第70話 イタリア半島侵攻準備

――紀元前217年 シチリア島 メッシーナ近郊

 兵を動かすことができない冬の季節の間にもハンニバルらは出来る限りの情報を集めている。また、ローマとの戦争に勝利を繰り返すことでローマと敵対する勢力との使者のやり取りも増えて来ていた。

 イベリアは冬の間にテティスへ兵を集め、騎兵一万、歩兵五万の遠征軍を新たに創設する。もちろんテティスには敵襲に備え、兵力を二万五千置いた上での遠征軍の数字である。

 この遠征軍はトールを指揮官とし、オケイオンが補佐につく。彼らの行き先はガリア・キサルピナだ。

 

 次にイベリア海軍であるが、兵の弱さを痛感したテウタらイリュリア海賊はオケイオンら傭兵にみっちりと冬の間しごかれ、ローマに劣ることのない質を誇るまでになった。

 ハンニバルらシチリア島のイベリア軍は、対岸のマグナ・グラキエアと呼ばれる地域へ遠征を行う予定になっている。

 

 トールらがガリア・キサルピナへ遠征を行うことになったのは、その地にすむガリア人が蜂起を予定しており、イベリア軍をガリア・キサルピナへ呼び込み連携することを希望していたからだ。

 ガリア・キサルピナのガリア人は幾度も反乱を起こしており、その数を減らし続けていた。今回の蜂起はイベリア軍が来てくれるのなら、背水の陣で挑むとハンニバルに申し出ていた。

 その数……およそ三万。練度がどれほどか不明ではあるが、ガリア・キサルピナへトールとオケイオンが率いるイベリア軍を入れた後、訓練で実績をあげているオケイオンにガリア兵へ稽古をつけさせる予定であった。

 最低でも、組織だって動けるようにならなければ、彼らは烏合の衆に過ぎなくなってしまい却ってイベリア軍の邪魔になってしまうだろう。

 逆に言えば、ものになれば三万という大きな兵力と、地の利を手に入れることができるというわけだ。

 

 まとめるとイタリア半島北部のガリア・キサルピナと、南部のマグナ・グラキエアからローマを挟み撃ちにしようというのが今回のイベリア軍の作戦になる。

 

 ハンニバルはメッシーナの街に準備した邸宅で、ガビアが得た情報について協議を行っていた。

 

「ハンニバルさん、ローマ軍はおおざっぱに言うと執政官コンスルのマルケルスが率いる七万、スキピオ・マイヨルがカルタゴから引き揚げた兵力が七万。あとは、マケドニアに置いてきた兵力がいるが、あいつらは動けないから数にはいれないでいいわな」


 やはり、最後はこの二人か……ハンニバルは心の中で独白し、最大のライバルであるマルケルスとスキピオ・マイヨル両名の顔を思い浮かべ、ギリッと歯を喰いしばる。

 奴らを打ち破ってこそ、ローマを打ち破ったと自身が納得することができる。望むところだ……ハンニバルは自然と口元が緩む。


「ふむ。他に動きそうなローマの都市はありそうか?」


「今のところはねえな。しっかし、奴ら……どんだけ兵を集めることができるんだってゾッとするわな。例えばだ、ハンニバルさん。中堅都市のカプアでも三万は徴兵可能なんだぜ」


 ガビアは自身の情報網を使い、ローマ各都市の徴兵能力を知りイタリア半島を占領することは非常に困難だと示唆した。

 その点については、、ハンニバルも「過去」の経験からイタリア半島を力で制圧することが不可能だと理解している。そのため、「過去」ではローマ諸都市の離間工作をおこなったのだ。

 たがその結果は……惨敗だった。僅かな都市は離反したが、ローマの諸都市はローマの危機に対し、より強く結束しハンニバルへ襲い掛かったのだった。

 

 人口の問題からローマ共和国があるイタリア半島全ての占領は不可能……離間工作も非常に困難である。

 なるほど、「過去」に比べれば格段に優位な戦況は作り上げた。西地中海の制海権はイベリアにあり、大きな穀倉地帯であるシチリア島もイベリアの手にある。

 しかし、イタリア半島全てを制圧する力は残念ながら……

 

「ははっははは!」


 ハンニバルは大きな笑い声をあげる。

 いいだろう、ローマよ。滅することが敵わないことは最初から分かっていた。だが、お前たちの力を封じ込めることは可能だ。

 翼をもぎ、イベリアへ立ち向かえぬよう刃を突き立ててやろう。

 

「ククク、ハンニバルさん、いい手が思いついたのかい?」


 ガビアもまた不敵な笑みを浮かべ、ハンニバルをじっと見つめる。

 

「ガビア、奴らの現状兵力を撃滅し、政治的に奴らを封じ込める。その為の力をイベリアがもっているとは思わないか?」


「ん、俺っちには軍事のことが分からねえが、イベリアが制海権を持ち続けるのならばローマを干上がらせることは可能だな」


「それも大きなことだな。北と南でローマ軍を破り、奴らの首都ローマを囲む。人が多い事が奴らの首を絞めることになるだろう」


「なるほどな、任せろ、ハンニバルさん。イタリア半島へじゃんじゃん物資を送ってやるからな」


「頼んだぞ。ガビア」


 ハンニバルは心の中で対ローマ戦争終結までの道を思い描く。

 そうだ。首都ローマを取り囲み、物資が尽きるのを待てばよい。攻城戦は行わない。半年も攻囲すれば奴らは飢える。その為の補給線を確保するためにマルケルスの軍を破る。

 制海権を持つイベリアはイタリア半島へ物資をいくらでも送ることが可能だ。そして沿岸からローマまで、陸路の補給線を固めておけば一年だろうが首都ローマを取り囲むことができる。

 囲みながら、ガビア、叔父ハストルバルと協力し、ローマ元老院へ圧力をかける。後はローマ元老院が折れるのを待つのみだ。

 

「ククク、ハンニバルさん、その顔……どうやら道が見えたみたいだな」


「うむ。後一つ、奴らには警戒すべき集団がいる」


「ほうほう。どんな奴らなんだ?」


「それは、剣闘士奴隷だ。イタリア半島には大量の剣闘士奴隷がいる。彼らに奴隷解放を条件に戦わせることができたのなら、剣の腕が立つ精強な一軍となろう」


 「過去」において、ローマは剣闘士奴隷を兵力化しハンニバルを苦しめた。現在においてもイタリア半島に攻め込まれる事態になれば、剣闘士奴隷の集団をローマ軍に組み込むかもしれないと彼は考える。

 

「なるほどなあ。ああ、ハンニバルさん、分かったぜ。やれるだけやってみる。余り期待はしないでくれ」


 ガビアの頭脳はハンニバルの一言だけで、自身が何をすべきかその切れすぎる頭で正確に読み取っていた。つまり……イベリアにつけば奴隷身分から市民へしてやると囁き、イベリア軍が闘技場にいる剣闘士奴隷を開放すればいいわけだ。

 もしくは、剣闘士奴隷に反乱を起こさせ、イベリア軍が救援に向かう。

 まあ、どっちにしろ、敵の兵力になるかもしれない奴らがこちらの兵力となる……なるほど、上手い手だとガビアは感心する。

 

「さすがはガビアだな。これだけで分かるとは驚嘆きょうたんしたぞ。元々うまく行く可能性は低いのだ。うまく行けば幸運程度で頼む」


「あいよ。決起させるなら、いつにするのか連絡をくれよ」


「もちろんだ。トールたちとの連携も必要だ」


 ハンニバルの言葉を最後にガビアは彼の邸宅を退出する。

 勝負の時は刻刻と迫って来ている……そう、もうすぐ春が訪れる……

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