第四章
4-1
村へ続く山道。両側には深い森。フィンは、そこを一人で歩いていた。テンガロンハットのつばを動かし、陽光を遮る。
アンリは、今ごろレベッカと共に森を抜けて一足先に村へたどりついているはず。二人が残党に襲われる心配はない。〈草枯れの瞳〉の言葉が本当なら、〈命砕く魔手〉の仲間はこの辺りにいない。最後に残った――あるいは最初からいたあの人物を除いて。
(あの人はアンリを後に回して、俺を先に狙う)
フィンはそう読み、自分を囮にしていた。
(あの人が一番恐れてるのは、自分の正体を俺が村でしゃべること。せっかく隠してたのに、ばらされたらたまらない)
同じことをアンリが話しても、「ここのところおかしかったから……」で終わりかもしれない。しかし
あと少しで村へたどりつくところまで来たとき、道の途中に立っている者が見えた。
「俺をお出迎えしてくれたんですか」
フィンは帽子を上げた。にやりとしてみせ、その人物が笑顔の裏から向けてくる殺気を散らしながら。
「それとも、俺が油断した途端に後ろから殺るつもりですか? 村長」
村長ジャールは、普段どおりにフィンへほほ笑みかけているようでもあった。
「何を言っている。どうしてわしが、バルグの仲間にそのようなことを」
とぼけるつもりの様子なので、フィンは腹の中で怒りが膨らんでいくのを感じた。しかし余裕のありそうな顔は崩せない。
「ずっと村で大人しくしてきたあんたのことだから、俺が大人しく殺されてやればこの先も善政を敷くのかもしれない。でも俺に死ぬ気はないし、バルグが死ぬ発端になったあんたを見逃すつもりもない」
フィンは懐にしまっていた箱を取り出した。蓋を開け、中に入れていた木の葉を見せつけるように地へ落とす。
「さっき襲いかかってきた〈草枯れの瞳〉って〈命蝕〉が持ってたんだ。このビワの葉っぱを」
「確かにわしもビワを育てているが、まさかそれでわしが〈命蝕〉の仲間だと?」
「そうだ」
フィンは木の葉をぐりぐりと踏みつぶした。
「〈草枯れの瞳〉は、通信道具になるビワの葉で黒幕のあんたから指示を受けてたんだ。俺が
悪ガキ時代のバルグがビワの木に登って実を取ろうとすると、ジャールはひどく怒ったらしい。無実のドロルまで一緒くたにされたという。
ジャールはビワの木に触ってほしくなかったのだ。方々に散った部下と通信する設備なので、荒らされると狂って困るに違いない。
「バルグは『またドロルと一緒に庭のビワを食べる』と言ったけど、ドロルは『一緒に食べたことはない』と吐き捨てた。バルグは俺の目をビワへ向けようとああ言ったんだ」
ドロルに会いたいこと自体は本当だったと、フィンは考えていた。ドロルに友人が必要だとバルグは言っていたが、実のところバルグ自身も友人を欲しがっていたのだろう。だからこそ、ドロルを見捨てたりしなかった。
「あんたはいつもビワを見てたけど、あれは交信してるところだった。ビワの木で〈命砕く魔手〉たちに命令してたんだ。俺が一人で〈闇色の残滓〉を倒しに行って、死にかけたバルグが一人で戦ったときも……あんたはそうすることができた」
フィンは淡々と語る。心にある苦しさを堪えながら。
「バルグは真面目に戦わなくてもよかったんだ。例えばドロルを盾にすれば、あんたは〈命砕く魔手〉たちを止めるに決まってる」
「あのようなどら息子が役に立つのかね? もし本当なら、それはそれでいいことだ」
「バルグにはできなかったんだ。友達ってことを差し引いても」
さらりと言ってのけたジャールを、フィンはまじまじと見つめた。
「あんたは『一人で戦いに行ったフィンが戻るのを待て』とかバルグに話して、俺が単独で村から出てることを強調した。戦わないと〈命砕く魔手〉たちに俺を狙わせる、とプレッシャーをかけたんだ。そして、バルグは無謀な戦いへ出てしまった」
卑怯な手段を使ったジャール同様に、バルグの足を引っ張ってしまった自分にも腹が立つ。ジャールは相変わらず「意味が分からない」という顔だったが。
「それではわしが〈命蝕〉のようではないかね?」
「そうかもしれない。それとも〈命蝕〉化してしまった
フィンは村に来たばかりのときを思い返した。
「バルグがあんたに言ってたな。『息子みたいにしてもらった』って」
「かわいがられていた、という意味だろう」
「裏には別の意味があった。〈命蝕〉は生き物に呪いをかけて同族にすることで増え、増やした側を『親側』と言い、増やされた側を『子側』と言う。バルグはあんたから呪いをかけられたと暗に言ってたんだ」
ペンダントに添えられた『川下用』の注意書きも、フィンの思考がそれにつながることへの期待が含まれていたのかもしれない。
「あんたはバルグと同じバラが元の力を持ってるんだろ。ビワだってバラの遠い親戚だ。本当に離れてるけど、通信道具にするくらいは簡単だった。あんたもバルグに気づかれたと知り、仲よさそうにしながら水面下で火花を散らしてたんだ。初めのころにアンリの弟が村の外へ出たことも、あんたがバルグにやる邪魔の小手調べとして犬を連れ出したせいじゃないのか? 村総出で柵にいばらを付けてたとき、あんたはいなかったしな」
ドロルは犬を隠したりしていなかったのだろう。バルグの言うことを聞かず村の外にいて、犬が村外れの洞穴にいるところを見ただけに違いない。真の敵は思わぬところにいた。十六年前のバルグも、それに気づいていなかった。
「〈呪縛型〉の〈命蝕狩り〉には、
フィンは全く知らなかったが、レベッカによると本当は〈淵源〉を眠らせている〈半命蝕〉まで見つけられるほどだったとか。かなり鋭い方と言える。
「だからバルグは、〈闇色の残滓〉と自分の性質が似てないことに気づいた。同じバラの力でも違うバラだって。そして、『〈闇色の残滓〉は呪いの主じゃなく、呪いをかけた振りをしただけだった』と知った」
同じ模様の仲間と暮らしている猫が、自分の親とそれ以外を見分けられるようなものだ。しかし感知能力がなくともよく考えていれば気づくことができたと、フィンは今更ながらに理解していた。
〈闇色の残滓〉が頻繁に使っていたものは黒バラだった。それに対してバルグが最もうまく使っていたものは、いばら。二つは近い種であるものの違う植物だ。バルグが「バラの類に強い〈淵源〉を込められる」と人に話していたのは、分かりやすく説明するために過ぎない。
「考えてみたら、〈闇色の残滓〉が十六年前にバルグを呪うだけで終わらせたってのも変な話だ。仲間作りに失敗したと思ったら殺しそうなものだろ。〈命蝕〉は〈命蝕狩り〉が嫌いなんだし」
〈呪縛型〉より〈核使型〉の方が多いことには、そういう理由もある。
「じゃあ、誰が呪いをかけたのか。バルグは〈闇色の残滓〉が初めて見た〈命蝕〉だったらしいから、いつの間にか呪いをかけられてたってことだ。村にいる誰かが実は〈命蝕〉だって結論に、バルグはたどりついた」
さっさと片づけて愛する者と暮らしたい、という考えもあったかもしれない。
「でも、バルグは同じ村の住人を殺したくなかった。もし村で今回みたいな騒動が起きてバルグが駆けつけ、仲間の〈命蝕狩り〉から『どいつが〈命蝕〉だ』と訊かれたら……バルグは答えざるを得ない。〈命蝕〉の村人は説得する間も与えられずに退治される。だから、バルグは優れた感知能力を〈命蝕狩り〉たちに隠した」
村へ戻って真相を明かそうとしなかったのは、村で事件が起きていないので「悪いやつじゃない」「呪いをかけたのは不幸な偶然だった」と予想したからかもしれない。しかし、事態はそれに反する方向へ動いた。
バルグは、陰で手引きしている者を今度こそ説得せねばならないと考えたのだろう。久しぶりの村を歩きつつ会った村人全員と触れ合っていたのは、〈淵源〉を持っていないかそれとなく調べていたからだ。その果てに、友人の家で見つけてしまった。自分と似た〈淵源〉を持ち、〈命蝕〉の上下関係で言う『親側』のジャールを。本物は触れることなく特定できた。
「しかし、だ」
黙っていたジャールが口を開いた。意味不明の理屈を突きつけられて怒っている顔ではない。冗談を聞いた後のような笑顔のまま。
「わしがそのような存在で呪いを使ったのなら、どういう理由があるのだろう。なぜドロルの友人であるバルグに、そのようなむごいことをしなくてはならんのか」
「ミレーヌ」
フィンがその名を出すと、ジャールは眉をひそめた。庭でミレーヌについて話した先日とは様子が違う。「男遊びで子を作った女だと誤解しており、実は嫌っていた」と解釈することもできるが、フィンは真の理由が他にあると確信した。
「昔、ドロルはミレーヌに手を出そうとしてた。でも、ミレーヌはバルグに懐いてた。だからあんたは息子のためにバルグを追い払おうとしたんだ」
我が子の恋敵にそのようなことをする男が、思いどおりにならなかった女をなぜ放っておいたのか――それはフィンにも分からない。
「あんたは、自分の呪いを同じバラの〈闇色の残滓〉がかけたものと見せかけた。『〈闇色の残滓〉を追わないと死ぬ』という話にしてバルグを旅立たせたんだ。それなら〈闇色の残滓〉がやられても、バルグは呪いが解けなくて立ち往生だ。どうしていっそのことバルグを殺さなかったんだって疑問は残るけど」
軽く言ってみせたフィンの内側では、怒りが限界に達しようとしていた。できることなら今すぐ殴りかかりたいが、自分が冷静でないことを悟られてはいけないと堪えていた。少なくともバルグは、そうやって足をすくわれないようにしていた。
「殺さなくて正解だったかもしれない。ミレーヌはドロルのものになることなくアンリを生み、あんた自身がバルグを必要とする状況になった……ドロルの女癖だ」
「息子の悪癖を聞いたのかね。確かにバルグならドロルを止めてくれるかもしれんから、必要と言える」
「ドロルのそれがアンリに広がろうとしたらどうだ」
フィンはジャールの言葉を聞かずに断言した。アンリをこの場から遠ざけた理由は、戦いに巻き込みたくないことだけではない。この一言を聞かせたくないこともある。自分の存在がバルグの死を招いたと知らせてしまえば、深く悲しませることになるだろう。
「バルグはドロルの邪魔をしたいけ好かないやつで、アンリはその娘かもしれない。それが本当でドロルとアンリの間に子どもでもできたら、あんたには気持ち悪い。自分たちの血とバルグの血が混ざるんだからな。真相が気になったあんたは、〈闇色の残滓〉でバルグをおびき寄せた。今度こそ始末するために〈命砕く魔手〉たちも集めた。結果としてバルグは死に、その娘と確信したアンリは〈草枯れの瞳〉で殺すことにした」
フィンとクロードの会話を何らかの方法で聞いて、アンリがバルグの娘だと知ったのか。確証はないが念のため片づけておこうと考えたのか。フィンにはどちらでもいい。部下を差し向けてきたことは間違いないからだ。
「面白い話だ。多くの土地を巡って見聞を広めているだけのことはある」
ジャールは、感心した顔で手を叩いていた。
「だが、根本的な問題がある。わしが〈命蝕〉だという点だ。ビワとバラが親戚ということだけでは説得力に欠ける。〈命蝕〉がビワの葉を持っていたことには、わしらの思いもよらん別の理由があるのでは?」
「じゃあ、どうして今のあんたは俺の姿を見たり声を聞いたりできるんだ?」
フィンは自分の服をめくり、腹に貼っていた呪符をはがした。
〈闇色の残滓〉との決闘に行くバルグはフィンを呪符で拘束し、解除キーが一般人から見えないようにした。この呪符は、解除キーにかけられていた隠蔽の効果を持っている。〈命蝕狩り〉や〈命蝕〉でなければフィンを見ることすらできなかった。
「お待たせ」
道を挟む森から、レベッカがひょっこりと現われた。指先で挟んでいるものは、フィンが踏みつぶしたものとよく似た木の葉。踏まれた葉の方が似ていると言うべきか。
「この葉っぱと村長宅にあるビワの木は、同じ〈淵源〉を込められてるわ。間違いなく同一人物の手を加えられたものよ」
「だ、そうだ」
精一杯に低めた声でフィンが言葉をつなぐと、ジャールはつぶれている葉に視線を落とした。すぐさま目を上げ、フィンとレベッカにいらだった感情を投げつける。
フィンが葉を踏んだのは、観察されて偽物とばれることを防ぐため。本物はレベッカに渡し、ジャールによるものかどうか調べてもらっていた。これからも世話になると思うのでサービスしてくれと言ったら、快く引き受けてくれた。隠蔽の呪符も分けてもらえた。
「さあ、次はどうする。木が〈命蝕〉絡みのものとは知らなかった、とか言うか? 感知能力に長けた〈命蝕狩り〉を呼んで、葉っぱとビワの木に宿った〈淵源〉をあんたが持ってると見破らせてもいいぞ」
その言葉は、フィンにとって賭けだった。そういう能力の〈命蝕狩り〉は世間にいるが、フィンの知り合いにはいない。レベッカなら顔の広さでどうにかなるかもしれないが。
「そいつを呼んで調べさせてくれ」と答えられたら、レベッカの知人にそういう〈命蝕狩り〉がいたとしても即座の調査は不可能。ジャールはその〈命蝕狩り〉が来るまでの間に証拠を隠滅する。待っているフィンたちの寝首をかこうともするだろう。フィンは懸命に不安を噛み殺した。
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