4-2

「そのようなことをする必要は、ない」

 ジャールの体が変わり始めた。元々枯れ枝のようだった腕が余計に細くなり、長さを増す。足では獣のような爪が靴を内側から破る。瞳は血を思わせる赤に染まった。かきむしるようにはだけさせた胸もとには、〈緋核〉カルディア

「どうだね、この姿は。親が呪いを受けた〈命蝕狩り〉エネルディカだったために〈半命蝕〉エネルゲイアハーフとして生を受け……今やこの醜さだ」

 口調はともかく声は老いた村長のものとかけ離れており、ガラスを引っかくような不快さで満ちている。フィンは変貌を一つ一つ見定めながら吐き捨てる。

「ただの〈半命蝕〉が呪いなんか使うか」

 力を暴走させた〈半命蝕〉は、〈緋核〉カルディアができて〈命蝕〉の領域に足を踏み入れてしまう。ジャールはその一例のようだ。〈緋核〉を自ら見せたことも裏づけとなる。心まで〈命蝕〉と化しているため、〈命蝕〉が誇る行為を自然に行っているのだ。姿もまた、心に伴ってゆがんだ。

「帰ってきたバルグはわしがこのような身だと感づき、それでもわしを止められると思っていたようだ。くだらん旅といい、無駄なことが余程好きらしい」

「……ご大層なことを言うからには、あんたはよっぽどまともな人生を送ってきたんだろうな?」

 フィンは怒りのあまりに飛びかかってしまいそうだったが、逆にジャールはにやついた。

「生まれながらにして異形の力を持っていたわしは、お前よりもずっと小さいうちに親から捨てられて町や村を転々とせねばならんかった。同じ場所に一月もいたことはなかった……今思い出しても苦しさしか感じられん。特に〈命蝕狩り〉が近くにいれば素性を悟られやすく、気が気でない日々を送ることになった」

 寂しさや辛さが、人でない姿となったジャールから伝わってきた。だがその反面、虐げてきた者たちへいじけた嘲りを向けているようでもあった。

「そのような日々を送っていたからこそ、わしは穏やかな暮らしを望み始めた。そうしてさすらううちに見つけたのだ。貧しいものの〈命蝕〉の危機がなく、〈命蝕狩り〉が出入りしないアグロ村を」

 正体を隠し、村長になれるまで努力を重ねた――のならフィンにとって苦労はないが、ジャールは犬歯をのぞかせて笑った。

「そこには、病に倒れた村長とその息子がいた。わしは息子とすり替わり、村長に止めを刺した。その後は、新たな村長になったジャールとして今日まで生きてきた」

 本来のジャールは、とっくの昔に今の『ジャール』から消されていたというわけだ。いくら本人の振りをしても違いはあるはずだが、不審に思われたときは「父を亡くして混乱している」ということにでもしていたのだろう。

「爪弾き者だったわしは、小さいとはいえ一つの村を自由にできるようになった。この状況を継続させたい、安住の地のままにしたい……そのためにいろいろと苦労したぞ。ドロルのことなどな」

「あんたの力はドロルに遺伝してるのか?」

「ふざけたことを抜かすな! ドロルは普通の人間だ!」

 フィンが問うと、『ジャール』は鬼のような形相になった。

 呪いの影響は子に出る場合も出ない場合もある。『ジャール』が〈命蝕〉同然の姿でも、ドロルまでこうとは限らない。他の子はどうだったのだろうとフィンは思い立ち、嫌な想像をしてしまった。

「あんたは子どもが何人も生まれてすぐ死んだんだっけな。奥さんもドロルを生んで死んだとか」

「ふん。役に立たないメスだった」

『ジャール』は吐き捨てるような言い草だった。

「生まれるたびに〈命蝕〉の影響がある禍々しい子ばかり! わしが追われた原因の薄汚い血を色濃く持っていた! 感知能力が弱いわしでも、さすがに自分自身の『子側』かどうかくらいは分かった!」

「やっぱり、あんたが始末してたのか」

「そういうことだ。ようやくドロルが生まれたとき、あの女は半狂乱だった。それでも役目を果たした褒美に、これ以上生き恥を晒さんようにしてやった!」

 自らの妻子にそのようなことができるのかと、フィンは驚きと怒りに包まれた。『ジャール』はざまあみろと言わんばかりの気分がよさそうな顔になっていたが、また歯をきしらせた。

「わしはドロルを大事に育てていた。ゆくゆくは村を任せ、わしが住みよい場所であり続けるようにしてもらわねばならんからな。だが、いつもドロルの前にはバルグがいた!」

 激しく燃え盛る憎悪の炎が、怪物そのものの瞳に映る。

「ドロルがどれだけいい行いをしようと、バルグの方が褒め称えられた! ドロルが村のろくでなしと言われていたとき、バルグは人望を集めていた! ミレーヌもドロルではなくバルグだけを見た! だからわしは、バルグをドロルの前から消すことにした!」

 ただひがんでいるだけだ。普通の親ならかわいいものかもしれないが、こういう力のある者だったなら。

「なぜバルグを殺さなかったのかと言っていたな。わしは殺すことよりむごい仕打ちを与えるつもりだった。それが、呪いをかけて〈命蝕〉にすること。ドロルの前に立ちふさがっていた者が、薄汚い〈命蝕〉となってわしにかしずくのだ。滑稽ではないか。だが失敗して〈命蝕狩り〉にさせてはつまらん。少しずつ、少しずつ、気づかれんほど微量の毒を盛って体内に蓄積させるかのように、〈淵源〉デュナミスを植え込んでいった。それなら呪う者の意図どおりとなりやすい。バルグはよくドロルに会うべく押しかけてきていたから、機会はいくらでもあった。そしていつの間にか〈命蝕〉と化す……はずだったのに!」

『ジャール』は少しだけ楽しそうにしてから、再びいらだちをあふれさせる。

「森にいたバルグは〈闇色の残滓〉と会ってしまった。『親側』以外の〈命蝕〉を間近にしたことでわしの術が中断し、人の心を保ったままで〈淵源〉を目覚めさせた! 呪いを解くために旅立つと言い始めたので、わしは村からできるだけ離れて殺せと〈闇色の残滓〉に指示した。わしが住む平和な村では、恐ろしい事件などあってはならん」

 今回の一件もできれば村以外の場所でやりたかったと『ジャール』がつぶやき、ミレーヌを殺さなかったのではなく殺せなかったのだとフィンは気づいた。ミレーヌは、バルグを待つべくずっと村の中にいたらしい。

「しかし〈闇色の残滓〉はバルグを引き回すだけで、いつまでたっても殺そうとしなかった! あいつは昔から反抗的だったからな……!」

 フィンは、『ジャール』の言葉を聞いて湖の決闘を思い出した。〈闇色の残滓〉が独断で行動しているとバルグは言っていたが、黒幕が『ジャール』だと分かっていればその息子が人質になっていることへ違和感を抱くのは当然だ。

「ドロルが生まれる前、わしは死にかけた〈命砕く魔手〉を見つけた。余程強力な〈命蝕狩り〉と相対したのだろうな。そこで、深すぎる傷をわしの一部で補ってやった。それから〈命砕く魔手〉の中にわしの因子が存在し始めた」

 おそらくそれが〈命砕く魔手〉に関する不可思議な話の原因だと、フィンは悟った。〈命砕く魔手〉が部下を分散させていたのは、『ジャール』に補われても完治できなかったからだ。それとも後遺症が現れた言うべきか。

『ジャール』に助けられる前と後の〈命砕く魔手〉は、厳密に言うと同一人物ではない。そのせいで部下の精神的拘束力がゆるみ、服従しなくなって離れていった者がいたのだろう。そうならなかった者も〈命砕く魔手〉は完璧に操ることができなくなり、自ら距離を置き始めた。大人しく暮らしていたことも、病人のように弱っていたからかもしれない。本当にそうだったのなら、あれだけの強さでも本調子ではなかったのだ。

「それ以降に作られた〈命砕く魔手〉の『子側』は、わしの命令も聞く。だが、それ以前に作られた〈闇色の残滓〉は違う」

 過去をたどるように話している『ジャール』が、いらだった気配を強める。

「あいつは〈命砕く魔手〉に命じられて嫌々従っているだけ。完全な〈命蝕〉ではないわしに命令されたくなかったようだ」

〈闇色の残滓〉は精神的拘束力が残っている方で、〈命砕く魔手〉の言いなりにならざるを得なかったのだろう。くだらない妬みごときのために使われるなど面白くないに決まっている。しかし『ジャール』に思いやる様子はない。

「ドロルを殺すか〈命蝕〉に変えるかすれば計画の全てが散り、主の〈命砕く魔手〉が〈命蝕〉本来の生き方に戻れる……とも考えていたようだ。バルグに会って〈淵源〉を目覚めさせたことも、わしの邪魔をするためだったしな。余計なことしかせんやつだ」

『ジャール』もまた、〈闇色の残滓〉の態度が気に入らなかった。そのせいでバルグから深い傷を受けた〈闇色の残滓〉は放置されたに違いない。『ジャール』が〈命砕く魔手〉たちへ見捨てるように命令したのだ。十六年間逃げ回っていた〈闇色の残滓〉が人間をあまり食わなかった理由も、『ジャール』が〈命砕く魔手〉越しに罰を与えて禁じたからかもしれない。

「わしがそうやって苦労しておるのに、ドロルはくだらんことを繰り返すばかり……嫁も取らずにぶらぶらしおって! 若い娘に手を出して村を荒れさせ、あろうことかバルグの娘かもしれんアンリにまで粉をかけようとしておる!」

「ドロルからちょっかいかけられた女に、次期村長夫人の立場目当てで嫁入りしようとするのはいなかったのか?」

 フィンが何気なく言うと、『ジャール』は怪物の姿で地団駄を踏んだ。

「そうならよかったが、どいつもこいつも村を離れていく! まあ、そこまで嫌なら仕方ない。絶対に帰れんようにしてやるまで」

「殺したのか」

「当然だ! ドロルがそうやって認められずにいるのに、〈命蝕〉からは〈命蝕狩り〉として立身したバルグの話が流れてくる! 根なし草の癖に! 墓もなくのたれ死にするべき者の癖に! 強がりながら死んだ負け犬の癖に!」

 その言葉は、息子であるドロルが言っていたものをフィンに思い出させた。『ジャール』がドロルにそれを言い、ドロルが受け売りで他者に話す、という流れができていたようだ。

「〈命砕く魔手〉が命令どおりにあの場でバルグを殺し、『バルグを狙うために村を利用した』と村人に聞かせてから姿を消せばよかったのだ。そうすれば村がとばっちりを受けたという話になり、バルグが〈命蝕狩り〉をしていたこと自体から槍玉に挙げられた……どのみち、ドロルの妨げになる者はいなくなった。ドロルも自分がやるべきことに目覚めるだろう」

『ジャール』は急に表情を和らげた。怪物の顔なのでフィンは少しも安堵せず、全く別の思いでいっぱいになった。

(説得力ないな)

 バルグが優れた〈命蝕狩り〉だと、『ジャール』は知っていた。しかしドロルを含む他の村人たちは知らなかった。〈命蝕〉から活躍を聞かされることがなかったからだ。もし知っていれば、十六年ぶりに帰ったバルグは最初から歓迎されていたはず。すなわち、村を離れていたバルグはドロルを妨げていない。

『ジャール』はドロルがくだらない人間だと分かっていながら、ドロル本人を正そうとしない。育てるという概念を持っていないのだろう。だからこそ大きな顔でいたバルグを低俗な存在であるかのように言いながら取り除き、上を減らすことで相対的にドロルの立場が上がったと喜んでいる。

 出ていった村娘たちも、ドロルを評価しないことが面白くないので排除した。他の村人も、ドロルを差し置いてリーダーシップを取っていたらバルグと同じ目に遭っていたはず。

 また、『ジャール』は自分自身も育てない。アンリは後ろ指をさされたくないと背伸びしたが、『ジャール』は化け物扱いされないように努力することを頭に入れていない。だから立場ある人間との入れ替わりという手段を選んだ。

 フィンにとって何より腹立たしいのは、そのような理由でバルグの命が奪われたこと。

「ドロルが目覚めるってのは、どういうことなんだ」

「バルグと同じ根なし草のお前には分からんか」

『ジャール』は嘲笑をあふれさせながら即座に答えた。

「村を治めることに決まっているだろう。わしのためばかりではないぞ。ドロル自身のためでもある。一人前にならねばならんからな」

「あんたには、ドロルに村を治めさせるつもりなんてない」

 フィンは断言し、『ジャール』を黙らせた。

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