第19話 ガビア

 ひとしきり笑った後、ガビアは初めてヘラヘラとしたつかみどころのない様子から態度が一変する。

 目を細め、眼光鋭くハンニバルをじっと見つめる。

 

「本気なんだな? ハンニバルさん」


「いかにも。貴殿がいるとより可能性が高まるのだ」


「おもしれえ。その権利対価、大金だぜ」


 ハンニバルはガビアと握手を交わすと、驚きのまま固まっているマハルバルに目をやる。

 

「ガビア殿……いやガビア、お前の能力が信じられない様子だ。私の連れは」


「そらそうだろうよ。ハンニバルさん、あんただってそうだろう?」


 ガビアは愉快だといった風にクククと笑い声を上げる。

 

「そうだな、一つ仮定の話をしよう。私はローマのとあるプレブスと近く接触しようと考えている」


「ククク、なるほどな。それが宿題か。いいぜ。その先は言わなくて」


 ガビアは椅子に腰かけると足を組み、椅子にもたれ込むように姿勢を崩す。その態度は決して上位者に見せるべき態度ではなかったが、ハンニバルは気分を害した様子はなく、面白そうに彼の向かいへ腰かけると言葉を待つ。

 

「ハンニバルさん、あんたとあんたの叔父は仲が悪いのかい? プレブスに接触してローマの和をみだそうって発想は、まあリスクが少なく効果も多少あがるかもしれねえな。でもな……」


 マハルバルは我が主人に対するガビアの不遜な物言いは我慢できていた。しかし、我が主人に加えその叔父上までも侮辱するなど彼の我慢できる限界を超えていた。

 ハンニバルの後ろに控えていたマハルバルは、ガビアに訂正と謝罪を求めようと一歩前に踏み出す。

 しかし、座したまま動かぬハンニバルは大きな笑い声をあげマハルバルを制する。


「面白い、多少の効果か。残念ながらガビア、私と叔父上は厚い信頼関係で結ばれている」


「ククク、ハンニバルさん、俺っちはあんたが短期間でルシタニアまで制圧したことや民会でやったことの情報を多少仕入れたんだがよ」


「ほう」


 なんてことは無いと言った風に飄々と語るガビアだが、ハンニバルは彼の情報網に感心し、感嘆の声をあげた。


「あんたが軍事と政治両方に非凡な才能を持っていると俺っちも思うぜ。ただな、あんた真っすぐ過ぎるんだよ」


「ふむ。褒めてくれたのかなそれは?」


「悪くはないと思うぜ。俺っちは軍事のことが分からねえから、どう凄いのかは言えねえが。いいかい、ハンニバルさん」


 ガビアはプレブスへ接触し、イベリアの統一は市民の為の改革だとプレブスに理解を求め、領域拡大の隠れ蓑にすると共に、プレブスのローマにおける勢力の伸長へ手をかす案はリスクが少なく悪く無いと言う。

 ハンニバルはここまで正確に自身の意図を読み取っていたガビアに驚愕する。この男……ここまで出来たのか。「過去」の元老院で私に見せた才能はまだまだ全力では無かったということか……ハンニバルは心の中でそう独白した。

 

 さらにガビアの話は続く、お行儀良く、リスクの少ない手ってのは確かに価格としては悪く無い。まあ、儲けるだろうと。

 

「ふむ。金銭に例えるのは商人らしい」


「商品ってのはな、高く売らねえとだぜ。プレブスだけに話を通すなんてもったいねえ。ハンニバルさんと叔父さんがそれぞれプレブスとパトリキと通じる方が儲けるぜ。例えば、パトリキのスキピオ家とかな」


――スキピオ。


 スキピオだと! ハンニバルはその名を聞いただけで、あの蛇のような顔をした天才――スキピオ・アフリカヌスの顔を思い浮かべ拳を握りしめる。

 しかし、ハンニバルは思う。カビアの手はリスクが高いが、得るものが大きいことは確かだ。そもそもパトリキの方がローマでの勢力は相当に大きいだけに、パトリキ内での抗争もある。

 プレブスは一枚岩だが、パトリキに劣る。パトリキ、プレブスの両者と接触することで、より大きくローマを揺らすことは可能だろう。それが成しえないとしても、両者から情報を集めることはできるだろう。

 プレブスとパトリキ同時にとなると、ハンニバルがプレブスと、叔父ハストルバルがパトリキと別々に接触することになるだろう。接触する相手の動向を常に探る必要があり、ローマの世情も出来る限り集めなければやけどする。

 こういった案を持って来るということは、ガビアは既に情報網を持っているのだろう。やはりガビアは思った以上に素晴らしい。

 

 だた、スキピオ。スキピオだけは駄目だ。ハンニバルは自身の考えが合理的ではないと理解はしている。

 しかし、感情が血が彼の「前世」がスキピオ家と接触を持つことをを許さない。


「面白れえ。ずっと冷静沈着だったあんたが心を乱すなんてな。俺っちからしたらスキピオ家なんて脳みそに筋肉が詰まってんじゃねえかって思うだけだけど。あんたにも譲れないものがあるってわけだな。ますます気に入った。目利きってのは拘りが大事だよな」


 ガビアはクククと不敵に笑う。

 

「すまぬな」


「プレブスには当たりがついてんだろ? フラミニウスあたりか?」


「ほう。フラミニウスに目をつけたのか。その通りだ」


「見る目あるね。ハンニバルさん。あいつは登るぞ。暗殺されなきゃな。まあそれはいい。パトリキならあいつはどうだ。マルクス・クラウディウスの息子」


「あやつか!」


 マルクス・クラウディウスは先のポエニ戦争で活躍した将帥の一人で、その息子もポエニ戦争に従軍した。年齢はハンニバルより十歳ほど年長になる。

 彼こそは、スキピオ・アフリカヌスと並ぶハンニバルの最大のライバル――

 

――マルクス・クラウディウス・マルケルスだ。


 ハンニバルは昔日のマルケルスとの戦いを思い出す。マルケルスは武人の中の武人といった性格でハンニバルは彼の人間性を好ましく思っている。戦う様はまさに「猛将」。

 ハンニバルは彼と数度戦い、スキピオ・アフリカヌス以外でハンニバルが敗北したのはマルケルスだけであった。スキピオ・アフリカヌスと戦った「ザマの戦い」は戦う前から敗北が決定していたような戦いだった。

 しかし、ハンニバルがマルケルスと死闘を演じた際はお互いに五分の戦力で戦うことも多かったのだ。そういう意味ではハンニバルが唯一敗れた相手とも言える。

 

 もっとも……ハンニバルは眉間に皺を寄せてもう一人のライバル……スキピオ・アフリカヌスの恐ろしさを思い出す。あれは戦いの天才……マルケルスとはまた違った凄みを持っている。

 ハンニバルの長考に割って入るような形でガビアが口を挟む。

 

「マルケルスは馬鹿だが、戦場では強いぜ? 強い男は地位が高くなるってもんよ。いい家の出身だしな」


「確かにあやつは……強い」


 ハンニバルはそう答えながらも、ガビアの未来予測に驚かされるばかりだ。きっと彼はマルケルスやフラミニウスの詳細な情報を掴んでいるのだろうが、ガビアの言う通りこの二人はローマの最高位「執政官」に就任するまでになる。

 今回はどうなるか未だ不明だが、少なくとも「過去」で彼らは執政官になった。様相がもし変わったとしてもそれなりの地位にはつくだろうとハンニバルは思う。

 

「ハンニバルさん、こんなもんでいいかい?」


 ハンニバルはガビアの問いかけに答える前にマハルバルへ目をやると、彼は静かに頷きを返す。


「十分だ。お前の才覚に驚嘆した。ぜひ来てもらいたい」


「俺っちだけでいいのかい? 喉から手が出る程欲しいものがあるだろう?」


「全く、何でもお見通しか。お前とお前の持つ組織ごと迎え入れたい」


「任せな。俺っちの情報網は世界一だぜ」


 こうして、才気煥発な変人ガビアがハンニバルの参謀となったのだった。

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