第24話 バレス

 バレアレス諸島の領主はかつて五人存在したが、三人は先の騒乱で殺害されており、首謀者である二人の領主のうち一人は追放処分、残り一人がハンニバルとワインを酌み交わしている。

 市民を巻き込んだ領主同士の争いをあおり戦乱にまで発展させたのは、ガビアの手引きによるところが大きい。領主の争いは市民に支持されず、残った二人の領主は反攻した市民を鎮圧していた。

 そんな折、ハンニバルが「市民のため」と立ち上がりバレアレス諸島に向かい領主を討伐したというのが、今回のシナリオになる。

 

 残った領主の名前はバレスといい、軍事を知らぬ文官のような男だった。ガビアに踊らされたとはいえ、最後まで生き残ったバレスは一定の能力があるのだろうとハンニバルは考え、彼を追放せず宴会を開き仲間に取り込めるに値するか判断しようとしていた。

 バレスの文官としての能力はともかく、ハンニバルが気になっていたことは彼の率いていた傭兵だった。あの傭兵集団は只者ではない……バレスが雇っていたということは、彼の伝手を使いバルカ家が雇用することも可能だろうとハンニバルは思う。

 

「バレス殿、貴殿の雇用していた傭兵集団はどこの傭兵なのだ?」


 ハンニバルはバレスへワインを進めながら問う。

 

「最強の傭兵だと聞いていたのですが、ハンニバル殿の兵には敵いませんでした……」


「いや、個人個人の武勇は我が軍を凌いでいたと思うのだ。今回私が連れて来た傭兵は精鋭なのだが、それを凌ぐとは驚嘆したのだよ」


「そうですか、彼らを紹介してくれたとある商人が言うに、彼ら『禿鷲クフブ傭兵団』はギリシャのスパルタ出身者が多く占める集団だそうです」


 ギリシャのスパルタか……ハンニバルはなるほどと思う。スパルタの男子は幼少期から青年になるまで親元を離れ厳しい鍛錬を行い一流の兵士となる。スパルタの男子が行う仕事は兵士で、兵士を引退した者は政治を執り行う。

 スパルタは国家をあげて兵士を育成する戦闘国家なのだ。スパルタの市民は全て兵士となり、政治を除く兵役以外の主業務は全て奴隷が行う。

 長年兵士を育成してきた経験から、スパルタ兵は非常に精強だと聞く。しかし、兵士は全てスパルタ市民で傭兵ではない。どのような理由で傭兵になったのか不明だが……スパルタ兵か、面白い。

 ハンニバルは口元にニヤリと笑みを浮かべる。

 

「なるほど。『傭兵団』の規模はいかほどになる? ここに来ていた者が全てか?」


「いえ、規模は千人程度と聞いております。傭兵団の隊長はここにいません」


「そうか、ならば『禿鷲クフブ傭兵団』の隊長と渡りをつけてくれぬか?」


「了解しました。必ずや、『禿鷲クフブ傭兵団』の隊長とハンニバル殿を引き合わせましょう」


「うむ。バレス殿、貴殿はタルセッソスのカディスに来てもらおうと思っている。その後、ヒスパニアに行ってもらうかもしれぬ。充分な給金は保障しよう」


 ハンニバルは宴会の前にバレスへ約束したことを再び述べる。


「寛大な処置感謝いたします」


「何、働き次第でバレアレス諸島の領主をやる以上の収入を与えよう。私と戦った遺恨はあるだろうが……」


「私がバレアレス諸島を統一しようという器でなかったことは、今回の戦で思い知りました……私ではバレアレス諸島が窮地に陥った時、対応はできないでしょう……」


 バレスのこの物言いにハンニバルは、彼が他の領主を排除しバレアレス諸島を統一しようと考えた理由が少し分かったような気がした。

 ポエニ戦争後、カルタゴはローマにコルシカ島、サルディニア島を奪われ、残すところバレアレス諸島だけとなった。残されたバレアレス諸島は今やカルタゴの最重要防衛拠点となっていたのだ。

 しかし、バレアレス諸島の防備は貧弱と言って差し支えなかった。カルタゴ本国からの防備を強化する案は講じられず、彼らは領主に全て防備を一任した。

 とはいえ、五人の領主が狭いバレアレス諸島を統治している関係上、それぞれの領主が持つ財力はさほど多くない。

 

 カルタゴ本国はバレアレス諸島の領主が持つ既存権益へ手をつけることを戸惑ったし、領主も自らの財を投げうってまで防備を強化することも無かった。これは五人いたから起こった問題なのだとハンニバルは思う。

 五人がお互いにけん制し合い、一人が財を使うと他に付け込まれることになる。それ故、誰も動けなかったのだ。

 

 なるほど……バレスは……

 

「バレス殿、貴殿はバレアレス諸島を憂い他の領主を排除しようとしたのだな」


「そうおっしゃっていただけると聞こえはいいですが、私はバレアレス諸島の富を独占しようとしたにすぎません」


 口惜しそうにバレスはそう言うが、ハンニバルは今のやり取りでバレスがバレアレス諸島の現状を憂い、兵を起こしたと確信した。

 

 何に憂いていたのか――

 

――それは、ローマだ。


 これはいい拾い物をしたかもしれぬ。ハンニバルは歓喜する。というのは、バレスは対ローマへの強い意思を持っていると、ハンニバルが確信したからだ。


「バレス殿、私の意思は一つ。バレアレス諸島に来たこともその為だ」


 バレスはハンニバルの横顔をしかと見つめ、彼から強い意思を感じ取った。

 

「ハンニバル殿、本気なのですか?」


「うむ。私の意思……それは、ローマを、ローマを打ち倒すことなのだ。その為には持てる力を全て結集せねばならぬ。例え敵対していたとしても、分かり合えるならば味方に引き入れたい。バレス殿、貴殿のように」


「ハンニバル殿、バレアレス諸島をローマの手からお守りください。私はバレアレス諸島を愛しているのです。バレアレス諸島を守るためなら、喜んで力を貸しましょう」


 ハンニバルとバレスはガッチリと握手を交わし、再びワインに口をつけた。

 

 翌朝ハンニバルはバレアレス諸島の中心都市であるパルマリアへ足を運び、現地の市民から歓呼の元迎え入れられる。そこで、市民代表と会い、市民の為の政治を行うことを約束する。

 バレアレス諸島はバルカ家の元に統治されることとなり、将来的にバレアレス諸島に住む市民からもイベリア元老院議員を選出し、政治に参加してもらうことを市民代表にハンニバルは説明した。

 

 また、イベリア半島四地域で目指している政治体制についても説明を行うと、市民代表はハンニバルの目指す政治体制にいたく感銘を受けていた様子だった。ハンニバルの目指す政治体制は、「市民の為」と主張する者ととにかく相性が良い。

 ローマのフラミニウスしかり、パルマリアの市民代表しかり……

 

 ハンニバルはパルマリアにトールと百名の傭兵を残し、バレアレス諸島を後にした。トールは未だ一人で差配するのに経験が不足しているが、ハンニバルはヒスパニアから文官を数名バレアレス諸島へ送るつもりでいる。

 トールをヒスパニアに戻すか、バレアレス諸島でそのまま経験を積ませるかは叔父上に判断してもらおうとハンニバルは考え、三段櫂船に乗船しカルタゴノヴァへ向かう。

 

 帰還の洋上でハンニバルはため息をつく。

 とにかく人材が不足している……政治については改革案が決まっており、現地に優秀な文官も幾名かいるため、トールやマーゴに監督させ文官に任せるという手も取れるだろう。

 しかし、武官がいない。自身以外に大軍を率いることのできる人材が不足しているのだ。将来的にはマーゴとトールも使い物になるが、まだ経験が足りず、経験を積ませる場もハンニバルは考えている。

 例え、マーゴとトールが育ったとしても決定的に不足している人材がいるのだ……それは、バレアレス諸島の防衛を任せるに値する人材と海戦ができる人材になる。

 

 バレアレス諸島はパルマリアに城壁を築き籠城可能な街として生まれ変わらせる予定でいるし、軍船も次々と建造しバレアレス諸島に送るつもりでいる。しかし、それを率いる人材がいないのだ……

 マハルバルへ申し付けた人材の中にこれをこなせる人物はいるが、カルタゴ人からも欲しい。

 ハンニバルはそのような事を考えながら、海を見つめていた。

  

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