第31話 マハルバル帰還
「マハルバル、よくぞ戻った。入るがいい」
ハンニバルは周遊の旅から戻ったマハルバルを迎え入れ、彼をねぎらう。
マハルバルは彼と同じくらいの年齢に見える長い黒髪の少女と共に入ってきた。長身痩躯で同じく黒髪の長髪であるマハルバルと少女が並ぶと、まるでギリシャの観劇のようだとハンニバルは思い顔をほころばせた。
一方、入室したマハルバルはハンニバルへ一礼すると、傍らの少女を紹介する。
「ハンニバル様、ただいま戻りました! こちらはイリュリアの女王派の王女であるテウタ様です」
マハルバルの紹介にハンニバルは驚きを隠せない。イリュリア海賊の
ハンニバルはマハルバルの働きへ
「マハルバル。まさか王女を連れて来るとは感服したぞ」
「いえ、たまたまなのです。ローマとの戦争に敗れ、海賊稼業が出来なくなった者を雇い入れて欲しいと女王様より承っております」
「なるほどな。しかし、マハルバル。先に王女へ名乗りたいのだがよいか?」
「申し訳ありません!」
マハルバルはハッとなり、深く頭を下げるがハンニバルは「よいのだ」と呟き彼へ頭をあげさせる。
ハンニバルはイリュリアの王女テウタへ向き直り、口を開く。
「イリュリア王女テウタ殿、私はハンニバルと申します。叔父ハストルバルと共にこのイベリアを差配しています。以後お見知りおきを」
「ハンニバル様、初めまして。
テウタの姿は白い帯を胸に巻きつけ、長いスカートを斜めに切り取った露出の多い恰好だが、上品に膝を落としハンニバルへ礼を行う。その仕草はまさに王女然とした気品あるものだった。
隣で彼女の様子を見ていたマハルバルは驚愕に目を見開く。彼は余りのテウタの変わりように開いた口が塞がらない。先ほどまで彼女は王女であることなど微塵も感じさせない物言いとふるまいで、王女と分かった後もマハルバルに自身を呼び捨てするように申し付けるような気さくさだったのだ。
いや、気さくというかなんというか……マハルバルの思考が混乱している間にもハンニバルとテウタの会話は続く。
「テウタ殿、『仕事を失った民』はいかほどになりますか?」
ハンニバルの問いにテウタは迷いなく即答する。
「船団を率いていた者は二名。船長は二十名、船員はおよそ八百名となります」
テウタの回答にハンニバルは満足そうな顔で
「それほどの人数を……感謝いたします」
「多すぎますか?」
テウタは上目遣いでハンニバルを見つめるが、ハンニバルは首を振る。
「いえ、その三倍の人数であっても雇い入れることは可能です。しかし、テウタ殿の尽力があり、これほどの海の男を迎え入れることは出来るとは……このハンニバル、イリュリア王国へ感謝致します」
「……あ、ありがとうございます。私達は何をすれば良いのでしょうか?」
ハンニバルがあっさりこれだけの人数を受け入れ可能と答えたことでテウタは内心かなり動揺していた。
まさかイベリアにこれほどまで財力があるとは……ここ数年勢力を拡大していたと聞いていたんだけど……思った以上だわとテウタは心の内で独白する。
「平時に関しては、イベリア海兵へ訓練をつけていただきたい。訓練が終わる頃には、別の仕事を依頼することになると思います」
「イベリア海軍を育成されるのですね」
テウタはポエニ戦争でカルタゴが敗れ、海軍が壊滅したことを知っている。戦争前に覇権を誇ったカルタゴ海軍も今や昔日の影は一かけらも残っていない。カルタゴは海軍でローマに対抗するのをあきらめ、海軍の育成を怠り、海での防衛能力を失った。
それをハンニバルは再建しようと言うのだ。だからこそ、イリュリアの海賊を求めたのだ。テウタは目の前に立つハンニバルの目をジッと見つめると、彼の気迫を感じ取り背筋が震える。
この方は本気だ……本気であのローマと……テウタはゴクリと喉をならしハンニバルの次の言葉を待つ。
「その通りですテウタ殿。イリュリア人が来てくれることは非常に喜ばしいことなのです。カルタゴ海軍の生き残りもいますが、『諸事情』があり協力が難しいのです」
そう、諸事情があるのだ。ハンニバルはカルタゴ元老院の連中を思い浮かべギリっと血が出そうなくらい拳を握りしめる。カルタゴ海軍の生き残りはカルタゴ本国に抑えられている。それゆえ、イベリアには海戦のノウハウを持つ人材がいないのだった。
「ハンニバル様、ご依頼をお受けいたします。私達はどちらへ向かえばいいでしょうか?」
「テウタ殿、バレアレス諸島のパルマリアへ向かってください。詳しい話はパルマリアを差配するトールからお聞きください」
「分かりましたわ」
テウタは上品に礼を行い、ハンニバルへ感謝の意を示した。
「マハルバル、今晩は貴賓用の邸宅へテウタ殿を案内してくれ。明日の朝、船に乗りバレアレス諸島のパルマリアまでテウタ殿を案内してくれ」
「かしこまりました」
マハルバルは一礼し、了承の意をハンニバルへ伝える。
「マハルバル、パルマリアから戻ったら酒を酌み交わそうじゃないか。楽しみに待っているぞ」
「あ、ありがとうございます!」
マハルバルは主の気遣いへ感激した様子で再度頭を下げると、テウタと共にハンニバル邸を後にする。
二人がハンニバル邸を出ると、テウタの表情が先ほどまでの王女様といった感じから、街にいる普通の少女のように快活な笑顔を彼に見せる。
彼女の変わりようにマハルバルはヤレヤレと肩を竦める。
「何よ。マハルバル。何か文句ある?」
「いや……」
マハルバルは否定しつつも、眉をしかめる。その表情を見てとったテウタは頬を膨らまし、彼の背中をバンバン叩く。
「その顔は『言いたいことあります』って顔よ! どうせ変わり過ぎとかそんなことを思っていたんでしょ?」
「い、いや……」
そういいつつもマハルバルは「そう思っていた」と顔に出てしまい、テウタからキッと睨まれる。
「私だって一応、立場ってものがあるんだから! あなたの主って言うからちゃんとした応対をしたのよ。そういうあなただって、ご主人様の前だと変わり過ぎよ!」
イーっと口を左右に開いて憎まれ口を叩くテウタへマハルバルはため息をつき、ゆっくりと歩き始める。
自分を無視して歩き出したことに立腹した彼女は、マハルバルを追いかけ彼の肩をつかもうと手を伸ばす。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
しかし、伸ばした手はマバルバルに体を捻って逸らされると、肩をつかめず空を切る。テウタは「もう!」と呟くと彼の隣に並ぶ。
そこへ、最高級の貝紫で染めた帯を床にすりつけながら小柄な男がこちらへ歩いて来る。彼に気が付いたマハルバルは、頭を下げ立ち止まる。
「よお、マハルバル。戻ったのかい」
男は面倒くさそうに帯を引っ張ると、気さくにマハルバルへ声をかける。
「ガビア殿、先ほど戻りました」
マハルバルが答えると、小柄な男――ガビアは「ククク」と嫌らしい笑い声をあげて彼の肩をポンと叩く。
「ククク、ハンニバルさんに報告が済んでほっとしているのは分かるぜ。今晩くらいゆっくり楽しめよ」
ガビアはマハルバルの隣にいるテウタにチラリと目をやると、マハルバルは慌てた様子で彼に事情を説明しようとするが、ガビアは「分かってる、分かってる。何も言わなくて」と言うと片手をフリフリ振って去って行った。
「絶対分かってないだろう……」
マハルバルの独白はガビアに聞こえていなかったという……
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