藪から睨み
山里に住んでいるのは、人ばかりではない。
山の主の風格たっぷりの熊や、猪。
臆病風にいつも吹かれている禽獣たち。
田畑を荒らし、人家の食べこぼしに顔をつっこむ狐狸の類。
都会に住んでいると、つい、人家をうろつくなつっこいけものであれば、愛玩動物にしようという気を起こすかもしれない。
けれど、野生は、人に馴れることはない。
山仕事をしているものは、それをきちんとふまえている。
気を許したら、こちらが、やられてしまう。
うかうかと人の領分に入り込んできたものがあったら、仕留めて腹に納めるのが当たり前のこと。
その逆もまた然り。
野生のものとのつきあいを、祖父や祖母から、そんなふうに父は聞かされていたとのことだった。
さて、祖父は、医者の助手の他に、炭焼きもしていた。
にぎりめしにたくあん二切れのお決まりの弁当を持って、雪に閉ざされないうちは、現金収入のあてにと、炭焼きをしに山に入っていた。
丸一日、炭焼きの他にも山仕事を済ませて、帰る頃には、辺りは暗くなりかけているのが常だった。
深い
夜になったら、山のものたちの領分になってしまう。
そうなったら、こちらが領分荒らしになってしまう。
下草をかろうじて切り払っただけの山道は、木の根や岩や、切り払い損ねた蔓草が邪魔をして、転ばぬように足を進めるのも難儀なことだった。
昼間の作業の疲れもあって、祖父が休もうかと思ったその時だった。
獣の鳴き声が、低く地を這うように響き渡った。
そして、べろん、べろん、と、冷たい手のようなものが、祖父の顔を下から上へと撫で上げた。
「なんじゃ、何もんじゃ」
祖父は背筋がぞっとして気味悪かったが、それを気取られたらやられると思い、そのまま足を止めずに、ひと息に家まで走り帰った。
祖父は、その夜、囲炉裏端で晩酌をしながら、
「あれはなんじゃったんだろうな」
と、皆に話してきかせた。
祖母が、
「そりゃ、けものに化かされたんじゃなかろうか」
と言った。
「化かされるようなことはせんが」
祖父が答えると、
「昼間、畑のいもを掘り返していたきつねを、棒っきれで叩いて追い回したんじゃ」
と、父が恐る恐る告白した。
「きつねやいのししなんぞのけものは、人を敵じゃと思うとるから、木の陰や藪に、こそーっと、隠れとってな、睨んどるんじゃ。眼力で、人を、遠ざけようとしとるんじゃな。その藪から睨みをな、勘の鋭いもんは感じて、ぞくぞくーっとするんじゃよ」
祖母は、番茶をすすりながら、皆に言い聞かせるように、ゆっくりと語った。
その夜は、祖父も、父も、悪い夢をみたわけでもないのにうなされて、よく眠れなかったそうだ。
翌日、明るくなってから、祖父が同じ道を辿ってみたら、伐り残されていたのか、一抱えもあるすすきが、わさわさーっと、道に垂れかかっていたとのことだった。
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