第10話 長五郎の素性
「孫作様、御苦労でござった。ゆっくり休んで下され」
長五郎がいつの間にか傍らにやってきて、孫作の遺骸に手を合わせていた。口からは、不動明王の真言が漏れている。
「華蔵、孫作様の生き様、しかと見たか。斯様な方もおるのじゃ」
長五郎の声は、穏やかであった。華蔵もゆっくりと頷いた。
――長五郎も華蔵も、孫作様を知っているのか――
知っていてなぜ某に合力をしたのだろうか。次々と疑問が湧いてくる。
甲冑の擦れる音が近づいてきた。音のする方を見ると、秀綱がこちらに向かってきていた。
「どこかで見たような記憶があるが、長五郎、そなたは、かつて小野寺家でその人ありと謳われた『血槍の又一』か」
秀綱の問いを長五郎は肯定した。
「勘兵衛、お主は知らぬだろうが、血槍の又一は、儂が若い頃に名をはせた小野寺家の先駆けじゃ。名は藤澤長五郎というが、一番槍の功名を何度も立てたゆえに『又一』と呼ばれた兵(つわもの)よ」
「いえ、相手が怖いため、必死に動いたに過ぎませぬ。守るより攻めるほうが楽なので……」
長五郎は淡々と答えた。
「長五郎。なにゆえ、小野寺を出奔し、なにゆえ、我らに合力した」
「話せば長くなりますが……。越前守様、勘兵衛様。怯惰なる老人の世迷言。お聞き下さいますか」
「是非にも」
秀綱も某も頷いて、長五郎に話の先を求めた。
「血槍の又一は臆病者。臆病ゆえに、落ち着いて戦を待てず、他者に先んじて槍を進めただけ。虚名のお蔭で、戦わずして勝てることも多く、楽でございました」
「確かに、名が売れれば、戦わずして逃げる兵も出ような」
「なれど、我は人を殺め過ぎました。ある日、手に血がこびりついて、いっかな落ちぬ幻覚を見ましてな。以来、槍を持つ手が震えて……」
「又一が姿を消した理由は、そこか……」
秀綱が呟きに長五郎は首を横に振って否定した。
「決定的だったのは、小浦攻めでございます」
小浦氏は、湯沢に近い役内川沿いを領した国人領主の一人だった。
「確か、小浦は、小野寺に滅ぼされたはずでは……」
某は呟き、秀綱は頷いた。
小浦備前守兼重は小野寺義道の寄騎で、庄内の武藤氏を悩ませていた。
だが、義道は、武藤氏との和睦の生贄として、兼重を攻めたのだ。
「小浦舘攻めでも、我は震える手で一番槍を突きました。又一の虚名を守るに必死でありました」
長五郎は、両の手を見詰めた。震えていた。長五郎の古傷に触れる話なのだろう。しばしの沈黙が訪れる。某らは長五郎の話の先を待った。
「……燃え盛る小浦舘に攻め込んだ時、泣き叫ぶ赤子を見つけました。我は、前年に、生まれたばかりの息子と妻を失っておりました。生きておれば同じ年くらいの赤子。息子と重なったのでございます」
本丸攻めの前夜、長五郎の口の端から子を喪失したような気配を察していた。長五郎の悲しみの根源に迫ったように感じた
「赤子を連れて、陣に帰った時でございます。小野寺遠江守が、我から赤子を取り上げ、すかさず近侍が刺し殺しました」
「それは、酷い」
某は顔を顰めながら呟いた。だが、秀綱は納得していた。
「いや、下手に男児を生かせば、禍根となる。平相国が、源氏に温情をかけたゆえに平氏が滅亡した例など、枚挙に暇はない」
「左様でございます。理に従えば、赤子は殺すべきもの……。しかし、我は、もう耐えられなかったのでございます。気づけば、赤子の遺骸を抱いたまま、槍を振るって、逃走しておりました」
「しかし、無事で済むはずがない。追手が懸かったであろう、長五郎」
「はい。追手の大将こそ、小野寺孫作様でござりました」
長五郎は、傍らに倒れている孫作の遺骸を悲しげに見遣った。涙声になっている。
「優しき士が、優しき士を討つ。皮肉な話でございますな……」
某の想いを長五郎が肯定した。
「我も、孫作様ならば討たれても本望。覚悟を決めておりました」
某は華蔵の顔を見遣った。華蔵は目に涙を浮かべ、長五郎の話を聞き入っている。華蔵は、某の視線に気付き、涙を手で拭って小声で喋った。
「俺も、戦で家族を殺され、引き裂かれたので……。親父はこの赤子のことを『弟と思ってくれるだけで、赤子は救われよう』と、いつも話してた」
華蔵が長五郎の許にいるのにも仔細があるようだ。華蔵の身の上に興味を抱いたが、今はあえて聞かなかった。
長五郎は思い出すかのように、上空を見詰めながら、話を続けた。
「だが、孫作様はにこやかでござりました。『又一、息災か』と話し掛け、我を討ち取る素振りはなかったのでござります」
――本丸で某に向けてきたような笑顔だったに相違あるまい――
某は、孫作の顔を思い浮かべた。
「孫作殿は、そなたを逃がしたか。だが、遠江守に申し開きはできなかろうに、いかがしたのであろうか」
首級なく帰れば、孫作も咎を受ける。如何にして、切り抜けたのだろうか。
「『又一は川で自害しておった。魚がつつき、顔も酷かったゆえ髷を切って首級の代わりとしよう』孫作様は詫びながら、我の髷を切り、去って行かれた。おかげで、猟師として暮らしておりまする」
長五郎の長い話しは終わった。しばし沈黙があたりを支配した。
「長五郎殿。一つ、お聞きしたい」
某は沈黙を破った。長五郎は頷いて、問いを促した。
「孫作様に恩義を感じるならば、湯沢城に籠る手もあったろうに」
「このような老いぼれが合力したとて、孫作様は喜びますまい。華蔵も一緒にというても、まだ将来がござる。最上軍の策にて疑われた孫作様たちに援軍はありますまい。湯沢城に籠れば、討死は必至。斯様な犬死は、孫作様が最も嫌うものでございます。されば、早く戦を終わらせ、死すべきでは兵を逃がすが、孫作様の願う所と考え、勘兵衛様に合力した次第でございます」
助かる兵を全て逃した孫作である。某は得心した。
「俺……」
言いかけて、華蔵は口籠った。華蔵の声を遮る者はなく、静かな刻が過ぎた。座の一同の意志を覚り、華蔵は再び語り始めた。
「俺は、家族を殺し、親父殿を追い込んだ戦や侍が嫌いだ。弟まで屠った侍が。大なり小なり、侍なんて同じ穴の狢だと思ってたんだ」
「だが、違っていたであろう」
諭すように語る長五郎。涙で頷く華蔵。かつての恩人で、尊敬すべき孫作という武士を知ってほしいという想いが長五郎にあったのだろう。
――どうやら某は利用されただけのようだな――
目的を達した今、長五郎も華蔵も最上に、そして某に合力する謂れはない。親子との別れもまた近いのだと某は思った。
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