4-3

「あんたは、ドロルが一人前とやらになっても絶対に認めない。むしろドロルがいつまでも半端者ってことに感謝してるのかもな。村長になったドロルはあんたの意図に反する方向へ村を動かすかもしれない。今のままならあんたは村を自分の思いどおりにできる」

 ドロルは大人気ない男だと、フィンは考えていた。しかし実際は、父親が用意した枠の中でもがくだけの哀れな人形だった。

「あんたはそのうちドロルを本来のジャールみたいに始末して、今度は『ドロル』になるんだ。ドロルのためでもある? 笑わせるな。あんたは自分好みの箱庭を作りたいんだ」

 本来のジャールたち。ドロルの兄や姉、母親。アンリたち村人。皆が『ジャール』の自己満足のために使われていたのだ。もちろん、バルグも。フィンは膨らんでいた怒りがついに堰を切ったと感じた。

「お前みたいなやつは、絶対に許せない!」

「面白い」

『ジャール』は自分の価値観を真っ向から否定されながらも笑う。くだらない人間のたわごととしか思っていないのだろう。

「俺がお前をつぶしてやる! バルグの代わりに!」

 フィンは地を蹴った。『ジャール』へ詰め寄り、〈淵源〉デュナミスがたっぷり乗った拳を繰り出す。

「お前などに、わしの夢を砕かせるものか」

 長い腕の先にある広々とした手が、フィンの拳を難なく受け止めた。

「バルグの弟子のお前に、わしが負けるものか!」

『ジャール』はフィンの手を握り、腕を振り回した。フィンを地へ叩きつけようとする。

 フィンは『ジャール』の手を振りほどき、無事に着地した。間を空けず、『ジャール』に挑みかかる。

「バルグは、いいやつだった!」

 突きを連続で放つ。いずれも『ジャール』に止められ、あるいは受け流されるが、諦めるつもりはない。

「力、技、知恵、お前みたいなやつと戦う心! いろいろなものを俺に遺してくれた! アンリだって、バルグの血を受け継いでる!」

「バルグなど、痕跡一つ残さず消してやる!」

「消しきれるわけがない!」

 フィンの一撃が辛うじて『ジャール』の手をかいくぐり、その鼻先をかすめた。

「俺たちだけじゃない! バルグは大勢の人を救い、生きた印をたくさん遺した! バルグを根なし草とけなしながら偽りの静けさに浸ってるお前とは、根本的に違う!」

 ついに、フィンは拳の一つを『ジャール』の腹に到達させることができた。ここぞとばかりに〈淵源〉を衝撃へと変えて叩き込んでやる。『ジャール』は苦しそうにしつつも、鋭い爪のある腕を掲げる。

「その割りには、死に際のバルグは強がったようだが。最高の十六年だったとか。いや、悔いはあると本音を出していたな!」

 薙ぎ払われた爪を、フィンはすんでのところで避けた。

「バルグの悔いは、お前たち親子をそのままにして逝くこと。それは俺が受け継ぐ!」

 頬を薄く切られる程度に留め、また拳を突き出す。

「バルグは、どんな逆境にいようと生き生きしてた。自分の儚い生を恨んだりしてなかった!」

 もし嘆いていたのなら、〈闇色の残滓〉が呪いの主ではないと気づいた時点で村に戻っていた。そして本物の主を探し、殺したはず。

「どうして目的を果たせなかったのに最高だったのか、俺も理解できなかった。でも〈命蝕狩り〉エネルディカとしてアンリたちを助けて分かった。あのとき、アンリたちが無事でよかったと感じた……バルグもそういう気持ちを糧として生きてたんだ!」

 フィンは、攻撃の勢いを速めていった。

「バルグには、村の誰かを殺して呪いを解くことができなかった。でも、呪いは人を救う力としてバルグを充実させてたんだ! だからこそ、最高の十六年だったと言えた!」

「まだ虚勢を!」

『ジャール』が爪をそろえ、フィンの胸へ槍のように突き出した。フィンはそれを左腕一本でそらす。腕では皮が切られて血があふれたが、大したことではない。

 カウンターとして打ち出した右拳が、『ジャール』の頬をとらえた。力の限り殴り飛ばす。『ジャール』はフィンから離れ、体勢を整える。しかし動揺がちらついたとフィンは見定めた。

(これならいけるか?)

 一応、フィンには勝算があった。〈命砕く魔手〉がいたころの雑魚〈命蝕〉エネルゲイアは生き残ったら自決するほどだったが、〈草枯れの瞳〉が『生き残りは散り散りになった』と言ったことから察するに〈命砕く魔手〉が死んだ後は逃げた〈命蝕〉がいる。

 新たな首領となった『ジャール』の力が〈命砕く魔手〉に劣るからだ。差の分だけ精神的拘束力が弱くなり、部下たちはくだらない行動の駒扱いを嫌がってアグロ山から離れていった。『ジャール』がフィンと真正面から戦おうとしなかったことも、〈命砕く魔手〉の力を警戒して不意を打たねば勝てないと考えたからかもしれない。

「なめてかかるわけにはいかんようだな」

『ジャール』は打たれた部分をさすりもせず、笑う。

「ならば、これでどうだ」

 やってみせたのは、手品のような行為だった。

 広げた左手に花を咲かせる。花束に使うバラよりは大人しい野バラだ。霧のようなものが花びらからあふれて周囲を包み――

「くぅ……!」

 フィンは頭を抱えながら両ひざを地に落とした。勝負の最中にやることではないが、そうせざるを得なかった。

「何だ、それ……痛え……!」

「へえ、あれを吸うと頭痛いんだ。あたしにはいい匂いだけど」

 いつの間にか木陰まで逃げていたレベッカも霧にのまれているが、平然とした様子。一方フィンは、頭蓋骨に切り込みを作られて梃子でじわじわと割られるような激痛に襲われている。

「痛みを発しているものは、お前の中にある〈命砕く魔手〉の力だ」

『ジャール』がゆがんだ笑みを浮かべながら近づいてきた。距離を置かねばとフィンは焦るが、立ち上がることすらできない。

「わしは、死にかけの〈命砕く魔手〉を救ったときに首輪のようなものを埋め込んでいた。あいつはわしよりずっと強いから、刃向かったとき止められるようにと。あいつは恩義を感じていたようなので最後まで使うことはなかったが、まさかこのようなことに役立つとはな!」

 無造作に動かした足でフィンの頭を蹴飛ばす。フィンはもんどり打つように転がった。

「わしのことを許さんと言ったな。わしもお前のことを許さん。わしの正体に気づいたからにはな」

 邪魔者は取り除く。それが『ジャール』のやり方。後に回されたアンリも、このまま見逃されるわけがない。

「お前さえ始末すれば、わしが人間でないなどという世迷言は村の誰も受け入れん。そっちの女は、怪しいよそ者としか判断されんだろう」

「そんなにうまくいくかしら」

 レベッカは、くすくすと笑った。

「確かに、あたしの話なんて誰も聞かないはずよね。でも、聞かせるんじゃなくて見せるんならどうかしら?」

「何だと?」

『ジャール』の怪訝な顔は、すぐに衝撃の硬直へ変わった。

「フィン!」

 緊張した面持ちのアンリがこちらへ駆けてこようとしていた。背に弓矢があることから察するに、助太刀に来たようだ。

『ジャール』が驚いたのはアンリのせいではないだろう。まめな少女が助けに来ることくらい予想していたはず。もちろんフィンも、アンリが現れることなら考えていた。

 アンリの後には十数人の村人が続いていた。負傷しているフィンと異形の怪物に目を飛び出させ、足を止める。人を食う怪物にここまで近づくのは、バルグが何度も撃退してみせたせいで危機感が麻痺しているから。多くの村人は柵の外に〈命蝕〉が残っているかもしれないとおびえているが、逆にバルグの戦いを見る興奮が忘れられない者もいる。

「〈命蝕〉だ! あの幻のとおりだ!」

「本当に村長が化けたのか?」

「服の継ぎ接ぎは、村長のだ」

「確かに、村長は家にいなかった……」

「村長が自分の家族や村の娘を殺してたってのか?」

 戸惑いの会話が続き、『ジャール』は憎々しげな視線をレベッカに向けた。レベッカの方は満面の笑み。いたずらが成功した子どもの顔だ。

「このレベッカさんは一流の商人なの。あんたが使ってたビワの木よりも性能がよくてみんなで見られるのくらい、簡単に用意できるわけ。それを村に置いてきちゃった。ごめんなさいね?」

 アンリたちはフィンと『ジャール』のやり取りを見ていたに違いない。そしてアンリは、フィンに「俺がけりをつけるまで待ってろ」と言われていたもののじっとしていられなかった。映っている場所がどこか分かったのは、単に地元民だからだ。他の村人たちは、駆けつけようとするアンリがあまりにも普通の表情ではなかったし戦いを見たい気持ちもあったので、後を追ってきた。

「聞いてたのか……?」

 フィンがつぶやくと、アンリは瞳に動揺を浮かべながらうなずいた。実の父が死ぬことになった流れを知ったようだ。フィンはレベッカをにらんだが、「わだかまりを残すべきじゃないわ」という言葉しか返ってこなかった。ミレーヌがひた隠しにしていたアンリの実父についても、皆に知れ渡ったのだろう。

「お、親父か?」

 震えた声。歩み出た者の姿に、『ジャール』が今までで一番驚いた顔になる。

「ドロル!」

「幻の中で親父が化け物に変わって……お袋や兄貴たちを殺したとか言って……俺が〈命蝕〉の子だったなんて……」

 ためらいのまなざしを受けた『ジャール』は、弁解しようと考えたのか足を一歩踏み出した。しかしドロルは悲鳴を上げ、『ジャール』が動いた距離の倍も後退する。

「来るな化け物! 俺はお前なんか知らない! お前なんかとは無関係だ!」

(これが、あいつの生きた印なのか)

 フィンは敵のことながら声も出せなかった。ドロルの邪魔になるものを排除し続けてきた挙げ句、『ジャール』自身も受け入れてもらえない。

「……そうだ! お前はわしと違って普通の人間だ! 他に〈命蝕〉はいない!」

『ジャール』は、しばらく黙り込んでから怒鳴るように声を上げた。ドロルは自分が化け物の同類でないと聞かされても、安堵した顔にならない。

「だからって何だ! お前が化け物だろ!」

 ずっとあふれさせているものは怒りでも恐怖でもなく、決してそばにいてほしくないという嫌悪だ。『ジャール』が散々浴びてきたものなのだが、ドロルはそのようなことを知らない。

「そうか……お前も、わしを拒むか……」

『ジャール』は乾いた笑声を少しだけこぼし、血走った目をむいた。

「ならば、全てやり直しだ!」

 ざわついていた村人たちは、『ジャール』の悲しい叫びに声を静めた。同情したのではなく、驚いただけだ。心情を理解する者は一人もいない。受け入れてくれる可能性のあったバルグは、『ジャール』から指示された者の手で命を摘み取られた。

「わしは全てを壊し、新天地を探す! ここよりもずっといい場所をな!」

『ジャール』が右腕を構えると、手首とひじの間にいばらの棘がいくつも生えた。狂気の視線を浴びせたものは、ドロル。

「まずは、失敗作のお前からだ!」

「う、嘘だろ……?」

 ドロルは怒声におびえ、座り込んでいた。どう見ても、攻撃されてかわせそうではない。

 霧のせいで動けないフィンは、ホッとしていた。第一の標的がドロルでよかったと。

 ドロルなら、誰も悲しまない。唯一違うはずの父親がこうなのだ。村のダニが片づくとも言える。村の者たちは自分と怪物の間に結界がないことを忘れているようだが、ドロルが死ぬところを見れば危険さに気づいて逃げるはず。

『ジャール』が腕を振り、棘をダーツのように放った。アンリの矢よりもずっと速く、数も多い。人間の体を穴だらけにするくらいは簡単だろう。

 それらがドロルへ突き刺さることはなかった。

「お前……?」

 ドロルは、呆けたような声をこぼした。棘は、ドロルのそばに立ったフィンが自分の胸や腹で食い止めていた。

「バルグみたいに、食い止めるつもりだったんだけどな」

 最初からそううまくはいかない。フィンは〈淵源〉で身を守ったので撃ち抜かれることこそなかったが、深い傷をいくつも作られた。ドロルに少しだけ振り返って無事を確認し、いろいろなところから血をこぼしつつひざを落とした。

「どうして、俺なんかをかばう!」

 ドロルは戸惑いながら問いかけてくる。おそらく、自分が大事にされていないことを本心では気づいていたのだろう。フィンも、別に博愛の精神からやったわけではない。

「雇われた以上、どんなやつでも村人であるからには助けないといけない。〈命蝕狩り〉なら、弱いやつを守らないといけない……そう教えてくれたのはバルグだから、あんたを助けたのは俺じゃなくてバルグだ」

 それに、ドロルの身に何かあれば親友のバルグが悲しむ。だから、気力を振り絞ってドロルの前へ動いた。

 ドロルは絶句したが、『ジャール』はもう動けないと思っていたフィンが邪魔をしたことに感情を刺激されたようだった。

「まだわしを妨げるか!」

『ジャール』の吠え声はフィンの全身をびりびりと振動させるほどだった。そこいらの小動物ならショックで心臓が止まってしまうかもしれない。

 しかし、フィンはおびえたり傷の傷みに負けたりできない。別のところから向けられたものに背中を蹴飛ばされている。その程度でくじけるようなら、〈命蝕狩り〉とは呼べないわよ――レベッカのまなざしは、明らかにそう告げていた。

(〈命蝕狩り〉なら、バルグなら……どんなときでも戦う!)

 無論、『ジャール』を許せないことや村人たちを守らねばならないこともある。フィンはふらつきながらも拳を握り、身構えた。

 ひゅん、と風を切る音が聞こえた。一本の矢が『ジャール』へ飛び、かわされた。やはり彼女は黙っていられないようだ。

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