第9話 小野寺孫作 討ち取ったり
翌朝、まだ夜の明けきらぬ中、秀綱陣で短く響く一番太鼓が鳴った。出陣用意の合図である。二ノ丸では兵の動きが慌ただしくなった。
長く響かせる二番太鼓が鳴ったのは、半刻後。秀綱勢は陣列を整え、戦闘可能になったことを敵味方に知らせた。
本丸側も、二番太鼓を聞くや、鉄門を開けて黒備の兵が出てきた。
明らかに昨日より数が少ない。某は隊の先頭に立ち、兵たちに一斉に槍を構えさせた。だが、小野寺勢はすぐに打って出るつもりはないらしく、六人ずつ整然と隊列を整えたまま動かなかった。
「全部で四十八人だ。昨日で相当、逃げたようだな」
華蔵も相手を数えて、その少なさに驚いているようだった。
「いや、まだ中に潜んでおるやも知れぬ。油断できんぞ」
言いながらも、自身の頭の中で否定した。華蔵が数えたように、本丸にいる兵は、四十八人。他にまだ現れていない孫七郎、孫作の二人を入れても五十。最後に残った兵は眼前で全てだろう。
――死兵は瓦解せり……か――
まんまと満茂の策ははまったようだ。
だが、誘惑に負けず残った眼前の兵こそが、湯沢城で最強最後の兵である。数以上、力量以上の死戦を展開するだろう。某は、眼前の黒備の兵たちに敬意と脅威を感じていた。
「鮭延越前守殿、朝から御苦労に存ずる」
大音声とともに、漆黒の不動明王が姿を現した。孫作である。
「昨日、逃げる者は全て逃げた。此の場には、あくまで残るという馬鹿者どもが、並んでおる。昨夜の酒肴の礼に、返すものは唯一つ。我らの刀槍を懸けての馳走、存分に味わわれよ」
孫作の口上に呼応して、黒備の兵が鬨の声を上げた。寡兵であるが、士気は高い。
「孫作殿の手勢、誠に天晴。多勢にも怯まぬ武士の鑑。だが、弓矢刀槍の馳走に懸けては、我が鮭延の者も引けをとらぬ。最期の散り際を我らに託されよ。者ども、よいか」
対抗する秀綱の口上に、某たちはじめ秀綱勢も総員で声を張り上げた。多勢の声は、湯沢城の山野に響き渡り、渓谷を振るわせた。
「小野寺孫作が手勢、坂口三佐衛門。死出の旅路の魁(さきがけ)をば仕る」
黒備の一人が、声を上げて一騎駆けをしてきた。某は、かかろうとした兵を制し、一歩前に出た。三佐衛門が某に向けて突き出した槍を横に弾き、鋭く突きをくり出した。だが、三左衛門も剛の者らしく、怯まなかった。某は三佐衛門と三合打ちあった。四合目、某は下から三左衛門の槍を突きあげた。三左衛門の槍を弾き飛ばすと、間髪を入れず、喉元に槍を突きたてた。某が素早く槍を抜くと、脱力した三佐衛門は地面に倒れ伏した。
――笑っておる――
三佐衛門の顔は晴々としていた。一番槍の任を果たした綺麗な散り際であった。某は三佐衛門に敬意を表し、手を合わせた。
「三佐衛門、見事なり」
孫作は三佐衛門を称えた。残る四七名も、再び鬨の声を上げた。
「さあ、武士(もののふ)ども。三佐に続け。己の名を湯沢の城に残すべし。敵味方に名を高らかに告げよ。己の生き様、死に様を美しく刻め」
「高井兵庫、二番槍をば仕る」
「佐々木次郎、参る」
「中村半乃丞じゃ。鮭延の者ども、我が死に様、とくと眼に刻めい」
黒備は次々と名乗りを上げて、鮭延勢に斬り込んできた。孫作は仁王立ちのまま、突撃する兵、一人一人の名乗りに頷いていた。
「門脇源吾、六道の辻にて、お待ち申しあげる」
最後の源吾も戦いに加わった。しばらくの間、孫作は配下の兵の戦いを見詰めていた。
某は、黒備を他人に任せて、孫作にのみ視線を向けていた。
――頃合いまで配下の最期の舞台を見守っているのだ――
その頃合いは、近いように感じる。槍を握る掌に汗をかいている。その因が、緊張なのか、恐怖なのか某自身にもわからなかった。
黒備は、時の経過とともに少しずつ倒れていく。やがて、孫作の許へも何人かの鮭延勢の兵が迫り始めた。
だが、近付いた者は、たちまち孫作の槍の錆に変わった。数人で懸かっても、弱き兵から順に突き伏せていった。孫作の周りには、あっと言う間に十数人の骸の山ができた。
「皆の者、感謝する。某のような者によう仕えてくれた。さあ、某が最期に見せる地獄の舞、しっかと見よ。血の霧を、再び湯沢で舞わしてくれるわ」
頭上で槍を振り回しただけで、味方の足軽たちが槍の餌食になった。十文字槍の鎌で首を斬り裂かれる者あれば、柄が頭に当たり、崩れ落ちる者もいた。
どよめきが起き、孫作の周りの包囲網が広がる。手薄になった包囲網の左側を突き伏せ突き伏せ進む孫作、は包囲網を突破し、秀綱本陣に迫った。
刀の使い手である佐藤式部が、孫作の行く手を遮った。孫作は式部と五、六合ばかり打ちあったが、式部も孫作の敵ではなかった。鎌で刀を弾かれ、肩を槍で貫かれた。深傷を負った式部が退いた。
これ以上、本陣に迫らせるわけにはいかない。槍隊が槍衾を敷いて孫作に迫った。だが、孫作は素早く槍隊の左手に回った。槍隊は孫作に横槍を食らい、足を薙ぎ払われ何人もが倒れた。
槍衾を抜けてしまえば、秀綱のいる本陣まで見渡せる。長身の槍を振るい、孫作は秀綱本陣を目がけて駆けていった。三々五々、兵は孫作に当たろうとするが、地を朱に染めるだけであった。
「小野寺孫作、推参せり。鮭延越前守、いざ出会えい」
本陣に向けて、孫作は号しながら突撃する。足軽が遮ろうとするが、長身の槍が容赦なく振り下ろされる。
某は前線から孫作を追い続け、ついに追いついた。某は、夢中で槍を繰り出した。
――このお方を討つのは某だ――
もう迷いはない。互いに繰り出す槍同士が放つ戟音は鋭く、諸兵の耳に響いた。
「我が殿へ近付かせぬ。鳥海勘兵衛、孫作様の首級を頂戴仕る」
「来たか、勘兵衛。待ちかねたぞ」
腹の底から出ている孫作の声は、地獄まで響くような迫力があった。しかし、屈せず、某は十文字槍を左前中段に構えた。地と水平に腰の位置に柄を定める。攻守どちらにも対応する構えである。
一方の孫作は、頭上大上段に構えた。攻撃は先の先を取るつもりだろう。守勢に入ったら、必ず負ける。
――先手、取るべし――
某は即座に判断した。
「孫作様、いざ参る」
「応」
孫作の返しを聞かず、某は初手で槍を横に薙いだ。開いた胴を狙うが、孫作は引いて躱した。
孫作の手を待たず、某は、石突きで孫作の顔面を狙ったが、孫作は槍を振り下ろして弾く。孫作が下ろした槍を上から押さえるべく間合いを詰めた。そのまま柄の中程で、槍同士の競り合いになった。
力比べを嫌った孫作が、蹴りを繰り出した。某が胴に食らって倒れた。孫作は槍を振り下ろす。迫る鎌を寸出のところで躱した。孫作が構え直す隙に、某は間合いを再び詰めた。再び、柄と柄の競り合いに持ち込み、長身の槍の利点を殺すことを狙う。
孫作は、間合いを詰める某の足を払った。尻餅を搗いた某を目がけて、孫作は石突きを打ち落としてきたが、柄を当てなんとか躱すことができた。外れた槍の石突きが、地に突き刺さった。
――抜くのに時間が掛かる――
某は今度は間合いを開けて、槍を構え直した。
「先の先を取るのが常道。狙いはいいな」
孫作は某に声を掛けた刹那、軽々と槍を引き抜き、遠間の某を目がけて、右手一本で突きを繰り出した。不意を突かれたが、辛うじて払いのけた。
しかし、息つく間もなく二の手、三の手と槍が繰り出される。槍身で、柄で弾き返しているうちに、間合いが少しずつ詰められる。徐々に孫作有利の間合いになりつつある。
――弾くだけでは、やられる――。
某は意を決して払わず、逃げず、孫作の懐に突っ込んだ。孫作が薙いだ槍が、甲冑の右袖に当たる感触がした。だが、何も考えず、孫作の懐近くで槍を繰り出した。確かな手応えを感じた。刹那、孫作の蹴りが胴に入り、某は倒された。
――肩は、どうなった――
右袖を左手で確認すると、一文字の傷が深く付いていた。右肩を回すと、痛みはあるが、充分動く。刺突の傷は避けられたようだ。
「思い切りがよいな、勘兵衛」
左手から、鮮血を滴らせた孫作が立っている。某の突きは、孫作の籠手を破り、左肱を貫通していた。
ただでさえ、孫作は左腕を負傷している。某の刺突でついに槍を握れなくなり、長身の槍を地に横たえた。
「血脂で汚れ、鈍ったようじゃ。詰まらぬ者どもを討ちすぎた」
「きれいな槍身であれば、某が先に肩を斬られておりました」
「いや、そのまま、首まで弾き飛ばしておるわ」
「誠に……。本来なれば、某が傷を負わせるも敵いませなんだ」
槍の構えを解かぬまま、某はゆっくりと応えた。
「越前守殿は、某のために、舞台を整えてくれた。感謝申し上げる」
いつから一騎打ちを見守っていたのだろうか。遠巻きに見ていた味方の中に秀綱の姿があった。
孫作は秀綱に向けて、一礼した。秀綱も下馬し、礼を返す。
「某の面目も立った。斯くなる上は、後を託せる若武者の武功となりて、後々までの語り草となろう。勘兵衛、頼むぞ」
「最期にお聞き致す。某に孫作様を討つ資格がござりましょうや」
「まだ……ないかも知れぬな」
孫作の言葉の端から、息が漏れてきた。出血も多いため震えも出始めている。寒さも感じてきているように見えた。
「勘兵衛殿に問おう。貴殿の思う武功とは、何なのじゃ」
「武功は、某のために死した兵たちの縁ではないかと思いまする」
孫作の問いに、某は華蔵たちに話した持論を伝えた。少し考えた後、孫作は少し苦しげな呼吸で応えた。
「半分は正しい。だが、もう一つの視点が欠けておる」
「何が欠けてございまするか」
孫作は地に胡坐を掻いて座り込んだ。立つのも辛くなったに相違ない。某も構えを解き、地に平伏して聞いた。
「勘兵衛殿、首級を挙げる武功は、討たれた者のためにもある。討った者は、討たれた者の生き様死に様を受け継がねばならぬ」
「某には、できませぬ。孫作様のような立派な武将のようになることは」
「いや、できる、できないではない。しなければならんのじゃ」
漏れる息があるが、孫作の声にはいまだに張りがある。某は孫作に今一歩近づき、再び頭を下げて、話の続きを請うた。
「まだ、勘兵衛殿の器は小さい。人の生き様死に様を受け継ぐは、重荷じゃ。ならば、器を広げよ。最上を背負う将となれ。某が勘兵衛という器の中におるを誇れるようになれ。それが、今となっては某の唯一の望みよ」
「地獄で、閻魔に誇るのでございますか」
孫作は笑顔で頷いた。
「応。閻魔に散々自慢してやるつもりじゃ。彼の名将が、鳥海勘兵衛。若きころ、某を討った者である、とな」
孫作の高笑いが響く。しかし、徐々に声が落ちてきている。いよいよ、別れの時が近づいてきていた。
「勘兵衛殿、後から参れ。某の死後、いかに生きたか、いかに戦った教えてくれ。鬼どもに酒を用意をさせるゆえ、三途の川の畔で酒宴と洒落込もうぞ」
「折角ながら、お断り致す」
「なにゆえじゃ……」
戸惑う孫作に某は微笑みながら返した。
「某は下戸でございますゆえ……」
孫作は、微笑を返してきた。
「では、血の池の畔で野点でも致そうか」
「茶であれば、喜んで。しかし……、できれば、今生にてお手前を頂きたかったものと存じます」
「いや、仮の話は詮なきもの。若武者の刃に懸かるが、某の定命。勘兵衛殿、そろそろ頼む。寒うなってきた。もう余り喋れぬ」
孫作からの合図であった。某はゆっくり立ち上がり、槍を手にして再び構えた。孫作は、兜を外し地に置いた。
「疲れてくると、頭が重く感じていかぬ。首が自然と垂れてくる。見苦しくなきようにしたいもの。では、頼む」
孫作は瞑目し、不動明王の真言を一回はっきりと唱えた。この世の未練執着を断ち切らんがためであるかのように聞こえた。
唱え終わった刹那、某は一気に槍を孫作の喉元に突き立てた。孫作は微笑を浮かべたまま、仰向けに倒れていった。
某は、両の手を合わせると念仏を唱えた。しかし、感傷に浸る暇はない。作法通り獲らねば、との思いで素早く鎧通しを抜き、孫作の首を断ち切った。
先ほどまで語らった孫作が、今は手許で首級となっている。
――これが、無常というものか――
某は感傷の淵に立ったまま、孫作の首級を見つめた。
「勘兵衛、早く名乗りを挙げよ。孫作殿への礼を、全うせよ」
背後から届いた秀綱の声に、某は我に返った。そのまま、振り返らずに頷いた。
「湯沢城副将、小野寺孫作様の首級、鳥海勘兵衛が討ち取ったり」
某の号が本丸に響いた。喚声と歓声が交錯した。黒備もある者は、孫作の首級奪還を狙い、討たれた。追腹をする者もいた。
「戦いは終わった。無駄に死ぬな。追腹無用ぞ。早まるな」
秀綱の声に応じて、近くの黒備の兵を何人もで押しとどめる光景が見られた。某も一人の兵の手から脇差を奪い取った。
「おのれ、我が殿の仇から捕えられたるは無念」
「出羽にも仙北にも無駄に死んでよい者など、一人もおらぬ。孫作様も貴殿の死を望んではおらぬはずじゃ」
某の言葉に、黒備は抵抗をやめた、目には涙が光っていた。
――兵にここまで慕われるは、誠にもって武将冥利であるな――
某は、改めて孫作の偉大さを感じた。
「勘兵衛様、櫓が燃えてる」
華蔵の声に振り返ると、本丸櫓から炎が吹き出していた。火の回りが早く、最早中に入り込むことは難しいだろう。
「きっと、臭水を使ってる」
華蔵の呟きに、某も頷いた。燃え盛る櫓の中には、城主の孫七郎がいるはずであった。某と華蔵は櫓に向け、手を合わせていた。
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