第48話 ローヌ川東岸の戦い
戦いを開始するドラの音が鳴り響くとイベリア軍中央は、ゆっくりとした速度で大盾を構えながら進軍していく。左翼と右翼の騎兵はローマ軍両翼の騎兵目がけて一気にかけていく。
それに対し、ローマ軍中央は勢いよく進軍を開始し両翼の騎兵は、中央の歩兵を守るように陣から離れ、数で勝るイベリア騎兵を待ち構える。
両軍の距離が近づくとローマ軍中央の軽装歩兵は、駆け抜ける勢いを乗せて投げ槍をイベリア軍へ向けて投げる。この投げ槍はローマ軽装歩兵を前面に置く最大の利点で、周辺諸国を震撼させたローマ軍を特徴つける強力な攻撃である。
弓より射程距離は短くなるが、当たれば革鎧程度なら貫通し敵兵を沈めることができるほどの威力を持つ。これに対しイベリア軍は何ら射撃で対抗することはなかった。
というのは重装歩兵は大きな盾と長槍を持つ関係上、弓を持つ余裕がない。彼らはただ大きな盾でもって投げ槍を凌ぎ、ゆっくりと進軍することしかできない。
ハンニバルは歩兵前列へ飛んでくる投げ槍を睨みつけながら、馬の手綱をギュッと握りしめる。
「ハンニバル様、ローマの投げ槍とはここまで凄まじいものなのですね」
マハルバルは眉間にしわを寄せハンニバルと同様に歩兵の最前列を見つめている。
「うむ。鍛え上げられたローマだからこそ、投げ槍をあそこまで飛ばすことができるのだ。あれは弓と違って鉄の盾以外で遮ることはできぬ」
「なるほど。弓を使える軽装歩兵を後ろに下げ、防御することだけに重点を置いたのですね」
「それでも打ち抜かれ倒れ伏す者もいる……ある程度は盾の効果はあったようだがな……」
ハンニバルはマハルバルへ目くばせしてから、手綱を引くと馬を走らせる。彼は歩兵陣地を回り兵を鼓舞して回る。
「ここを凌げば我らの勝利も近い! 次の投げ槍を凌げば敵軍の元へ着く!」
「応!」
「イベリア軍に栄光あれ!」
「ハンニバル様のため、勝利を!」
鼓舞された兵は奮起し、しかと盾を握りしめ重い装備のため走れない中でも焦れずにゆっくりと歩を進める。
二度目の投げ槍を凌ぎ、ついにローマ軽装歩兵と接触するイベリア軍重装歩兵。彼らは盾を前へ構え、その隙間から槍を突きだしローマ軽装歩兵を圧迫していく。
「倒すことより守ること、倒されないことを重視しろ!」
ハンニバルから命を受けたマハルバルが前線まで進出し、直接最前列の兵へ指示を出す。
重装歩兵は数の差もあり押されながらも、よくローマ軽装歩兵を押さえつけていることを見て取ったハンニバルは、軽装歩兵をいつでも動かせるよう準備を行う。
一方、ローマの倍の兵力を持つイベリア騎兵は優勢に戦いを進めていた。ローマ騎兵は左右に五千づつ配置されていることに対し、イベリア騎兵は一万と倍の数で襲い掛かる。
ローマ騎兵は倍するイベリア騎兵に対し攻撃を凌ぐことを重視した守りの構えでイベリア騎兵に対抗している。
しかし、ローマ軍右翼の様子を見た騎兵を統括するローマ軍のスキピオ・ガウルスは驚愕する。
「何者だ。イベリア左翼の騎兵は……」
これまでローマは特に歩兵が強く、ローマ軍歩兵と比肩する質をもった歩兵はほんの一部の傭兵だけであった。その認識は正しく、ローマ軍歩兵はその力をいかんなく発揮しイベリア軍中央を押し込んでいる。
騎兵においてもローマはこれまで他国に対しひけをとることなどなかった。若干優勢か互角かその程度だったのだ。兵の質で常に戦争を優位に進めてきたローマ軍というスキピオ・ガウルスの思うところは正しい。
それだけに、イベリア左翼の精強さに彼は目を見開いていたのだ。
ローマ軍はスパルタなどごく一部の例外を除き、兵の訓練にかける時間が他国に比べ長い。それだけにローマ軍は精鋭揃いで、その練度の高さで他国を圧倒してきた。ローマの最大の強みは、練度の高い兵を多数集めることができる点だった。
騎兵とて例外ではなく、おそらく精鋭である倍するイベリア軍右翼騎兵に対し、よく攻撃を凌いでいる。
しかしあの左翼のイベリア騎兵は何かが違う。スキピオ・ガウルスが見るかぎり、下馬し剣を振るえばローマの方が強いと見える。何が違うのかというと、奴らは馬の扱いが頭抜けて熟練している。まるで手足のように馬を扱い、的確に我が軍を潰して行く。
手綱から両手を離す時間も長く、足の動きだけで上手くバランスを取り剣や槍を振るう。
――これは……耐えられぬ。
スキピオ・ガウルスは心の中で独白し、鬼のような表情でローマ軍中央にいる弟の元へ向かう。
その時、イベリア軍左翼から大歓声があがる。
「よし、抜けたようだな」
ハンニバルはヌミディア騎兵の怒号のような大歓声が耳に入るとニヤリと口元に笑みを浮かべ、そう呟く。
彼はハンニバルの元に戻ってきていたマハルバルへ指示を出す。
「マハルバル、軽歩兵を率いカドモスと連携しローマ軍の右側を包み込め」
「ハッ! 了解いたしました!」
マハルバルは主君の命に歓喜の表情で答える。
マハルバルが率いる軽装歩兵一万が進出すると、カドモスが率いるヌミディア騎兵は場所を軽装歩兵に譲りつつローマ軍後方へと回り込み攻撃を加える。
横撃され、後ろから攻め立てられたローマ軍は動揺し混乱をきたしはじめる。その頃になると、カルタゴ騎兵もローマ騎兵を圧倒しつつありハンニバルが率いるイベリア軽装歩兵が進出し始める。
――ローマ軍中央
スキピオ・ガウルスが到着するとプブリウス・スキピオは苦渋の表情で陣形を変えるよう指示を出していた。スキピオ・ガウルスは話す余裕が無いように見える弟の代わりに彼の息子であるスキピオ・マイヨルに戦況を尋ねる。
「どうなっている?」
「叔父上、我が軍は包囲されつつあります。父上は被害が大きくなる前に敵軍中央を抜こうと動こうとしています」
「イベリアの左翼騎兵が異常だ。あれほどとは我々の想定外だったな……」
スキピオ・ガウルスは「包囲」という言葉を聞き、悔しそうに呟く。しかし、早くから敗戦する恥辱を受け入れ、兵の損耗を減らす対応をしている弟プブリウス・ガウルスに彼は自身の弟ながら彼の優秀さを改めて心の中で称賛する。
「中央を早く抜くことができれば逆転の目もあります。……なるほど……その為の不可解な重装歩兵でしたか」
「そういうことか! 小賢しい手を……しかし、奴らの手はあの騎兵が我が軍を圧倒することを前提とした手だ。よく決断したものだ……」
スキピオ・ガウルスの言う事はスキピオ・マイヨルにもすぐに理解できた。
叔父はこう言っているのだろう。精強なローマ軍に対し、それを圧倒できるだけの兵の質を自軍の騎兵が持つと信じて布陣した。これまでのローマ軍が他国を圧倒する姿を見ていればいくら自軍の質に自信があろうともここまで大胆に戦術を練ることはできないだろう。
その大胆さを彼は「よく決断した」と表現した。スキピオ・マイヨルはそう心の中で叔父の言葉を整理した。
プブリウス・スキピオの指示の元、イベリア軍中央へ激しい攻撃が加えられたが、彼らは粘りその間にも攻囲したイベリア軍が動揺したローマ軍を削り取っていく。
包囲してからそれほどの時間が過ぎていないが、ローマ軍は急速に数を減らしていく。
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