第23話 バレアレス諸島攻略

 トールの指揮により、ものの数時間で陣地設営が完了する。その頃になると、ハンニバルの放った斥候も帰還し、領主軍の情報を持ち帰って来た。

 彼らはハンニバルらが五百の兵力を率いてバレアレス諸島にやって来たことを把握しているようで、島内に散らばっていた兵を集合させている様子だった。

 ハンニバルは斥候へ引き続き領主軍の動向を探るように命令して再び放った。

 

 ちょうどその時、軍議の準備が整ったとトールがやって来たため、ハンニバルは布で出来た屋根を設置した簡易的な軍議の場へと足を運ぶ。

 軍議といえども今回は率いる兵も少数で、指揮を執るのがハンニバルその人であり、残りは百人の兵力を統率する隊長が五名にトールと合計七名だけという数の少ないものだった。

 

 ハンニバルがトールを伴って到着すると、先に軍議の場へ訪れていた五名の隊長は一斉に敬礼する。ハンニバルが椅子に腰かけ座るように指示を出すと彼らも着席する。

 

「皆の者、よく集まってくれた。ではトール」


 ハンニバルは彼の傍らで立つトールに目くばせを行うと、トールは少し緊張した面持ちで軍議の開催を告げる。

 

「では、これより軍議を執り行います」


「うむ。よろしく頼むぞ」


 ハンニバルが促すと、トールは言葉を続ける。

 

「はい。領主軍は市民の鎮圧のため各地へ散らばっておりましたが、現在ある地点に集合しつつあります。その数はおおよそ二百程度と斥候が情報を持ち帰りました」


「集合地点の地形や陣容の情報は入っているか?」


「はい。中心都市であるパルマリア近郊の平原へ陣地を築いているようです。パルマリアに立てこもりたいところだったのでしょうが、かの地の市民は領主へ反旗を翻しております」


「ふむ。陣地といっても丸太で柵を作るくらいが精々だろうな。斥候が近く情報を持ち帰るだろう。さて、トール、お前ならどう攻める?」


 ハンニバルは楽しむような声色で、トールに尋ねると彼は深呼吸をした後に自分なりの考えを述べ始める。

 

「戦いの定石からすると敵軍が集まる前に各個撃破したいところですが……この戦いに限っては集合を待ってから撃滅するのが良いと思います」


「ふむ。私も同意見だ。トールよ、集合するのを待つ利点は何だと思う?」


「はい。集合するのを待つと敵兵力が増えますが、兵が逃亡し潜伏する危険性が減ります。つまり、より短時間で敵兵を殲滅することが可能となります」


「うむ。トール。此度は敵兵の集合を待ってから叩くことにしよう。他に意見のある者はいるか?」


 ハンニバルの問いに手を上げる者はおらず、軍議はこれにて閉幕となった。

 トールの言う通り、今回に限っては兵の集合を待つ方が利点は多い。各個撃破に動いた場合、我が軍に気が付いた敵軍は散を乱してバレアレス諸島各地に散らばる可能性がある。

 そうなると、殲滅することは非常に手間だ。敵兵の兵力はおよそ二百と見積もられており、こちらは五百と二倍以上の兵力がある。お互いに歩兵のみの構成となっているから、兵力差を覆すのは非常に困難だろう。

 ハンニバルはトールの成長を喜びながら、自身の考えを整理したのだった。

 

――翌日昼頃

 ハンニバルらはバレアレス諸島の領主軍と対峙していた。領主軍はハンニバルらに対抗するため、各地に散らばっていた兵の集結が完了し一塊ひとかたまりになっていた。両軍の装備は軽装で、槍と片手剣を装備していた。

 ハンニバル軍は特に策をろうする様子もなく一斉に領主軍を押しつぶすように前進し、領主軍は弓も射らずに槍で応戦する。

 

 ハンニバルは両軍の様子を遠目で見つめながら、感嘆の声をあげる。

 

「ほう」


「兄上、何かお気づきのことが?」


 ハンニバルの声に彼の傍らで戦場を見つめていたトールが問いかける。

 

「領主軍が倍する我が軍に決戦を挑んだ理由が分かったのだ」


「彼らに勝算はあったのでしょうか?」


 トールは倍する兵に真っ向から立ち向かってきた領主軍の考えがまるで見えなかった。ヤケを起こして決戦を挑んだとさえトールは考えていたが、ハンニバルはそうではないと言う。

 

「領主軍の傭兵……あやつらは各々腕が非常に立つぞ。我々も歴戦の傭兵を集めた精鋭揃いだが、奴らはそれの上をいく」


「それほどなのですか……兄上、何か指示を出されますか?」


「いや、既に指示は出している。領主軍は残念ながら、戦術を駆使する者がいなかった。ただ兵が精強なだけでは勝てぬよ」


 兵の動きを見る限り、領主軍を率いる者は戦いの素人だろうとハンニバルは予想する。きっと領主自らが兵を率いて戦っているのだろう。

 羊に率いられた狼の群れではせっかくの狼が台無しだとハンニバルは思う。


「兄上が率いていたとしたら……手はあるのでしょうか?」


「そうだな……やりようはある。もし相手がローマのあやつなら一度撤退し作戦を練り直す必要があったな」


 ハンニバルはかつて幾度も戦った「ローマの剣」の姿を思い浮かべ、もし「ローマの剣」マルケルスが軍を率いていたらどうなっていたのかと想像する。

 少なくとも、ここでノンビリと戦況を見つめていることはできないだろうな……とハンニバルは此度は甘い戦いだと思っていた自身に喝を入れる。

 甘い考えを常に捨てねば、打倒ローマなど届かぬ夢だ。

 

「どうかされましたか?」


 トールは不思議そうな顔でハンニバルへ問いかける。

 

「いや、どのような戦いであっても気を抜いてはダメだと、自身の甘さを反省しておったところだ」


 ハンニバルはトールへそう言葉を残すと、拳をギュっと握りしめ改めて戦場を俯瞰ふかんする。

 

 領主軍は十人が横並びになった方陣を形成し、数の差を頼りに押し寄せるハンニバル軍をひるまずによく防いでいる。正面戦力の相手に精一杯の相手に対し、ハンニバル軍は後方に控えた部隊が領主軍の左右に進軍し攻撃を始める。

 左右からの攻撃へ迅速に対応できる指揮官がおらず、領主軍は崩れ始める。

 領主軍の雇う傭兵を失うのは惜しいと考えたハンニバルは、領主軍へ降伏勧告を行うと、不利を悟った領主は降伏をあっさりと受け入れた。

 

 ここであっさり降伏を受け入れるとはやはり領主は戦いの素人と見ていいだろう。ハンニバルはそう考えながら自軍へ剣を引く指示を出し、降伏を受け入れた領主が現れるのを待つ。

 しばらくすると護衛を数人引き連れ青い顔をした領主らしき三十代後半ほどのひょろ長い男が姿を現す。

 

「領主殿かな? もう一人いると聞いたが、いかがした?」


 ハンニバルは青い顔をした男に問うと、彼は答えを返す。

 

「いかにも私が領主だ。盟友は昨日別の場所へ避難している」


「ふむ。貴殿はまだ陣中にいるだけもう一人よりは多少勇気はある。むやみにバレアレス諸島に混乱を招き、善良な他の三人の領主を殺害した罪は重い」


「……」


 何も答えぬ領主へハンニバルは言葉を続ける。

 

「逃げ出した領主はカルタゴより追放する。貴殿はヒスパニアに来てもらおうか、政治手腕に見込みがあれば再起の道をバルカ家が与えよう」


「……誠ですか……そのような寛大な処置……」


 領主は信じられないといった様子で膝を付き、ハンニバルを祈るように仰ぎ見る。

 

「貴殿の勇気に免じてだ。貴殿が戦場から逃げ出すような臆病者だったならば、追放していたが」


「あ、ありがとうございます。バルカ家とバールに感謝いたします」


 領主はカルタゴの主神バールへ祈るような仕草を行った後、立ち上がりハンニバルが差し出す手を取ったのだった。

 

「して、領主殿、聞かせてもらいたいことがいくつかあるのだ。良いかな?」


「はい。いかようにも」


 ハンニバルは領主と歓談するため、トールへ宴会の準備を行うよう指示を出した。

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