第62話 シチリア島沖海戦
――紀元前218年 シチリア島沖 イベリア海軍
スキピオ家率いるローマ軍はパウルスのローマ海軍による護衛を受けながら、イタリア半島の対岸であるシチリア島北東部の街メッシーナに向けて兵員を洋上輸送していた。
そのローマ海軍を強襲すべくテウタらイベリア海軍は、シチリア島南東にあるシラクサで兵員をマハルバルら特別隊と一部入れ替えた後、洋上へと旅立つ。
イベリア海軍は南からローマ海軍へ襲いかかることを指向し、あと数時間で接敵する予定であった。
まさに戦闘開始直前といえるイベリア海軍だったが、テウタが乗る旗艦は戦闘前の緊張感と無縁な様子で……原因は旗艦に乗り込んだ二人によるところが大きい。いや、正確には一人なのか。
「ちょっと、なんであなたまでいるのよ!」
いつものエジプト風衣装を纏い肌の露出が多いテウタが腕を組み頬を膨らまし、帆柱に気障ったらしく寄りかかる男へ苦言を呈する。
「ヘーイ! テウタ。お前さんとマハルバルの邪魔をするつもりはねえよ」
ニヒルな笑みを浮かべる男――オケイオンはまさに飛び掛かってきそうなほど息巻いているテウタと、彼女から少し離れた位置でヤレヤレといった様子のマハルバルへ目を向ける。
「もう! そんなんじゃないって言ってるでしょお!」
テウタはオケイオンの言葉にご立腹の様子で、声のトーンが高くなる。
「オケイオン殿、あまりテウタをからかわないでください……」
マハルバルはげんなりとあきれたようにオケイオンへ目を向ける。
「オケイオンはハンニバル様からここへ乗船しろって言われてないでしょ!」
まだ収まらないといった感じでテウタは捲し立てるが、当のオケイオンは涼しい顔をしている。
「何言ってんだよ。旗艦こそ特等席だぜえ!」
オケイオンの言葉を聞きながらマハルバルはハアと大きなため息をつく。もう何度このやり取りを聞いたか……いい加減二人とも憎まれ口を叩くのをやめればいいのに。マハルバルは切に願う。
そんな彼の思いもむなしく、二人の言いあいは続く。
「護衛ならマハルバルがいるから大丈夫なの!」
「ヘーイ! マハルバルと二人きりがいいってのかよ」
「そんなんじゃないわよ! ここに何人いるって思ってるのよ!」
マハルバルは二人の言いあいを聞かぬようにしながら、前方を眺めた後、見張り台にいる船員を見上げる。
マハルバルと目があった監視役の船員は、彼の意図を汲んだのか肩を竦める。
「ちょっとマハルバル!」
「ヘーイ! マハルバル、こいつをなんとかしてくんねえか」
二人ともなんともなりませんとマハルバルは心の中で独白すると、漕ぎ手の様子を見に行こうと歩き出そうとした時、見張り台の船員が大声で叫ぶのが聞こえた。
「姉御ー! 敵船が見えやしたぜ!」
見張り台の船員の声が聞こえると、にぎやかに口喧嘩をしていた二人は急に顔が引き締まり、前方を見据える。
テウタは自身の長い髪が流れる方向からイベリア船団が目論見どおり風上にいることを確認すると、嬉しそうな笑みを浮かべる。
ハンニバルが指示した通りの方向……つまり南側からローマ海軍を襲撃するルートは自軍が風上に立てる方角だった。彼は戦場を選定する際、元商人だったガビアの助言から風上が取れる位置を戦場に選んだ。。
海戦において風上を取ることは船の移動速度において圧倒的に優位に立てる。かつ敵船は護衛中であり、後ろに下がれぬ背水の陣だ。
優れた戦闘員を融通してもらい、かつ自軍に優位な戦場までお膳立てしてもらった。テウタとてそのことは分かっている。ここまでやってもらって奮い立たぬ彼女ではない。
軍船の数は同数。船員の質もローマ海軍に迫る。立ち位置は優勢。
テウタはブルリと体を震わせると、大きく息を吸い込む。
「野郎ども! いよいよだよ! ローマ海軍を打ち破りましょう!」
テウタの掛け声に甲板にいる戦闘員が歓声をあげる。
見ると敵船も自軍に船首を向け迎撃する態勢だ。船の戦いにおいては横腹を取れれば
となるとやはり敵船に斬り込み、白兵戦が勝敗を分けることになる。
◇◇◇◇◇
正面を向き合ったイベリア海軍とローマ海軍はそのまま前進し、がっぷり四つに組み合う。お互いに何か細工をするわけでもなく、近くの船へ自軍の船を横づけして甲板の上で激しい斬り合いがそこかしこで起こる。
ここまで真正面からぶつかった理由に戦場の狭さがあった。ローマ海軍は後ろに護衛すべきスキピオ率いるローマ軍が控えており、長蛇の列を組む護衛対象のため横一列になっていた。
横に広がりきった船団は下がることが出来ないため船を動かす余地がほとんどなかった。それに加え、シチリア島とイタリア半島の海峡にあたるこの海域は非常に狭い。
イベリア海軍は護衛対象を襲撃するのではなく、目的がローマ海軍の撃滅にあったから彼らと海戦を行うために同じように横に広がり突撃した。
その結果、お互いがただ前進し組み合う状況が生じたというわけだ。
こうなると指揮官による戦術は役に立たず、ただ甲板に立つ戦闘員の能力のみが戦いの
「なるほど、ハンニバル様はここまで想定しておられたのか」
マハルバルは敵船が目前に迫った敵船を睨みつけながら独白する。しかし彼はつい言葉が出てしまったことにあせり、テウタが聞いていないか左右を見渡すが、幸い彼女の姿は彼の近くにはなかった。
「ほう。お前さんのボスはなかなかの策士なんだな」
ホッとするマハルバル後ろから陽気な声がしたかと思うと、彼の肩をポンと叩く。
「オケイオン殿、お恥ずかしい……口に出すつもりはなかったのですが」
「大丈夫だぜ。お嬢さんは聞いていねえ。船の舵を取るのに必死だからな」
「それは幸いでした。今のは聞かなかったことにしてください」
「オウケエイ! 俺は女には優しいんだぜ。言わねえって」
オケイオンはニヒルな笑みを浮かべると親指をグッと前に突き出した。
マハルバルは口笛を吹いているオケイオンの様子から彼も察していたのだなと理解する。
そう……戦術を使えなくさせたのは敵将パウルスに手を打たせなくするためだ。逆に言えば、我が主は敵将パウルスの方がテウタより上と見ている。
いや、テウタの手腕を信じないわけではないが、オケイオンら傭兵団と特別隊の力をより信じたというべきか。
マハルバルが思考し眉をしかめていると、オケイオンが彼の背中を強く叩く。
「ヘーイ! 男なら細けえことは気にしないもんだぜ。お嬢さんが船を操り、俺たちゃ敵を斬る。それだけだ」
「はい!」
彼らが会話している間にも船は敵船に迫り、ドラの音が響き渡る。ドラの音が鳴ったということは、「斬り込め」という合図に他ならない。
「さあて、行くぜ! マハルバル! どっちが多く倒すか勝負だぜ!」
「負けませんよ!」
オケイオンは走りながら背負った二本のバスタードソードを引き抜くと、後を追うマハルバルも背中の大剣の柄へ手をかける。
彼ら二人がこの戦いで
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