第74話 未経験
――紀元前217年 イタリア半島イベリア軍拠点
イベリア軍の拠点はローマの城壁に比べると簡易的なものではあったが、拠点を防衛する備えにはなっている。
前面には人の背丈に倍するほどの高さのある城壁があり、城壁の上には二十ほどの大型弓などが備えつけられている。城壁の左右は馬車二台分ほどの隙間があり、ここが中と外の出入り口になる。
壁を挟んで出入り口の反対側は、溝が掘られており、溝の深さは人の背丈より少し深いくらいで、幅は人の背丈の半分を少し超えるくらいになる。この溝は今後ローマンコンクリートの壁を築く際の基礎になる予定ではあるが、いまは唯の溝に過ぎない。
溝の内側には丸太を組んだ簡易的な柵があり、馬が溝を飛び越えて急襲してくることを塞ぐ程度の効果は見込めるものだった。
ハンニバルは出入り口の二か所を重装歩兵で固め、彼らの後ろに櫓を置き、櫓の上には大型弓を設置した。また、丸太の柵の後ろにも拠点内にある限りの櫓を組み立て設置する。ここにも同じように大型弓を備え付けた。
柵の後ろには軽装歩兵に槍と弓を持たせて配置し、ハンニバルは襲い来る敵に溝を越えさせぬよう戦うように指示を出す。
城壁の上の指揮はマハルバルに任せ、カドモスには重装歩兵の指揮を、ハンニバル自身は柵の裏側と全体指揮を執ることと決めた。
対するスキピオ・マイヨル率いるローマ軍は手持ちに攻城兵器が無かったため、城壁に取りつくことは避け、左右の柵と出入り口を突破すべく兵を配置する。
ローマ軍騎兵七千と、歩兵五千が予備兵力として後ろに控え、残る四万を半分に分け左右から絶え間ない攻撃を繰り返すことでイベリア軍の拠点内に流れ込むことをスキピオ・マイヨルは志向した。
投石器と大型弓の射程距離に入ったローマ軍に対し、イベリア軍が攻撃をはじめると少しばかりの損害を出しながらもローマ軍は整然と前進する。そして、投げ槍が届く距離まで進軍すると停止し、投げ槍をイベリア軍へ向けて投擲する。
投擲した後、突き進むかと思われたローマ軍であったが、後ろの部隊と入れ替わり、再び投げ槍を投擲する。
投げ槍はイベリア軍の出入り口にいる重装歩兵や柵の裏側に突き刺さるが、身を固めたイベリア軍に対してはさしたる効果を発揮しなかった。
進んで来ないローマ軍に対し、イベリア軍も動くことをせず、櫓の上や城壁に設置した大型攻撃兵器で攻撃するに留まった。
投げ槍の一斉投擲が三度、四度と繰り返されると、丸太で作った簡易的な柵は破壊される箇所が出てきて、柵がそのまま後ろに倒れてしまう所まであった。
重装歩兵も槍が突き刺さって倒れる者も出て来たが、ハンニバルはそのまま動かぬよう兵に指示を出す。
イベリア軍が耐えること十度を超えると、ローマ軍の攻撃がようやく止む。しかし、その頃になると柵が機能しなくなるほどになっており、重装歩兵も目に見えるくらいに損害が出ていた。
「カドモスへ伝令、出撃せよと伝えよ」
投げ槍の攻撃がこなくなったことを確認したハンニバルは、カドモスへ指示を出す。
その頃、投げ槍を投げ尽くしたローマ軍は溝と出入り口に向けて一斉に進軍を開始し始める。
そこへドラの音が鳴り響いたかと思うと、崩れ去った柵を抜け溝を跳躍したカドモス率いるイベリア騎兵が飛び出て来る。
イベリア騎兵が当たったのは二軍に分けたローマ軍の右側のみで、控えていた騎兵の全軍をもってローマ歩兵へ突撃する。
不意を突かれたローマ軍前面はもろくも崩れ去るが、イベリア騎兵は一撃を加えるとそのまま左方へ走り去り、踵を返すと今度はローマ軍を横撃しはじめる。
そこへ、溝の内側でじっと身構えていたイベリア軍軽装歩兵が溝を越えてローマ軍前面へ攻撃をし始めるとローマ軍が浮足立つ。
この結果、ローマ軍の右側の部隊は兵力を集中させたイベリア軍によって劣勢に立たされる。
一方、ローマ軍の右側の部隊は順調にイベリア軍重装歩兵へ槍を突きだし攻撃を始め、溝を越えようとした時――
溝から炎が湧き上がる! 溝の下にはあらかじめ油が引かれていてそこに火を放ったイベリア軍は少しの間ではあるがローマ軍の進行を止めることに成功した。
戸惑うローマ軍に溝の内側から弓を射かけ、ローマ軍前面を削り取っていくイベリア軍。
しかし、勢いよく燃え盛る炎はそう長い時間はもたず、自然と火が消えるとローマ軍歩兵は溝に降り、溝の内側へ入ろうと溝をよじ登ろうとする。
それに対しイベリア軍は登って来るローマ軍歩兵へ槍を突き刺し抵抗を見せるもローマ軍の数に対応しきれなくなり、溝の内側へ侵入されてしまった。
数の差でローマ軍がそのまま圧倒するかと思われた矢先……イベリア軍は先の戦闘で疲弊し休息させていた軽装歩兵を投入する。
再編成が間に合っていなかったため、全軍とはいかなかったがそれでも二万を超える歩兵が戦いに加わった。
こうなると数の上でもイベリア軍がローマ軍を圧倒し、ローマ軍は溝の外へ押し出されてしまった。
イベリア重装歩兵は出入り口が狭い事もあり、倒されても後ろを塞ぐ兵はまだ十分に残っており、ローマ軍をこの時まで押しとどめていた。
ローマ軍の右側、左側でも優勢になったイベリア軍は怒涛のような攻撃体勢を取ると左右に分かれたローマ軍を中央へと押しやっていく。
分散されていた兵力を合流できる機会だと見たローマ軍は押しやられる以上の速度で中央へと集合し、隊列を再び整えた。
しかし、前面はローマンコンクリートの壁であり、壁の上にはいくつもの大型弓が置かれている。
前面に立ったローマ軍に対し、投石器から大型弓から一斉射撃が行われた。この攻撃は少しばかりの損害を与えたに過ぎなかったが一方的な攻撃であったため、ローマ軍の動揺を誘うことに成功する。
ハンニバルは戦場を見渡すために城壁の上に登ると、彼の姿を見て取ったマハルバルが彼の元で膝を付き頭を下げる。
「ハンニバル様、さすがの采配です!」
「マイヨルが初めて見る戦場に対し、慎重な手を打ってきたのが功を奏した。どちらか一方に攻撃の的を絞り一斉に溝に来られていたら、休息させていた部隊が間に合わなかった」
次は通じまい……ハンニバルは心の中で独白する。スキピオ・マイヨルの学習能力は異常に過ぎる。彼はこの戦いでどれほど多くのことを学ぶことになるだろうか。
もし次があるとすれば、騎兵の突出も逆手に取って来るに違いない。だが……
――次はない。
だから、問題なぞはない。ハンニバルはニヤリと口元に笑みを浮かべる。
「ハンニバル様、ローマ軍が引いていきます」
マハルバルの言葉にハンニバルは前方のローマ軍へ目をやると、彼らが整然と後退していく姿が見て取れた。
まだ反撃の目があるというのに、マイヨルは引いて行ったか。奴らしい……きっと奴の冷徹な頭の中でこの先戦いを続けた場合の損害を計算して引いたのだろう。
勝てたとしても、軍が機能しなくなるほどの大損害を受けては次の手を打てなくなる。我々イベリア軍はここの軍が壊滅しようとも、北イタリアに六万以上の軍団がひかえているからな。
スキピオ軍、マルケルス軍共に動けぬとなると、無傷の北イタリアのイベリア軍はケルト人をも吸収し無人の荒野を進むことができるだろう。
その考えは間違ってはいない、スキピオ・マイヨルよ。お主の思う通りに盤面は動かさぬぞ……ハンニバルは低い笑い声をあげ去りゆくローマ軍を睨みつけた。
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