終章

 フィンは、バルグの墓の前で片方のひざを落としていた。置いてある白バラの花束は、誰かが供えてくれたものだろう。

「アンリは、何人もの村人の前でお前の力を使ってみせた。もう、親が誰かって噂されることはない。呪われた力だって不気味がられることもないみたいだ。お前のお陰で、みんな〈命蝕狩り〉エネルディカへの偏見がなくなってる。だから心配しなくていい」

『ジャール』を倒してから五日後の朝。傷は〈命蝕狩り〉の優れた回復力で癒えており、旅支度は既に整えてある。

 このまま村を離れるつもりだ。こうして出ることを伝えたのは、一時的に村長代理を務めている長老格の老人など数人だけ。皆に知られると大々的に見送られる、自分はまだそこまでしてもらう領域に達していない、と考えているからだ。

 村を去るのはフィンだけではない。「借金清算計画はゆっくり決めてもいい」と言い残して姿を消したレベッカはもちろん――

「ドロルは、昨日のうちにそっと村を出ていった。考え方によれば、ドロルも村長に人生を狂わされてたことになる。父親がやったことを償えとは言えない。でも、ドロル自身がもうここにいられないと考えたみたいでさ」

 村を離れると話した唯一の相手は、嫌っていたフィン。そのときの言葉は短かった。「一人でやり直したい。いや、始めたい」だ。

 ドロルの生涯は、まだ何も始まっていなかった。

 最後に「ここへ戻ってきて親父の罪を代わりに償う勇気を、いつか持てるだろうか」「バルグが自分をお前に遺したみたいに、俺も自分を誰かに遺せるだろうか」と言ってきたので、フィンは「きっとそうなれる」とだけ答えた。今さらやり直しても命を落とした者は帰ってこないが、自分を省みる姿勢は称えるべきだと思った。

「じゃあ、そろそろ行くよ」

 フィンは立ち上がり、胸に当てていたテンガロンハットをかぶった。

 旅の荷物を肩にかけ、バルグの墓に背を向ける。山を下る道へと歩き、途中で一度だけ足を止めて振り返った。

「ありがとう。きっと立派な〈命蝕狩り〉になってみせる」

 そう告げて、再び前へ進む。

 やはり行く当てはない。しかし、ここには帰ってくるつもりだ。そのときには、より明るくなったアンリと会えるかもしれない。ドロルと互いの成長を確認し合えるかもしれない。フィンはまだはっきりと見ることのできない明日を考えながら墓地を離れ、村人たちから見つからないように山道へ入った。山を下るにつれ、過ごしやすかった村のにおいが遠ざかっていった。

「来たわね」

 フィンは、そう歩かないうちに声をかけられた。道に立っていた者の姿を観察しながら足を止める。

「何だよ、その格好は」

「あんたと旅立つ準備に決まってるでしょ」

 旅装束をまとったアンリは、フィンの横に並んだ。

「今日出発するって、うちの父さんには教えてたらしいじゃない。だから朝早く起きてバルグ父さんに挨拶して、あんたを待ってたのよ」

 どうやらアンリの方が一足先に行動していたようだ。しかしフィンは、アンリがここまですることに首を傾げた。

「せっかく汚名を返上できたのに、村を出るのか?」

「レベッカさんが言ってたのよ。村長みたいになりたくないならコントロール法を身に付けなさい、いろいろな〈命蝕狩り〉に会って学びなさいって。ほら、あたしは仕入れで近くの町まで行ったことくらいしかないのよ。だからあんたにいろいろ教えてほしいわけ」

〈命蝕狩り〉が増えれば商売相手も増える、才能を秘めている〈半命蝕〉エネルゲイアハーフなら大歓迎――それがレベッカの狙いだとフィンは気づいたが、あえて言わなかった。

「クロードさんたちに止められなかったのか?」

「もちろん止められたわよ。バルグ父さんについて黙ってたことを許してあげるから代わりにそっちも旅立ちを許してって言ったの」

 宴会中の暴れっぷりをフィンは思い出し、並大抵の人物ではアンリを説得できないと確信した。最も気になったのは、アンリが修行への緊張よりも冒険への期待を顔に色濃く映していること。首輪を付けておいても引き千切って飛び出しそうだ。バルグの武勇伝が効きすぎているのかもしれない。

「〈命蝕狩り〉は楽しいことばかりじゃないぞ。辛いことだってたくさんある。お前は耐えられるのか?」

 フィンは、止められなかった『ジャール』のことを思い出していた。あのような苦しい場面には、歩き続けるかぎり何度もぶち当たるだろう。厳しい戦いの中で命を落とすこともありえる。

「それは誰に言ってるの? あんた自身?」

 アンリは挑発的に告げた。フィンがたじろいだのを見て、少しだけ声を和らげさせる。

「あたしだって、バルグ父さんから受け継ぎたいの。楽しいことも、辛いこともね」

 言葉を一旦区切り、ほほ笑みを浮かべた。バルグと同じ、快活な表情。

「あんただって、一人よりお姉ちゃんのあたしと一緒の方が辛いことを軽くさせられるでしょ」

 アンリの中では自分が姉でフィンが弟のようだ。フィンはどちらが上かに異議を唱えたかったが、辛いことに関しては正しいと思えた。苦笑いを堪えられない。

「駄目だって言っても、勝手に後ろからついてくるんだろ?」

「分かってるじゃない」

 笑顔と笑顔を向け合い、二人で歩き始める。

 フィンの仲間だったバルグはもういない。アンリの実父だったバルグはもういない。しかし今、フィンの横にはアンリがいる。アンリの横にはフィンがいる。バルグが生きた印たる二人は、ここに存在している。

「町に着いたら、まずどうするの? 依頼専門の情報屋ってのに会う?」

「だな。何かあるだろ。俺たちの力を発揮できそうな話が」

 二人はバルグからさまざまなものを受け継いだ。魂と命、そして自らの力が役立つことに喜びを見出す心。バルグが十六年もかけて育ててきたものだ。それだけは見失うまいとフィンは胸に刻み込み、アンリも同じようにしていることを熱く噛み締めた。


                                    了

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呪いの英雄 大葉よしはる @y-ohba

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