第66話包囲殲滅陣の完成

 スキピオ・ガウルスは敵軍中央を突破すべくローマ軽歩兵を鼓舞していたが、前回の敵兵と根本的に異なることに気が付いていた。ときおり前進してくる軽歩兵とカルタゴ歩兵とは異なる鎧を着た歩兵……ガウルスの見解だと傭兵……が強い。

 しかし、スキピオ・ガウルスにかかればそれらの強兵がいたとしても既に突破できていたはずで、そうならない理由はイベリア軍中央を指揮する指揮官にあると考えていた。

 

 スキピオ・ガウルスは敵指揮官の巧みさに舌を巻く。あの指揮官は、自身と同じで多くの経験と戦いを感じ取る動物的な勘によって動いているとガウルスは思う。

 ただ、ガウルス自身もそうなのだが、こういったタイプの指揮官は守勢より攻勢の方が得意なことが多く、攻めてこそ真価を発揮できる者が普通だ。

 

 だが、どこにでも例外は存在する。目の前の敵軍を指揮する指揮官はその例外だとスキピオ・ガウルスは戦いをはじめてすぐに感じ取っていた。

 

 このまま突破できぬことは無いだろうが、時間がかかり過ぎる。自軍は既に包囲され数を減らしていっている。ならば……スキピオ・ガウルスは前方を睨みつけると最前列の兵以外の陣形を組みかえる。

 矢じりのような陣形になったスキピオ・ガウルス率いるローマ軽歩兵は、力の限り叫ぶとスキピオ・ガウルスを先頭に勢いよく駆け始める。

 

 先頭とはいえ、スキピオ・ガウルスを守る兵はもちろんいるのだが、指揮官が最前面に出る事で兵の士気はこの上なく上昇し、敵軍へ突撃する。

 矢のような陣形は敵を削り取ることが目的ではなく、ただ前へ、前へ進むための一点突破が狙いであった。

 

 スキピオ・ガウルスの雄たけびに合わせて、突撃を敢行する矢じりとなったローマ軽歩兵も獣のような声をあげ彼の後に続く。

 

 この突撃はイベリア歩兵の堅陣を切り裂いていくことに成功する。しかし、この策は指揮官であるスキピオ・ガウルスを危険に晒す。

 

――投げ槍がスキピオ・ガウルスへ襲い掛かる。


 それに対しスキピオ・ガウルスは自身の持つ槍を一閃し、投げ槍を払い落とした。その隙に飛び込む影が一人……影は黒の美しい長い髪をなびかせた長身痩躯の秀麗な男だった。

 敵の接近に反応したスキピオ・ガウルスは急いで槍を投げ捨てると腰の長剣を引き抜く。

 

 その瞬間、金属と金属のぶつかる澄んだ音が鳴り響き、スキピオ・ガウルスと長髪の男の剣が交差していた。

 

「間合いを取られながらも、間に合うとはさすがガウルス殿ですね」


「お主は……確か、マハルバル、また会ったな!」


 スキピオ・ガウルスは獰猛な笑みを浮かべ、剣を振るうとマハルバルは素早く剣を引き一歩後ずさる。

 

「その首……取らせていただきます! 我が主君の名にかけて!」


 マハルバルは一歩踏み出すと、スキピオ・ガウルスの太い首に狙いを定め、剣を突き出す。しかし、ガウルスは剣でマハルバルの突きを下から上へ切り上げて払うと、そのまま剣を切り下ろす。

 このスキピオ・ガウルスの剣をマハルバルは難なく防ぐが、彼は苦渋の表情を見せる。マハルバルの体勢は苦しいものではなく、余裕をもって剣を受けていたのだが……

 

「このような形で申し訳ありません……」


 マハルバルはスキピオ・ガウルスに聞こえないほどの小さな声で囁く。その瞬間、スキピオ・ガウルスの首が後ろから斬りつけたバスタードソードによって飛ばされた。

 

「オウケエイ! 何とかなったな」


 バスタードソードを握りしめたオケイオンがニヒルな笑みを浮かべると、マハルバルは軽く黙とうをしてその場を立ち去る。

 

 指揮官スキピオ・ガウルスが討ち取られたことによって、指揮が乱れ兵の突進も止まると目論んでいたマハルバルとオケイオンはローマ歩兵の動きに驚かされることになる。

 指揮官を失ったローマ軽歩兵はますます士気があがり、狂走と言えるほどの進撃を見せ、余りの圧力に耐えきれなくなったイベリア軍中央はローマ軍の矢じりに突破を許してしまう。

 

 空いた穴を広げるように後から後からローマ歩兵が攻勢に出てきて、綻びを修復できないと判断したオケイオンは中央から兵を引く。

 

 敵軍の中央突破を見て取ったハンニバルは、ヌミディア騎兵へ伝令を出し左右から突破したローマ歩兵を追撃するように命じる。

 ヌミディア騎兵が中央へ到着する頃には、ローマ軍は開いた穴を押し広げながら後列の兵まで突出してきたいた。しかし、ここにローマ兵がここに来るまでに彼らは既に六割近い兵を失っており、ただ逃げるための突破をするにとどまる。

 そのまま逃げだしていくローマ軍を騎兵で追撃したイベリア軍は、最終的に敵兵の八割近くを打ち倒し、ローマ軍へ勝利することとなった。

 


◇◇◇◇◇


 

 ローマ軍がメッシーナの街へ逃げ込むとハンニバルらイベリア軍はそこで追撃を停止し、補給を行うためにシラクサ近郊の陣地へ取って返す。日がすっかり暮れる頃、彼らは陣地に到着し祝宴を行うこととなった。

 できればそのままメッシーナの街へ攻め込みたかったが、イベリア軍は攻城兵器も陣を張るための物資も備えておらず休息を取るにもシラクサ近郊の陣地に戻るしか選択肢がなかった。

 そうは言っても、大勝利は変わらず陣地には糧食も攻城兵器も準備してあったので、一日休息を取った後メッシーナへ向けて出撃する予定であった。

 

「ハンニバル様! 見事な采配でした!」


 マハルバルはハンニバルの元へやってくると紅潮した顔で主君を褒めたたえる。

 

「いや、此度こたびの戦いはお前とオケイオンの働きがあってこそだ。見事だったぞマハルバル、オケイオン」


 ハンニバルは敬礼するマハルバルへ目を向け、後ろを振り返りワインを手にしたオケイオンへ向け手を上げる。するとオケイオンはワインを掲げハンニバルに応じた。

 

「明日、メッシーナへ向かうのでしょうか?」


 マハルバルは膝をついた姿勢のままハンニバルへ尋ねると、彼は首を横に振る。

 

「いや、明日は休息を取らせる。疲労した状態では満足に力を発揮できぬからな。なあに、街は逃げられぬよ」


「確かに、おっしゃる通りです。街は動けませぬ」


 マハルバルは秀麗な顔に笑みを浮かべる。そんな彼をハンニバルは立たせると、ワインの入ったコップを手渡し彼を労った。

 

「マハルバル。今日は存分に飲むといい」


「ハンニバル様の心遣い、感謝いたします」


 ハンニバルもワインの入ったコップを傍付の者から受け取ると、それを掲げ勝利を祝う。

 

「此度の勝利、バール神とグリフォンへ感謝を」


 ハンニバルは天に向かって祈りを捧げ、ワインを口に含む。

 戦いには勝利した。後はメッシーナを落とせばシチリア島の制圧は成る。しかし、カルタゴ本国がどうなったのか……情報を待たねばならぬな……ハンニバルはそう心の中で独白しワインを飲み干すのだった。

 

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