第27話 心労

――紀元前226年 タルセッソス カディス

 ハンニバルは自らの邸宅にある執務室で、ガビアの使いの者から報告を受けていた。

 

「――というわけです」


「おお。マハルバルはうまくやってくれたのだな」


「はい。マハルバル殿はイリュリアへ向かいました」


「ふむ。報告感謝する」


 ハンニバルの言葉へ使いの者は礼を行い、執務室を出て行った。

 彼はバレアレス諸島でハンニバルの元へ降った元領主のバレスより禿鷲クフブ傭兵団について情報を聞いていた。禿鷲クフブ傭兵団の団員の実力に惚れ込んだハンニバルは彼らを仲間に引き入れようとバレスに相談をもちかけた。

 ハンニバルはバレスに聞いた禿鷲クフブ傭兵団の団長オケイオンの性格を考慮し、書状したためる。同時にバレスにも書状を書かせてガビアの使いの者へマハルバルへ届けるよう依頼したのだ。

 どうやらそれが功を奏し、オケイオンはカディルに向かっていると先ほど来た使いの者が彼へ報告した。

 

 カディス民会を見に行くか……ハンニバルは独白し、立ち上がった時、扉の向こうから彼を呼ぶ声が響き渡る。

 

「兄上、学者殿をお連れしました!」


「マーゴか、入れ」


 声からマーゴと分かったハンニバルは、彼を執務室に招き入れると、彼と共に三十歳くらいの知的な顔をした男と十歳くらいの少年が姿を現す。

 マーゴが一礼し、二人の後ろへ回り込むと口を開く。

 

「兄上、はるばるアレクサンドリアから学者殿がお見えになりました」


「おお。学者殿、私はハンニバルと申す。来てくださり感謝します」


 ハンニバルは両手を開き、二人に歓迎の意を示すと二人は軽く礼をし自己紹介を始める。

 

「ハンニバルさん、お招きいただきありがとうございます。私はアレクサンドリアのクテシビオス。こちらは私の弟子であるヘロンです」


「ヘロンです。よろしくお願いします」


 クテシビオスとヘロンは再度礼を行う。

 

「アレクサンドリアの学者に来ていただけるとは嬉しい限りです。アルキメデス殿と共に研究に励んでください」


「ありがとうございます。私の研究の成果をいくつかお話いたしましょうか?」


 クテシビオスは研究内容について何も問わないハンニバルが自身に気を使い聞かないのだろうと考え、彼にそう尋ねる。

 

「ありがとうございます、簡単にで構いませんので教えていただけますか? もし生活や商業に生かせるものであれば、積極的に利用したいと思います。もしよければまずは研究成果を形にしていただければと」


「分かりました。そうですな……私の成果は大きく分けて三つあります――」


 クテシビオスは自身の研究成果として三つのものをあげる。一つはサイフォンの原理という原理で、水が筒を通り高く登ることができる原理の説明。二つ目は水時計という従来の時計より正確に時間を知ることが出来る時計。

 三つ目は水オルガンという楽器であった。

 

「なるほど! どれも使えそうですね。さすがアルキメデス殿が紹介するだけはある学者殿です。感服いたしました。特にサイフォンの原理は使えますね」


「ありがとうございます」


 クテシビオスの謝辞へハンニバルは鷹揚おうように頷くと、マーゴへ向き直る。


「マーゴ、二人を準備した館へ案内してくれ」


 ハンニバルの言葉を聞いたマーゴは二人を連れて執務室から退出して行った。

 

 三人が立ち去った後、ハンニバルはクテシビオスの研究成果に一人驚愕していた。

 時計やオルガンもすばらしいが、何と言っても「サイフォンの原理」……この技術は素晴らしい。この原理を上手く使えば、水運へ革命を起こせるかもしれない。先だってアルキメデススクリューを製造できる大工も増えて来たことだ……また大工を呼び集め、「サイフォンの原理」を教授してみよう……ハンニバルは思考を巡らせグッと拳を握りしめた。

 

 その時またしても扉が開く。

 入って来たのはガビアだった。相変わらず最高級の貝紫で鮮やかに染めた帯を床へズリズリつりつけながら執務室へ入って来ると、ドカッと椅子に腰かけ足を放り出す。

 

「よお。ハンニバルさん、何か良いことがあったって顔だな」


 ガビアはハンニバルの表情を目ざとく感じ取り片手をあげる。

 

「うむ。先ほどクテシビオス殿が到着してな。彼が言っていた『サイフォンの原理』というものが素晴らしいのだ」


「ほう。聞かせてくれねえか?」


「ふむ。サイフォンの原理とは――」


 ハンニバルは得意気に先ほどクテシビオスから聞いた「サイフォンの原理」についてガビアへ説明する。

 最初はふんふん頷いていたガビアだったが、途中から顔色が変わり真剣な表情になる。全てを聞き終えたガビアはふうと大きく息を吐く。

 

「ハンニバルさん、その原理やべえぜ。大工連中を集めて講習会をやるがいいか?」


「私もそれは考えていたところだ。任せる」


「了解した。これはな、街の造りそのものを刷新する技術だぜ。学者って金を食いつぶすだけと思っていたがやるじゃあねえか」


 クククとガビアは不気味な笑い声をあげ足を組みなおす。


「ガビア、お前が何も無くここへ来ることはないだろう? 用件はなんだったのだ?」


「おお、忘れるところだったぜ」


 ガビアはポンと膝を叩くと、自らの提案を述べ始める。

 

「ハンニバルさん、アルキメデスをバレアレス諸島のパルマリアに送らねえか?」


「む、アルキメデス殿をパルマリアにか。何か理由があるのか?」


「もちろんだ。マーゴから聞いたんだが、あの親父、『ほうほう』とか言いながらどうもシラクサの防衛について考えていたことがあるみたいんなんだよ」


「なるほど。アルキメデス殿の街の防備に関する発明をパルマリアに適用しようというのか」


「ご名答。今ならまだバレアレス諸島の防備は急ぎじゃあない。もし使えるものなら、そのままにしておけばいいし、ダメならカディスに戻ってもらえばいい」


「ふむ。アルキメデス殿が『よし』と言うなら、パルマリアへ行ってもらってくれ」


「あいよ。マーゴに引率させるか?」


「そうだな。かの地にはトールもいる。久しぶりに兄弟で会うのもよかろう」


「了解だ。じゃあ手配してくるぜ」


 話は終わりだとばかりにガビアは「よっこいしょ」と言って立ち上がると、手をヒラヒラと振って執務室を去っていく。

 アルキメデスを押し付けられたマーゴはパルマリアに彼と共に向かうことになったが、クテシビオスもついて来ることになり心労がとても溜まることになる。

 しかし、マーゴは同行したヘロン少年と非常に仲が良くなり、変わった人物との付き合い方をヘロンから学ぶことができたのだった。

 マーゴは送り届けるだけで済んだ。しかしパルマリアにいるトールは……

 

 余談ではあるがマーゴの苦労をハンニバルが知ることは無かったという。

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