第21話 重要拠点バレアレス諸島

「バレアレス諸島か……その必要はないように思えるが……」


 バレアレス諸島とはヒスパニアより東に浮かぶカルタゴ領の島嶼になる。バレアレス諸島はタルセッソスと同じで古くからのカルタゴ領になる。ポエニ戦争後もバレアレス諸島はコルシカやサルディニアと違いローマの手は伸びていない。

 「過去」でもハンニバルが第二次ポエニ戦争に敗れ、ローマと和平を結ぶまでバレアレス諸島はカルタゴ領のままで、戦争にも協力を行った。だから、ハンニバルはバレアレス諸島は信用できると認識している。

 しかし、ガビアはバレアレス諸島を手に入れろと提案する。やはり彼は面白い。ハンニバルはそう心の中で独白するのだった。

 

「いいかい、ハンニバルさん。バレアレス諸島の重要性はあんたも認識するところだよな。軍事に詳しくない俺っちでも分かるくらいだ」


「うむ。バレアレス諸島がローマの手に落ちれば、ヒスパニアは苦境に立たされるだろう」


 ヒスパニアの拠点であるカルタゴノヴァより東方の海に浮かぶバレアレス諸島がローマの手に落ちれば、ローマはバレアレス諸島を拠点にいつでも大兵力をヒスパニアに差し向けることができる。

 そうなれば、バルカ家はいつ来るか分からぬローマ兵に対応せざるを得ないだろう。そうなれば、ローマへ攻め込むどころの話ではなくなる。「過去」のハンニバルはローマが動く前にアルプスを越えたため、バレアレス諸島は無事であったが。

 海戦を指向する場合、バレアレス諸島は必須でありカルタゴ海軍を抑える為にローマも狙ってくるだろう……とハンニバルは考える。

 

「バレアレス諸島がいくらバルカ家に協力的とはいっても限界があるだろう? 例えば、バレアレス諸島の防衛主力をバルカ家にしようなんてことはできねえ」


「ふむ。それは当然だな。バレアレス諸島が危機に陥れば全力で支援するつもりではいるが」


「それだと遅いとあんたも分かっているはずだぜ。あんたが言っていたことだが、ローマを例外として海軍力とは一朝一夕じゃあ育たねえってな」


 ガビアの発言にハンニバルもなるほどと思う。バレアレス諸島を取り込み、バルカ家の元で海軍を統一できればより戦力は上がるだろう。バレアレス諸島の拠点へバルカ家の財力を使い防備を整えることだって可能だ。

 しかし、バレアレス諸島を制圧する理由がない。やり方によってはカルタゴ元老院だけではなく、ローマにも目をつけられる悪手となってしまうだろう。

 

「単に制圧するだけでは悪手だぞ。ガビア」


「そこは任せておきなって。バレアレス諸島で対立が起き、それをバルカ家が制圧するだけだぜ?」


「可能なのか?」


「ああ、ついでにカルタゴ元老院はバレアレス諸島の対立を『放置』する。そこで、バレアレス諸島からバルカ家へ『お願い』される形で制圧に向かう」


「ローマはどうなのだ?」


「ククク、カルタゴ領内のバレアレス諸島の問題を同じカルタゴ領内のヒスパニアが鎮圧したところで文句は言わせねえよ」


「準備期間はいかほどになりそうだ?」


「半年あれば行けるぜ。ハンニバルさん、あんたも分かっていることだろうが、これはイベリア元老院が出来る前の方がいい。四地域の統合が五地域の統合になるだけだ。固まる前の方がいいわな」


「その通りだ。できれば、バレアレス諸島へ向かう前にフラミニウスと接触しておきたいところだな」


「だからこその半年後ってやつよ。プレブスのフラミニウスに会えるよう手配するぜ。パトリキの方はもう少し後の方がいいだろうな。あんたの戦略通り、フラミニウスを政治の隠れ蓑にすることがローマを抑えるのに重要だ」


「うむ。プレブスとパトリキの対立をより煽る為にパトリキのマルケルスと接触する予定だったのだ。バレアレスを手中に収めるに当たって他の事はせぬほうがよいな」


「その通りだな。ハンニバルさん。マルケルスとはまだ会う必要はねえわな。余計な手間が増えるだけだ。それにしばらくの間、フラミニウスとだけ接触するってのも面白い手だぜ」


 確かにそうだとハンニバルも思う。バレアレス諸島の件が入って来るのなら、マルケルスまで関わっていると手が足りなくなることが予想される。

 フラミニウスと自身が接触し、後ほどハンニバルの権勢拡大を懸念した叔父ハストルバルがマルケルスと接触するという形を取れば、マルケルスとも接触しやすいだろう。

 もちろん、マルケルスと接触するのはバルカ家の元にバレアレス諸島が統治され、安定してからだ。


「ガビア、お前の絵図は面白い。私としては歓迎だ。やってみてくれ」


「あいよ。任せておきなって。進捗をまた伝えに来るからな。あーあと、ハンニバルさん」


「何だ?」


「あんたの弟マーゴだが、後一年少しあれば文官としてなら使えるようになるぜ。武官としては分からねえ。俺っちは軍事に詳しくないからな」


「そうか、それをマーゴが聞くと喜ぶと思う」


「ククク、じゃあな」


 ガビアは「よっこらせ」と言いながら立ち上がると、ヒラヒラと手を振って執務室から出て行った。

 ガビアが立ち去った後、ハンニバルは大きく息を吐くと椅子に腰かける。彼はガビアがこれほどまで優れた人材だとは思っていなかった。これほどの人物が「過去」の戦いにおいて最後まで日の目を見ることがなかったとは……一体本国は何をしていたのだとハンニバルは憤るが、自分も同じだったと自己嫌悪に陥る。

 「過去」の自身もガビアの事を知らぬわけでは無かったのだ。商人として大きな利益をあげていたことも知っていたし、情報を得る為の商人の一人として会ったこともある。しかし、あの不遜な態度を見たハンニバルは彼を信用できる情報を持って来る商人とさえ思っていなかった。

 ハンニバルが「過去」において、ガビアを優秀な人材と分かったのはカルタゴが敗れてから、彼と一緒にカルタゴ本国で政治改革を行った時だった。

 ハンニバルは「過去」という羅針盤を持つが、ガビアは持たない。それでも、ガビアはここまでの絵図を描くことができるのだ。彼の謀略家としての才能は比類無きものだろうとハンニバルは思う。

 

 それだけに、口惜しい。自身の過去が。いや、もう「過去」は無かったことになっているのだ。考えるべきではないとハンニバルはフウと息を吐く。

 

 だが、ガビアの件で一つ明るい希望が見えたことも確かだ。この世界には「過去」の戦争で活躍できなかった人物であっても優れた人材が埋もれているはずだ。事実、ハンニバルはマハルバルへ引き抜く人材の名を告げたが、アルキメデスとガビアが更に優秀だと思われる人材を追加してくれている。

 一人優秀な人材を手元に招くことができたなら、そこからハンニバルが知ることの無かった人材へと広がりを見せることができる。ガビアほどではないにしろ、期待できる人材はきっと集まって来るだろう。ハンニバルはそう考え、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。

 

 ガビアの提案がうまく運ぶようならば、バレアレス諸島を組み込むことが出来る。次はマウリタニアを。そしてイベリア半島を北上して行く……「過去」にローマと戦争が始まった年まであと九年。叔父上が暗殺された日まで後五年か。

 ハンニバルは未来へ思いを馳せ、巨大なローマへ対する自身の不安を振り払うように立ち上がり、拳を握りしめたのだった。

 

 そして、半年の月日が過ぎる。

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