第43話 海賊行為

――紀元前220年 カルタゴノヴァ ハンニバル邸

 「過去」のローマと戦った戦争は、初期から大きく分けて二つの戦線が構築されていた。一つはハンニバル率いるローマ遠征部隊で、カルタゴノヴァを出発した彼らは、エブロ川を越えイベリア半島の付け根まで占領を行う。

 といってもピレネー山脈の東側を制圧したに過ぎず、山を越えて西側のケルト人とは交渉によって中立を保たせることに成功したことに留まる。こういった経験があるハンニバルは、コンテのケルト諸部族もルシタニアも力を見せればすぐに従うと考えていたのだった。

 事実彼の考え通りにコンテもルシタニアもイベリア連合に加わった。

 

 話を戻すと、ピレネー山脈まで制圧したハンニバルはここに兵を残し、トールに防衛を任せる。ハンニバルの部隊はそのままローヌ川を越え、ローマ同盟都市のマッシリア付近でガリア人を打ち倒し、アルプスを越える。

 一方、防衛を任されたトールらは攻め寄せたローマ軍に陸でも海でも敗れ、カルタゴノヴァに引き返すことになってしまった。この敗戦は後々大きく響いてくる。

 ハンニバルの補給を妨げるとともに、イベリア半島にローマの拠点が出来てしまったため、後のローマによるヒスパニア攻略を成功させてしまった。

 

「――マハルバル、概略はこんなところだ」


 ハンニバルは大きく息をつき、水を口に運ぶ。

 

「ハンニバル様、『過去』の戦いは過酷だったのですね。トール様もマーゴ様も奮戦したと思うのですが」


「うむ、彼らは良くやってくれた。充分な兵があればあるいは……二人は後にカルタゴノヴァでの戦いでローマを下しているからな」


「おお!」


「此度の戦いは『過去』と様相はかなり違う。ローマはバレアレス諸島を無視できないだろうし、エブロ川河口にガビアが拠点を作っているからな」


「ヒスパニアにあるギリシャ諸都市も完全にイベリアに組み込んでますし、おっしゃる通り様相はかなり異なると思います」


「うむ。ローマがどこに攻めてくるのかにもよるが、私はピレネー山脈までを制圧する。これは先ほどの会議で言ったとおりだ」


「ハンニバル様ならば容易い事です」


 ピレネー山脈まで制圧した後、ハンニバルはガビアの建築したエブロ川河口の植民都市で睨みを利かせようと考えていた。そこで戦況を見つつ、攻勢に出れそうであればマーゴにキクリスかカドモスをつけ、ローヌ川西まで制圧に向かってもらう。

 ただし、ローマとの大規模な会戦が起こりそうな場合には兵を引き、防戦に徹してもらう。マーゴらが時間を稼いでいる間にハンニバルが応援に向かう。

 ローマがエブロ川に来るならば、そのままハンニバルが相手をすればいい。バレアレス諸島ならば、オケイオンとテウタの二人が活躍してくれるだろう。

 

 戦争初期はこんなところか。マルケルス、スキピオ家、フラミニウス……敵は優秀だ。

 

 だが、ハンニバルは彼らを正面から打ち破ることを誓う。ガビアが絡め手を提案してくるだろうが、最終的には戦場で方をつける。ハンニバルは獰猛な笑みを浮かべ戦場に思いを馳せた。


「――というわけだ。マハルバル、共に戦場を巡ろうぞ」


「はい。ハンニバル様と共に戦場を駆け抜ける事。それこそが私の望みです!」


 マハルバルは「共に」とハンニバルに言われたことで感極まったように膝を付き、礼を行う。



◇◇◇◇◇



 トール、テウタ、オケイオンらがパルマリアに戻ってから二週間がたとうとしていた。彼らはパルマリアに戻るとさっそくローマの交易船に襲い掛かる為、五段櫂船を準備し海に出る。

 五段櫂船は「五段」とつくが、五階層の櫂を漕ぐ部屋があるわけではなく、三段櫂船と同じで三層の造りになるが、櫂を漕ぐ漕ぎ手の数が多い。甲板の戦闘員はおよそ百人程度で、攻撃手段は船の先端についたラムをぶち当てるか、船を敵船に寄せ兵による斬り込みを行うかのどちらかになる。

 一応、他にも火矢を撃ったり、槍を投げたり……といったこともできるが決定力にかけ、相手の船を沈めるには前述のどちらかによって決着をつけることになる。

 

 五段櫂船はローマとカルタゴの主力軍船になっており、付属する装備に大差はない。操船技術についてもイリュリア海賊が配下に加わったイベリアとローマに差はなく互角の戦いができる目算であった。

 では勝負を決めるのは何か……軍船の数と斬り込み船員の質だろう。ローマ歩兵は精強で先のポエニ戦争ではカルタゴ歩兵を圧倒した。船員の乗船できる数は決まっているので、兵の質が勝敗を分けたのが前回のポエニ戦争だ。

 

 トール、テウタ、オケイオンの三人は同じ五段櫂船に乗船し、ローマ交易船を探していた。彼らは仲良くローマの交易船を探しているのかと言うとそうではなかった……テウタは頬を膨らませ腰に手をやりオケイオンを睨みつけている。

 

「ヘーイ! なんだい? カワイ子ちゃん」


 オケイオンは睨まれたことにも全く動じておらず軽い口調でテウタに声をかける。


「ちょっと! あなたはパルマリアの防衛をって言われていたでしょ! それにトール君も!」


 いかにも私は怒ってますといった態度でテウタは苦言を呈すると、トールが彼女をたしなめるように口を開く。

 

「テウタさん、余裕があれば海を経験しておくようにと兄上に言われていたのです」


「ふーん、それなら仕方ないわね。でもそこの女たらしは何故来ているの?」


 テウタはオケイオンに向きなおる。


「何故って? 面白そうだからに決まってんじゃねえか」


 ヤレヤレと肩を竦めるオケイオンにテウタが罵声を浴びせようとした時――

 

「姉御! ローマの交易船を発見しましたぜ!」


 船員の一人が敵船を発見したことを告げる。


「オウケイ! 来たぜ来たぜえ」


「あなたは黙ってなさい!」


 テウタはオケイオンに釘をさすと船員に指示を出し、ローマの商船へと船を進めていく。

 漕ぎ手のいない商船では五段櫂船の速度を振り切れるはずもなく、テウタの船はあっさりとローマの商船に船を並べ、船員が斬り込みを始める……

 

 が、真っ先に敵船に飛び込んで行ったのはオケイオンだった。

 

「イヤッホー! 降伏かそれとも全滅か選びなあ!」


 一番おいしいところをかっさらっていったオケイオンに対しテウタの額がピクピクと震え、彼女は大きく息を吸い込む。

 

「この種馬があ! 何やってるのよお!」


 この様子を見てトールは思う。あの学者達と言い、オケイオン、テウタといい……どうして自身の周囲にはこのような癖のある人ばかりが集まるのだろう……彼は遠い目で敵船を見つめていた。

 

 テウタらが襲い掛かったローマの商船はあっさりと降伏し、全ての荷物を奪い取った彼らは意気揚々と次の獲物を探しに船を進める。

 イベリア軍船はこのようにして次から次へとローマの交易船から荷物を奪い、時にはローマ交易船を海の藻屑としながら海を縦横無尽に動き回る。

 

 一か月もしないうちにローマの交易船の被害は甚大なものとなり、事態を重く見たローマ元老院は海賊討伐へ軍船を向かわせようとしたが、イリュリアとの戦争の兼ね合いもあり向かうことになる船は五十隻にとどまった。

 

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