第16話 統治戦略
ハンニバルの政策はハストルバルが自身で述べた「同化」のさらに進んだもので、彼自身「同化」でさえかなり斬新な手法と思っていたが、甥の考えに驚きを隠せなかった。
「ふむ……ハンニバルよ。まだ若いお前がこれほどの政策を考えておったとは感服したぞ」
「叔父上、私の考えは『愚か』と言われてもおかしくないと思っておりますが、政治に詳しい叔父上に賛同いただけて嬉しく思います」
二人は顔を見合わせニヤリと口元に笑みを浮かべる。二人の笑みはまるで悪だくみが成功した少年のようだった。
「ハンニバルよ。忘れぬうちに方針を
「はい。では失礼して」
ハンニバルは
その概要とは――
・イベリア半島の四地域は同化を基本政策とし、地域や民族による上下を設けない。領域に住む奴隷は全て市民へと昇格させる。
・政治の最高決定機関は四地域から選出された代表を集めた「イベリア元老院」で執り行うが、バルカ家は終身元老院議員とする
・統治開始から二十年間はバルカ家を
・戦時には域内から徴兵を行う
・域内の技術水準をカルタゴ本国と同レベルまで引き上げる
・ルシタニア、タルセッソス、ヒスパニアの情報伝達や交易を活発化させるため、定期航路を設ける
「書き出すと、改めて理に適った案だと思うぞ。ハンニバル。定期航路……なるほどな」
「さすが叔父上です。それだけで察していただけましたか」
「軍船に転用できる船でないとな」
ハストルバルの言葉にハンニバルも我が意を得たりといった表情で頷きを返す。
ハンニバルの案は域内の発展を考えたものであるが、ローマに対抗するための施策ももちろん盛り込まれている。全てはローマを倒す為に……彼の鉄の意思が大胆な政策を打ち出したのだ。
いくら豊富な資金があっても、傭兵の数には限りがありローマに対抗するには兵力が足りぬ。そこでハンニバルは徴兵制を取れるだけの意識を植え付けることに腐心している。
四地域を命をとしてでも守りたいと思える豊かさを享受すれば、ローマのように愛国心が芽生え、自ら戦地に赴くようになってくれると彼は考えたのだった。
定期航路の名目で船を建造し、貿易の拡大を隠れ蓑に船の数を増やしていく……いずれローマに対抗できるだけの海軍力を持つために。
「ハンニバルよ。この施策が安定するまでに、少なくとも二年はかかろう。それまでは対外進出出来ぬだろうが……」
ハストルバルは懸念していることがあるのか、目を伏せ眉間に皺を寄せる。
「カルタゴ元老院は確かに放置しておけませぬが――」
ハンニバルはハストルバルの懸念点を正確に読み取っていた。ハストルバルはカルタゴ元老院の動きを懸念している。そこで、ハンニバルはハストルバルへ自らの考えを伝え始める。
バルカ家の発展を見たカルタゴ元老院は、カルタゴ内におけるバルカ家の力が余りに増大することを恐れ、足を引っ張って来る可能性がある。
ハンニバルもいずれカルタゴ元老院そのものを牛耳るつもりであるが、自身の本拠地が安定せぬまま下手に手を出せば大きな痛手を負ってしまう可能性も高いと見ている。
カルタゴ元老院を抑えるまで彼らが下手な動きをせぬよう、甘い汁を吸わせるしかないだろう……誠に遺憾ではあるが。
「ふむ。カルタゴ商人にとっても我が地域が豊かになれば取引できる商品が増えるわけだからな。彼らには自由に貿易を行わせるよう配慮するか」
ハストルバルは「飴」として、自由交易を行わせることを提案する。バルカ家の支配する領域なので、交易を制限することもできるのだが、カルタゴ本国へ妥協しようと言うのだった。
「その辺りが落としどころでしょうか。機を見てカルタゴ本国へ使者を送ります。彼らも私達の動向を知りたがっているでしょうから」
「うむ。ローマへは私が使者を送ろう。ローマに警戒されると厄介だからな」
ローマについては「親ローマ派」といわれる自分が対応しようと、ハストルバルは提案するが、ハンニバルは自身に案があることを彼に告げる。
「叔父上、
「なるほど! ローマの市民派に『虐げられた市民のために統一を行った』と説明するのか。しかし、彼らはローマ国内でそこまで力を持っておらぬぞ」
「現状そうなのですが、市民派には優秀な人物がいます。彼ならば、この後それなりの影響力を持つようになるでしょう」
あの人物は軍事に関する才能もそれなりにあるが、政治能力はかなり優秀なのだ。
――ガイウス・フラミニウスはな。
ハンニバルは心の中で独白し、不敵な笑みを浮かべた。
「敵にそれほどの人物がいるとは厄介だが、利用できる者は敵でも利用させてもらわねばな。ハンニバル、その者について知っている事を教えてくれ」
「もちろんです。ただ、接触するに密かに接触するか公に使者を送るのかが判断のしどころです」
「ふむ。四地域の施策が順調に進んでいると判断できた後、接触しよう。その際にどちらにするかお前と相談しよう」
「了解しました」
叔父上が前に立ちフラミニウスと接触するならば、大っぴらに使者を送っても波風はそれほど立たないとハンニバルは考える。叔父上がずっと健在であってくれればどれほどバルカ家のためになるか……ハンニバルは改めて叔父の偉大を認識し、彼を尊敬の眼差しで見つめる。
「ハンニバルよ、人員配置はどうする? 私はヒスパニアを統治するのが良いと思うのだ。トールに学ばせたということもある」
「叔父上ならそうおっしゃると思っておりました。ルシタニアとケルト諸部族についてはそれぞれの族長を代表にしましょう。タルセッソスは私がしばらく見ようかと」
「それが良いだろうな。マーゴも連れて行ってくれぬか? トールとマーゴを定期的に入れ替え学ばせたいが良いか?」
「それが良いと思います。子飼いの傭兵はヒスパニアに置きます」
「いや、ハンニバル。カドモスかキクリスのうちどちらかと騎兵と歩兵をそれぞれ千ほど連れて行け。タルセッソスは反発する者がまだ出てくるかもしれぬ」
「お心遣い感謝いたします。では、キクリスを連れて行きます。カドモスへトールに戦術を教えるよう命じておきます」
「了解だ。トールとマーゴは良く学ばせ、独り立ちしてもらわねばな」
「あの二人ならば、二年もしないうちに独り立ちできるかと」
ハンニバルは「前世」においてヒスパニアを統治し、ローマの軍団を一度は退けたトールとマーゴの実績を思い出し、彼らならば必ずやすぐモノになるとハンニバルは確信している。
二人とも最後までヒスパニアのために勇戦してくれたのだ。絶望的な戦いに真正面から望み、敗れ死してしまった。そういう思いもあって、ハンニバルは先日マーゴへ「勝てぬなら転戦を考えろ」的なことを言ったのだった。
ハンニバルは叔父ハストルバルと細かい人事について話合った後、彼の屋敷を出る。
彼は今後の事を考えながら、自身の邸宅に向かっている。
少なくとも二年間は現状領域の統治に集中せねばならぬ。領域を広げたい、カルタゴ元老院を何とかしたい、フラミニウスと接触したい、ローマに対する諜報網を構築したい、人材を集めたい……やりたいことはいくらでもあるが、まずはタルセッソスの中心地カディスに向かわねばな。
問題は山積みではあったが、ハンニバルの顔に悲壮感はなく、いまはただただ爪を研ぐのだと決意を新たにするのだった。
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