外伝4.剣術
カルタゴノヴァのバルカ家屋敷にほど近い場所に、修練用の広場が設けれている。
この場所は、街ではちょっとした観光名所になっており、時折、素晴らしい腕を持って者が修練に励むことで話題になっていた。
しかし、本日に限っては街の者の姿はない。
警備の者によって人払いが行われていたからだ。
小数の兵士達が遠巻きに見守り厳戒態勢の中、唯一人中央に立つは長髪痩躯の男。
目を閉じ何をするわけでもなく佇んでいるだけだというのに、ハッとするような秀麗な顔も相まって絵画に収まっていても不思議ではない光景を醸し出していた。
そこへ、小柄な少女とみまごうばかりの少年がやって来る。
ふわりとした髪に柔らかな表情は、歴戦の兵士たちも思わず微笑んでしまうほどだ。
「マハルバルさん、お待たせし、すいません」
少年が長髪痩躯のマハルバルに向けペコリと頭を下げる。
対するマハルバルは恐縮したように佇まいを正し、敬礼を返した。
「いえ! お待ちなどしておりません。マーゴ様が気を煩わせることなど何一つありませぬ。私はローマへの行脚へ思いを馳せていただけです」
「お噂は聞いております。ローマの強者と手合わせしたのだとか。マハルバルさんに並ぶ者など想像もつきませんが」
「そのようなことはありませぬ。私などまだまだ」
そう言って謙遜するマハルバルだったが、少年――マーゴは確信している。
マハルバルほどの使い手など早々いないと。
マーゴは敬愛する兄の紹介でマハルバルの手ほどきを受け続けていた。その中で、特に彼の呼吸の取り方の上手さは並ぶ者がいないと身をもって体験している。
彼は静から動への切り替えが抜群に長けているのだ。
「ローマのことは分かりませんが、カルタゴではマハルバルさんこそ随一の使い手だと思っています」
「ありがとうございます。カルタゴだけに目を向けても、オケイオン殿は私を凌ぐのではないのでしょうか」
「オケイオン殿ですか、確かにお強いと聞きます。実際にこの目でしかと見たわけじゃあありませんので何とも言えませんが」
「そうでしたか」
マハルバルはオケイオンの強さについて、嬉しそうに語り始める。
彼は飄々とした普段の態度からは正反対の戦い方をするという。幼い頃から厳しい修練を続けて来た彼の技術は誰にも真似できない芸術の域まで到達している。
それと相まって、バスタードソードを軽々片手で操る腕力も兼ね備え、力技でも技巧でも押すことができると。
彼の一番の強みは、多彩な戦術にある。相手によって変幻自在に作戦を変えることができる確かな腕があるから、どのような相手でも対応が可能。
「オケイオン殿ほどの戦い巧者はそうそういますまい」
「マハルバルさんの戦いのセンスと言いましょうか、勘は天性のもの。いい勝負だと思いますが」
「マーゴ様、そのような評価を頂き感謝いたします」
お互いに頭を下げ、思わずクスリと笑ってしまうマーゴ。
対するマハルバルも口元に僅かな微笑を浮かべた。
「ローマの強者はいかがだったんですか?」
「そうですね。実際に戦で相対したガウルス殿も強者といって間違いないです。ですが、私でもオケイオン殿でも叶わぬと感じた人物が一人います」
「そのような方が!」
「はい。かの人の名はマルケルス殿。ローマの剣と言われております」
マルケルス。その名はマーゴも知っている。
敬愛する兄が互角の勝負ができる好敵手の一人と言っていた。
戦場において、兵を巧みに操り、相手の心理までも読んだ戦術を練ることができる
事実、ハンニバルとマハルバルの戦は引き分けに終わる。
彼の戦術は……戦術と言っていいのかもマーゴには分からぬが……ただ進む。それだけだった。
巧みな戦術を操る者はローマにもいる。しかし、突進するだけのマルケルスがローマ最強の剣と呼ばれているのだ。
比類なき戦術眼を持つハンニバルに対抗しうる相手が、戦術など嘲笑う唯々突進するだけとは何たる皮肉か。
しかし、マルケルスの突進は脅威では生ぬるい。これまで幾多の戦術を突進だけで破ってきたのだから。
「突進の雄は、個人武勇にも長けていたというわけですか」
「ご本人が国士無双の実力を持っております。それが、兵士をより鼓舞するのではないでしょうか」
「それほどなのですか」
「はい」
マハルバルが今度はマルケルスのことについて熱く語る。
マルケルスの特徴として一番にあげられるのは、圧倒的な筋力だとマハルバルは言う。
マルケルスはオケイオンとマハルバル二人の力を合わせても、尚、軽々と押し返してしまうほどの腕力を誇る。
それに加え、マハルバルのセンスとはまた別の動物的な勘を併せ持つ。
マハルバルが緩急と戦いの機を読む力に優れているとすれば、マルケルスは危機を察知する能力に長けている。
どのような不意打ちが来ようが、裏をかかれようが、無意識に危機を察知し圧倒的な腕力で軽々とひっくり返してしまう。
彼の前では技巧も無意味。
どれほど巧みに剣を振るおうが、力が全てを凌駕して吹き飛ばされてしまうのだ。
「そ、それは……もう何というか、人間というよりは猛獣ですね……」
「マーゴ様、それは言い得て妙かと。戦で一騎打ちを彼に挑もうなどと私は思っていません」
「そうなのですか」
「はい。万が一にでも彼に勝てる道を選ぶより、多数で挑む方が確実ですから」
マハルバルは本当に欲がない人なんだなとマーゴは改めて実感する。
武人たるもの、自らの武功こそを第一にと考える者が大多数だ。しかし、この長髪の麗人は自らの武功より、より確実な勝利を望む。
この生き方は酷く不器用で、自分が損をするものだとマーゴでさえ思う。
しかし、マーゴはマハルバルの不器用さが嫌いじゃなかった。
きっと、兄上も彼の個より勝利を優先することを好ましく思っているのだろう。
マーゴはにこやかにマハルバルに向け微笑み――。
「本日からまた修行をお願いいたしますね」
と言ってペコリと頭を下げたのだった。
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