奥越奇譚

美木間

雪おこし

「最初は、霜柱が立つんじゃ。それから、氷が張って、雪おこしが鳴ると、大雪がくるんじゃ」


 雪の積もった日には、今はダム湖に眠る父の故郷奥越の山里の冬の話が始まる。


「雪おこし?雪を起こして連れてくるの?」


「そうじゃな、そういう意味じゃったかな」


「雪おこしが鳴るって、雪雲を運んでくる北風の音のこと?」


「いや、雷じゃ」


「雷?冬に?」


「そうじゃ、昼も夜中も、いつでも光って鳴るんじゃよ。それが、どえらい稲光でな、がらがらがらーって鳴るんじゃ」


父は目を閉じると、何やら思い浮かべるように話を続ける。


「そんでな、雪おこしが鳴ると、雪荒れ七日というてな、大雪になるんじゃよ。雪の雲は、どんよりした灰色でな、低くて厚くて。そんな雲が、白鳥の方からもくもくと山を越えて、穴馬に降りてくるんじゃ」


 父は、ひと呼吸おいて、お茶をすすった。


「じじって、わかるじゃろか。わしのおやじじゃ。じじはな、雪おこしで、命拾いしたんじゃよ」



 父の父―じじ、すなわち私の祖父は、山里の村の診療所の助手をしていた。


人の死を常に見ていたからか、

「あの世なんてありゃせん。死んでしまえば、そもそっきりきのこっぱじゃ」

と、豪語していたらしい。


「ばち当たりじゃ」


しっかりもののわりには迷信深いじじのかか、父の言うところのばば、つまり私の祖母は、そんなじじを呆れながらも心配していたらしい。



 それは、冬の最初の雪が降り積もった頃のことだったそうだ。


勘の鋭いところのあったばばは、その日、「雪のにおいがするで早う帰ってくるように」と、じじに告げた。

じじは、「雪のにおいなんぞ、ちいともせんわ」と生返事で、日暮れまで仕事をして、いつも通りの時間に診療所を出た。


診療所から家までは二里ほどで、じじはかんじきを履いて、雪に沈まないように、ひょいひょいと通いなれた道を家へ向かって進んでいた。


ところが、振り返っても診療所の灯が見えなくなった頃から、足が重くなってきた。


雪道の二里は、歩くのにも力を使う。


さっきまで晴れ渡っていた星空を、いつのまにか雲が覆っていた。


月明りも星明りの道しるべもない雪の夜道は、感覚を狂わせる。


 じじは、足を止めて腕組をした。


「こりゃ、だしかんな」


 そうつぶやいた時だった。


 なにかきな臭いものが鼻の奥を突いた。


 と、閃光が天を貫いた。


 闇夜から真昼間へ一瞬の転換。


 稲光に雪闇の広野が照らされ、村はずれの集落のばばの実家が見えた。



 閃きの後に、どーん、っと雷鳴が轟いた。



 それきり、辺りは再びしーんと深い闇に包まれ静まり返った。

 

 じじは、今見た家の方角を見失わないうちにと、力を振り絞って歩き出した。

そして、ばばの実家でカンテラを借りて、吹雪く前にと家路を急いだ。


 ようやくの思いでたどり着き、じじが家の戸を開けると、ばばが炙ったばかりの餅花を持って立っていた。


とちの実を突いたり、梅紫蘇の汁で染めた餅を、小さくちぎって麦わらの枝に刺した餅花は、囲炉裏で炙ると美味い。


 差し出された餅花に思わずかぶりついて、その香ばしさにじじは、ようやく人心地ついた。


 ばばが、じじからカンテラを受け取りながらつぶやいた。


「雪おこしじゃったな」

「そうじゃ。雪おこしじゃ」


 ばばは、カンテラの脇に彫られた屋号を見ながら


「こりゃ、雪荒れ来る前に、返しに行ってこにゃならんな」


と、じじにきくとでもなく、ぼそぼそと言った。


「ぬしが呼んだか」

「なんのことじゃ」

「雪おこしじゃ」

「そんなもん、呼べるかいな」


 ばばが笑った。


「ばちが当たったんじゃろ」

「そんなもん、当たるかいな」


じじとばばは、顔を見合わせて、どっと笑いこけた。


笑いながらじじは、まぶたに焼き付いた、雪おこしの見せたばばの実家の光景に、今さらながら身ぶるいした。



じじは、父に、雪おこしが起きたのは、じじを心配するばばの一念と、追いつめられたじじの助かりたいという一念が通じ合って、念の力が大気を震わせたのかもしれんな、と、いつものじじらしくない、およそ科学的でないことを、しみじみと言っていたとのことだった。

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