そういえばデートって、どうするんだっけ

玖珂李奈

1.水谷さんの土曜日の夜

 PCの向こうには、溢れんばかりの情報がある。だが、それを取捨選択するのは自分だ。

 結局、最後は自分のセンスがものを言うのは、今も昔も変わらないのだ。


 ……しまった。うっかり自分を一番いけない方向へ追い込んでしまった。


 俺はPCの前で頭を抱え、インターネットという大海原に一人、静かに溺れ沈んでいった。

 もう、『インターネットという大海原』っていう表現は古臭いだろとか、そんな事はどうでもいいのだ。



 ✨✨



 明日の日曜日は、つきあい始めてまだ数日の、かっ、か、彼女、氷室ひむろ 茉莉まりさんとの初めてのデートだ。なのに行き先が決定出来ずに、こうして頭を抱えている。

 正確には、つきあい始めて一度、会社帰りに夕食を一緒に食べた事はあるが、まる一日を一緒に過ごすのは初めてだ。


 氷室さんは、俺が一応グループリーダーを務めている部署で一緒に働いている。

 可愛くて、明るくて、優しくて、気が利いて、純粋。要は全てが微妙で残念な俺なんかとは到底釣り合わないようなひとなのだ。

 なんで彼女が俺の事を好きになってくれたのか、未だに分からない。


 で、明日だ。

 行き先以前に、そういえば「デート」って、どうすればいいんだっけ。


 過去の貧弱な恋愛経験を思い出す。直近ですら遠い過去の話だ。記憶には既に薄いもやがかかっており、手で掴もうとするとつるりと零れ落ちてしまう。

 それでもなんとか引きずり出してみると、やたらと出て来るのは黒い歴史の数々。記憶、というか経験の絶対数が少ないのに黒歴史が多いということは、つまりは明るい歴史が殆どないということなのだろう。


 人生初のデートで映画館へ行き、当時大ヒットしていた恋愛ものを選んだところ、実は彼女はホラーと任侠物が好きで、「ああいう映画選ぶ人って、なんか違う」と言われた、とか。


 サークルの先輩に、「泊まりがけで一緒に行って欲しい所があるの」と言われ、期待と下心に胸を膨らませてついて行ったら、謎の宗教っぽい団体の合宿セミナーで、強引な勧誘に遭った、とか。


 出会ったその日にいきなりカフェで、「あなたと結婚して一緒に事業を始めたいのだけれど、開業資金が足りなくて……」と言われた、とか。


 過去を振り返っては駄目だ。デートというより騙されただけの記憶が混ざっている、とか、気付いては駄目だ。さあ前を向いて、明日のことだけを考えるのだ。


 実は氷室さんと一緒に行きたいところはある。彼女の家の最寄駅から割と近い所にある、ホテルのスイーツブッフェだ。

 俺は下戸の甘党で、その事は氷室さんも知っている。そして氷室さんも甘いものが好きだ。だから提案して嫌がられることはないと思うのだが、でもどうなんだ、これ。


 「甘いもの食べ放題」って、まず、格好悪くないか。いずれ行くのはいいと思うが、初めてのデートでいきなりこれってどうだ。食べるのに夢中になって、「ケーキ>氷室さん」になりはしないか。だって今までずっと行きたかったのだが、どうしても、女子集団に囲まれて、一人で四千五百円(税別)の甘いもの食べ放題をやる勇気がなかったのだ。ああ、もしかして俺は今、砂糖の誘惑の為に氷室さんを利用しているだけなのではないか。もっと大人でオサレでアーバンな感じの方がいいのか。でもそんなの知らないし。てかアーバンってなんだよ。それにブッフェは確か時間制限があったはずだ。だからその前後の時間の方が長いのだ。さあどうしよう、でも他に思いつかない……。


 こうなったら素直に「俺はどこでもいいよ。どこへ行きたい?」って聞けばいいのか。でも意見を尊重しているようでただの丸投げじゃないのそれ、って思われないか。思われるよな、だってそうなんだもん。


 あ、そうだ、この間の食事の時、「どこへ行きたい?」って聞いたら「水谷みずたにさ……あ、れ、れんさんの好きなものを知りたいから、今回はお任せしたいの」って言っていたんだった。


 恥ずかしそうに、一生懸命、名前で呼んでくれた。

 あの時の表情、可愛かったな……。

 …………。


 ……つまり、「今回選ぶところ=俺の好きなもの=俺の基本的な好みのイメージ」か。



 ……色々考え過ぎて、さっき定食屋で食べた鶏の黒酢あんかけが逆流しそうだ。



 ✨✨



 結局、他に思いつかずに、俺は氷室さん……じゃないや、えーと茉莉にスイーツブッフェを提案するLINEを送った。するとすぐに「楽しみー❤️」という言葉と共に、可愛い兎が喜んで飛び跳ねているスタンプが送られて来た。


 その画面を、じっと見つめる。

 目の前が柔らかく輝き、綿菓子みたいにふんわりと甘やかな喜びに全身が包まれる。


 この❤マークは、この飛び跳ねる兎は、今の茉莉の心境を表しているのだろうか。俺と出かける事を、こんな風に跳び跳ねる程嬉しいと思ってくれているのだろうか。


 一年間、ずっと片思いだった。職場の立場では年下の部下だけれども、俺にとっては手の届かない高嶺の花だと思っていた。

 あの、「氷室さん」が。


 いい歳して、頬が火照る。



 やべえ。

 俺、今、凄え幸せだ。



 ✨✨



 だが、その甘い幸福感は、何気なく視線を動かした先にあったクローゼットの存在を認識することによって、脆くも打ち砕かれた。


 そうだ、明日、何を着ればいいんだ。


 氷室さんは、俺のスーツ姿しか知らない。うちの会社は社員旅行や社内運動会の類がないので、私服を晒す機会がなかったのだ。

 俺にとって服というのは、外気や汗から身を守り、社会的に迷惑をかけない為の物でしかない。だからスーツは量販店の一番安いやつだし、私服は誰もが知っているあのカジュアル服メーカーの物が中心だ。しかもセンスがない事にかけては誰にも負けない自信があるので、色はモノトーン、ベージュ、インディゴ以外手を出さない。結果、春先の今の季節は、特徴のない黒っぽい恰好ばかりになる。


 クローゼットの中から、色が褪せていない服を取り出してみる。うーん、やっぱり変化のつけようがない。

 茉莉はいつも、会社員としての節度を保ちつつも可愛らしい恰好をしている。彼女の隣を歩くのに、俺のいつもの格好はどうなんだろう。

 どちらかというと痩せ型で、全体的に残念な感じの外見の俺が、特徴のない黒っぽい恰好をして彼女の隣を歩く。


 ……。


 軽く、溜息をつく。

 仕方がない。今更、どうしようもない。


 初デート前日の高揚感と幸福感の間に、不安がするりと入り込む。

 どうして茉莉は、俺なんかを好きになってくれたのだろう。


 頭を振る。

 考えたって仕方がない。不安になっても仕方がない。

 彼女の想いを信じる。それだけでいいはずだ。


 取り敢えず、最低限の身だしなみは整えよう。色の褪せていない服を合わせ、靴下チェックをする。指先の穴はすぐに気が付くが、踵の擦り切れは案外見落とすことがある。

 ついでに襟元やゴムの伸びた下着類を処分する。別に見られるものではないが――ま、まだ明日にまでは求めていない――、これ以上自信を失う要素を増やしたくない。


 気が付くと、既に十二時を回っていた。



 ✨✨



 ベッドの中で、暗闇に沈んだ天井を見上げる。

 結局、明日、どこへ行くか、何をするか、たいして決める事が出来なかった。

 幻滅されたらどうしよう。つまらない恰好をしたつまらない奴だと思われたらどうしよう。

 ふとした隙に、そんな不安が頭をもたげる。

 でも、それって、失礼じゃないのか、茉莉に。


 茉莉が俺にいだいてくれている想いが、その程度のことで崩れるとでも思っているのだろうか。彼女がその程度のことで人を判断するような人間だとでも思っているのだろうか。

 そうじゃない。そうじゃないけど、でも、不安なんだ。

 彼女に喜んでもらいたい。楽しんでもらいたい。格好いいと思われるところまでは望んでいないが、自分の選んだ「彼」は、ちょっとはいい感じの奴だと思ってもらいたい。


 俺としては、茉莉がそばにいてくれる、それだけで十分すぎる程幸せなのだけれども。


 寝返りを打つ。

 目を閉じる。


 今更結論の出しようがない事を考えても仕方がない。夜が明ければ彼女に会える。今はただ、その事だけを考えればいい。


 だって、なんだかんだ言ったって、「この事」だけは変わらない。ごちゃごちゃ考えるのも、不安になったり喜んだりするのも、要は「この事」が全ての原因なんだ。



 俺は、茉莉のことが好きなんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る