第18話 山犬退治
槍衾越しに、某は山犬の様子を確認した。呻って、こちらを睨み付けながらウロウロしている。
――このままでは埒が明かぬ――
「某一人にて、山犬と対峙致す。某の脇をすり抜けて奴らが行列を襲うことのなきよう、気をつけて下され」
槍衾と背後の弓兵に言い残して、某は単身山犬の前に進んだ。右手には樫の木の杖を、左手には手拭を詰めた袋を手にした。
某が進んでいくと山犬は異常なまでの唸り声を上げて、包囲してきた。
――やはり、白粉の匂いに興奮しておる――
判断が正しかったと確信した。後は群れの頭である山犬を打ち倒せばよい。杖を中段に構え、頭と見える最も体格のよい山犬に向けて、ゆっくりと歩み寄った。
山犬たちも警戒心が強く、某を包囲するだけで攻撃はしてこなかった。
――飛び懸かってきても、充分に対応できるであろう――
静から動へ。某は一気に頭との距離を詰めた。急な動きに驚いたか、迫る香りに興奮を抑えきれなくなったか、頭が呻りを上げて襲い掛かってきた。
某は躱して、杖を横に薙ぎ払った。手応えを感じたが、軽い。大した傷は与えていないだろう。
――今の場所で、打ち殺すしかない――
頭は、脇の岩に当たり仰け反ったが、案の定、直ぐ起き上がった。
次に背後の山犬が、首に喰らいつくべく飛び懸かってきた。
しかし、予想はしていた。振り向きざまに横っ面を打ち据えた。悲鳴を残し、山犬は地に落ちた。間髪入れずに頭蓋に鋭い一撃を加えると、山犬は断末魔もなく、痙攣を起こし、動かなくなった。
一頭仕留めたので、行列からは小さな声が上がった。しかし、某は油断なく、頭に詰め寄る。頭のさらなる唸りをが渓谷を振るわせるが、臆することなく頭を見据えていた。
再び背後で気配を感じて振り返ったが、次の瞬間、山犬が射られ地に堕ちていく姿を見た。弓上手が、一矢を放ってくれたようだった。
某は堕ちた山犬の脳天に杖を振り下ろす。二匹目も仕留めた。刹那、左手に頭が噛み付いてきた。火が着いたような痛みを感じた。左手首から先が山犬の頭の口の中に含まれている。これでは距離が近すぎて、杖では充分な打撃を与えられない。
某は、噛み付かれた左手をさらに奥に突っ込んだ。喉奥を通過し、内臓を引きちぎる。堪らずに山犬が左手を吐き出した。
弱っている頭に、杖を振り下ろした。頭は悲痛な叫びを上げたが、まだ息がある。さらに二撃三撃を加えると、さすがの頭も息絶えた。
大きな喚声に、某は振り返った。行列から、何人もの侍が杖を手に駆けてきた。残り一匹は尻尾を巻いて、崖下に逃げていった。
「おう、勘兵衛、ご苦労じゃったな」
弓を放ったのは、後衛を指揮する江口五兵衛光清であった。
「さすがの腕前でございますな」
「何を抜かすか。小童に褒められるほど、まだ落ちぶれてはおらんぞ。それよりも、勘兵衛。手傷を負っていよう。はや、医者を呼べ」
随行の医師・天庵が、直ぐに信道の傷を診た。幸いにも傷は浅かった。焼酎を傷に掛けた後、膏薬を貼って、応急の手当てをした。
「勘兵衛、そなたの働きは見事であった。あったのだがな.……」
利長がやってきて労ってくれた。
――血を流した某が寺内には入れまい――
利長が言い淀んだ先に回って、某は話を切り出した。
「大学様、警護役ながら、血で穢れた某、山内に入ることは適いませぬ。この場にて列を離れ、皆をお待ち申し上げまする」
利長は、某の列からの離脱を許した。
「待っておれ、土産は用意してやるぞ」
光清が笑顔で、後衛に戻っていく。某は光清に破願して感謝した。
隊列が整えられ、皆、某の前を整然と山寺に向かっていった。某は一礼一礼しながら行列の将兵を見送った。
列が中盤に差し掛かると、北ノ方の輿を囲む女衆が見えた。花輪の姿を追おうとしたが、輿の向こう側に並んで歩んでいるために、はっきりと見えなかった。
残念に思っていると、北ノ方の輿が某の前で止まった。中から窓を開けて、北ノ方が顔を覗かせた。
「山犬征伐の功、痛み入ります。名は何と申す」
「鮭延越前守様が臣にて、鳥海勘兵衛様と申します」
某の名乗りに先じて、落ち着いた声で答える侍女がいた。花輪であった。
「花輪はもう、今日の主役の名を覚えたのか」
北ノ方はにこやかに話した。花輪が名を覚えていてくれたのが嬉しかった。そのことについて礼を言おうとしたが、却って恥ずかしいような気もする。
「勘兵衛、其方の活躍は、我が殿にも必ずお伝えしますぞ」
窓を閉めて、北ノ方の輿は前に進んだ。目で輿を追う某を、花輪が振り返って微笑んだ。某の前を通った光清が何か言ったようだが、某の耳は届かなかった。
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