第69話 鬼謀ガビア

――紀元前217年

 ファビウスとカルタゴ元老院の動きを掴んだガビアは、ハンニバルへ報告を行った後、カルタゴ元老院へ政治的な駆け引きを仕掛ける。

 彼はハンニバルと二点を死守することで合意していた。一点はカルタゴ本国より先……つまりヌミディアの安全を確保すること。もう一つはカルタゴ本国を無力化又は中立化すること。

 彼らの言う無力化とは、カルタゴ本国より軍事力の供出を行うことを阻止することである。しかしこれには、カルタゴ商人の自由を妨げることを含んでいない。

 

 カルタゴの最有力家であるハンノ家の当主ハンノ・ヒミルコはカルタゴ主流派の頂点に君臨し、ローマのファビウスと裏交渉を行った人物であった。

 ガビアの掴んだ時点での彼らの取り決めは、カルタゴ本国がローマへ臣従し、少しばかりの貢納金を支払うことでローマ同盟国として扱われるということだった。カルタゴがローマ同盟国として扱われることで、カルタゴ元老院はこれまでと同じくカルタゴ人によって運営することが可能だし、ローマから侵攻されることも無くなる。

 カルタゴからしてみれば、ローマへ多少の金を支払ってでもローマの軍事力を頼りにできることは、大きな利益になることが明白で、それだけの旨みを提示したファビウスへ乗らない手はないだろう。

 ただし、カルタゴはローマの求めに応じて穀物の輸出を行う必要がある。

 ローマにしてみれば、イベリアとカルタゴが共同戦線を張りローマに当たることを防止でき、シチリア島の代わりに穀物の安定的な入手先を確保することができる。

 

 ガビアはファビウスの出方を知った時、なるほどと思った。力によるカルタゴ制圧を行ってくれれば、一時的にしろ穀物の輸入は滞り、カルタゴ本国に派遣している兵へ補給も行わねばならなくなる。

 この隙を生かせぬハンニバルではないだろう。だからこそ、ファビウスはカルタゴ本国へ甘い条件を見せて彼らから協力するように動いたのだ。

 

――だがな……


 ガビアはクツクツと低い笑い声を出しながら、独白する。

 

「確かに、双方にとって利益がある。ククク、しかしなあ。俺っちたちもカルタゴ本国へ利益を示せるのを忘れちゃいねえか?」


 ガビアは使いの者を通じてハンノ家の当主ハンノ・ヒミルコへ接触し多少の脅しと国家のグランドデザインを提示する。

 

 そして、一か月が過ぎる頃、ある程度の戦果を出したガビアは、シラクサ近郊の拠点で軍の再編成を行っているハンニバルのテントを訪れる。


「やあ、ハンニバルさん」


 ガビアは不敵な笑みを浮かべながら、地面へあぐらをかくと、ハンニバルも彼と同じように腰を降ろす。

 

「ガビア、進捗はどうだ?」


 ハンニバルはカルタゴ本国へ対する政略を全てガビアに任せていた。自身が行うよりガビアが行う方が成果があがるだろうと思ったところはあるが、兵の再編も必要で政略へ力をさくことができなかったのも大きな理由であった。

 本来であれば、逐一ガビアと入念な打ち合わせをしながら事を進めたいところだった。ハンニバルはこと政略に関して言えば、自身よりガビアの方が優れていると確信しているが、ガビア一人より二人の方がより良い案がでるのではないかとも考えていたからだ。

 

「だいたい終わったぜ。ハンニバルさん、やはりカルタゴって国は商人の国だってことだな」


 ガビアは貝紫で色鮮やかに染めた帯をクルクルと回転させて納得した様子だが、ハンニバルにはそれだけ言われても理解できないのは当然のことで、ガビアの言葉の続きを待つ。

 

「ふむ。どういう政略を行ったのかは後で説明してくれ。まずは結論だけ教えてくれ」

「ククク……一つ、カルタゴ本国はイベリアやバオールの領地と切り離されカルタゴ本国のみがローマの同盟国となる。一つ――」


 ガビアはハンニバルへカルタゴ元老院との取り決めを説明していく。カルタゴ本国はイベリアやバオール領を自国の領域として扱わず、カルタゴ本国のみがローマの同盟国となる。

 カルタゴ本国はイベリアやバオール領だけでなく、ヌミディアやエジプトともこれまで通りの交易を行い、ローマとは親密な関係を構築する。

 カルタゴ本国は軍事的にどの国に対しても協力を行わないが、ローマの求めに応じて物資の輸出を行う。カルタゴ本国単独で輸出すべき物資の量が不足する場合、エジプトやイベリアから輸入を行い、ローマへ拠出する。


「つまり、軍事的にはカルタゴは中立になるということか……いやそれだけじゃないな、さすがガビアだ」

「すぐに分かってくれるとはさすがハンニバルさんだな。俺っちたちイベリアは、ローマがカルタゴ本国からヌミディアやバオール領を脅かす心配をしなくて済むんだ」

「エジプトとの協力関係がここに来て生きるとは、それを活かしたガビアあってこそだがな」


 やはり、ガビアはすばらしい。ハンニバルは彼の頭脳に賞賛を禁じ得ない。地中海世界で圧倒的な穀物生産量を誇るのはエジプトである。イベリアとエジプトは親密な関係を築いており、カルタゴ本国が不作となったりローマの求める穀物量が余りに多かった場合、頼りになるのはエジプトなのだ。

 ローマの穀物の安定確保という目標を達成するため、カルタゴ本国はイベリアとエジプトに対して交易ができるようローマに求めた。元々カルタゴ本国の軍事力に期待していなかったローマは、エジプトからも安定的な物資の供給を受けることができる方を選択したというわけだ。

 カルタゴという国は商人の国で、交易する相手が多くなればなるほど市民の支持を得ることができる。しかし、交易ができる国家が増えるといっても、ローマに臣従するとなるといかなカルタゴ商人といえども「はいそうですか」とはならない。

 ハンノ家は先のポエニ戦争で不倶戴天の敵と認識されているローマの同盟都市になるという強引な政策を押し通してしまったから、カルタゴ市民の支持を失っていた。

 その失点を取り戻すことができるのが、エジプトとイベリアとの交易になる。

 

 どこにとっても悪い話ではないということだ。ガビアは巧に利益をちらつかせ、目的を達成したというわけか。

 

「素晴らしい手腕だ、ガビア!」

「ああ、ローマは物資を得て、イベリアはヌミディアを憂う必要がなくなった。どっちにとっても悪く無い話だ」

「それで充分だ。ローマとは力と力でぶつかり合い……打ち破って見せる」

「頼んだぜ、ハンニバルさん。ローマの動きも探っているから、まとまったら報告にくる」

「引き続き頼む」


 ガビアは立ち上がり、いつものように貝紫で鮮やかに染めた帯をズリズリと引きずりながら、テントから出て行った。

 

 彼が去った後、ハンニバルはガビアの政略の成果を生かすべく、今後の戦略の修正を考えていた。

 イベリアはカルタゴ本国へ行く必要がなくなった。彼の地は戦場になることはないだろう。ローマが攻めて来るとすればシチリア島の他はない。だが……ここで待っていてローマを迎撃するだけでは、ローマを降伏させることは叶わないだろう。

 やはりローマを屈服させるには、イタリア半島に攻め寄せる必要がある。

 攻める道筋は二つ。イタリア半島北部のガリア・キサルピナか南部の靴の端とかかとの領域……マグナ・グラエキアを攻めるかどちらかだな。

 どちらもローマが近年制圧した地域で特にガリア・キサルピナはローマの支配に対する反発が大きい。マグナ・グラエキアは元ギリシャの植民都市があった場所で最後の拠点タレントゥムを陥落させ、この地はローマのものとなった。

 

 シチリア島北東部のメッシーナの対岸と地理的にマグナ・グラエキアは近い。ローマが狙う土地もシチリア島だろうから、マグナ・グラエキアを攻める方が利に適っているだろう。

 しかし、ガリア・キサルピナの反発勢力も惜しいな……さて、どうするか。

 

 ハンニバルは更なる思考の海へ沈んで行った。

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