第65話 第二次シチリア島の戦い
――紀元前218年
ハンニバル率いるイベリア軍とスキピオ家のプブリウス・スキピオとガウルスが率いるローマ軍は見晴らしのいい草原で対峙していた。
イベリア軍は歩兵四万五千を弓型に配置し、その両翼に騎兵一万ずつを置く。対するローマ軍は歩兵六万五千はローマの伝統的な方陣を組み、方陣と方陣を縦に長くなるように並べているが、イベリア軍に比べると横幅は厚い。また、歩兵方陣の両翼に騎兵をそれぞれ五千配置している。
イベリア軍はフラミニウスと対した時と異なり、前回スキピオ家と戦った時とほとんど同じ陣形を組んでいた。
プブリウス・スキピオとスキピオ・ガウルスは敵陣の様子を睨みつけながら、戦いの開始を告げるドラを鳴らすタイミングを静かに伺っている。
「プブリウス、奴らの中央は以前と同じで薄い。我らが同じ過ちを犯すとでも思っているか? そうだとしたら舐められたものだな」
スキピオ・ガウルスは馬上のプブリウスへ自身の率直な気持ちを告げる。彼の表情は戦いの前に高揚しているようで、手綱を握る手に力がこもっているのが見てとれた。
「前回は囲まれたことで兵が動揺しましたが、来ると分かっていれば対処のしようがあります」
プブリウス・スキピオは自信に満ちた声を兄スキピオ・ガウルスへ返す。
「うむ。我が軍の騎兵はそう長い時間は持たぬだろうが、防御態勢で迎え撃つ。以前より粘るだろう。その間にできれば中央を抜きたいところだな」
「はい。囲まれることは事前に予測し兵に通知しております。騎兵が抜かれるまでには間に合わないかもしれませんが、敵軍中央のあの薄さならば突破できるはずです」
「ならば、私が中央の兵を率いよう」
「兄上、よろしくお願いします。私は全体の指揮を執ります」
中央をガウルスが率いるなら前回より破壊力は増すだろう。プブリウス・スキピオが敵陣を見る限り、敵中央は脆弱ではないが、数で勝る自軍を支えきることはできないだろう。
しかし、彼は不安も感じている。敵は何故同じ陣形を組んだのだろうか? フラミニウスが伏兵に足をすくわれたこともあり、伏兵の存在を入念に確かめた。結果、伏兵はいないと判断したが、それでも念には念を入れて見晴らしのいい草原に布陣したのだ。
事ここに至っては、中央突破を行って敵を分断し殲滅する作戦をとる以外に道はない。プブリウス・スキピオはギュッと拳を握りしめた。
一方その頃、イベリア軍では作戦の確認を行っていた。
ハンニバルの元にはマハルバルが控え、最も精強なヌミディア騎兵はカドモスが率いるところはいつもと変わらない布陣だが、中央歩兵を率いるのがオケイオン。
中央前衛はカルタゴ重装歩兵で固め、その後ろにオケイオンの子飼いの傭兵たちが陽気な様子で武器の手入れを行っていた。
「ハンニバル様、フラミニウス殿の時と異なり、中央は厚くされないのですね」
マハルバルは敬愛する主君へ確認の意味を込めて問いかける。
「うむ。スキピオ家と戦った時とワザと同じ布陣にしたのだ。奴らは伏兵を気にしていたが、オケイオンらとお前が率いる『特戦隊』こそが此度の罠なのだ」
ハンニバルはマハルバルへ頷きを返しながら、ニヤリと口元に笑みを浮かべる。
そう、見晴らしのいい草原で構えるローマ軍へ小細工なしで対峙したのも、伏兵を置かないのも全ては奴らを嵌めるため。スキピオ家は伏兵をよほど警戒していたのか、フラミニウスの時とはくらべものにならないほど斥候が放たれた。
しかし、ハンニバルの戦術はそこにはない。この戦いは正面からぶつかり合い、包囲殲滅陣を完成させ敵を殲滅する。全く同じ布陣で同じ戦術を使うことが作戦の肝なのだ。ハンニバルは心の中で独白する。
頃合いか……ハンニバルは敵陣と自軍を眺めると右手を高く掲げる。
「イベリアの戦士たちよ! 決戦の時だ! ローマが来るというのならば、打ち破ろうではないか! 何度来ても結果は変わらぬ! 我が軍は此度も勝利を持ち帰るだろう! グリフォンに栄光を!」
ハンニバルはあらん限りの声で叫ぶと、兵が次々に怒号のような歓声をあげ、騎兵が進みだす。
◇◇◇◇◇
イベリア軍左翼のカドモス率いるヌミディア騎兵は防御陣形を取り動かぬローマ騎兵を見て取ると、一斉に投げ槍を投じ浮足立ったところに突撃を敢行する。
馬上から投げ槍を投げることは相当な修練が必要で、組織だって狙ったところへ全員が投げ槍を投じることができるのは地中海世界だとヌミディア騎兵だけの特権だ。
突撃したヌミディア騎兵はあっという間に自軍の半数しかいないローマ騎兵を圧倒する。
もう一つのイベリア軍騎兵である右翼のカルタゴ騎兵はそのままローマ騎兵へ突撃する。こちらも初撃は騎兵の突進力を活かしたイベリア騎兵がローマ騎兵の前列を散々に打ち破ると立ち止まり戦闘が始まる。
一方、中央では数に勝るローマ軍が投げ槍を投じると、イベリア軍中央の重装歩兵が盾を構えそれを凌ぐ。続いてローマ軍はスキピオ・ガウルスの鼓舞と共に勇猛な雄たけびをあげながらイベリア軍中央と激突した。
ハンニバルは後列中央から伝令を待ちながら、戦場全体の様子を伺う。彼が予想したとおり、ローマ軍中央の攻勢は前回より激しい。
しかし――
ハンニバルはあの陽気で女好きの傭兵隊長の顔を思い浮かべると、彼にしては珍しく不敵な笑みを浮かべた。
「オウケエイ! やるじゃねえか。ローマの奴らもよお。でもなあ、俺達だって負けちゃいねえんだぜ。なあ、マハルバル」
オケイオンは特別隊を引き連れて彼の元へやって来たマハルバルへ親指を立てニヒルな笑みを浮かべる。
「ええ。我々がローマ軍の攻勢を凌いでみせます」
「ボスもやっちまおうぜえ」
「敵将スキピオ・ガウルス殿は相当な使い手です」
「なら、二人で一気に斬り伏せるか!」
「いいのですか?」
マハルバルはオケイオンの言葉に目を見開く。武人としては勇敵を打ち倒すのは誇るべきこと。
自身の手柄と名誉を捨て二人がかりで攻めることを提案するとは……
「ヘーイ! 傭兵ってのはなあ。生き残ることが大事なんだぜ。お前さんが苦戦するってんなら、安全策を取ろうぜえ」
「了解しました!」
「つってもまあ、カドモスの旦那が暴れまわるまで俺たちは踏ん張らなきゃならねえがなあ」
オケイオンは首を回すと、両手を組みバキバキと音を鳴らす。
「特戦隊も全力でご協力いたします」
「まあ、そう固くなるなって。そろそろ行くぜえ、野郎ども。勝利の女神は下着をちらつかせているぜえ」
オケイオンの冗談めいた言葉に子飼いの傭兵たちは爆笑し、彼の指示に対し的確に動いていく。
オケイオンはカルタゴ重装歩兵と傭兵たちの隊列を巧に入れ替え、時に特戦隊に協力を仰ぎ戦列に開いた穴をふさいでいく。
普段の彼からは想像できないが、非常に緻密かつ防御に重点をおいた動きでローマ歩兵の進軍を凌いでいく。
その間にもカドモス率いるヌミディア騎兵はローマ騎兵を蹴散らすと、ローマ軍右翼へ襲い掛かる。続いてカルタゴ騎兵も突破を果たし、ローマ軍左翼へ食らいつく。
その動きに合わせ、後列で控えていたイベリア軍軽歩兵が左右に広がり、ヌミディア騎兵はローマ軍の後方へ回り込み始めた。
このまま中央突破を許さずローマ軍を削り切ればイベリア軍の勝利、中央突破を果たせればローマ軍が逆転する……果たして。
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