第11話 秘された予言
占い師は返答代わりにまた一礼したが、いっぽう宝余は内心の動揺を隠せなかった。何故ならば、王妃冊封の前に、王と王妃の相性を四柱で占う慣例を顕錬は拒否し、涼はそれに対し沈黙を守ったが、烏翠の宮中では大きな物議を醸したことを彼女も知っているからだった。よりによって、その顕錬が宮廷ではなく、市井のいち占い師に二人の相性を見るように頼むとは。
――いったいどういうつもりなのだろう。やはり、彼も占いの相性のことは気になるのであろうか。それとも?
顕錬は妻の困惑を知ってか知らずか、そのまま話を続けている。
「そう、あのとき私は占いを拒んだ。だが、それはわが妃と私の
では、なぜ夫は私をわざわざここに連れてきたのか。余人に知られたくないが、目の前の老人は別なのだろうか?それとも何か私達の間にあの「不都合」があることを知られたくないからだろうか?宝余には顕錬の真意が計りかねた。
「大占師よ、そなたに我等二人の運命が見えるのであれば、それを知りたい。私は確かめておく必要がある。結果がどうあろうとも、それを確かめておく必要があるのだ。そなたが滅多に人を占わぬことは知っている。だが、まげて頼みたい」
大占師は白髪の眉を少しあげ、王を真正面から見据えた。
「王君よ、私には王と妃を占い申し上げることなどできません。野にある卑しい占い師にその資格などございましょうか」
「大占師」
「お待ちください」
老人の声が一段低くなった。
「筮竹で占うことは致しませぬ。ただし、お二人のご尊顔をじかに拝して、独り言を申すことならばできまする。お聞きになるも勝手、聞かぬも勝手。所詮老人のたわごとでございますからな――それでよろしいのならば」
顕錬は頷いた。一呼吸置いて、大占師は二人の前で手を合わせ、目を閉じた。言葉だけが占い師の唇を震わせる。
「――お二人は、まことに不思議な縁で結ばれておいでになります。おそらく、烏翠歴代の王と王妃のうちでも、これほど強く不可思議な縁をお持ちの方々もめずらしいでしょうな」
以外な言葉に、宝余は驚いた。誤って嫁いだも同然の自分が、夫と深い縁があって結ばれているとは、全く実感がなかった。宝余の心に安堵の気持ちが広がっていった。しかし、そこまでだった。どんな言葉でも次の言葉よりましだったろう。それは彼女と夫にとって打ちのめされるような、致命的な一言だった。
「ただし、縁は強くとも定めは別でございます。王と王妃として、お二人ともに運命をまっとうすることはございますまい」
「…どういうことだ?」
「私には王妃さまの人相を正確に読むことはできません。ただ言えることは、王妃さまは類まれなる人相をお持ちの方。このうえない吉相と、このうえない凶相を、二つながらに備えておわす。烏翠、いやこの天下をも滅ぼしてしまいかねない運命をお持ちの方です」
「……」
「いや、その言葉も正確ではありません。王妃にはもとある一つの相に、なぜかもう一つの相がかぶさっているのです。天下に二つとない相ですが、このような相は諸刃の剣も同然、非常に危ういものをはらんでおりまする。特に、下にあるほうの相…王妃のもともとの相ですが、その相は非常に不可思議で、私にも容易に読むことができぬ相です」
「二つの相?私が?」
宝余の声は上ずっていた。そんなことは誰からも聞いたことがなかった。だいたい、一人の人間が二つも相を持つなどあり得るのだろうか?しかも読むことができないとは?
「二つの相とは何だ?何を意味しているのか?」
顕錬もさすがに不審の色を隠さなかった。
「それは私にもわかりませんが、烏翠がただならぬ運命を招き入れてしまったのは確かです。従って、王よ。それを避けるためには、今からでもお妃の御身を涼へお返し申し上げることです。たとえ涼との関係がこじれようとも」
宝余は目を見開いて占師を見やり、一方、顕錬は間髪を入れず「それはせぬ」と応えた。
大占師は大きく息をついた。
「そうおっしゃるだろうと思っておりました。…そうでしょうな。いくら偽の堰や水路を作って流れを導こうとしたとて無駄なこと、いずれ真の奔流は堰を押し流し、水路から溢れ、すべてを飲み込んでしまうでしょう。そしてその先に何が待つのか、それは私にもわかりかねます。ただ…」
「何だ?」
「あるいは、王君のお持ちになる、その瞳が鍵なのかもしれませぬ」
宝余と顕錬は顔を見合わせた。
「もちろん存じております。烏翠では時として異色の瞳の者が生まれますが、あまり好ましいものとは思われておりませぬ。ましてや、紫瞳の国君は過去には暗君を指す言葉――王の御前で不敬の段お許しくださいませ――いう不名誉を蒙っておいでです。しかし、もとは我らが開国の祖も紫瞳の国君であられたのだから、決して紫瞳自体が問題ではないのでしょう。紫瞳は邪眼とも言われますが、また
須臾の間、沈黙が部屋に落ちた。若き夫婦は二人とも告げられたことの重さを測り兼ね、無言でいるほかはなかったが、やがて口を開いたのは顕錬だった。
「…参考になった。礼の代わりに褒美を取らせるゆえ、何なりと申せ」
大占師は首を横に振って笑みを浮かべた。長い旅のすえやっと重荷を降ろした旅人のような、こちらがはっとするほどの晴れ晴れとした笑顔であった。
「褒美も何も、たとえ百斤の黄金でも柩に入れてあの世に携行することなどできませぬ。ああ、これが私の占いの納めでございますが、人生の最後に二つとない相を拝することができ、何という幸せでしょうか。筮竹と羅盤のみにて世を渡ってきた占い師には、身に余る栄誉でございます」
それだけを一気にいうや否や、占い師の体が一瞬で崩れて灰と化し、床に散らばったその上を彼の黒衣がふわりと覆った。
「きゃっ…」
宝余は悲鳴を上げ、顕錬は思わず剣の柄に手をかけた。一瞬飛んだ宝余の意識が戻る刹那、入れ替わりにこの世を去る老人の声が、彼女の耳元でささやいた。
―― 一つの天、二つの相、そして三人の父。
「何ですって?」
思わず宝余は声を上げてしまった。しかし天井を振り仰いだ彼女の眼には何も見えず、ただ大きな巣を張り巡らした大きな蜘蛛が、じっと客人達を見下ろしていた。どうやら顕錬にはあの声が聞こえなかったらしく、彼は不審げにこちらを見ていたが、宝余は夫に何も告げなかった。隠そうとするのではなく幻聴と片付けたわけでもなく、ただ宝余にも言葉の意味がまるでわからなかったからである。
―― 一つの天、二つの相、それはまだ良い。まだわかる。でも三人の父とは?涼王である実父と、育ての父と。それともあともう一人いるのだろうか?
宝余は相手の残した言葉を反芻したが、謎は解けそうもなかった。
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