第64話 イベリア軍精鋭集結

「しかし、どうする? ハンニバルさん、カルタゴ本国へ何か手を打つかい?」


 ハンニバルの思考を断ち切るようにガビアが、手に持つ帯をクルクル回しながら不敵な笑みを浮かべる。

 ハンニバルの思いは、バルカ家がカルタゴ元老院と不倶戴天の敵同士であろうとも、カルタゴ本国へイベリア軍を差し向けたい。カルタゴ本国は今となっては名目上でしかないが、イベリアをも統べる国なのだ。

 カルタゴという国は、北アフリカにあるカルタゴ本国、バオール・ギスコ領、イベリアが構成国家になる。イベリアはカルタゴ本国を凌ぐほどの国力を持つまでになったが、カルタゴの一部であることに変わりはない。

 

 それ故本国の危機とあれば、救援に向かいたいのがハンニバルの偽らざる本音だ。彼の気持ちを抜きにしてもカルタゴ本国が落ちれば、重要拠点であるヌミディアが危うくなる。

 

「救援に向かいたいが、今は動けぬ」


 ハンニバルは絞り出すようにガビアへ向けて呟くと、彼も頷きを返す。

 

「まあ、そうだろうな。カルタゴ本国が抑えられると、カルタゴ商人の動きが阻害される。これはイベリアの経済へ打撃となるぜ。つってもまあ、ローマの方もカルタゴ商人がいなきゃ厳しいだろうがな」


「カルタゴ商人はしたたかだ。イベリアとローマの戦争をいいことに中継貿易を行い儲けているのだろう?」


「そうだな。俺っちたちも噛んでるから、そこでちゃんと利益をあげてるぜ」


「さすがガビアだな。抜け目ない。ということは経済的には、ローマが入ろうがそこまで変わらないということなのだな?」


「んー、ローマがカルタゴ商人を封じることがなければだけどな。排除したいだろうが、どれだけうまくやっても数年かかるだろう。まあ、物流を止めていいってんなら話は別だが」


「奴らもそこまで馬鹿ではない。輸入が止まればローマとて立ち行かないだろう」


「むしろ、輸入が止まればイベリアの方が有利だな。ハンニバルさんがシチリア島を制圧すれば、奴ら穀物が足りなくなるぞ」


「ふむ。となれば経済的には、すぐにどうこうなることはないのだな」


「あくまで予測だがな」


 経済的に問題はなくとも、政治的にはどうだ? 場合によっては完全にカルタゴ本国と決別することになるかもしれぬ……ハンニバルは眉間にしわをよせ大きく息を吐く。

 シチリア島のスキピオ軍団を撃滅し、カルタゴ本国へ兵を向ける。それまでにスキピオ・マイヨルがどこまでカルタゴ本国へ打撃を与えているのかが勝負だな。

 バオールとヌミディアへは防戦に徹するように使者を送り、カルタゴ本国単独でスキピオ・マイヨルに対応してもらうしかない。もし中途半端な兵力でスキピオ・マイヨルへバオールとヌミディアがカルタゴ本国と協力し相対することになれば、マイヨルによって致命的な打撃を与えられかねない。

 

 イベリアの防衛軍はどうだ? 彼らを全て集めバオールとヌミディアと協同し、スキピオ・マイヨルに当たる。いや、そうすれば、ローマはがら空きになったイベリアへ新たな軍を創設し攻めて来るだろう。

 一度動かした兵を戻すのは困難だ。この手は打てない。

 

 口惜しい事にイベリアは、ローマのような速度で大軍を新設することはできないのだ。無い袖は振れぬ……ハンニバルは血が出るほど拳を握りしめる。

 

「悔しい事に今すぐに打てる手がない。ポエニ戦争の時のようにカルタゴ本国が勇戦してくれればよいのだが……」


「第二のクサンディポスか? まあ、傭兵は集めるだろうが奴ほどの指揮官がそう都合よく見つかるものかねえ」


「とにかく、シチリア島のローマ軍を打ち滅ぼすしかあるまい。ガビア、カルタゴ本国の情報が入り次第教えてくれ」


「あいよ」


 ガビアはその言葉を最後に「よっこらしょ」と立ち上がると、ハンニバルの居るテントから立ち去っていく。

 ハンニバルはガビアの後ろ姿を見ながら再び思考の海に沈んでいく。ガビアの言う様にポエニ戦争の英雄であるクサンディポスのような優れた司令官が現れ、防衛に徹してくれれば守り切れるかもしれない。

 しかし、相手はまだ若いとはいえあの「アフリカヌス」だ。私が駆けつけるまでにカルタゴ本国が持たねば、奴はこの世界でもローマ元老院から「アフリカヌス」――アフリカを征する者――の称号を得ることになる。

 願わくば、カルタゴ元老院があっさりと降伏しないで欲しいのだが……

 

 

◇◇◇◇◇



 イベリア海軍はシラクサで補給を行い、オケイオンやマハルバルらと人員交代を行う。オケイオンら『禿鷲クフブ傭兵団』はハンニバルの軍団へ組み込まれ、特戦隊もまた元の配置に戻る。

 ハンニバルは当初オケイオンらをテティスへ戻す予定だったのだが、スキピオ・マイヨルの軍団がカルタゴ本国へ向かったことでテティスが危急に陥る可能性が低いと見て、シチリアにいる自身の軍団を強化すべく彼らをここに残した。

 テティスはトールにそのまま任せ、兵員を二万五千から三万まで増やすよう使者を送った。

 

 『禿鷲クフブ傭兵団』と特戦隊を合わせると四千名になる。この結果、ハンニバルの軍団は歩兵四万五千、騎兵二万の合計六万五千になった。

 対するスキピオ家率いるローマ軍は入って来た情報によると歩兵六万五千、騎兵一万の合計七万五千。ハンニバルは九万を超える兵団を送り込むと見積もっていたが、カルタゴ本国を攻める兵の確保のためシチリア島遠征軍の数が減ったのだろうとすぐ理解した。

 

 敵兵の数を聞いたハンニバルはスキピオ家の軍団を打ち倒す戦術をすぐに決定する。ハンニバルは主だった指揮官をシラクサ近郊の拠点にある広場に呼び、軍議を執り行う。

 集まった指揮官にはマハルバルとオケイオンの姿もある。副将はこれまでと同じでカドモスが務める。

 

此度こたびの戦い、オケイオンらが加入してくれたことで勝利は盤石のものとなった。恐れることは無い。我々はローマに既に何度も勝っている」


 ハンニバルは集まった指揮官を順に見つめ、自信たっぷりに述べる。

 

「任せておきな!」


 この場においてもいつもの陽気さを崩さず、ハンニバルと目があったオケイオンが口を開く。

 

「うむ。頼んだぞ。『禿鷲クフブ傭兵団』よ。敵はたった七万五千で我らを倒そうという。片腹痛い。奴らは来るなら全軍で来るべきだったのだ。この甘い見積もりが奴らに跳ね返ることになるだろう」


 ハンニバルの宣言に指揮官らは無言で頷きを返す。誰もが知っているのだ。自軍の将こそ最も優れていると。将がそう言うならば、それは真実なのだ。集まった司令官の心の声は一つになっていた。

 

「皆の者、作戦は以前スキピオ軍と戦った時と同じだ。しかし、これこそが奴らに対する罠になる。我らは前回とは違う。これ以上言わずとも皆分かるな?」


「はい!」

「応!」


 指揮官らは口々に肯定の言葉を発する。この後細かな動きが協議され、軍議は解散となる。

 『禿鷲クフブ傭兵団』と特戦隊を休ませるため、三日の休息が与えられた後、ハンニバル率いるイベリア軍はシチリア島北東部へ向けて進軍を開始した。

 

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