第15話 平民の至宝

 元老院は当初パトリキだけで運営されていたため、力を持ったプレブスは自らの民会を組織する。また、ローマにおける国家の代表は執政官と呼ばれる役職だが、こちらもパトリキしか役職に就けないため、プレブスは彼らの代表として「護民官」という役職を作り対抗した。

 こうしたプレブスの動きを無視できなくなってきた元老院は、最終的にプレブスであっても元老院議員や執政官になることを認めた。これがおおよそ百年前の出来事になる。これで両者の対立が解消したのかというとそうではない。国家運営ができなくなるほどまで発展していないが、パトリキとプレブスは激しく争う。

 長い時を経て平民と呼ばれるプレブスも「名家」に連なる者が上位層を占めるようになる。

 

「なるほど。力を持ったプレブスもパトリキのように固定化されてきたのですね」


「うむ。さて、フラミニウスなのだが、彼は違うのだ。どの名家にも属していない。正真正銘の『平民』なのだよ」


 ハンニバルは続ける。ガイウス・フラミニウスは時代が呼んだ寵児ちょうじなのだと。彼はどこの名家にも属さぬ正真正銘のローマ中流以下に属する市民の代表であった。実際彼は下層ローマ市民の生活向上のためにいくつかの施策を行っている。

 ハンニバルの「前世」でもこれ以降、彼は元老院の承認を得ずに改革を実施したりと強引な手段まで使い、正しくローマ下層市民の代表たる行いをする。

 

「フラミニウスは敵ながら清廉潔白な改革者に聞こえます。彼の人柄に信を置き、こちらに引き込もうという手段なのですか?」


「いや、そうではない、マハルバル。彼ほどローマを愛し、ローマに尽くした人物はそうおらぬ。しかし、私は彼を支援しようと思っているのだ」


「それは……カルタゴの益になるのでしょうか?」


 マハルバルは相反する言葉を述べる主君に困惑していた。ローマの改革者であり、ローマを裏切ることはまず考えられないフラミニウスに支援を行い、何故カルタゴの益になるのだろうか?

 マハルバルの様子を見て取ったハンニバルは、口元に笑みを浮かべながら彼に謝罪する。

 

「すまぬ、マハルバル。まだ話が残っているからな。先にフラミニウスを支援すると言っても困惑するだろう」


「いえ、私の理解が及ばず……」


「いいか、マハルバル。フラミニウスは正しく改革者なのだ。改革をするということは既存組織と戦うということなのだよ」


 ハンニバルは言う。フラミニウスは平民階級と称されるプレブスだけでなくパトリキにも大きな影響を及ぼすと。彼がより大きな力を持つということは、ローマの既得権益と激しく衝突するということだ。

 ローマ国内の権力闘争が激化することはハンニバルにとって歓迎すべきこと。少しでもローマの国力がそがれるのならば、フラミニウスと繋がりを持つことはやぶさかではない。

 

「ハンニバル様、理解いたしました。なるほど、理に適ってますね」


「うむ。フラミニウスは他にもカルタゴにとって望ましい気質を持っている。彼はガリア以外の勢力については融和派だ。カルタゴやギリシャへの強硬策に反対している」


「早急な戦争を避けたいハンニバル様が望む相手たるのですね」


「うむ。私はカルタゴの対ローマ急先鋒と思われておるからな。フラミニウスと繋がりを持つことで、ローマの私に対する見解が変わると良いのだがな……」


「フラミニウスが隠れ蓑にもなるわけですね。そこまで考えておられるとは……感服いたしました」


 ハンニバルはここで言葉を切り、再び思考の海へ潜っていく。彼はマハルバルへ言わなかったが、フラミニウスにはまだ使いどころがあるかもしれないと考えている。

 「前世」、そう「前世」だ。今回は起こるかどうかわからぬが、ローマと戦争のきっかけになったのは、ローマに与した都市「ザクントゥム」を私が制圧しようとしたからだ。

 その際、ローマ側から使者がザクントゥムに派遣されようとしていた。結果として、先に私がザクントゥムを落としたので使者は来なかったが……その時選ばれた使者はフラミニウスだった。

 となれば……今回もローマといざこざが起こった際には、フラミニウスが来るかもしれない。せいぜい利用させてもらおうか。

 ハンニバルは口元に笑みを浮かべ、馬を走らせる。

 

 そこへふと思い出したかのようにマハルバルが声をかける。

 

「ハンニバル様、あなた様の『過去』とフラミニウスの動きは変わって来るのでしょうか?」


「……恐らく変わるだろう。しかし、数年間は『過去』と同じ動きをするだろうな。彼がシラクサに来るのが来年、去るのが三年後……その後彼は戦いに赴くはずだ」


「動向をさぐりましょうか?」


「そうしたいのはやまやまなのだが、マハルバルにその任を与えるわけにはいかぬ。イベリア半島の四地域がまとまってくれば、密偵を出す人材も集まろう。それからだな」


 ヒスパニア、タルセッソス、ルシタニア、ケルト諸部族地域……この四つが策源地となれば、人材も今よりぐっと集まるはずだ……カルタゴ本国に頼らずローマの動向を探り、兵力を整える体制をはやく作らねば……ハンニバルは決意を新たにする。

 

 

◇◇◇◇◇



 カルタゴノヴァに帰還したハンニバルは、ヒスパニアを統治する叔父ハストルバルの元を訪れていた。ハストルバルはハンニバルから戦果を聞くと手放しに彼を褒めたたえる。

 ハンニバルはタルセッソス、ルシタニア、ケルト諸部族地域の統治方法についてハストルバルへ自身の案を述べ始める。

 

「叔父上、ヒスパニアを含めた四つの地域は一丸となれるよう統治したいと考えています」


 ハンニバルの提案にハストルバルは同意する。

 

「ハンニバル、一丸となり統治することは賛成だ。お前にも考えがあるだろうが、まず私の考えを聞いてくれるか?」


「もちろんです。叔父上」


「兄上と私は先のポエニ戦争でローマとシラクサで戦ったが、カルタゴ元老院は最後の最後で戦うことをやめてしまった。元老院は当てにならない」


 叔父ハストルバルは続ける。彼の兄ハミルカルはポエニ戦争の勝利を自ら捨て去り多額の賠償金を支払い、サルディニア島、シチリア島を失う事になったカルタゴ元老院へ幻滅しヒスパニアに渡ったのだ。

 カルタゴ本国やローマには、二つの島を失ったカルタゴが賠償金を支払えるよう新たな地域を開発すると言っていたが、実のところ本心は別にあった。

 ハミルカルはカルタゴ本国をもう頼りにするものかと誓っていたとハストルバルは言う。兄の目的はローマへの復讐戦だった。負けたままで引きさがるわけにはいかないという自らのプライドと、このままローマに好きなようにさせていてはいずれカルタゴが滅ぶという危機感から、彼はローマを打倒することを望んでいた。

 

「――というわけなのだよ。ハンニバル。つまるところ、カルタゴ本国の力を頼らずバルカ家の元に統治を行いたいのだ」


 叔父の言葉にハンニバルは少し感動したように頷きを返す。

 叔父はやはり父と自身と同じで、カルタゴ本国を信用していなかったのだ。ローマに対して強硬な姿勢を取っていないのも、ローマからの警戒を避けるためだろうとハンニバルは容易に想像がついた。

 ハストルバルはローマ融和派としてローマにもカルタゴ本国にも認識されており、ローマ強硬派のハミルカルが亡くなり、叔父ハストルバルがヒスパニアを統治することが決定すると、争いを避けたいカルタゴ本国は胸を撫でおろしたと聞いている。

 自身も「過去」でハストルバルのように擬態出来ていれば、もう少し上手く立ち回れたのかもしれない……ハンニバルは自嘲するが今更悔いても仕方ないとすぐに考える事をやめる。

 

「叔父上、私の考えも叔父上と同じくします!」


 叔父上は自身と同じ志を持つと理解したハンニバルは、つい口調が強くなってしまう。

 

「ふむ。『いかにして富を集めるのか』なのだが、支配地を奴隷にする制度では効率が悪い。同化こそが最善だと私は思う」


 叔父は慎重に言葉を選びながら、ハンニバルに伝える。支配地の民を奴隷に落とし労役させることは、ローマを始め他の大国でも良く行われている事だが叔父はそれでは駄目だと否定する。

 これは叔父にとってかなり大胆な政策方針だったらしく、彼はハンニバルの顔色を伺うがハンニバルはいたく感心したように叔父に熱い視線を送る。

 

「叔父上! あなたは私の考えを読んでいるのでしょうか? このハンニバル、いたく感動しました!」


 めったに声を荒げることの無いハンニバルは感極まったように言葉を漏らす。

 

「具体的な概要を話し合い、パピルスへ記していこう。ハンニバル。お前の考えている施策を聞かせてくれ」


「はい、それでは――」


 ハンニバルは大きく深呼吸を行い、叔父へ自らの考えを述べ始める。

 

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