第14話 コンテの宴会

――紀元前227年 コンテ

 マハルバルとケルト族の戦士はこれ以上一騎打ちを行わず、コンテの広場ではヒスパニアとケルト諸部族の協力関係を祝って宴会が行われることになった。ハンニバルらがケルト諸部族の中心都市であるコンテに来た時の刺々しい雰囲気とは打って変わって、和やかな雰囲気の元、お互いに飲み交わしていた。

 ハンニバルは持って来させていたカルタゴ産のワインを全てこの宴会の場でふるまい、土産として壺に入ったオリーブオイルを族長らに手渡した。

 

「カルタゴ産のワインは美味ですな」


 ケルト族の老人はハンニバルの向かいに腰かけ、カルタゴ産のワインを褒めたたえる。

 

「口に合うようで良かったです」


 ハンニバルは穏やかな笑顔でケルト族の老人に応じると、ワインを口に運び一息に飲み干した。ハンニバルの持つ器が空になったことに気が付いた老人は彼の持つ器にワインを注ぐ。

 

「これはかたじけない」


 ハンニバルはケルト族の老人へ礼を言うと、老人はなんてことは無いと言った様子で、


「いえいえ、しかしオリーブオイルまで……油は食事だけではなく、様々なことに利用できますからな」


 とオリーブオイルの礼を述べた。

 ハンニバルは老人の言葉に頷くと、彼の器にワインを注ぐ。

 

「ケルト族でもオリーブの栽培を始め、牛や羊、鶏の飼育をやりませんか?」


 ハンニバルの言葉に老人はしばしワインを飲む手を休め、じっと考え込む。ケルト族の食事は肉類について全て狩猟でまかなっており、穀物は小麦や多少の野菜類の栽培は行っているが、小麦以外は野山の山菜に大きく頼っている。


「出来ますかな? ケルトに?」


 老人は少し懐疑的な声色でハンニバルに問いかけると、彼は莞爾かんじと笑い「必ずや」と答える。

 農業改革に悪く無い反応を見せた老人にひとまず安心したハンニバルは、ほっと胸を撫でおろす。彼はイベリア半島の四地域を統合し、ローマに対抗しうる策源地にすべく内政を行おうと考えている。

 そのためには、ルシタニアやケルト諸部族にはカルタゴの優れた農業技術や土木技術を始めとした技術革新を取り入れてもらわねばならぬ。このままではいくら領域が拡大しても国力の増加にはつながらないからだ。

 技術革新が受け入れられれば、ローマやスパルタのように市民を戦士として戦場に赴かせるように制度改革を行いたい。ケルトやルシタニアは現状、市民が戦いに出ているので抵抗はないだろうが、ヒスパニアやタルセッソスはそうではない。

 ケルトと統合することで、ヒスパニアやタルセッソスにも変革をもたらすことをハンニバルは計画している。

 傭兵だけではローマの兵力に太刀打ちできないことは自明であり、イベリア半島の四地域を統合した目的は兵力の確保なのだから……

 

――全ては対ローマのために。


 ハンニバルは思考を巡らしつつ、ワインを口に運ぶ。

 

「イベリア半島は気候も温暖で農業をするにも牧畜をするにも適しております。きっと数年後には豊かな作物が実ってますよ」


 ハンニバルはケルト族の老人に語り掛けると、老人は未来のケルトを夢想し口元が緩むのだった。

 宴会が終わった翌日、ハンニバルはケルト族へ定期的に使者を送ることを約束し、ヒスパニアのカルタゴノヴァへ帰還の途についた。



◇◇◇◇◇


 

 道中、馬上のハンニバルはマハルバルへ労いの言葉をかけようと彼へ馬を寄せる。

 

「マハルバルよ。此度こたびは獅子奮迅の活躍だったな。お前の剣は地中海一に違いない」


 ハンニバルの「過去」を含めた記憶の中で、剣の達人は幾人か存在したがマハルバルはその中でも最高位に位置すると彼は思っている。

 ケルト族の戦士との戦いで見せたようなスピードも素晴らしいが、マハルバルの一番の資質は戦闘センス……戦いの勘というものだろうか。剣の技術的にはローマの剣闘士やスパルタの戦士に劣るかもしれない。

 しかしマハルバルは天より与えられた戦いのセンスにより、技術や体格差を容易にひっくり返してしまうのだ。一言でいうと、彼は天賦の才を持つ戦闘の天才と言えよう。

 マハルバルは未だ若年だが、既に彼を一対一で打ち負かすことのできる者は非常に限られた一部の者だけだろうとハンニバルは思う。「過去」の経験を持つハンニバルは老練な戦闘技術を持つが、マハルバルと一騎打ちを行うと十回やっても一度も勝てないだろうと彼は確信している。

 

「お褒めいただきありがとうございます。ハンニバル様のお役に立てて光栄の極みです」


 マハルバルはいつも控えめで殊勝な言葉を連ねてくる。自信が態度に出る勇猛な者が戦士には多い中、マハルバルの気質は異質であった。謙虚な態度は度を過ぎると能力が低いと思われ、出世の道が閉ざされるのが世の常だ。

 なので、戦士はことさら自身の能力を喧伝することにいとまがない。それが自身を重用させ、命を守ることに繋がるのだから。

 しかし、ハンニバルはマハルバルの控えめ過ぎる態度を好ましく思っていた。ハンニバルの「前世」では当初不安に思う事もあったが、マハルバルの内面に秘めた闘志を知って以来、その不安も解消したのだから。

 

「戻ったら三日ほどゆっくりと休むがいい。その後、また旅に出てもらおうと思ってるからな」


「ローマ領のシチリア島でしょうか?」


 マハルバルはアルキメデスを連れ帰った後、ハンニバルへローマのフラミニウスがシチリア属州の総督としてやって来ることは伝えてある。彼はフラミニウスがどのような人物なのかは知らないが、主君より接触すべき人物の一人にあげられていたことを記憶している。

 

「フラミニウス……あやつとは近く接触しておきたいな……私の『前世』通りに動くなら、数年後にはイタリア半島北部へ向かうはずだ」


「シチリアにいる間に接触をということですか?」


「うむ。マハルバルよ、フラミニウスのことで知っていることはあるか?」


「申し訳ありません。名前しか存じ上げておりません」


 マハルバルが顔を伏せると、ハンニバルはすぐ彼にフォローを入れる。

 

「名前さえ憶えておけば問題ない……マハルバル、私の記憶を整理するために付き合ってもらえぬか?」


「はい。喜んで!」


 マハルバルは主人の心遣いに感動を覚え、つい言葉に力が入ってしまう。そんなマハルバルを主人ハンニバルは微笑ましく思い、フラミニウスについて説明を始める。

 

「マハルバル、ローマのガイウス・フラミニウスは――」


 ローマのガイウス・フラミニウスを語る前に、ローマの政治について少し触れねばならぬだろう。ローマの今使われている政治体型の成立はカルタゴと異なり比較的新しいため、政治が機能的に効率よくローマを支えており、彼らは危機に対し一丸となって対応する能力を持っている。

 ハンニバルにとってローマのこの「結束」こそが最も厄介な問題なのだが……

 

 話が逸れてしまったが元に戻すと、ローマの政治はうまく動いているように見えるが、権力争いと無縁ではない。政治の成立当初に力を持っていた「パトリキ」がローマの政治中枢である元老院を牛耳っている。これに対し、同じ時期にローマ市民の中でも中流以下だった者は「プレブス」と呼ばれ元老院に関わることができなかった。

 しかし、時が流れていくにつれ栄枯盛衰があり、パトリキの中にも没落する者が出て来る一方で、プレブスの中に力を持つ者も多くなってくる。

 よくある話だが、既得権益を守ろうとする「パトリキ」と力に見合った権力を要求する「プレブス」の間で権力闘争が行われるようになる。

 

「ここまでは良いか? マハルバル」


「はい。どこにでも権力闘争はあるのですね……」


「カルタゴ程ではないがな……」


 ハンニバルは自嘲するようにため息をつく。主の様子を見て取ったマハルバルは慌てて話題を変えようと口を開く。

 

「ハンニバル様、パトリキとプレブスは常に争いを続けていることは理解しました」


「うむ。ローマの最高位『執政官』の地位にプレブスでも選出されるようになったのが、凡そ百年前……しかしフラミニウスはプレブス出身だが、その中でも特殊なのだ」


 気を取り直したハンニバルはさらに説明を続ける。

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