第59話 マルケルス

――紀元前218年 マケドニア

 ローマの東方、ギリシャ北部にあるマケドニアはギリシャと同盟を組んだローマと戦争を行っており、双方が決戦を志向した結果マケドニア西部で大軍が対峙することになった。

 ローマ軍は騎兵一万、歩兵六万の合計七万。対するマケドニアは騎兵一万、歩兵八万の合計九万。数の上ではマケドニアが勝るが兵の質ではローマが上回ることもあり、総合的に見て若干のマケドニア有利な状況下にあった。

 

 しかし、ローマを率いるマルケルスに憂いは一切感じられなかった。二メートルを超える長身に筋骨隆々の体躯、綺麗に剃った頭と彼の見た目は頼れる武人といった風貌であり、事実、彼は「ローマの剣」と呼ばれ当代随一の将帥と評価を受けている。

 彼はこれから始まる戦いに心を躍らせながら、馬に乗る副将へ声をかける。

 

「いよいよだな! たぎるではないか! 壮観だ。あれだけの兵を相手にするのだからな!」


 マルケルスは愉快愉快といった風に、今まさに激突しようと対峙しているマケドニア軍九万を睨みつける。

 それに対し、副官も同じような獰猛な笑みを浮かべ同意するように頷く。

 

「そうですね! フラミニウス殿も父上たちもこれほどの大軍を相手にしますまい」


「ガハハ! いや、お前の一家を破ったハンニバルとやらとも戦いたいのだがな!」


「ハンニバルは我が家の獲物です! 敗北したままとあれば我が家の名折れですよ!」


「そうかそうか! さすがスキピオ家。勇猛なことだ!」


 二人は同じように大声で笑い合うと、戦場の空気が変わったことをお互いに感じ取る。

 マルケルスはニヤリと口元に笑みを浮かべると、手綱を握りしめ大きく息を吸い込んだ。

 

「行くぞお! 勇壮な戦士たちよ! 我々は何だ!」


 マルケルスの掛け声に周囲の兵は口を揃えて応じる。

 

「我こそはローマの戦士! 最強! 最大! 最高!」


「そうだ! 我々こそが最強だ! いくぞ戦士たちよ! 一匹の野獣となりて敵を喰い破れ!」


「応!」

「応!」


 兵士たちは一斉に声を張り上げ、前進していく。

 

 マルケルスは猪突猛進ちょとつもうしんである。愚直に前進することしか知らない。彼は戦術が得意ではない。駆け引きというものが分からない。

 

 しかし――

 

――彼こそはローマ最強の「剣」なのだ。


 方陣を組んだ戦士たちは一斉に奇声をあげながら投げ槍を投げ、そのまま突進していく。敵の弓矢に当たり倒れる者がいても一切の動揺はなく、それどころかますます怒号のような声が大きくなりマケドニア兵に喰いつく。

 マケドニア兵は余りのローマ兵の勢いに押し込まれるが、隊列を入れ替え重装歩兵の大盾でもって攻勢を押し返そうとする。

 

「盾がなんだ! 獣に盾は要らぬのだ! 突進だ! 突進せよ!」


 マルケルスの声が伝播するように彼の言葉と意思をそのままに、後列の兵から彼の言葉を復唱し、最前列の者が同じ言葉を叫ぶ。

 止まらない。マルケルスの戦士たちは止まろうとしない。盾を押し、マケドニアの重装歩兵の槍に貫かれながらも突進する。この狂気とも言える突進にマケドニア兵は恐慌状態に陥る。

 

――奴らは人間ではない。奴らは獣だ。止まることを知らない狂気に任せた獣なのだ。

 

 マケドニアの指揮官はそう思い、背筋に寒いものが走るがローマ軍の狂走は止まらない。

 これがマルケルス。ローマ最強の「剣」。

 

 勢いそのままにマケドニア軍を破ったマルケルスはマケドニアとの戦後処理を副将に任せ、兵三万を残しローマへと帰還する。

 


◇◇◇◇◇


 

――ローマ

 時を前後してローマで新規軍団を構築していたスキピオ家は、プブリウス・スキピオ家で夕食をとりながら今後の戦略を話し合っていた。ここに集まったのはいつもの三人……プブリウス・スキピオ、彼の兄スキピオ・ガウルス。そして息子のスキピオ・マイヨルである。

 彼らが集めた兵力は六万であったが、フラミニウスの敗戦を聞き予想以上に兵力を損じたことを知ったプブリウス・スキピオはさらに兵力を集めるか、それとも敵が回復しきらぬうちに急行すべきか悩んでいた。

 

「プブリウス、シチリアへ渡らぬのか?」


 勇猛でならすプブリウス・スキピオの兄スキピオ・ガウルスは、先の敗戦もありハンニバルと早く戦いたくて仕方がないといった様子で彼に問う。

 

「兄上、フラミニウス殿は敗れ重傷を負ったと聞きます。さらに兵力が四万まで減じ、兵の再編に時間がかかることが予想されます」


 プブリウス・スキピオは兄へ冷静に状況を伝える。

 

「イベリアめ……フラミニウス殿を……」 

 

 スキピオ・ガウルスは歯をギリッと鳴らし、眉間にしわを寄せる。

 

「兄上、ローマの軍組織では一軍としてまとまることができる数に限界があります。指揮官への伝達も限界がありますし」


 全軍で突撃と言い出しそうな兄へプブリウス・スキピオは先手を打つと、スキピオ・ガウルスはバツが悪そうにボリボリと頭をかく。


「父上、伯父上。でしたら、フラミニウス殿の軍団を吸収し、お二人で二軍を率いればどうですか?」


 表情一つ変えずにスキピオ・マイヨルが彼らの会話に割って入る。

 

「ふむ、マイヨルよ。その案は私も一度考えた。しかし、敵は我らを一度打ち破り、勇将フラミニウス殿も破ったハンニバル……一塊になって私と兄上が行動するにしても、指揮系統が二つに分かれることの方が危険だと思ったのだよ」


「あの小癪こしゃくなイベリアの小僧は、フラミニウス殿に対し伏兵を使ったそうだ。我らに地の利はないからな……プブリウスの言う通り思わぬ奇襲を受けた場合、指揮系統が二つというのはマズい事になるかもしれぬな」


 プブリウスとガウルスは口々に二軍に分けることの危険性を若いスキピオ・マイヨルに伝える。

 彼らの言葉を聞いたスキピオ・マイヨルは天性の学習能力と分析能力をもって、自軍と敵軍、そして地理を頭に巡らせ納得したように頷く。

 

「なるほど、勉強になります」


 全ての計算を終えたスキピオ・マイヨルは穏やかな口調で二人に感謝の意を告げる。


「となると、一軍の限界である八万……いや私と兄上ならば九万までは指揮ができるでしょう。五万人を率い、フラミニウス殿の軍団を吸収するとして……残り一万はいかがいたしますか?」


 プブリウス・スキピオは兄へ問うと彼は腕を組み、思案した後に口を開く。

 

「一万では守備隊程度にしか使えぬな」


 ガウルスの言葉が終わると、机をトントンと叩く音が響き渡る。机を叩くのはスキピオ・マイヨルが何か深い考え事をしている時にする癖だと知っていた二人は、彼の言葉を静かに待つ。

 

「父上、伯父上。兵をさらに二万……できれば三万集めませんか?」


「ほう。何か考えがあるのだな。言ってみよ、マイヨル」


 プブリウスは聡明な息子が何を考えたのか少し楽しみだと思い、彼へ言葉を促す。

 

「はい。では失礼して――」


 スキピオ・マイヨルの言葉を全て聞き終えた時、プブリウスだけではなく豪放で知られるガウルスまで才気煥発な彼の案へ言葉を失う。

 

「マイヨル! 驚愕きょうがくしたぞ。お前の案はおもしろい。ローマ元老院へ手回しをすぐ行おう」


 息子の案を二度ほど頭の中で反芻したプブリウスはようやく息子へ言葉を返し、彼の案を実行すべく動くことを約束した。

 そして、プブリウスはこの案を実行する総指揮官は息子以外にいないと考え、彼に一軍を任せるよう元老院へ働きかけることも決意する。

 

「それでは、私は明日より兵を集めます。元老院へ根回しをしてくださりありがとうございます」


 スキピオ・マイヨルはこの場にあっても表情を一切変えることなく二人に応じる。

 未だ若き天才スキピオ・マイヨルの戦略が明らかになるのは、この日より数か月先のことになる。


※ようやくきました。大好きなお方が。猪突猛進。

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