第57話 策略

――紀元前218年 シチリア島

 シチリア島に対峙するローマ軍、イベリア軍は互いに向かい進軍していた――

 イベリア軍を撃滅しようと進軍するローマは、騎兵千名に威力偵察を行わせる。同じくイベリア軍も騎兵五百名を二軍に分け偵察を行った。

 ローマが進軍してくるのならば、ハンニバルらはシラクサの陣地で待ちかまえた方が戦いを有利に展開できる目算があった。しかし、ハンニバルは待ち構えることをやめ、ローマと同様に打って出ることにした。

 ハンニバルはフラミニウスらが執政官コンスルに選ばれた情報を事前につかんでおり、その際にローマ元老院で決定された他の事案についても把握している。

 

 つまり、スキピオ家が新たな軍団を創設していることも彼は知っていたというわけだ。彼の取った戦術は海軍を引きこもらせ、シチリア島に大量の物資を溜め込むことで戦線を乗り切ることだった。

 スキピオらがどれだけの速度で軍団を形成できるのかは不透明であるが、ハンニバルはフラミニウスを打ち破った後、スキピオ家をも相手にすることを想定し戦う必要がある。

 さらに、待ち構えるよりは、野戦による奇襲を含めた戦いを行った方がフラミニウスに対しては効果的だというのも打って出た理由の一つなのであった。

 

 偵察に出たイベリア騎兵はローマの偵察部隊を先に発見する。彼らは威力偵察を命じられていたため、そのまま敵兵へ斬り込みを行うことも可能であったが、敵は同じ騎兵で見たところ倍の兵数である。

 ハンニバルは偵察部隊に威力偵察を行う事を許可していたが、敵の兵力次第ではもう一方の偵察部隊と上手く連携するようにと申し付けていた。

 幸いローマ軍の偵察部隊は未だイベリア軍の偵察部隊に気が付いてない模様であったので、彼らは二騎の伝令を送る。一方は彼らと別行動中の偵察部隊に。もう一方はハンニバルの本隊に。

 

 伝令を送った後、彼らは槍を構え一気にローマ軍偵察部隊の脇腹へと突撃を敢行する。虚を突かれたローマ軍偵察部隊は態勢が崩れるものの、損害を出しながら動揺を鎮めることに成功した。

 しかしそこへ駆けつけたもう一方の偵察部隊であるイベリア軍騎兵が襲い掛かる。挟撃されたローマ軍偵察部隊は壊乱し、各々が自軍に戻ろうとほうぼうに動き始める。

 こうなれば、イベリア軍に対抗しうる組織だった戦いができなくなり、次々に斬られていくローマ軍偵察部隊。一騎たりとも逃がすものかとイベリア軍は逃げ出すローマ軍を追いかけるが、二割ほどの兵は逃してしまった。

 

 威力偵察部隊と間もなく合流したハンニバルの本体は、彼らから報告を受け満足そうに頷く。

 

「マハルバル、カドモス。一つ罠を張ってみるか」


 ハンニバルは傍らで控えるカドモスとマハルバルの両名へ声をかける。

 

「どのような手を打ちますか?」


「見ろ、カドモス、マハルバル。ここは勾配があり、兵を隠すによい場所だと思わぬか?」


「なるほど。伏兵ですか」


 カドモスがハンニバルの指し示した丘陵に目をやり感心したように頷く。

 

「うむ。マハルバル。騎兵三千を預ける。いつ出るのかはお前に一任する。カドモス、お前はそのままヌミディア騎兵を率いろ。兵の統率に当たっている指揮官へ兵に休息を与えるよう指示を出せ」


「ハッ!」

「身命を賭して、別動隊を率いさせていただきます」


 二人は馬上のため、膝をついて礼を行うことが出来なかったが、その場で頭を下げるとそれぞれの持ち場に戻って行く。

 

 威力偵察部隊が壊滅したローマは我々の正確な位置を掴めぬまま進軍してくるだろう。こちらは伏兵をうまく隠ぺいしながら陣を構築しローマ軍を待ち構えるとしようか。

 ハンニバルはニヤリと笑みを浮かべ、近傍にいるであろうローマ軍へ思いを馳せた。

 

 イベリアはほぼ正確にローマ軍の位置を把握しており、彼らの進行ルート上に自軍がいることを知った。そこでハンニバルは伏兵に適したこの場で待ちかまえ、ローマ軍と戦闘に突入しようと考えたわけだ。

 

 現れたローマ軍の総数は歩兵六万、騎兵九千の六万九千。対するハンニバルらイベリアは騎兵一万七千、歩兵四万の合計五万七千と数の上ではローマ軍が優勢であった。

 イベリアもローマも中央に歩兵を置き、両翼に騎兵を置いたオーソドックスな陣を組みお互いに睨み合う。

 

 ハンニバルは前回の戦いと異なり、左右に大きく陣を開くのではなく中央を厚くし、その分歩兵の横陣列は短くなっている。これでは全ての敵を包囲するに時間がかかるが、今回の戦いにおいてハンニバルが狙うことは中央突破を阻止するために、どれほどの兵が必要か見積もることであった。

 ハンニバル自身、厚く陣列を組み過ぎているのではないかと思っているが、敵を見極めるに余裕をもってあたるべきと判断し包囲に支障が出る程中央は厚くなったのであった。

 

 この戦いにおいて、ハンニバルは軽装歩兵を左右後方に置き、重装歩兵を前面に押し出した。

 

「行くぞ! 諸君! 恐れることは無い。ローヌ川と同じように奴らはもろくも崩れ去ることだろう! 勇戦せよ!」


 ハンニバルの号令が響き渡ると、兵は豪雷のように怒号をあげ両翼の騎兵が突撃していく。

 歩兵は動かず敵を待ち構える。

 

 両翼の騎兵同士の戦いが始まる頃、ローマ軍の投げ槍がイベリア軍中央に襲い掛かるが前回の経験もあり彼らはうまくこの攻撃を凌ぐ。

 ローヌ川の戦いと同じように左翼のヌミディア騎兵が突破を果たしローマ軍歩兵を横撃し始めるとローマ軍に動揺が走る。

 

 続いて右翼のカルタゴ騎兵がローマ騎兵を打ち破る。その頃ローマ軍中央ではフラミニウスが兵を鼓舞して回っていた。

 

「恐れるな。騎兵は突進による衝力こそ威力はあるが、足を止めて戦うならば歩兵に劣る。冷静に判断し槍を突きさせ」


 囲まれつつある情勢下であっても、フラミニウスは騎兵の特性を正確に見抜き、騎兵だけの包囲など物の数ではないと自軍を鼓舞する。

 その成果もあり、イベリア軍騎兵に左右から押し込まれていたローマ軍歩兵はイベリア軍騎兵を押し返し始める。

 

 一方のハンニバルはやはり騎兵のみの包囲では十分では無いなと冷静に戦場を見ていた。いや、ただの将ならば騎兵に左右から突撃されれば散を乱しなし崩し的に崩れていく。

 これは相手がフラミニウスだからこそ押し返せたのだろうと彼は心の中でフラミニウスを称賛する。優れた政治家でもあるフラミニウスは兵の士気を高めることが抜群に上手い。

 動揺を鎮めることなど政治の場でも戦場でも幾度もあっただろう。その経験が此度も生かされているということだ。

 

 もし歩兵を薄くし左右に広げていたならば、敵兵の動揺が鎮まる前に軽歩兵でもって包囲網を敷く。しかし、今回はその手を取ることが出来ない。

 幸い厚くした中央は激しいローマの攻勢に耐えており、一進一退の攻防を繰り返している。

 

 このままいけば戦いは互角、双方大きな被害を出して痛み分けといったところだ。

 

――しかし。


 ハンニバルはニヤリと口元に笑みを浮かべ、間もなく奇襲をかけるであろう腹心でもあり友人でもある秀麗な男の顔を思い浮かべる。

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