第17話 山犬騒動

 出羽の初秋恒例の山寺参詣を一目見ようと、城下には民が集っていた。出羽だけでなく他国からも多くの者が訪れ、城下には市が出るほどに賑わった。

 山形城の大手門が開き行列が姿を現すと、皆、一斉に注目した。

 行列は、若武者が露払いして進み、女衆が続く。北ノ方の輿は侍女たちが固める。その後を、統括の利長率いる遊軍が歩を進める。某も遊軍に属し、利長の脇に控えた。殿は、老兵たちが続く。

 見物の民衆は、最初は歓声を上げて行列を出迎えた。しかし、綺羅の如き出立ちの昨年と違い、侍衆は紺や青に茶の肩衣姿。頭には陣笠を被る者、鉢金を着ける者とまちまちで、総じて地味であった。

 女衆の小袖は、色こそ黄や橘、薄青や萌黄など見栄えはするが、絵柄は少なく、見劣りは否めない。民衆は華やかな装いを望んでいたので、落胆する風であった。

「何だ、今年は侍衆も女中たちも地味だなあ」

「どうやら今年は、田舎侍の集まりらしいぞ」

「普段の出歩きと何ら変わりがないなあ、つまらん」

「しっ、吝嗇爺が来たぞ」

 『吝嗇爺』といわれた利長は、すぐ脇にいる。利長は、某をいたく信頼してくれたらしく、意を受けて真っ先に動く役目を命じられ、某も意気に感じていた。

 だが、参詣にかける利長の意図も、民からすれば吝嗇で片付けられる。それが妙におかしかったが、笑うわけにもいかないので堪るべき、咳払いを何度も繰り返した。

 ふと、某が被る笠を誰かが叩いた。見上げると馬に乗った利長が、笠を硬鞭で叩いていたのだ。

「勘兵衛、遠慮無用じゃ。笑うがよい。しかし、笑いを殺すのに気を取られて、背後は隙だらけじゃったぞ。民衆ではなく、間者がいかにこの行列を見るかという考えで臨むべし。思い出せ、参詣は槍刀を使わぬ戦ぞ」

「はっ、申し訳ござりませんでした」

 利長の一喝は、行列の雰囲気を引き締めた。


 整然とした参詣行列は城下を抜け、郊外の馬見ヶ崎川の橋に差しかかった。ここからは山腹にへばりつく山寺の堂宇が、微かに確認できる。

 馬見ヶ崎川を越えると、高瀬川にぶつかる。高瀬川沿いにしばらく進むと、細い橋に出る。橋を越えると、立谷川まで真っ直ぐに歩む。後は、立谷川に沿って、勾配が上がる道を進むだけであった。

 この付近は、出羽の山々の麓に差し掛かる。山道に入ると、杉木立が並び道も細い。昼でも薄暗く、若干だが気温も城下よりも低い。最上家の山寺参詣の日とあって、他の参詣者は遠慮するのであろう。道中は人影もなく、川のせせらぎの音が谷底から静かに耳に入ってくるだけであった。

 整然とした行列の足音は、耳に心地よいが単調でもある。一行が、少し気が緩み始めた時、先頭で叫び声があがった。若侍たちの足並みが乱れている。二列になっていた若侍たちが、一斉に前に出た。

――賊でもでたか、あるいは刺客か――

「我らも前に出る。直ちに輿と侍女たちを囲め。女子衆を守れい」

 某は周囲の侍に命令し、十数名の侍たちとともに前方に向かった。

 何らかの理由があって混乱していた女衆も、手に槍、刀で備えた遊軍が囲むと、いくばくか落ち着きを取り戻した。

「何事ですか」

 輿の中から、涼やかな声が聞こえた。品と張りのある声であった。

「列の前方で、何やら起こったようでございます」

 輿の前を固めていると、落ち着いた女の声が聞こえた。某は振り向かずに応えた。

――斯様に落ち着いた女もいるのだな――

 すぐさま矢・鉄砲が飛んでくるような事態ではなさそうだと見切りをつけた某は、急に声の主に興味がわいた。振り返ると、薄青の小袖を着た侍女が、輿の脇に控えて、北ノ方に外の様子を伝えていた。少し低い、理知的な声であった。

そのまま観察したい想いにかられたが、『戦と心得よ』との利長の言葉が浮かぶ。正しく『戦と心得るべき事態』の出来なのやも知れぬと思いなおし、某は前方の混乱を見極めようと努めた。

 不意に谷を震わす遠吠えが複数、聞こえてきた。

「山犬だ」

 聞き覚えのある響きだった。

 指鍋村でも馬や鶏などが襲われ、頭を悩ませている。過去の経験から素早い山犬に、個々で当たっても翻弄されるだけである。

「どうやら山犬が出たようだ。相手は敵兵以上の俊敏さで襲ってくる。槍を持つ者は前に出よ。槍衾で侵入を防げ。弓兵は、槍衾の後ろに控えよ。山犬は、人の背丈を飛び越える。山犬が飛んだら必ず射殺せ」

 某は、輿の護衛にあたる侍たちに配置を指示した。また、一人に

「大学様に殿の兵たちも同様の配置につかせるよう頼め」と言伝し、単身で先頭に進んだ。みると、山犬の数は四頭であった。唸り声を上げ、行列の前から動かなかった。

 

「一列になって刀で槍襖のごとく集まり、山犬を寄せるな。音で脅せ。もしかかってきたら、斬るな。突け。弓を持つものは、刀の者の後ろに控えよ。突破されたら確実に仕留むるべし」

 なぜお主が斯様な支持を出すのかといういう想いを抱く侍もいるだろうが、この非常時においては普段の武功が物を言う。湯沢城攻めの武功は家中で知られているので、某の命令を侍たちは着実に履行した。

――誇りだけが高い山形の侍たちだったら斯様にいかなかったやも知れぬな――

 確実に指示通り動く若侍たちを確認し、某は利長の許に向かった。

「表れたのはやはり山犬でございました。その数は四頭。只今、若侍たちに列を組ませましたゆえ、睨みあいとなっております」

「仕留められぬか」

 利長の問いに某は頭を横に振った。

「徒に刺激しては却って危のうございます。行列に突っ込まれたら、混乱を来たしましょう」


「警護は何をしておる。、田舎者どもは、山犬すら追い払えぬのか」

 興奮した侍女の一人が叫んだ。

――まずいな――

 一人の恐怖心が集団に感染すると、収拾がつかない混乱を来す。戦場でも同様である。恐怖心が勝ってしまうと、もう理屈で説き伏せるのは無理になる。

 某は、落着かせるべく女の方を振り向いた。すると、既に先ほどの薄青の小袖の侍女が、騒ぐ侍女の前に歩み寄っていた。彼の侍女は興奮した侍女に、ゆっくりと話し掛けていた。

「松江様、落着き下され。前方の者たちが、今は防いでくれてございます。彼らもまた立派な最上の兵たちでございます。信じようではございませんか」

 興奮していた松江という侍女も、彼の侍女の声音に落ち着きを取り戻したようだ。

 ――なんと落ち着いた振る舞いであろうか。そこらの兵よりも上じゃ―― 

某は薄青の侍女の肝の太さに驚き見詰めた。すると、某の視線に気付いた侍女は、某を見返してきた。二重で黒目がちの瞳に某は不覚にも心を乱した。

 ――美しい……――

「何か、御用がございますか」

 その侍女は某の前に歩んできた。少し勝気なような印象を受けた。だがそれよりも、気にかかったのが香りであった、鼻腔に微かに白粉の香りが漂ってきた。目の前の侍女だけでなく、他の侍女たちも薄く肌につけているのであろう。

「お伺いします。女子衆は皆、化粧をしていらっしゃいますか」

 急な問いに戸惑いながらも、目の前の侍女は頷いた。

「されば、山犬たちは白粉の香りに興奮してございます。日中に山犬が斯様に唸ることは稀。この匂うたことのない化粧の香りに山犬は興奮しているの相違ござらぬ。女子衆は、疾く化粧を落として下され」

 しかし、某の話を聞いた女子衆の反発は強かった。

「白粉などで山犬が興奮するはずがない。根も葉もなきことをぬけぬけと」

「追っ払う腕も度胸もない田舎者が吹きおるわ」

 容赦ない言葉が浴びせられた。


「静まれ」

 輿が下ろされ、中から北ノ方が出てきた。黄色に源氏物語を誂えた絵の打ち掛けを羽織っている。その眼差しには厳かな美しさがあり、皆が恐縮した。

 北ノ方の視線は平伏する某に向けられていた。侍女たちも傍らに跪き、北ノ方の脇に控えた。

「花輪、化粧を取れと申したは、彼者(かのもの)か」

 北ノ方は、傍らの彼の侍女に確認した。ここで件の侍女の名を某は初めて知った。花輪は、静かに頷いた。

「化粧が山犬を刺激するとは、誠か」

「はっ。山犬の鼻は、人よりも格段に強うございます。嗅ぎ慣れぬ匂いに、興奮しておりまする」

「女子が化粧を落とすは、戦場で男が甲冑を解くも同然の振る舞いなるぞ」

「畏れながら、申し上げます。戦場で勝つために甲冑を脱ぐ必要があれば、ためらいもなく脱ぐのが、真の武士と存じます」

 北ノ方の立場に気押されながら、某も自説を曲げなかった。

 すると、脇に控えていた花輪が、手拭いを手にして、白粉を落とし始めた。

「花輪、其方何をしておる」」

北ノ方が尋ねると、花輪は応えた。

「今のままでは埒が明きませぬ。そこのお侍さまの仰る通り、まずは、試してみたのでございます」

 北ノ方も花輪の行動を褒め、女子衆に白粉を落とすように命じた。

「花輪殿と申したか。忝し」

某は花輪に向けて、頭を下げて感謝した。

「お名をお聞かせ下さい」

「鮭延越前守様が臣にて、鳥海勘兵衛と申します」

 花輪からの問いかけに頭を上げて名乗った。心なしか、声が上ずったように感じた。一方の花輪は冷静に話した。

「勘兵衛様。女子の命ともいえる化粧を落とすのでございます。侍衆も命を懸けて、北ノ方様をお守りくだされ」

「承知いたした」

 ――美しいが、気も強い女子だな――

 某は苦笑いしながら、次の指示を花輪に与えた。

「では、拭きとった手拭いを、この袋の中に全て入れて下され」

 花輪に袋を渡すと、花輪がまず手拭いを入れて、松江に渡した。それに倣って侍女たちは次々と手拭いを袋に入れて、回し始めた。某の許に帰ってくる際には袋は大きく膨れていた。

「忝し。では頂戴致します」

 花輪から袋を受取り、某は山犬と対峙するため駆け出した。


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