外伝2. 円を描く
トールは困惑していた。
彼は若くして重職を任される身になっており、尊敬する兄や叔父に一定の評価を得ている。
そんな彼の職責の中には街の規律を守るという項目があった。街にはもちろん守衛を置いており、不届きな輩がいれば彼らが取り押さえる。
トールは守衛たちの統括を任されている為、大きな出来事があった際には彼が直接出向くのが常であった。
息を切らし彼の執務室へやって来た守衛の一人は、非常に困惑した様子でトールへ状況を報告する。
「トール様。少し困った事態が……」
「貴様でも処理できない案件なのか?」
「はい。いえ、いつも通りの処理をするのでしたら全く問題ありませんが……」
どうも守衛の歯切れが悪い。
この時点でトールは何となく、本件に誰が関わっているのか当たりが付く。
正直この先を聞きたくない。しかし、立場上聞かざるを得ないだろう……トールはそう考え額に手をやる。
「何が起こっている? ゆっくりでいい。正確に報告を頼む」
トールはため息をつきそうになりながらもなんとか思いとどまり、守衛へ続きを促す。
「ハッ! 大通りで賢者殿が……そ、そのですね」
「分かった。私が出向こう」
「申し訳ありません」
トールはこの守衛を伴い執務室を後にした。
◆◆◆
大通りと聞いていたが、まさか商店街のど真ん中に人だかりができているとは思わなかった。
トールは次第に大きくなってくる人だかりへ頭を抱える。
どのような事件が勃発しているのか分からぬが、あの大木の下で何かが起こっているようだ。
十字路の中央に商店街のシンボルとして巨木がある。街の経済が発展してくるにつれて、十字路は行きかう人が途切れることがない。
しかし、人だかりの為にこの時ばかりは完全に人通りを遮っていたのだった。
これは早く対処しなければな……。トールは襟首を正し声をあげる。
彼の声を聴いた街の者は彼らに道を開け、固唾を飲み様子を見守るのだった。
「……や、やはり……」
木の下のはうつ伏せに倒れ伏したクテシビオス。
そして、彼を囲むように地面へ円が多数描かれていて、アルキメデスが唸り声をあげていた。
もう、本当に勘弁してくれ。
トールは心の中でそう独白しつつも、アルキメデスへ目を向ける。
「そこに触れてはダメだ!」
注意しようとしたトールの機先はアルキメデスの鋭い声へ遮られてしまう。
「ど、どういうことですか?」
「いいかね! その円に触れたらダメだ。その円は世界の仕組みを描いておるのだ!」
「は……はあ……」
意味が分からない。トールの額から冷や汗が流れ落ちる。
「し、しかしですね。アルキメデス殿。ここは人の往来が激しい場所で」
「ほう。ほうほう。なるほど」
「分かってくれましたか」
すぐにトールは先ほどアルキメデスが呟いた「なるほど」は自分の言葉を理解して発したものではないと気が付く。
というのは、彼は単に円を見つめて真理とやらを解読していたに過ぎず、トールの言葉など聞いていなかったのだ。
その証拠にアルキメデスは、円に触れ恍惚とした表情を浮かべているではないか。
クテシビオスもこのまま倒れたままにしておくわけにはいかない。もちろんアルキメデスもだ。
トールは手を震わせつつ、決意を新たにする。
「ベリュトス。確かにこれは手に負えないな」
「はい。トール様。重ね重ね……」
「少年を探すしかあるまい。しかし、彼のことだ。二人を放置したままにしておかぬはずだ」
「少年ですか?」
「そうだ」
ベリュトスと呼ばれた守衛は合点がいかぬようで首を傾げた。
一方のトールはヘロンが来ると確信してはいたが、長引くと被害が拡大することから彼を捜索しようと決める。
その時――。
「トール様、どうしたんですか? 何かあったんですか?」
「ヘロン! よく来た。これからお前を探しに行こうと思っていたのだ!」
トールは喜色を浮かべ、ヘロンの肩を叩く。
彼が目線を大木へ向けると、ヘロンはすぐに察し二人の元へ向かう。
「ヘロン。そこの円を踏んでは……」
トールが止めるより早くヘロンはアルキメデスの描いた円を踏みつけてしまった。
それに対し、目を見開くアルキメデスであったが、先ほどのように怒声はあげず普段の口調でヘロンへ声をかける。
「ヘロン。そこは先ほど私が描いた円があるのだ」
「そうだったんですか。見事な円を描いていらっしゃいますね!」
ヘロンは大げさに両手を広げ、アルキメデスを褒めたたえた。
「そうだろう。そうだろう! やはり、ヘロンなら分かってくれるか!」
「でしたら、もっと大きな円を描きませんか? 屋敷の庭ですと、ここより数倍の広さがありますよ」
「おお、そいつはいい。さっそく向かうとしようか!」
「はい。その前にクテシビオス先生を。アルキメデス先生はお待ちしている間、お暇でしょうから。これを」
ヘロンはアルキメデスへ大きめのパピルスと墨を握らせる。
「ほうほう。さすがヘロン。気が利くではないか」
「クテシビオス先生が復活するまで、そこに先ほど描いた円の真理を記して待っていていただければ」
「うむうむ」
アルキメデスは満足そうに手で髭を擦り、その場にドカッと腰を降ろす。
「み、見事だ。ヘロン」
「申し訳ありませんが、桶に水を汲んできてもらえませんか? 今離れると、またアルキメデス先生が」
一瞬で場を治めてしまったヘロンへトールは手放しに称賛を述べる。
対するヘロンはいたって冷静なまま、次はクテシビオスを起き上がらせるべく言葉を返す。
「もちろんだ。ベリュトス」
「……はっ……ただいま!」
トールが隣で茫然と立ち尽くす守衛へ声をかけると、彼はようやく放心状態を脱し走って桶に水を汲みに行く。
この後、クテシビオスを復活させたヘロンは二人を連れ屋敷へと戻って行ったのだった。
「クテシビオス先生。今夜はシチューです。アルキメデス先生もいかがですか? ワインも用意していますよ」
戻り際にトールの耳に入ったヘロンの言葉に、改めて彼はヘロンのありがたみを噛み締めたという。
あの二人を同時に相手ができるのは古今東西ヘロンをおいて他にはないだろう。トールはそう確信する。
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