第33話 マウリタニア制圧

――紀元前225年 マウリタニア

 マウリタニアとハンニバル軍の戦いは最初から掃討戦の様相を見せていた。マウリタニアは国としてのまとまりがなく、部族単位で動いている上ハンニバルの目論見通り、好戦的な一部の部族が好き勝手にハンニバルへ挑みかかって来た。

 多くてもまとまりを欠いた歩兵千名程度に対し、歴戦の騎兵で構成され統制のとれたハンニバル軍とでは最初から戦闘にならなかったのだった。騎兵の突撃を受けたマウリタニアの歩兵はすぐに散を乱し潰走していく。

 ハンニバルは敵兵を打ち倒すことに主眼を置かず、降伏させることを重要視した。反抗の目を摘むためになるべく多くの兵を倒しておくことは戦いの基本であるが、ハンニバルらはマウリタニアを取り込み戦力化する予定なのだ。

 その為出来る限り敵兵力を温存し、自国に取り込む方針で戦っていた。これはルシタニア遠征の時と同じ戦略であった。

 

 ハンニバルはもし敵がローマならば、このようなことは行わない。ローマ兵は出来得る限り多く滅するか、降伏する場合でも捕虜にせねばならない……なぜなら、ローマとカルタゴの兵力差は考えるのも馬鹿らしいほどの差があるからだ……

 さらにマウリタニアやルシタニアと異なり、ローマ兵はこちらに寝返ることもない……奴らの結束は異常なほど高いのだから、引き込むことは不可能なのだから。

 ハンニバルはあっさり降伏していく好戦的な部族を見やり、そんなことを考えていた。

 

 このような形で順に好戦的な部族を潰して行き、二か月が過ぎる頃、広大なマウリタニア内にハンニバルへ敵対する部族は存在しなくなった。これほど短期間で制圧ができたのは、騎馬のスピードが大きく貢献したと言えよう。

 騎兵のみで編成した部隊は、縦横無尽にマウリタニアを走り回り敵を打ち払ったのだった。

 

 マウリタニアを制圧したハンニバル軍はマウリタニア北東部の最大都市タムリットへ集結する。そしてタルセッソスのカディスにいるガビアを呼び寄せた後、西ヌミディア、バオール・ギスコ、ハンニバルの三者でマウリタニアの分割案を協議することとなった。

 領域に関しては事前の約束通り分割することになり、バルカ家は北西部、バオール・ギスコは北東部、西ヌミディアは南部と取り決めを行う。西ヌミディアの領域が広いように思えるが、サハラ砂漠が存在するため見た目ほど使える領土は広くない。

 

 ハンニバルがガビアを呼んだ理由はマウリタニアの部族を移動させるべきかどうかの相談だった。マウリタニアはそれぞれまとまりがなく、部族単位で好き勝手に行動しているが統治に当たり好戦的な部族をそのままにしておくか移動させるかの意見をハンニバルはガビアに求めた。

 するとガビアは、好戦的な部族はなるべくバルカ家が持つ北西部に集めてはどうかと提案してくる。この提案に西ヌミディアもバオール・ギスコも反対などあるわけもなく、賛同する。

 

 三者の会談が終了した後、ハンニバルとガビアはマウリタニア北西部の都市タムリットに留まり夕食をとっていた。

 

「ガビア、なかなか面白い提案をする。感心したぞ」


 ハンニバルはガビアをねぎらううと、彼はなんてことは無いと言わんばかりにヒラヒラと手を振り肉を口に運びながら応じる。

 

「ククク、ハンニバルさんもそうしただろう? 俺っち達にとっては好戦的な部族を集められるほうが良い。奴らにとってはそうじゃない方が良い。それだけだあな」


 ガビアの言う通りだとハンニバルも思う。バオールには拠点が無くこれからマウリタニア北東部を策源地にする関係上、不穏な勢力はなるべく排除しておきたい。西ヌミディアにしても南部地域はサハラ砂漠もあり鉱物資源の収入が主となるだろう。

 そうなれば、好戦的な部族は抱えたくはない。これに対し、バルカ家は違う。好戦的な勢力を押さえつけるだけの兵力を既に持っているし、好戦的ということは戦うことに慣れていて、引き込むことができれば自国の兵として使うことができるのだ。

 そういう意味でバルカ家は好戦的な部族を抱えることに賛成だと言えよう。

 

「ガビア、マウリタニア北西部はバレスに任せようと思うのだがどうだ?」


「んー。文官としては申し分ないなあいつは。部族反乱が起きた時に対処できるのか? 俺っちが仕入れた情報だとバレスは戦いの素人だぜ」


 バレスが戦いに不向きなことはハンニバルとて心得ている。何しろバレアレス諸島で実際に彼と戦い、彼から自身は素人であると聞いているのだから。

 しかし、バレスを向かわせることは何ら問題ないとハンニバルは考える。


「問題ないだろう。バレスには北西部の中心都市であるシェラで差配してもらう。ここに歩兵千五百をつける」


「ククク、部族の連中はハンニバルさんの兵に敗れたばかりだからな、兵の数を置いておけば問題ないってことか?」


「うむ。万が一抑えきれぬ場合は、カディスから兵を向けよう」


 そう、マウリタニアの好戦的な部族はこのたびの掃討戦でハンニバル軍に敗れたばかりであり、千五百名となればどの部族の兵士よりこちらの方が多くなる。


「あいよ。現状文官でとなると……バレスくらいしかいねえからな。ハンニバルさん、マウリタニア北西部でやりたい産業があるんだがいいか?」


「ほう。言ってみろ」


「馬を育てようと思ってな。気候も温暖で馬を育てるのに支障はないぜ」


「マウリタニアが前線になることはないだろうからな。後方で馬を育成するのはいい案だな。任せる」


「あいよ」


 ガビアは本当に切れるとハンニバルは感心することが多い。戦いはできないというが、この男の頭脳は万の兵にも勝るとハンニバルは本気でそう思っていた。

 後方で安全に作りたい物となると他に船や武器なども考えられるが、これらは技術者の育成が必要であり、最も技術力を持つ職人が多いカディスで行う方がいいだろう。

 馬の生育となれば、それほど高い技術力は求められず、マウリタニアで行うにしても他の地域で行ってもあまり変わりはない。

 

 ハンニバルとガビアの会話は深夜まで続いたという……

 

 翌日、ハンニバルはガビアを通じてカディスへ使者を送りバレスにマウリタニア北西部の中心都市であるシェラに来るように伝える。ハンニバルとガビアはここで一旦軍を解散し、五百名ほどを抽出して船でシェラに向かう。

 三日後にシェラで三人は落ち合い、政務を行う場所であったり文官となりうる人材を現地で募る。

 

 ハンニバルは一週間ほどシェラに滞在すると、歩兵千五百も到着したこともありカディスへ戻ることをバレスに伝える。

 彼はガビアと連れてきた兵を伴ってカディスへと帰還する。

 

 ハンニバルはカディスにある自身の執務室に腰かけるとフウと深く息を吐く。すっかり、この場所が落ち着くようになったのかと彼はまだ来て日が浅いカディスの執務室で大きく息を吐いた自身に驚く。

 しかし、ハンニバルの帰還を待っていた文官やガビアの使いの者が次から次へと彼へ面会を求めて執務室にやって来る。全ての面会者をさばき終えた時にはすっかり日が落ちていたのだった。

 

 ガビアの使いの者からの情報によると、オケイオンに率いられた兵は順調にエブロ川南部へ向けて進軍しており、占領政策もマーゴとトールが主力になりうまくやっているようだ。ハンニバルの目から見て軽薄そうな印象を与えたオケイオンは意外にもマーゴとトールへ戦術や兵の率い方について毎日のように彼ら二人の面倒を見てくれているという。

 やはり人は表面上のことだけでは分からぬものだなとハンニバルは思う。ガビアのことがあり、オケイオンもああ見えてやるところはやるのだろうと考え、雇い入れたが思った以上の働きをしてくれているようだ。

 

 今のところ思い描いた以上の結果が伴ってきている。エブロ川南を制圧し、牙を研ぐ……そしてローマへ挑むのだ。カルタゴ元老院をどうにかできるかも模索せねばな……ハンニバルはニヤリと一人微笑むと再び思考の海へ潜っていった。


 第一部 雌伏編 完

 

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