人玉狩り
死にかけている人がいると、子どもらは、こそっとその家の周りに集まった。
現代であれば、けしからんことであったかもしれない。
けれど、その当時は、生まれるのも家、病に伏すのも家、老いるのも家、亡くなるのも家。
人が生きて死んでいくという自然が、身近にあった。
だから、死んだあとも人の魂が家におるのか、子ども心に気になるのは当たり前のことだった。
人玉が飛んでいると、皆で見に行くのも、いつものことだった。
人玉とは、墓場に出没する人間のからだから抜け出た魂、すなわち人魂のことである。
祖父からきいたという父の話によると、人玉とは、長患いで肉体が変化すると、
生きている間は、しっぽがついていて、遠くまではいかずに、家の辺りを漂っている。
霊感があろうがなかろうが、誰もが見ることができたとのことだった。
闇夜に灯る、青紫の仄暗い火が、ふわふと飛んでいくのを一度でも目にすると、この世のものではないな、と、誰しも思わずにはいられなかったそうだ。
その日は、家から人玉が出てきた、と誰かが叫んだ。
その人玉には、しっぽがついていなかった。
黄昏が迫る、黒く影になった山からの風に吹かれて、心もとなさげに、ふわりふわりと、人玉は飛んでいった。
子どもらは、わらわらと出てきて、てんでに棒を握りしめ、みなで追いかけていった。
人玉狩りは、娯楽の少ない山奥では、刺激的な遊びだった。
子どもらは、棒を振り回して人玉を追い回した。
追い回しているうちに、夕闇が濃くなり、風が弱まってきた。
子どもらは、動きの鈍くなった人玉に追いつくと、思いきり棒で打ち落とした。
人玉は、地面に落ちると、うじうじうじと、未練ありげに泡になってうごめいた。
しばらくの間、子どもらは、なんとはなしに見入ってしまい、誰ひとり動こうとはしなかった。
「動けなかったんじゃ」
祖父は、祖母にこそっと打ち明けたそうだ。
その話をきいた祖母は
「なんで、そげなかわいそなことするんじゃろ」
と、眉をひそめたそうだ。
思い出したかのように、蝉が鳴き出して、子どもらは、我にかえった。
動けんでいた自分らが情けなくて、悔しくて、子どもらは、癇癪をおこしたみたいに、落ちた人玉のはじけ散った泡を、これでもかと棒で打ち据えた。
蝉はじき鳴き止んで飛び去った。
薄暗さを増した辺りには、子どもらの地面を打ち据える音だけが、虚しく響いていた。
棒から伝わってきた、べしゃべしゃした泡の感触を打ち消そうと、延々と人玉を叩いていたのだけれど、その感触はなくならなかったそうだ。
翌日、その家の若い嫁さんが、肺患いで昨晩亡くなったとの話がまわってきた。
嫁さんの実家は、昨日、子どもらが人玉を追いかけていった方角の先にあるとのことだった。
しばらくして、人玉狩りの仲間の一人が熱を出した。
風邪をこじらせたんじゃろと言ってるうちに、だしかんようになった。
だしかんというのは、だめになるということで、それは、人が死ぬことだ。
子どもは元気の塊みたいなもんだから、誰も祟りなどとは考えもしなかったそうだ。
ただ、その家の嫁さんは若かったから、一人では寂しかったんじゃろと、誰ともなく口の端に乗せて、うなずき合っていたとのことだった。
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