろうと思う。

 次の実験があるなら、パラシュートを持参して一名ずつ降りることを勧める。私のように上空に出る可能性がある。


 この四年でわかった主な情報を伝えたい。

 こちら側には地球同様の空気と自然環境があった。希ガス類が濃いようだが生存に問題はない。

 我々に似た人類があり、彼らの文化があった。接触を図るなら刺激しないよう注意されたし。

 幸い私が接触した人々は友好的だったが、さりとてこの地は安全とは言い難い。危険な大型生物なども生息している。

 空の星の動きを見るに、ここは惑星ではないと思う。天文学者か地質学者の意見が聞きたい。

 感染症は地球のものと類似している。予防接種が正常に機能している可能性があるが、断言は避ける。


 救助を待つ。 冴羽義隆』



 感情的な言葉を可能な限り排除し、後続の研究・実験のために役立てられる情報だけを淡々と書き連ねている。彼らしいストイックな手紙だ、と、彼を知る研究者たちは口々に言った。

 しかし、この手紙の内容を読んだ者が、興奮も冷めやらぬままに、こぞって気にかける点があった。

 彼が転送実験の第一被験者となってから、既にが経過している。なのに彼は二度に渡りと記述した。どうやら誤記ではなさそうである。

 この手紙は、彼の転移から四年後――今から四年前に書かれたものなのか?

 それとも、『異世界』では、ちょうど地球上の二倍程度になるほどに、体感時間が長いのか?

 この職場で働いている者なら、主観時間の流れは重力負荷によって変動するという事実を知らぬものはあるまい。後者の可能性は、充分に考慮に値するものだった。


 封鎖の間にも、外とのやり取りは続いた。

 手紙の発見された日本、岐阜県に存在する某物理学研究所の他にも、亜空間素粒子制御に関する共同研究を行っていた米カリフォルニア州リバモアの物理学研究所、独ミュンヘンの物理学研究所にも事態は迅速に通達され、関連研究に提供される予算は、平均して従来より六割増やされた。

 今後の方針を決定するために、主要な研究員を伴った日独米の三国会談のみならず、国連首脳会談の席までもが設けられ、以降の実験を『積極的』なものにすべきか、それとも『消極的』なものにすべきかの議論が繰り返された。

 明らかになってきた情報を、どれほど一般公開すべきかという議論もまた紛糾した。結局、このあたりは米航空宇宙局のノウハウを借りることで一応の決定が成った。


 ――『異世界』は存在している! それも、我々の地球に寄り添う形として!

 その情報は一般に発表されるや否や全国ニュースとなって駆け巡り、コメントで尾ひれのつきやすいネットメディアやSNSにおいては殊更の大盛り上がりを見せた。

 おそらく騒いでいる者の九割方は量子的多重構造論の物理的性質を理解しているわけではないのだろうが、とにかくセンセーショナルな見出しには違いない。手近な生存可能な惑星や、地球外知的生命体の実在よりも先に、『地球によく似た別世界』なんてファンタジーの産物のようなものが実証されてしまったのだから。

 古い映画「センター・オブ・ジ・アース」のスクリーンショットを貼った興奮気味の投稿が何千ものユーザーに共有された後、映画「ミスト」のスクリーンショットを貼りながら同じことを言った投稿が何万ものユーザー共有に及んだのはちょっとした笑い種になった。


 発表から、さらに一年。


 国連会議により、『異世界』への第一次共同調査隊を派遣することが承認され、その実行の日は刻一刻と近付いてきていた。

 現地住民を刺激しかねないため武装と人員は最低限のものだが、大型の危険生物もいるという話だ。念のため、ということで、米軍の協力により移動用の装甲車両や小銃、汎用機関銃GPMGに手持ち式のロケット砲などが少数配備された。

 調査隊の人員構成は、サバイバルやもしもの際の戦闘に適した職業軍人と、各種状況判断を行うための各分野の学者が数名。可能ならば『帰路』となる転送装置を敷設する物資や人員の追加転送を要請するため、状況を手紙で報せる小型転送装置を持っていくことになっている。(最初は折り返し用の大型装置を持っていくことになっていたが、調査隊が何かの間違いで全滅したあと、危険な敵性生物にそれを使われたら危険だということで廃案になった)


 少数精鋭――とはいえ、未知の危険に飛び込むことになるため、この第一次調査隊の名簿を『失うには惜しい』人員で埋め尽くすのは、些か躊躇われる。

 故に、大役ではあるものの、『参加条件』を満たすに充分な知識と行動力、そして人格を持つ者であれば――それですら生半可ではいくまいが――志願者が優先され、『本命』の人材は、続く第二次、第三次の名簿に回されることとなった。



*



「……緊張するなぁ。国のためにテロリストと戦うのがせいぜいだと思ってたのに、こんな任務に就くことになるなんて思わなかったよ」


 転移に際して前もって行われる訓練の、その休憩室で、筋骨隆々の体躯を持つ米陸軍の男が、優しげな目を細めて笑った。

 向かいに座った訓練服姿の日本人の男は、ペットボトルに残ったスポーツドリンクをちゃぷちゃぷと振りながら、流暢な英語で返す。


「テロリストと戦うより楽だといいんですけど。僕達、銃も持ったことなかったんですよ?」

「そうだよね、学者さんはもっと大変だよねぇ……でも射撃、うまくなってきたじゃない」

「本当ですか? いやー、軍人さんに銃褒められるとメッチャ嬉しいですねえ」

「うんうん、僕も格闘とか運動は得意だったんだけど、銃が最初は苦手でさー……」


 軍人は指で銃の形を作り、小さな卓上の空き缶に狙いをつける真似事をしてみせた。


「……にしても、シオンは志願なんだっけ? まだ若いのに、怖くないのかい?」

「若いから、かも知れませんね。好奇心旺盛なんです。それにね――」


 日本人の青年はそこで言葉を切って、どこか遠くを見るように目を細め、椅子の背もたれに身を預けた。


「――家族が、待ってやがるんですよ」


 短い三つ編みの髪を指で揺らして、日本語でそう小さく呟く、彼の胸部に留め付けられた名札には、『冴羽さえば 紫音しおん』と明朝体で刻まれている。


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