第11話 カルタゴノヴァへ帰還

――紀元前227年 カルタゴノヴァ

 ハンニバルはルシタニア、タルセッソスの戦勝報告を叔父ハルトルバルへ行うべくカルタゴノヴァに帰還していた。ルシタニアもタルセッソスも未だ占領政策を充分に行っていない状況なので、そう遠くないうちに彼はカルタゴノヴァを離れる予定であった。

 しかし、思った以上にはやくマハルバルが帰還したため、彼は計画を変更し、先にルシタニアとカルタゴノヴァのあるヒスパニアの間に位置するケルト諸部族勢力圏を取り込んでしまおうと考える。

 

 ケルト人諸部族はコンカの街を中心にいくつかのケルト系部族が共存しており、それぞれの部族の合議によって争いが起こらぬよう部族会議という調停機関がある。平時彼らは部族ごとに自由生活を営んでいるが、戦時になると各部族が協力して事に当たる。

 ケルト人諸部族といっても、ルシタニア族はケルト系であるし、ヒスパニアにもタルセッソスにもケルト系民族は多数住んでいる。ハンニバルらはフェニキア系民族ではあるものの、タルセッソスを通じて長くケルト系部族と付き合いがあり、お互いの民族である程度交雑している。

 

 ハンニバルの構想はタルセッソス、ヒスパニア、ルシタニア、コンテを中心にしたケルト諸部族地域全てを一まとめにし、対ローマの策源地にしようというものだった。

 民族的に見るとそれらを一まとめにすることが可能だとハンニバルは見ている。しかし、力による制圧には限界があり、この地全てを融和させるには「一つになることの利点」をハンニバルが示さねばならぬだろう。

 

 ハンニバルはカルタゴノヴァの公衆浴場で汗を流していると、マハルバルが長髪を揺らし彼の元へとやって来る。

 

「お待たせしました。ハンニバル様」


 マハルバルが膝を付き礼を行おうとすると、ハンニバルは手でそれを制する。

 

「マハルバルよ。ここは浴場だ。かしこまる必要はない」


「しかし……ハンニバル様」


 なおも食い下がろうとするマハルバルの肩をハンニバルがポンと叩くと、彼を座らせてしまう。

 

「アルキメデス殿の招へいご苦労だった。かの御仁には明日にでも会わせてもらおう。お前も戻ったばかりだ。明日はゆっくり休むといい」


「お心づかい感謝いたします!」


 マハルバルはハンニバルの気づかいに感じ入ったように顔を綻ばせる。

 ハンニバルは続けて、マハルバルに自身が行ったタルセッソスとルシタニアの遠征について彼に語り聞かせる。

 

「――というわけなのだ」


「なるほど。残すはケルト諸部族だけなのですね」


「うむ。タルセッソスの統治を行おうと思っていたが、お前が思ったより早く帰還したゆえ、方針を変えケルト諸部族を先に抑えようと思う」


「わ、私が?」


 マハルバルは少し困惑した様子で、ハンニバルの言葉を反芻する。マハルバルは自分一人が帰って来たところで作戦に影響を与えるようには思えなかった。何か主人に深い考えがあるのだろうが、マハルバルには到底想像がつかなないのだ。

 

「マハルバル、彼らは力に敏感なのだよ。兵力、財力ではヒスパニアに敵わぬことは彼らも分かっているだろう。分かっておらぬなら分からせるまでだ」


「なるほど。征服は容易いと?」


「征服ではダメなのだ。マハルバル。いずれ彼らには戦力になってもらわねばならぬ。私たちの目的は何だ?」


「……ローマを、ローマを打ち倒すことです!」


「うむ。そのためには彼らに我々へ従うだけの理由を与えてやらねばならぬ。彼らは思うだろう。数の力……兵力や財力では敵わぬが、彼ら自身が負けたわけではないと」


「……つまり……ま、まさかハンニバル様」


 マハルバルはようやくハンニバルの意図に気が付く。なるほど、我が主はそれほどまでに私を頼りにしてくれていたのか……マハルバルは嬉しさの余り涙が出そうになったが拳を握りしめグッと堪える。

 

「うむ。剣の腕に自信がある者同士で戦わせ、私達が打ち倒す。彼らの矜持きょうじである個人武勇でねじ伏せるのだ」


「それでこの私を……」


「うむ。ヒスパニアの代表としてお前に戦ってもらおうと思う。お前ならば彼らを倒すことなど容易いことだろうと思ってな」


 ハンニバルは「過去」のマハルバルが戦場で見せた剣の冴えを思い出し目を細める。ハンニバルの記憶する限り、マハルバルほど剣の腕に長けた者を彼は知らない。

 豪放だが華麗、天性の戦闘センスを持ったマハルバル以上に適任な者はいないだろうとハンニバルは確信している。

 

「もったいないお言葉……必ずやご期待に沿ってみせます!」


 マハルバルは例え十人いようが私一人で全てを倒して見せよう。我が主が信頼する私の腕を奴らに見せつけてやろうと心の中で独白する。


「頼んだぞ。マハルバル。彼らに使者を送る。近く武闘大会が催されることだろう」


 「そのような形に持っていくのだがな……」とハンニバルは口に出さず、心中で呟く。

 

「了解いたしました!」


 マハルバルは思わず立ち上がり、ハンニバルに礼を行う。

 


◇◇◇◇◇



――翌日 昼過ぎ

 ハンニバルはアルキメデスを迎えた館に向かおうと自身の屋敷を出ると、外にはマハルバルが出て来た彼に敬礼を行う。

 

「休んでいろと言ったではないか」


 仕方ない奴だと言った風にハンニバルは莞爾かんじと笑う。

 

「アルキメデス殿は少し……その……変わった方なので、初対面とあれば私も付き添いたく思います」


「全く……明日は必ず休むように。この後、ワインをお前の家に届けさせよう。今晩はそれを飲み休め」


 マハルバルは恐縮したようにハンニバルに礼をする。

 

「ありがたく受け取らせていただきます!」


「ははは。行こうではないか。アルキメデス殿のところへ」


 マハルバルが少し前を歩き、アルキメデスの館までハンニバルを先導していく。十五分ほど歩いたところでアルキメデスの仮宿に到着する。

 

「アルキメデス殿! マハルバルです。ハンニバル様を連れて参上いたしました!」


 マハルバルの声に反応して館の中に大きな音が響いたかと思うと、扉が開き中から五十過ぎほどに見える髪の毛と髭が伸びっぱなしの男――アルキメデスが出て来た。

 

「おお。マハルバルさん。ご主人様を連れてきたのですかな?」


 アルキメデスは特に緊張した様子もなく、いつも通りのノンビリした口調でマハルバルに確認を行う。

 

「はい。こちらが我が主ハンニバル様になります」


 マハルバルが一歩下がり、ハンニバルの背後に回るとハンニバルはアルキメデスへ自己紹介を行う。

 

「アルキメデス殿。私はハンニバルと申します。このたびは招へいに応じてくれて感謝いたします」


「いえいえいえ。たくさんの研究費をもらえると聞けば来ないわけにはいかないですからな」


「アルキメデス殿は著名な学者と聞いています。後日研究成果を見せてくだされ。足りない物があれば傍付の者に言ってください」


「ほう。ほうほう! ハンニバルさんも私の研究を。ほうほう。ではさっそく」


 また始まったよ、この人とマハルバルはアルキメデスの様子に頭を抱える。ここは止めないとととっさにマハルバルは口を挟む。

 

「ア、アルキメデス殿、後日必ず来ますので本日はご挨拶までにと……」


 マハルバルがアルキメデスに言葉をかけるも、そんなことで止まる彼ではなく、家の中からあの大きな筒を引きずってきた……

 

「アルキメデス殿、それは?」


 ハンニバルはアルキメデスの引きずる巨大な筒に興味を示し、彼にその筒がどのような物なのか尋ねる。

 

「これはですな! これはスクリューというものなのです。この筒の下から上へ液体を運ぶことができるのですぞ!」


 要領を得ないアルキメデスの説明だったが、ハンニバルはそれだけで「スクリュー」がどのような物なのか察した様子で彼の口元が綻んでいる。

 

「なるほど。それは使えますね……どこで使うか……また来ます」


 ハンニバルは思案顔でアルキメデスに近く再訪することを告げる。

 

「ほうほう! ハンニバルさん! これのすごさが分かるとは。なかなかもって!」


 ハンニバルとマハルバルが立ち去っても、アルキメデスはしばらくの間ブツブツ何かを呟いていたという。

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