第17話 タルセッソスへ

――紀元前227年 タルセッソス中心地 カディス

 ハンニバルは「前世」においてタルセッソスに兵を向けたことは無かった。タルセッソスはカルタゴと同時期にできた昔ながらの都市であり、彼らがまだフェニキアを名乗っていた頃から重要な拠点だった。

 「前世」でもポエニ戦争敗北後にローマ派の反乱は起きていたが、紀元前226年には収束していた。

 放置していても、無事元の安定した状態に戻るタルセッソスへ介入したのは、タルセッソスをバルカ家の勢力圏にするために他ならない。タルセッソスは豊かな農作物もあるが、中心都市のカディスから少し北に行くと「銀山」がある。

 古代よりフェニキア人は銀山の貿易を独占し巨万の富を築いてきたのだ。それは現在でも富を生み出し、カルタゴの国力を支えている。

 

 その地をバルカ家が支配下におけば、カルタゴ本国からの反発が予想されると思うが、実はそうではない。なぜなら、タルセッソスで起こっていた内乱によって、銀の産出が止まっていたからだ。

 バルカ家がタルセッソスを平定することで、銀を再び輸出することができるようになる。ハンニバルの「前世」では翌年に銀の輸出が再開されるが、誰も知らぬ未来の出来事を想像できるものなどいない。

 カルタゴ商人から見れば、ハンニバルは銀の産出を再開させた人物となる。バルカ家がこれまで通りカルタゴ商人へ銀を供給さえすれば、カルタゴ商人から喜ばれこそすれ恨まれることはまずないだろう。

 もちろん、バルカ家がこれまでの習慣を変えて、銀の価格を吊り上げたり、銀をカルタゴ商人に販売しないといったことをすれば話は別だが……

 

 ハンニバルはマーゴとマハルバル、アルキメデスを伴い、船でカディスに降り立っていた。まだ着いていないが、治安用の傭兵を連れたキクリスは陸路でカディスに向かっている。

 ハンニバルが港に着くとカディスの政治決定組織である「民会」の代表者二人から歓待を受ける。

 

「わざわざ、ご足労いただきありがとうございます」


 ハンニバルは民会の代表者二名へそれぞれ握手を行うと、年配の方の代表者が口を開く。

 

「ようこそおいでくださいました。邸宅を用意しておりますので、まずはゆるりとおくつろぎください」


「いえ、さっそく民会へ向かって良いでしょうか?」


「もちろん、構いません」


 ハンニバルはカディス民会の代表者の了承の言葉を聞くと、マハルバルを手招きする。

 

「マハルバル、アルキメデス殿を連れて先に邸宅へ行っておいてくれ。アルキメデス殿にはしばらく休んでもらい、お前は邸宅の確認を行え」


「ハッ!」


 ハンニバルとマハルバルの会話を聞いていた民会の代表者のうち若年の方が自身が邸宅まで案内すると申し出る。

 

 ハンニバルとマーゴは年配の代表者と共に、街の中央にある「民会所」へ移動する。

 民会所に通されたハンニバルらは着席すると民会の代表者の老人に相談を持ちかける。

 

「申し遅れました。私はハンニバルと申します。しばらくの間、タルセッソスの代表者としてここの統治を行わせていただく予定です」


「ご丁寧にありがとうございます。私はサルナスと申します。カティス民会の代表をしております。ハンニバル殿、以後お見知りおきを」


「さっそくなのですが、差し当たり半年間は今ある民会の人員を動かす気はありません。ローマ派諸都市のみ人を入れ替えます」


 ハンニバルの宣言にカティス民会の代表――サルナスは驚きで目を見開く。通常新たな支配者とは自身の子飼いを各街へ送り込むものだ。カディスはタルセッソスの中心地な上に銀の取引港として重要拠点であることはハンニバルも知っているはずだが……サルナスは心の中で独白する。

 絶句しているサルナスへ向けてハンニバルは言葉を続ける。

 

「現状の統治がどのようになっているのかを見させていただき、改革案を半年以内に伝えます。原則人材の入れ替えを行わない予定ですので、しっかり務めを果たしていただければと思います」


 ハンニバルは「前世」の記憶からカディスの統治に問題が無かったことを知っている。彼の「前世」ではカディスが中心となり、ローマ派の反乱勢力を駆逐し、第二次ポエニ戦争でもカディスはカルタゴ本国と違い非常に協力的だった。

 ならば、カディスの人員はなるべく動かすべきではないし、きっと彼らは優秀な政治家なのだろうと彼は思っていた。

 

「そ、それでは、ハンニバル殿が兵を率いローマ派を駆逐した意味が薄れませんか?」


「いえ、タルセッソスがバルカ家と共にあるようになればそれで問題ありません。一つ、今すぐにでも実施していただきたいことがあります」


「何でしょうか?」


「出来る限り迅速に銀の採掘を再開してください。ローマ派が潜伏している可能性もありますので、二日後より我々が兵を率い残党狩りを行います。銀山への道から優先して行いますのでご安心ください」


「なるほど、私達としましても銀山の採掘再開は死活問題です。二日以内に再開するための準備を行います」


「ご協力感謝します。実は採掘に使えるかもしれない道具を発明した技術者を連れて来ているのです。採掘が再開しましたら、その者と協議していただけますか?」


「それは楽しみですね!」


 カディスの銀はバルカ家だけでなく、カルタゴ全体にとって大いなる富になる。一刻も早い銀山採掘の再開は誰にとっても悪い無い話ではなのだ。 

 ハンニバルはサルナスと握手を交わすと、民会所を出てサルナスの従者に案内され準備してもらった邸宅へ向かう。

 

 道中マーゴはハンニバルへ何か言いたそうな表情をしていたが、邸宅へ着くまで話せることではないとお互い分かっていたので、二人は無言のまま邸宅へ到着する。

 

 邸宅に到着するとマーゴは初めて来る邸宅の様子には目もくれず、ハンニバルへ目を向ける。ハンニバルは道中でマーゴが見せた表情を理解していたので、彼を伴い邸宅にあった執務室へ向かう。

 マハルバルに周囲を見張るように告げたハンニバルは椅子に腰かけ、向かいにマーゴを座らせる。

 

「マーゴよ。いろいろ聞きたいことがあるだろう。何でも聞いてくれ」


「ありがとうございます。兄上。ローマ派の街は別にして、カディスへヒスパニアの者を送り込まないのですか?」


「うむ。送り込まぬが、監視はもちろん行う。タルセッソスの他の街にしてもそうだ。何か事が起こればキクリスに制圧させるつもりだ」


「つまり……治安組織は我々で受け持つのでしょうか?」


「そうだな……マーゴ、私と叔父上で決定した統治方針が記載したパピルスは読んだな?」


「はい! 内容も記憶しております」


「我々の方針は『支配』ではなく、『同化』なのだよ。押さえつけずに済むのなら押さえつけたくはない。ただし、書かれたことを実施するに政治改革は必要だ。具体的な政策を伝え、民会に実施してもらうつもりなのだよ」


「なるほど……」


「と言っても、タルセッソスについてはバルカ家の影響力は非常に大きくなる。彼らも勝手気ままには行動できぬよ」


「申し訳ありません……話が見えて参りません」


「マーゴ、そうやって質問をすることはとても大事なことだ。分からぬことは素直に分からぬとこれからも言うのだぞ。つまり――」


 ハンニバルはマーゴへタルセッソスにおけるバルカ家の統治方針を説明し始める。

 タルセッソス内のこれまで行ってきた政治の仕組みは人員も含めて原則そのまま維持することで、タルセッソスが内乱前の状態により早く復帰できることを目指す。

 タルセッソスが元の安定した状態に戻ったら、しばらく様子を伺いながら少しずつ政治改革を実施していく。政治改革はハンニバルと叔父が決めた基本方針のうちタルセッソスで足らないものの実現を指向する。

 タルセッソスは現状ヒスパニアやカルタゴ本国と同じ水準の技術レベルを持ち、元より同じ国なので「同化」の必要もない。統治機構についてもヒスパニアと同水準にあるのでここも改革の必要性はない。

 実施すべき改革とは「徴兵制」の実施ができるようにすることくらいなのだ。

 

 といっても、成熟した統治機構であってもそのまま放置するわけにもいかず、首根っこを常につかんでおく必要がある。その為、今はバルカ家が雇用した傭兵であるが、タルセッソスの治安維持部隊にする。将来的にはタルセッソスから徴兵した部隊へ変更する予定だ。

 タルセッソスの兵力はバルカ家が保持するもののみとし、各地域がうまく統治できているかを監督するために、監視組織を作る。

 ハンニバルはそこで一旦言葉を切る。

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