第20話 次なる戦略の相談
――紀元前226年 タルセッソス中心地 カディス
ガビアがハンニバルの元に来てからはや数か月が過ぎようとしていた。マハルバルはハンニバルの命に従い、ギリシャを経由してエジプトへ向かっている。彼の目的は人材発掘で武人だけでなく、文官にも声をかけに行く予定になっていた。
マハルバルはハンニバルが伝えた人物だけでなく、アルキメデスとガビアからも有望な人材を伝えられ今回の旅は会う人材も多く、長期に渡るだろうと予想されていた。
一方のハンニバルはガビアという頭脳と彼の持つ情報網が手に入ったことで、思った以上に早くタルセッソスの掌握が進めていた。また、ハンニバルはルシタニアとケルト諸部族とも密に連携を取り、ようやくこれら二つの地域へ技術者を派遣することができた。
はやければ今年の収穫期にも効果が上がって来るだろうと彼は考えていた。
この調子で統治が進めばハンニバルとハストルバルの目論見通り二年間でイベリア元老院を設立し、四つの地域の統合ができる見込みとなっていた。
ハンニバルが描いた通りに順調に進んでいるが、彼はこれが最良だと思いつつも「前世」でのローマを思い描くと不安だけが募る。バルカ家は急速に成長しているが、ローマだとて座して待ってくれるわけではない。
ローマはシチリア島、コルシカ島、サルディニア島を手中に収め、海軍力を背景に洋上貿易で多大な利益をあげている。「前世」の記憶では翌年に「平民の至宝フラミニウス」によるイタリア半島付け根への遠征を手始めに、ローマは領土も拡大していくのだ。
バルカ家の戦力は「前世」より高くなっているが、これでローマに届くのか……ハンニバルは焦燥感に駆られる。いや、私が不安を感じてどうするのだ。ハンニバルは自らを鼓舞し、自身の邸宅の執務室へ向かう。
ハンニバルが執務室に入ると、マーゴが彼を待っていた。
「マーゴ、待たせたな」
「いえ、兄上。アルキメデス殿からご報告が入ってますのでお伝えをしに参りました」
「おお。アルキメデス殿のスクリューはうまくいったのだろうか?」
ハンニバルは彼の発明したスクリューが、鉱石の運搬へ使えないだろうかと思っていた。鉱石を低い位置から高い位置へ素手で引き上げるよりは、アルキメデスのスクリューで運搬できれば効率が上がるのではないか? とハンニバルはアルキメデスに相談したところ、彼は「ほうほう」と何度が呟き、
アルキメデスの書いた設計図を形にして、彼へマーゴと共に銀山へと足を運んでもらい、微調整を行っていたのだった。
「はい。数度の調整が必要でしたが、以前より格段に効率は良くなりました。ただ……」
マーゴは明るい報告をハンニバルへしたが、その先を言い淀む。
「ふむ。懸念点があるのだな。遠慮せずに言ってくれ」
「はい。スクリューは内部機構が繊細なため、すぐに動かなくなってしまうんです。つまり……壊れやすいのです」
「なるほどな。修理に時間はかかるものなのか?」
「いえ、内部機構をきちんと把握していればそこまで時間はかかりません。修理の手間を含めてもアルキメデス殿のスクリューを使用した方が効率はあがります」
「ならば、修理できる者を増やさねばならぬな。スクリューを製造できる大工も必要か。マーゴ、資金を渡すゆえお前が差配してみろ」
「私に任せていただけるのですか?」
マーゴは自らが責任者となることに少し驚いた様子でハンニバルへ言葉を返す。
「うむ。やってみろマーゴ。失敗してもいいのだ。次によりうまくできればよいだけだからな」
ハンニバルは何てことは無いと言った風にマーゴの肩をポンと叩くと、笑みを浮かべる。
「わ、分かりました。スクリューの製造にはアルキメデス殿の力が必要です。今少し彼に力を貸してもらうことになりますが、よろしいでしょうか?」
「アルキメデス殿が活躍してくれるなら大歓迎だ。そこは問題ない。しかし、彼は興味のあることしか目を向けぬから、注意するように」
「了解しました! ありがとうございます」
マーゴは一礼し部屋を出ていくと、彼と入れ替わるようにガビアが頭をボリボリかきながら挨拶もせずに、執務室の椅子に腰をかける。
彼は相変わらずの不遜な態度で普通に座るのではなく、足をなげだし肘をついた姿勢でハンニバルへ片手をあげる。
「よお、ハンニバルさん」
「ガビア、どうだ調子は?」
ハンニバルはガビアの態度を気にした様子もなく、彼へ近況を尋ねる。
「特に問題が発生した様子はねえな。ルシタニアもケルトもカルタゴ人技術者を受け入れてお勉強中ってところだな」
「ふむ。それは良かった」
「ククク、ハンニバルさん、最近お悩みの様子だが、動きたくてウズウズしてるんじゃねえのかい?」
「……さすがガビアと言ったところか。しかしまだ動くわけにはいかぬぞ」
「ローマのプレブスとパトリキに会うのはあと半年は後の方がいいだろうな。ククク……しかし、イベリア四地域の政治がまとまっていないからといって、ハンニバルさんがイベリアから動かない理由はあるのかい?」
「ある。私と叔父上がイベリアに座し、統治に睨みを利かせておかねば……その先はお前に言わずともお前なら分かるだろう?」
「確かにな。だが、タルセッソスはイベリア元老院ができるのを待つまでもなくマーゴに任せればいいじゃねえか」
「マーゴはまだ一人で統治するには経験が足りぬ。あと一年半くらいは私の手元に置き、学ばせねば。急いでは後程痛い目を見る事になるだろう」
「過保護なことだな。全く」
ガビアは肩を竦め、苦言を呈するが、ハンニバルはそう思っていない。むしろ、たった二年弱でマーゴへ政治を任す事は過酷だと感じているくらいだった。
トールもマーゴも才能はある。それは「前世」の記憶からも、現在の二人の様子を見ても確実なことだ。だからこそ、二年弱という短期間でマーゴに独り立ちしてもらおうと彼は思っているのだ。
「で、何だ? そのことを伝えにわざわざここへ来たのか?」
「いや、それだけじゃなえ。ハンニバルさん、あんたの大戦略を聞いた時、俺は震えたぜ」
ガビアはハンニバルから、フラミニウスを支援する話以外にも彼の戦略構想を聞いている。普段驚く姿を見せないガビアが感心した様子を見せていた内容も、その中に含まれていた。
「あれか、お前が驚いていたことといえば、マウリタニアのことだな」
「おうそうさ。カルタゴ元老院をとっちめることや、海軍力の構築なんかはまあ予想できることだった。同盟国のマウリタニアをヌミディアと分割するってのは痺れたぜ」
ガビアはハンニバルを褒めるが、ハンニバルから見たマウリタニアは同盟国とはいえ信用に値しない国だと思っている。彼の「過去」において、ヌミディアはハンニバルへ戦争協力を行ってくれたが、マウリタニアは何も貢献しなかった。
それどころか、ローマがカルタゴ本国を攻めた時に奴らはローマへ尻尾を振ったのだ。ハンニバルは「過去」の経験から、マウリタニアを有効活用する手段として、ヌミディアとバルカ家の力を増すためにマウリタニアを分割しようと考えた。
ガビアは同盟国を攻め滅ぼしてしまおうというハンニバルの発想をいたく気に入った様子だったが、ハンニバルにしてみればそうたいした提案をしているつもりはなかった。
「マウリタニアは信用ならぬ国だ。手中に納めることで我々の力になろう」
「ククク、その発想、あんたは希代の戦略家だよ。ハンニバルさん、俺が相談したかったのはマウリタニアと似た話だ」
「ほう。聞かせてくれ」
「それはな、バレアレス諸島だよ。ハンニバルさん。あそこをバルカ家のものにしちまおうぜ」
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