第45話 スキピオ家

――紀元前219年 ローヌ川西 同盟都市マッシリア

 今年で十七歳になったスキピオ・マイヨルは、執政官コンスルとなった父プブリウス・スキピオと共に従軍しローマの同盟都市マッシリアで軍を集合させていた。

 ここには二人の他にカルタゴノヴァへ赴いたことのあるスキピオ・マイヨルの伯父スキピオ・カウルスも将帥の一人として参加している。

 

 スキピオ家はこれまで数々の執政官コンスルを送り出してきたが、彼らが執政官コンスルに選出される時は、ローマが戦時または臨戦態勢にあるときが殆どだった。

 彼らはローマ市民の期待に応え、数々の会戦を勝利に導いてきた。先のポエニ戦争でもスキピオ・マイヨルの祖父コルネウスが活躍している。余談ではあるが彼の祖父は名将を数多く輩出したスキピオ家でも五指に入ると言われていた。


 若きスキピオ・マイヨルは父と伯父に連れ立って同盟都市マッシリアに来たが、これは彼の祖父が生前二人に何度も彼の才能を絶賛していたことも大きい。

 というのは、彼の祖父は二年前に亡くなったが、戦争に未だ出たことがなかった彼を非常に高く評価した。歴代のスキピオ家の将軍でも五指に入ると言われた祖父に自身より上になると言わしめた程に。


 そうは言ってもスキピオ・マイヨルは軍人として恵まれた体をしていたわけではない。逆に彼はおよそ軍人らしくない見た目をしていた。筋肉こそついてはいるが、線が細く頰がこけ蛇を彷彿させるような顔貌をしていたのだから。

 しかしその細い爬虫類のような目は大器を感じさせる光を放っていると父は感じていた。


 彼の父プブリウス・スキピオは祖父ほど彼の才能を信じていたわけでは無かったが、自身を超えていく存在だと思っている。彼には二人の息子がいて、長男は既に将帥として活躍しておりそれなりの実績をあげているが、その長男と比べても次男のスキピオ・マイヨルはずぬけていると感じていた。

 未だ実戦経験の無い次男をだ。

 

 彼ら三人はマッシリアの賓客用の邸宅で夕食を食べながらイベリア軍について意見を交わしていた。

 

「兄上、イベリア軍をどう見ます?」


 プブリウス・スキピオは兄であるスキピオ・ガウルスに大雑把過ぎる問いかけを行う。

 

「俺は経済の事はよくわからん。しかし、迅速に六万の兵力を集めるとなるとマケドニアに匹敵する敵と見ねばならんな」


 スキピオ・ガウルスは獰猛な笑みを浮かべ、ローストした鳥のもも肉を嚙みちぎる。

 

「猛将と呼ばれる兄上らしい見解ですね。兄上はカルタゴノヴァへ訪れた時、どのように感じましたか?」


 プブリウス・スキピオは兄とは対照的に柔和な笑みを浮かべ、静かに水を口につけた。

 

「奴らか? 奴らは小賢しい、実に小賢しい。ファビウス殿と化かし合いをしておったわ」


 スキピオ・ガウルスは表情一つ変えずファビウスとやり合っていたイベリアの執政官スッフェトの顔を思い浮かべると眉間にしわを寄せ、それを振り払うかのようにワインを一気に飲み干した。

 

「あのファビウス殿と渡り合うとは敵ながら老獪ろうかいな者もいるものですね」


「やるならやる、やらぬならやらぬとハッキリ言えばいいのだ。ファビウス殿もあの執政官スッフェトも」


「まあまあ、ファビウス殿は兄上を補助するために着いて来てくださったのです」


「確かにファビウス殿がいらしてくれたのは大きかった。白紙の書欄を見た時だけはさすがの執政官スッフェトも表情を変えておったわ」


「よくあのような悪辣あくらつな手を思いつくものです。スキピオ家は良くも悪くも政治には余り関わっていないのが幸いですね」


「うむ。ファビウス殿のような方と化かし合いなどごめんだ」


 一方はガハハと豪快に、もう一方は声を立てずに笑う。彼らの笑い声が静まった時、机をトントンと叩く音が響き渡るのが彼らの耳に入る。


「マイヨル? 何を考えているのだ?」


 プブリウス・スキピオは息子が考える時の癖……指で何かを叩く癖を見やり、彼に問いかける。

 

「父上と伯父上のおかげで、敵将のこれまでの戦況を知ることが出来ました。そこで考えていたのですよ。彼がどう出るのかを」


 スキピオ・マイヨルは敵将ハンニバルのこれまでの戦いの記録を脳内で振り返っていた。対ローマ強硬派であるハミルカルの息子ハンニバルは、父の後を継ぎ対ローマ最強硬派として振る舞うかと思ったがそうではなかった。

 彼はイベリアの現執政官スッフェトである対ローマ穏健派だった叔父ハストルバルの薫陶を受けたのか、ローマの市民の英雄フラミニウスと繋がりがあるらしい。

 彼は市民の為と立ち上がり、周辺地域を次々に勢力下に治めると驚いたことにガリア人……彼らの表現だとケルト人か……細かいことはいいが彼らは蛮族まで市民として扱った。これにはフラミニウスも驚いたそうだ。まさに市民の為の行いだが、フラミニウスもガリア人にまで温情をかけることはできないと舌を巻いていた。

 そのようなハンニバルが今何を思い、ローマと戦うのかは分からないし、スキピオ・マイヨルの興味はそこにない。

 スキピオ・マイヨルが知りたいのはハンニバルがどのような戦略・戦術を実行する将帥なのか。彼はそこを推し量ることのみに腐心している。残念なことにハンニバルがこれまで戦った会戦は彼の実力を測れるようなものではなかった。

 どれも相手が寡兵過ぎ、戦う前から勝敗の決まっているようなものしかなかった。これから始まる戦で彼の実力は分かるのだろう……スキピオ・マイヨルは蛇のような鋭い目をさらに細め、机を指先で叩く。

 

「あの執政官スッフェトに六万もの大軍を任されるのだ。只者ではないと思うが……一度当たってみねば分からぬな」


 スキピオ・ガウルスは顎に手を当て思案顔で呟く。

 

「こちらの兵力は歩兵六万の騎兵一万。決して油断できる兵力差ではありません。全力を持って事に当たらねばなりませぬ」


 プブリウス・スキピオは兄の顔をしかと見つめるとスキピオ・ガウルスも無言で頷きを返す。

 

「父上、伯父上。撃って出るおつもりですか?」


「マッシリアの城壁内では入ってせいぜい四万人が限度。どこかに陣地を作らねばならぬ」


 息子であるスキピオ・マイヨルの問いに父プブリウス・スキピオが答える。

 

「油断はせぬ。『油断こそ一番の敵』というのがスキピオ家の家訓である。全身全霊をもってイベリア軍を打ち倒そうではないか」


 スキピオ・ガウルスは父子に檄を飛ばすと、二人も杯を掲げて応じるのだった。

 油断や隙の無いスキピオ・ガウルスとプブリウス・スキピオ両者に対するは大戦の実績が無い未だ二十代の若きイベリアの将ハンニバル。ローマ本国は兵力で勝る上に歴戦のスキピオ家の将軍が出たとあって、戦いは盤石のものだと考えており、ローマ市民の世論も似たようなものだった。

 生意気なイベリアへ報復をというのがローマ市民の世論であり、ローマ元老院は市民の声に最高クラスの将帥を準備した。これで何を憂うことがあるのか。それがローマの一致した意見であった。

 

 だが、彼らは未だ知らない。ハンニバルこそ最も恐るべき将軍だと言うことを。

 

 翌日、スキピオ家に率いられたローマ軍はマッシリアを出立する。ローヌ川を越えるか超えないかはイベリア軍の動きを見てからとスキピオ家は決めゆっくりとした速度でローヌ川へと向かう。

 

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