第28話 ならず者国家

――紀元前226年 ペロポネソス半島北西部 マハルバル

 オケイオンと別れた後、マハルバルはアテネがあるペロポネソス半島西岸を船で北上し、ギリシャと北のイリュリア王国の国境近くまで来ていた。イリュリア王国は数年前まで海賊行為を黙認し、ペロポネソス半島とイタリア半島を挟むアドリア海だけではなく、南のクレタ島、シチリア島に至るまでイリュリアの海賊が幅を利かせていた。

 この海賊行為にローマの通商活動は大いに阻害され、ローマはイリュリア王国へ苦言を呈し海賊行為を止めるよう要請するが、イリュリア王国はそれを拒否する。

 これにローマ市民はイリュリア王国との戦争を支持し、三年前からローマとイリュリアの戦争が始まった。戦争がはじまるとイリュリア王国は二つに割れる。その二つとは海賊行為の継続を支持した女王派とローマへ妥協をすべきと主張した女王と対立する王族派だった。

 ローマはローマ妥協派と組み、女王派を攻め一年足らずで戦争に勝利した。その結果、女王派はイリュリア南部のおよそ二割の土地に押し込められ、勢力圏の沿岸部以外での海賊行為を禁止された。残りのイリュリアは女王と対立する王族派のものとなる。

 

 マハルバルがこれより向かおうとしているのは、女王派の勢力圏のため洋上から船で行くには海賊に襲われる危険性が非常に高かった。その為、陸路で女王派の勢力圏へ移動しようと考えている。

 女王派勢力圏にはつい数年前まで手広く海賊行為を繰り返していたならず者たちが多数存在し、戦争に敗れた結果船を失う者も多くいたと聞く。ハンニバルはマハルバルへそのような職を失ったならず者をイベリアへ迎え入れたいと告げていた。

 イベリアは海軍力に不安があり、海での戦闘に慣れた者が少ない。できれば海戦を指揮できる者も連れて来たいが、そこまで多くは求めないとハンニバルは言う。

 ハンニバルは無理して動かず、マハルバルへ自身の安全を重視するようにと釘を刺していた。

 

 国境沿いの街でマハルバルが集めた情報によると、船を失った海賊たちは山賊へ転じる者も多くイリュリア内に多く散らばっているらしい。イリュリアへ寄らない方がいいと酒場で出会った気さくな酔っ払いは彼に助言してくれた。

 となると……一人で向かうのは危険か……マハルバルはそう思い、イリュリア行きの隊商に混じることはできないかと人の多く集まる場所を巡る。

 

 すると、街道の脇でちょうど旅装の準備をしていた隊商らしき集団を発見したので、彼は指示を出している髭面の男へ声をかける。

 

「こんにちは。どちらへ向かう予定なのでしょうか?」


「エピダムノスだよ」


 エピダムノスと言えば、イリュリア女王派の中心都市であり、唯一の大型船が停泊できる港があるという。それは丁度いい。マハルバルは心の中でそう独白し、素晴らしい出会いをカルタゴの神バールへ感謝した後、髭面の男へ提案する。

 

「私もエピダムノスへ向かいたく、しかし一人で行くにはと思っていたのです。金銭は支払いますので、ご一緒させていただけないでしょうか?」


「んー。見ず知らずの者を連れて行くのはなあ……後ろから刺されたらたまったもんじゃない」


 髭面の男は顔をしかめ、マハルバルへ苦言を呈する。

 言われたマハルバルも当然だろうと納得をするが、なんとか彼に信用してもらう手段はないだろうかと考えを巡らせる。

 

 その時、幌のついた馬車の中からマハルバルと同じくらいの歳の少女が顔を出し、彼の姿を見とめると馬車から降りて来る。

 少女はマハルバルと同じ長い黒髪にエジプトの女性のような恰好をしていた。上半身は上質な綿で織られた帯を胸に巻いただけで小麦色の肌を存分に見せ、足元まである白のスカートは斜めに切られ、短い部分は太ももの付け根当たりまでくるほど短い。

 少女はマハルバルへにじり寄ると、彼を上から下までじーっと眺め、ポンと手を叩く。

 

「んー、いい男! いいじゃない、この人も連れて行きましょう」


 少女はマハルバルを警戒した様子もなく髭面へ向けてそう告げる。

 

「えええ、姉御、いいんですか? この男は何をするか分かったもんじゃありませんよ」


「男前のお兄さん、あなたが持っている剣を見せてくれない?」


 少女はマハルバルが腰にく、片手剣を指さす。

 マハルバルは彼女が言わんとしていることは分からなかったが、きっと自身が隊商へついて行けるよう取り計らってくれるのだろうと思い、彼女へ剣を渡す。

 

 少女は剣を受け取ると、髭面へ剣の柄を見せる。そこには、バルカ家の紋章「グリフォン」が刻まれていた。

 

「こ、この紋章は?」


 髭面は合点がいかないと言った風に少女に尋ねると、彼女は自慢気に「ふふふ」と声を出しながら剣を高く掲げる。

 

「この紋章は『グリフォン』。これはね、カルタゴで一番の名家バルカの紋章よ」


「バルカ……イベリアの雷光! この者はバルカ家の者なのですか?」


「たぶん、そうだと思うけど。はるばるここまでやって来たの? 男前のお兄さん?」


 二人のやり取りを聞いていたマハルバルは、突然話を振られて戸惑いながらも首を縦に振る。

 

「はい。私は我が主ハンニバル様に、とある命を受けイリュリアへ向かおうとしております」


「剣以外に何かあなたがバルカ家の者だと示すことはできる?」


 少女はマハルバルへ剣を手渡しながらそう尋ねると、マハルバルは背中に抱えた袋から書状を取り出す。

 ハンニバルから受け取った書状にはバルカ家の蝋印が押されており、分かる者が見ればこれはバルカ家の正式な書状とすぐ分かる。

 

「これでどうでしょうか?」


 マハルバルが見せた書状の蝋印を二人はまじまじと見つめ、「おお」と少女が声をあげる。


「すごーい! お兄さん、これは本物よ。あなた……ひょっとしてなかなかのお偉いさん?」


「いえ、私など……」


「まあ、これなら安心じゃない? きっとイリュリアにとってもいいことが起こると思うの」


 少女は髭面に向きなおると、髭面もようやく納得したように頷きを返した。

 

「ありがとうございます。私はマハルバルと申します」

 

「マハルバルさんよろしくね。私はテウタ」


 少女――テウタはマハルバルへ右手を差し出すと、マハルバルと握手を交わした。 

 こうして、マハルバルはイリュリア内の女王派の拠点であるエピダムノスへ隊商と共に向かうことになった。

 

 街から離れ、イリュリアへ入り一時間ほど経過したころ、隊商の前方へ山賊が十名ほど現れ戦闘になる。マハルバルも護衛の者と共に戦闘に参加し、自身の腕を髭面とテウタに見せつける。

 テウタはマハルバルの強さをいたく気に入った様子で、見た目だけじゃなかったと何度も彼の強さを褒めたたえる。

 

 山賊に襲われるというハプニングがあったものの、隊商は無事エピダムノスへ到着する。

 

「ありがとうございます。みなさん、テウタ」


 マハルバルはエピダムノスの街への入口で隊商の者たちへ礼を述べる。


「マハルバル、あなたの持つ書状を受け取ってもいいかな?」


 テウタとマハルバルは短い旅の途中で打ち解け、お互いに敬称をつけずに呼び合う仲になっていた。

 マハルバルはテウタに書状を渡せと言われ、思案顔で彼女へ言葉を返す。

 

「テウタ、これは大事な書状なんだ。おいそれと渡すことはできない」


「もう、あなたはそれを誰に渡そうと思ってたの?」


「有力な海賊の棟梁とうりょうなどに会えれば……と」


「それなら、私に渡した方がいいわよ。そうね、もう少しだけついて来て」


 テウタはマハルバルの手を引き、どんどん前に歩いていく。引っ張られるようにマハルバルも彼女の手を握り返すとついて行く。

 

――着いた先は王城だった……


「テウタ、いくらなんでもいきなり城はないだろう」


 マハルバルは王城に来てしまったテウタをたしなめるが、彼女はどこ吹く風と言った様子で門の前に立つ門番へ挨拶をする。

 すると門番は敬礼し彼女へ言葉を返す。

 

「お帰りなさいませ! 王女様!」


 王女? 王女だと! マハルバルは心の中で絶叫し目を見開く。一方、テウタは可愛らしい舌を出してマハルバルへ笑みを浮かべた。

 

 この後、マハルバルは幸運にも女王に謁見することができ、女王は職にあぶれた荒くれどもを傭兵として貸し出すことを約束してくれた。

 帰国の際に女王の手引きを受けることができたので、彼は船に乗りギリシャへ向かう。ギリシャから船を乗り継ぎカルタゴへ、そこからカディスへ帰還するつもりだった。

 

 彼の傍らにはテウタが連れ添い、一緒に海を眺めていた。彼女は女王よりイベリアの様子を見て来るように下命されており、もしイベリアの財力が傭兵を雇うだけのものが無いと彼女が判断したのなら傭兵の貸し出しはご破算になる。

 

「マハルバル、イベリアに行くのが楽しみ」


「イベリアはハンニバル様の元、生まれ変わろうとしている。豊かな国へと」


「ふーん、じゃあお金もちなんだね!」


「……」


 マハルバルはテウタの余りの物言いに頭を抱えるのだった。


※まさかの女性キャラ。イリュリアは女王だったんですよねえ。

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