4-4

「村長、あんたはバルグ父さんやフィンを……!」

 アンリは、次の矢を射るべくキリキリと弓を引く。

「バルグとフィンだけではない。お前も、他の連中も、全員あの世行きだ!」

 返ってきた口調は、注意して聞けばビワの木を眺めていた老人のもの。しかし言葉の内容は、和やかさとかけ離れたもの。アンリは怒りを深めていく。

「立派な村長だと思ってたのに、許せない!」

『ジャール』の胸もとへ矢を放つ。それも叩き落とされた挙げ句に踏み折られた。

「ただの矢ごときがわしに通じるか!」

「そこじゃないわ」

 レベッカが、軽いもののはっきりとした声で口を挟んだ。

「そいつが手の花から霧を出したらフィンが苦しみ始めた。あれを使えなくすればフィンは戦えるはずよ」

「何を、教えてるんだ!」

 フィンは声を張り上げた。アンリを矢面に立たせるようなことは避けたい。戦いの心得がないのだから、敵の標的にされれば命にかかわる。

「そいつは俺が倒す!」

「その体でよく言えるものだ」

『ジャール』の野バラからあふれる霧が強まった。フィンはまたひざをつく。

「やめなさい!」

 アンリは野バラに矢を射た。『ジャール』が手を動かしたのでかすっただけだったが、霧は少なくなった。

「鬱陶しい」

『ジャール』がぎろりとアンリをにらんだ。フィンは不調を噛み殺し、『ジャール』へ疾駆した。右の拳を向ける。

 ヒットする前に『ジャール』がフィンへ目を戻し、霧を元どおりにした。フィンはあまりの痛みに力をゆるめ、突きは『ジャール』の左頬へ軽く触れる程度となる。フィンは逆に自分が『ジャール』から殴り倒されたが、いろいろな苦痛に耐えながら起き上がった。

「アンリ、お前は他のやつらを連れて逃げろ!」

「嫌よ! あたしも戦う……!」

 そのまなざしには、まだ揺らぎがある。

「悪いのは、バルグの枷になった俺だ! 恨みたいなら俺を恨め!」

 フィンはとっさに告げたが、アンリは手を止めない。

「あたしのせいじゃないって言ってくれるのはありがたいわ。でも実際に、バルグ父さんはもういない!」

 またも一矢。『ジャール』は放たれた矢を命中前につかみ取り、捨てる。それでもアンリが矢を番えるので、フィンは彼女が自棄になって無謀な行為に出ているのだと思った。しかしアンリは表情に優しげなものを映す。

「世を儚んだりはしないわよ。あたしが死ぬことは、バルグ父さんの生きた印を一つ消すことだもの!」

 言い切りながら射た矢もまた、止められた。フィンには落ち着いて見ていられない。

「そいつは、ほとんど〈命蝕〉エネルゲイアだ! お前じゃ敵わない!」

「平気よ! あたしはバルグ父さんの力を受け継いでるんじゃないの?」

 アンリはフィンに息を呑ませ、何度目かの矢を放つ。『ジャール』は軽々とつかむ――が、しわの寄った手の中で一瞬だけ火花が散った。『ジャール』が熱いものに触れてしまったかのごとく矢を放り、フィンは目を疑った。

〈淵源〉デュナミスを帯びさせた……のか?」

「バルグ父さんが呪いをかけられたのは、旅立ったときよりもずっと前だった。ミレーヌ母さんがあたしを授かる前だとしたら、バルグ父さんの力はあたしに受け継がれてるかもしれない。ううん、きっとそう。幻の中にいるあんたの姿も声も、途中まであたしにしか分からなかったし。『どうして俺の姿が見えるんだ』とか言った辺りで変わったんだっけ」

 隠蔽の呪符をはがす前後の違いだとフィンは気づいた。アンリは服の中に入れていたものを襟から出す。

「このペンダントだって普通のアクセサリーじゃないでしょ。箱を開けたとき、変な感じがしたのよね。バルグ父さんにプレゼントされて感動してるのかと思ったけど、違う」

 それもフィンは気づいていなかった。しかし落ち着いて考えてみれば、〈命蝕狩り〉エネルディカを商売相手とするレベッカにわざわざ頼んで配達してもらったのだから普通の品であるわけがない。

「〈淵源〉を込められたペンダントなのか」

〈半命蝕〉エネルゲイアハーフの力を制御する道具よ」

 レベッカが、またいたずら小僧の顔で笑う。

「眠った状態なら、そのまま落ち着かせる。起きるときは、暴走させることなくすんなりと目覚めさせる。まさか贈る相手がバルグの娘とは思わなかったけど」

 そのような品を贈り物としたからには、バルグはアンリが未覚醒の〈半命蝕〉だと気づいていたのだろう。フィンは、バルグがどういう意図でそれを選んだのか考えを巡らせた。

「バルグはアンリの覚醒を止めるつもりだったのか?」

「その辺りは知らないけど、注文票には覚醒寸前って書いてあったわ。〈命蝕〉が何十匹も村の周りをちょろちょろし始めたから、防衛本能が働いて目覚める方向に動き出したんでしょうね。何か兆候がなかった?」

 フィンがレベッカに言われて思い出したのは、村長家で解除キーの呪符をアンリが拾ってくれたこと。あれも普通の人間なら被術者のフィン以外は見えないようになっていた。アンリの目に見えたのは効果時間切れのせいだと思っていたが。

「貴様ら……!」

『ジャール』は危機感を認めたのか、アンリへ近づいていく。しかし肉薄する前にレベッカが黒い玉を投げつけた。

 玉と同じ色の煙があふれた。それが消えたとき、アンリはレベッカに連れられて『ジャール』から離れた場所へ移動していた。

「これを使ってみて」

 レベッカが手渡したものは、一輪挿しに飾るとよさそうな白バラ。アンリはそれをまじまじと見る。

「不思議な道具なんですか?」

「普通の花屋で買ったバラよ。本当はいばらの蔓がいいんだけど、手もとにあるバラ関係のものがそれだけだから」

 フィンは拍子抜けした。アンリも同じだろう。レベッカだけはにやついたまま。

「バルグの命を受け継いだあんたは、バルグと同じ力を持ってるかもしれない。だとすると、ただの矢よりもそれの方がいい武器になるわ」

「余計なことをさせるか!」

『ジャール』はいばらの棘を構えた。あれなら距離があっても届きそう。ただし、焦ったせいかあの霧を弱めた。

「こっちの台詞だ!」

 フィンは苦痛が減った隙に『ジャール』へ飛びかかった。頬を殴り、攻撃を止める。その間に、レベッカはアンリに弓とバラを構えさせていた。バラが矢であるかのように。

「さあ、やってみて。『飛べ!』と念じながら射るのよ」

「は、はい」

 アンリは自分から内なる力のことを言ったものの、ためらいがあるようだった。戸惑った顔で弦を引いてバラを放とうとしたが、ぽてんと落ちるだけ。

 自らの意思で〈淵源〉を使ったことがないからだ。レベッカは一瞬だけ考える顔になり、まっすぐ前を指さした。

「急がないと、あいつが危ないわ」

 そのとおりだった。『ジャール』は霧を強め、動きが止まったフィンに棘の狙いを定めている。

「フィン!」

 アンリが絹を引き裂くような声で名を叫んだため、フィンはそちらへ顔を動かしてしまった。戦闘の相手から目を離すなど、自殺行為なのに。

 再び番えられたバラは、稲妻のようなものをまとわりつかせていた。フィンの記憶へ戻ってきたものは、バルグが村を守るために使っていた結界。

「バルグ父さんに育てられたあいつは、あたしの弟みたいなものよ!」

 矢には、「フィンを救いたい」というアンリの気持ちが込められている。

 アンリ自身にも変化があり、前髪で覆われた額に輝くものが出現した。フィンが即座に想像したものは、〈緋核〉カルディア

(〈半命蝕〉を通り越して〈命蝕〉に?)

 心配する必要はなかった。よく見てみれば、現れたものは卵を横にしたような形の瞳だった。フィンは強い意思を込めて見返してくるアンリの姿を思い出し、彼女に秘められた力の象徴だと気づいた。

 異形ではあるが、おぞましさはない。邪悪な意思が感じられないからだ。間近で見れば、黒目の部分が青みがかっていると分かっただろう。ペンダントの青い石がアンリの力を調節している。

 射られたバラは稲光の矢となって飛び、『ジャール』の野バラに命中。貫いて散らせた後も勢いを衰えさせず、『ジャール』の顔面に当たった。雷を全身にはい回らせ、技を中断させる。

「助かった!」

「ええ!」

 親指を立てたフィンに、アンリはうなずいた。そのとき、第三の目は閉じていた。まだ力を使いこなせていない。

「この……!」

 怒り心頭に達した『ジャール』が、棘のある腕を掲げた。向かう先にはアンリがいる。

「やめろ!」

 フィンは『ジャール』に肩からぶつかっていった。『ジャール』は数歩たたらを踏む。あの霧が散り、フィンの体には自由が戻っている。

 やるなら今しかない。もしかすると二つ目の野バラを出せるかもしれない。フィンは両腕に〈淵源〉を集中させた。

「理解しろ! これが何なのか!」

 力と意志を拳に込め、『ジャール』へ繰り出す。顔面へ、喉へ、肩へ、胸へ、腹へ――いくつも叩き込んでいく。

「これは、バルグとたくさんの人たちが感じてきた痛みだ!」

 防御の隙など与えず、最後の一撃までぶつけた。『ジャール』は土ぼこりを巻き上げながら倒れ、苦しそうにうめく。

「バルグの子ら、めが……!」

『ジャール』が血と土にまみれながらも身を起こした。傷だらけだが敵対的な感情は残っている。

 その胸もとで、ガラスにひびが入るような音。フィンの拳は〈緋核〉も打っていた。『ジャール』は苦悶を映し、頭から突っ伏す。

「手加減したわね。甘さまで受け継がなくてもいいのに」

 レベッカが叱責するようにこぼした。フィンはバルグのことに関する怒りを噛み殺し、脂汗を垂らしながら見上げてくる『ジャール』に冷たい視線をやった。

「俺は、あんたを絶対に許せない。でも、バルグはあんたを死なせまいとした。その気持ちは大事にしたい」

〈命蝕狩り〉としては間違った行為だ。クロードもこういう心境から亡き妹の願いを守っていたのだと、フィンは心の片隅で考えた。もっとも、『ジャール』は恨みのこもった視線をフィンに突きつけてくるばかり。

「貴様、このわしに情けを……!」

「〈緋核〉にひびが入ったんだ。もう長くないし、戦う力もほとんどない。手下の〈命蝕〉に会えたとしても、命令一つできない」

 他の〈命蝕〉から無理やり〈緋核〉を奪おうとすれば返り討ちに遭うのみ。普通の人間相手でも、砕けかけた〈緋核〉を狙われたら終わりだ。

「また何かしたら、今度こそ俺が殺す。あんたは、そうされないようにどこかで静かに暮らせ。残りわずかな命を大事にしながらな」

「ふざけるな!」

 内臓も傷ついたのだろう。『ジャール』が絶叫すると口から血がこぼれた。

「そのような生など、わしは認めん! わしはわしの夢を叶える!」

 勢いよく起き上がった『ジャール』は、フィンへ爪を振りかざす。

「分かってくれないのか」

 フィンは下された爪を避け、拳を『ジャール』の〈緋核〉へ叩きつけた。

 完全に砕けた音が響き、『ジャール』は瞳から力を失った。どうと崩れ落ち、そのまま動かなくなる。長きに渡ってアグロ村を住みかとしていた悪意の末路は、呆気ないものだった。

(村長も、自分の夢を求めてたんだ。でも、他人の夢をないがしろにする夢なんて許しておけない)

 続けさせるわけにはいかない。『ジャール』に命ごと夢を奪われた者が泣く。しかし、やめさせたことでバルグの夢を守ってやれなくなった。

「親父……!」

 ドロルがふらふらと歩み出た。数歩だけ『ジャール』に近づき、座り込む。父親が暴れる怪物からもの言わぬ骸に変わったので、たまらなくなったのだろう。この男は屑だが、バルグは悲しませたくなかったはず。父親が〈命蝕〉になって死んだことでは自分と同じかもしれないと、フィンは気づいた。

「バルグだったとしても、きっとこうなってたわ」

 レベッカがため息をつくようにして告げた。アンリはフィンの辛い心を察してくれたのか、労う顔で近づいてくる。表向き、『ジャール』はいい村長だった。アンリにも優しい思い出があるのだろう。

「村長は、あたしたちを騙してたの。だから……だから……」

「分かってる」

 フィンはテンガロンハットを目深にかぶった。それでもドロルの号泣から逃れることはできない。

 受け継ぐことは楽しいことばかりではない。辛い部分も受け継がなくてはならない。

「いつか、誰もこんな気持ちにならないで済むようにしてみせる。きっと……」

 フィンのつぶやきは小さく、今はまだ風に押し流されるばかりだった。

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