第18話 守銭奴

「監視組織と治安維持部隊の二つを独占することで、タルセッソスを無理なく管理するってことなのですね」


 マーゴはハンニバルの言葉を自分なりに咀嚼し、彼へ言葉を返した。


「うむ。監視組織はいずれ拡大し、他国へ行く諜報員を出せるようにするつもりだ」


「まさに一石二鳥というわけですか! さすが兄上です」


 諜報組織はなるべく早く構築したいところなのだが、裏切ることの無い人物を慎重に選ばねばならぬ……タルセッソスの監視組織を母体にし、そこで人物を見極め諜報組織へと組み込む。

 それがハンニバルの考えであった。

 ここで時間を失うのは惜しいが、タルセッソスはこと富に関して言えば、ヒスパニア以上に重要地域となる。焦って中途半端になると全てが水の泡となるからな……ハンニバルははやる気持ちを抑え、マーゴへ向き直る。

 

「民会に参加しないといえ、手が離せるというわけではないからな……」


「兄上、キクリス殿と傭兵が到着するまで少し時間がありますが、本日はこれからどうなさいますか?」


「さっそく、ある者にできれば会ってこようと思う。マハルバルも連れて行く。思い当たる人材がカディスにいるのでな……お前はアルキメデス殿を見ていてくれ」


 ハンニバルもマーゴもアルキメデスを一人邸宅に残し外出する気は無かった。あの変人を一人で残し、外に出られてトラブルを起こされたらたまらないからだ。

 ハンニバルはアルキメデスを連れて来たが、鉱山であのスクリューが使えるかもしれないと考えたからだ。事が終わればすぐにヒスパニアに戻ってもらうつもりでいる。


「了解しました!」


 マーゴは元気よく答えると、一礼し執務室から退出する。

 ほどなくして、マーゴに呼ばれたのであろうマハルバルが執務室に顔を出し、ハンニバルは彼を伴い邸宅を出る。


 邸宅を出るとハンニバルはカディスの港の方へ向かって行く。道中ふと思い出したようにハンニバルは傍らで周囲を警戒するマハルバルへ声をかける。

 

「マハルバル。これから会う人物は……何というか」


 珍しくハンニバルの歯切れが悪いことにマハルバルは、主を気遣うように言葉を返す。

 

「ハンニバル様、申し上げづらいことをおっしゃられる必要はありません」


「いや、違うのだ、マハルバル。これから会うものが我々と志を共にするとなれば、お前と二人で会う機会もあろうと思ってな」


「私のことはお気遣いせずとも問題ありません」


 マハルバルは「自分のことは問題ない」と即答するが、あの守銭奴とマハルバルの相性はおそらく最悪だろうとハンニバルは考える。

 ハンニバル自身、これから会う守銭奴とはこのような状況下でなければ会いたくもないし、仲間に引き入れたくもない人物なのだ。事実彼の「前世」では、第二次ポエニ戦争で敗北し、カルタゴ本国に戻るまで守銭奴と会話することは無かった。

 しかし、カルタゴ本国でハンニバルと共に敗戦後のカルタゴを立て直す手腕は見事の一言に尽きた。ただ、守銭奴の気質はハンニバルと相入れないものではあったのだが……

 

 守銭奴の名前はガビアと言う。これは彼が後から自身でつけた名前であり本来の名前ではない。ガビアとは鴨のような鳥のことを指し、自由気ままな海鳥だと自身を言っているのだろうとハンニバルは考えている。

 「今世」の彼はハンニバルが集めた情報によると、ポエニ戦争後にカルタゴ元老院の下部組織で文官として働いていたが、その性格からすぐに放逐されたという。それが今から二年前のこと。放逐された後、彼はカディスに渡り商売を始めたという。

 自身の商会を立ち上げ、順調に売り上げを伸ばしているとハンニバルは懇意にしている商人から聞いた。

 

「マハルバル、非常に変わった人物だが冷静に事を見守っていてくれ。うまく言えずにすまんな」


「いえ、滅相もありません」



◇◇◇◇◇



 港付近に立つ巨大な倉庫と一体型になった二階建ての建物の前にハンニバルとマハルバルは立っていた。建物の前には「ガビア商会」と記載された看板が扉の横に備え付けられている。

 ハンニバルは扉の前に立つ守衛に自身の名前を告げ、主人に取り次ぐように依頼した。ハンニバルの名を聞いた守衛は血相を変えて、大きな足音を立てながら扉の中へと入っていく。

 

 ハンニバルは思った以上に大きな商会になっていたことに驚きを隠せなかった。僅か二年でここまで商会を大きくするとは……やはりこやつ只者ではないなとハンニバルは心の中で独白する。

 そこへ、マハルバルが不思議そうな顔でハンニバルへ尋ねる。

 

「ハンニバル様、お会いするのは商人なのですか?」


「うむ。商売の才覚はあるが、それだけではないのだ。ただの商人であればお前を連れてわざわざ会いには来ぬよ」


「しかし、大きな商会ですね。私はカディスに初めて来ましたが、ヒスパニアでもここまでの商会はそうは見ません」


「マハルバル。この商会は僅か二年前に結成されたようだぞ」


「……」


 マハルバルはハンニバルの言葉に絶句する。


 ハンニバルとマハルバルが会話している間に先ほどの守衛が戻って来て、彼らを中へと迎え入れる。

 扉をくぐり、奥の部屋へ案内されると中には三十代前半くらいに見える小柄な男が待っていた。男は黒髪を頭頂部で縛りつけまるで馬の尻尾のように髪が伸びていて、腰には最高級品の塗料である貝紫をふんだんに使い鮮やかに紫色に染まった帯を巻いている。

 しかし、帯の端が床につきそうなほど垂れ下がっていた。

 マハルバルは見るからに変な恰好をしているこの男へ驚きを隠せない。彼にはこの人物がハンニバルの求める人材と到底思えなかった。アルキメデスも変ではあったが、見た目は髪の毛と髭を整えていないだけのいたって普通の服装をしている。

 

「これはこれは、タルセッソスの英雄ハンニバルさん。何用かな?」


 男は不遜な態度でクツクツと笑いながら、ハンニバルへ挨拶を行う。

 

「カビア殿、本日は貴殿と少し話をしたくてな」


 ハンニバルは少しだけ眉間に皺を寄せたものの、声はいたって冷静そのものだった。

 

「ククク、俺っちの名前を知っているのかい。何が望みなのかな?」


「私は貴殿に参謀になってもらいたく参上したのだよ」


「俺っちが参謀だと? 面白いことを言う。ハンニバルさん、あんたは俺っちが何を出来るかなんて知らねえだろう?」


「具体的には知らぬが、僅か二年でここまで巨大な商会を作り上げるのだ。組織を作る力、それに情報、謀略……全てが比類無きものだと私は思うのだがね」


 ハンニバルが語る情報にマハルバルは目を見開く。確か我が主の言う通りだ。ただの商才だけで、ここまで巨大な倉庫を備えた商会へ僅か二年で成長させれるわけがない。

 二年でここまでにするには、商才以外にも諜報力や謀略、政治力……あらゆる力が必要になって来るはずだ。マハルバルはそう心の中で独白し、小柄な男をじっと見やる。


「ククク、たまたまだよ。たまたま。ハンニバルさん、俺っちは見ての通りなんだよ」


 カビアは垂れ下がった帯を手に持ちヒラヒラと揺らす。

 

「貴殿へ参謀長の地位と充分な金銭を支払おう」


「地位ねえ、地位は金にならねえし、金だってここで商売をやっていた方が稼げる。興味はねえな」


 ガビアは帰った帰ったという風に手を振る。

 しかし、ハンニバルはニヤリと口元に笑みを称えると、言葉を続ける。

 

「ガビア殿、噂にたがわぬ金の亡者だな。地位は金にならぬと」


「ああそうだぜ。ついでに信頼とか信用も金に換算しないといけねえ」


「ふむ、貴殿が参謀長に来てくれるならば、大きな対価があるがどうだ?」


「何だったってんだ?」


 カビアはここで初めてハンニバルの目をじっと見つめる。

 

「海を自由に航行できる権利対価だ」


「ククク、ハンニバルさん、あんた馬鹿だな……それもとんでもなく」


「それは褒め言葉かな?」


 ハンニバルは莞爾かんじと笑い、同じくニヤーっと嫌らしい笑みを浮かべるカビアと目が合うと、二人は笑い声をあげる。


※二人目のヒロインきたよー。

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