第34話 閑話

――紀元前226年 バレアレス諸島 パルマリア トール

 バレアレス諸島の差配を叔父ハストルバルと敬愛する兄ハンニバルから任されているトールは、支配下に置いたばかりのこの地を経験が浅いながらも上手く統治できていた。

 というのは、この地はタルセッソスと同じでカルタゴの一部だった地域であり、今はバルカ家に支配者が変わったとはいえカルタゴはカルタゴのままなので、統治に関して元々基盤があったからだ。


 ハンニバルらが攻めよせ現地の領主軍を撃滅した後、市民は歓呼の元彼らを迎え入れたこともあり、市民からバルカ家に対する支持は良好だ。

 これもハンニバルが最初に「市民のため」と称し、バレアレス諸島の中心都市であるパルマリアの市民代表と直接会話を行い、実際彼らを文官として召し上げたことが大きい。


 トールはパルマリア市民や文官との関係性も良好で実際統治はうまくいっていた。しかし、彼は執務室で大きなため息をつく。

 彼を悩ませているのは、パルマリアの防衛に知恵を貸すといってハンニバルから送られてきた二人の学者だった。

 

 かの二人の学者殿は地中海世界で最高の頭脳を持つ学者らと兄上から聞かされている。実際そうなのだろう。クテシビオス殿の水オルガンを見せてもらった時には驚愕したものだ。しかし、しかしだ。トールはそんなことを考え、頭を抱える。


 彼の唯一の癒しはクテシビオスの弟子であるヘロン少年だった。

 彼は師のクテシビオスだけでなく、アルキメデスまでうまく世話をしている。少年が大人の面倒を見るというのもおかしな話だが、トールにはそうとしか表現しようがなかった。

 考えても仕方ない。トールはそう思い、バンと勢いよく両手で机を叩くと彼らの研究施設がある港へと向かう。


エウレカわかった! エウレカわかった!」


 港まで来たトールは素っ裸で奇声を発しながら駆ける老年の男が目に入る。

 ま、またか……トールは頭を抱える。

 そんなトールに気がついたパルマリアの市民は彼へ生暖かい視線を向け、裸の男を見て見ぬふりをする。

 

 老年の男――アルキメデスがああして裸で走っているということは……何か出来たのだろうな……トールは彼を見て見ぬふりをして研究施設に向かう。

 研究施設の扉を開けると、三十過ぎくらいの男がうつ伏せになり倒れ伏していた。

 

「ああ……鬱だ……鬱だ……」


 だ、ダメだ。二人ともダメな状態になっている。トールは学者二人と会話することをあきらめヘロンを探すことにした。

 トールが研究所の中を歩くと、キッチンからいい匂いが漂ってきたので、ここにヘロンがいるだろうとキッチンに行くと予想通り、彼は鼻歌を歌いながら食事の準備をしていた。

 さ、さすがの胆力……この状況で自然体であるとはこの少年……只者ではないとトールは驚愕で目を見開く。

 

「ヘロン、二人と会話が通じなくなっているんだ……」


「あ、トール様。こんにちは」


 トールの焦りなどどこ吹く風といったヘロンは、鍋をゆっくりとかき混ぜている。


「アルキメデス殿は外を走っている。クテシビオス殿はぶつぶつと何かを呟いているんだ!」


「大丈夫ですよ。食事を持っていけば先生は元に戻りますし、アルキメデス様はいずれ落ち着いてご飯を食べに戻ります」


 学者二人の奇行を見ても動揺一つ見せないヘロン。こいつは大物になるとトールは確信する。

 鍋を確認したヘロンは「よし」と呟くと、トールに客室で待つように告げると鍋を手にキッチンを出て行った。

 

 トールが客室で待つこと十分ほど……ヘロンと共にクテシビオスがやって来る。

 

「おお、トールさん、おいでになっていたのですな」


 トールはいつもながらクテシビオスの変わりように体の力が抜ける。あの状態のクテシビオスは何が起こったのか覚えていないのだろうか……先ほど前を通ったんだが……トールはそう思うが、触れてはいけないと思いなおす。


「ええ、研究は順調かと思い見に来たのですよ」


「なかなかの物ができましたぞ。アルキメデスさんと私のアイデアが詰まった一品なのです」


 クテシビオスは興奮した様子で両手を広げ、彼が一息に話をしようと大きく息を吸い込んだ時、ヘロンが会話に割り込んでくる。

 

「あ、先生。実物を見ていただいて説明されたほうが」


「む。そうだな。トールさん、こちらへ」


 三人は広い庭に出ると、巨大な筒と投石器カタパルトが鎮座していた。

 

「この筒と投石器カタパルトを組み合わせるとですな――」


 クテシビオスは筒をバンバン叩きながら、矢継ぎ早に説明を開始する。余りに専門的過ぎてトールには全く理解できない。いや、理解させようと話をしていないから理解できるわけがないとトールは思う。

 クテシビオスの説明が終わった後、ヘロンが一言補足する。

 

「トールさん、要はこの筒と投石器カタパルトは今までの三倍の重さのある石の砲弾を使って、三倍の距離を飛ばすことができるんですよ」


「なるほど! それはすごいですね!」


 理論や技術は分からないが、これがどのような性能を持つか理解できればトールにとっては充分であった。ヘロンの説明は的確で分かりやすい。彼は心の中でヘロンを褒めたたえる。

 

「おお、トールさん。いいところへ、見てくだされ、この素晴らしい筒!」


 いつの間にか庭にやってきたアルキメデスが背後から大声でトールに声をかける。

 

「そうですね」


 トールはとりあえず応じると、アルキメデスもまた複雑な理論を語り始めたので、彼は辟易しているとヘロンがトールの手を引き、研究施設の中まで彼を促す。

 

「大丈夫です。トールさん、熱くなったお二人は周りを見てませんから」


「そ、そうなのか……」


 ヘロンがいなければとんでもないことになっていただろうとトールは思い、彼に不自由があればすぐ伝えてくれと言い残し研究施設を後にした。


※本日二話目です。ご注意ください。

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